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| 『ティファニーで朝食を』 | | 作成日時: Dec 04, 2004, 12:14 AM |
「かわいそうな汚い猫ちゃん、わたしにはこの猫ちゃんにまだ名前を付ける権利がない」 上の部屋の住人役のジョージ・ペパードがホリー(オードリー・ヘプバーン)の部屋を訪れたときに飼い猫についていう言葉、彼女自身を「暗喩」しているともいえる象徴的な台詞。

「Breakfast at Tiffany's」 ヘプバーンの映画が好きな人だと、このティファニーはどうなんだろう、お気に入りの一つに当然のようになるのかな?
このDVDのジャケットというか、この映画自体の「第一面」としてこの絵が使われるている・・・ぼやけている背景はどこか朝食をとれる場所ではなく、(実際のところわたしはよく知らないが)NY,五番街の「Tiffany」の中のように思える。映画ではこの絵のように店の中で食するシーンはなく、早朝、タクシーで店先に乗り付け、ウインドウを眺めながらコーヒーとパンを食べるシーンが、映画の冒頭を飾っている。原作では「たとえ話」だったから、無理して「絵」にすることもなかったんだろうけれど。それほど不自然じゃないし、その後のストーリーと良くなじんだ印象に残るシーン。
トルーマン・カポーティの原作とは、最後の最後で「結末を変えている」が、この映画の方も、そう悪くはない、悪くはない。それまでモノクロの映画ばかり、「お嬢様」役ばかり。いまだ若く美しく、そしてそれまでの映画よりも遙かに「かわいげな」ホリーを魅力的に演じているヘプバーンをカラーで見ることができる唯一だしね。
原作では、結局国外逃亡してしまう、そしてアフリカか何処かで(実のところ木彫りのお面がそれを暗示しているだけだけれど)自由気ままに暮らしていることになっている。それが故、カゴの中では生きてゆけない小鳥のような女として、小説には一貫性がある。映画ではカポーティの許可があったんだろうけれど、雨の中、猫を抱きしめてペパードと抱き合うシーン、ハッピーエンド。奔放さが純粋な愛となることに結構ほろりとさせられる。保守=家庭という、フェミニズムの圧力があったのかもしれない。
タイプライターのインク・テープをプレゼントして、「書かない小説家」に動機を与えた後、窓際でギターを弾きながら「ムーン・リバー」を歌うシーン。
「何をしているの?」
「書いている!」
その後の、にこりとする笑顔、胸に手を当てて「一発食らった」くらい、相手の心を動かす笑顔。あれならいい小説の一本や二本すぐ書ける。・・・無精な物書きには、動機が必要。わたしにもあの笑顔・・・あれば良いんだけれど。
出演者
1・主人公二人がティファニーで10ドル以下のものを探して、店員に相談。その店員は、「昼下がりの情事」で、女房の浮気調査を依頼していた俳優、最初にティファニー見たときは、本物の店員だと思っていた(笑)
2・ユニオシさんは、ミッキー・ルーニー。ジュディ・ガーランドと長らく青春ミュージカルに出演していた俳優、しっかし、口の中に入れ物しているんだろうけど、顔分からないよ。当時でも彼の待遇は別格だったようだ。 |
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