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| PART1 ─ 雫石同行者の記録 ─ |
| 2月13日(土)〜14日(日) | (場所) | 草津 | (概要) | 予備校仲間コガミキコとその友達に混じって、草津へスキーに出かける。宿泊先はコガのお祖母さんの別荘マンション。 | (日時詳細不明) | 土曜夕方、コガとその友人、私より遅れてひろせ到着。合流し、その後行動を共にする中で、ひろせより「3月の第一週に雫石プリンスホテルの予約をとってあるんだけど、行かない?」と誘われる。その場で、同行を決定、ひろせにその旨伝える。 |
| 2月最終週 | (場所) | 東京・恵比寿にある私の職場にて | (日時詳細不明) | 私の以前の職場の先輩であるデザイナーのI氏より、「ひろとも、俺スキーに行きたいよ」と電話がかかってくる。しかし、28日に予定が入っていたため、「今週末は行けない。来週なら雫石に、ひろせと行く予定がある。それで良ければ行こう」という内容のことを伝える。その時、I氏は「考えてみる」と言って、電話を切った。なお、I氏とひろせとは一昨年の夏に私を含めた三人でザウスに行ったことがあり、面識がある。
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| 3月4日ごろ | (場所) | 恵比寿にある私の職場にて | (日時詳細不明) | 夕方、I氏より「やっぱり、雫石、行きたい。追加で行けないか、ひろせ君に伝えてくれないかな」という内容の電話がかかってくる。その場で、ひろせにその旨伝え、さらにひろせはホテルに一名追加希望を伝える電話をした模様。しばらくして、ひろせから電話があり、「ホテルの方はOK。切符の手配はお願いします」という内容のことを言われる。
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| 3月5日 | (場所) | 恵比寿 | (昼ごろ) | ひろせからの指示通り切符の手配。「ウィークエンド・フリーきっぷ」を三枚購入。
| (夕方) | 私に急な仕事が入り、6日土曜日の出勤決定。ひろせおよびI氏にその旨連絡。
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| (場所) | 渋谷、原宿 | (21時半頃) | 職場を出た後、渋谷でI氏と会う。食事をしながら、明日の段取りの打ち合わせ。ひろせの携帯電話の番号を伝えて、切符を手渡す。
| (23時半頃) | 切符をひろせに渡すため、ひろせの会社近くまで行く。切符を手渡し、I氏の携帯電話の番号を伝える。
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| 3月6日 | (場所) | 恵比寿 | (日中) | ひろせの携帯電話に何度か電話をかけるが通じない。昼前後、I氏から電話があり、ひろせはすでに雫石に到着していること、I氏は午前遅めの新幹線に乗って、車内で立ち往生を食らっていることを知る。その日、東北地方は風が強かった模様。
| (16時半頃) | 当初乗車を予定していた「やまびこ・こまち23号」(東京発17時56分)に乗れそうもなくなる。ひろせと電話が通じ、「やまびこ25号」には乗れるだろうということを伝える。ひろせに「まあ、がんばってください」というようなことを言われる。この時、私は部屋番号とスキー・ロッカーの番号と暗証番号をひろせから聞く。
| (18時40分頃) | ようやく職場脱出に成功。荷物を抱えて東京駅に向かう。
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| (場所) | 東京から雫石へ | (19時40分) | 「やまびこ25号」東京駅を発車。これに前後して、ひろせと電話が通じる。無事乗車できたことを伝え、ひろせには近づいたらまた電話くださいと言われる。その後、私が盛岡に着く直前までの間、ひろせとI氏は鍋を囲んだ晩餐。
| (21時50分頃) | 「やまびこ25号」盛岡駅到着直前。ひろせより電話が入る。もうすぐ盛岡に着くこと、その後田沢湖線の最終電車に乗り雫石駅からタクシーで向かうこと、ホテル到着は23時ちょっと前になりそうだということを伝える。
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| (場所) | 雫石プリンスホテル | (22時50分頃) | 無事、441号室に到着。ひろせ、I氏、歓喜。しばらくの談笑、寝酒。
| (0時過ぎ) | ひろせ、I氏の順でいびきの合唱を始めていく。
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| 3月7日 | (場所) | 雫石プリンスホテル | (6時50分頃) | 起床。7時から朝食に向かうことにしていたが、ひろせ、私はその前に露天風呂に行くことにする。脱衣場でひろせが、「ノドがガラガラするのは、いびきのせい?」と訊くので、「そうだよ」と答える。
| (7時10分頃) | 朝食。バイキング形式。ひろせ、いたって元気。その食欲にI氏、私、驚く。
| (8時頃) | スキーへ出かける準備。昨夜より窓際においておいたひろせのグローブが水に濡れてしまっていた。このまま手にはめての滑走は無理である。しばらくヒーターなどで乾かしていたが、うまくいかず、売店で4000円位のグローブを買うことになる。
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| (場所) | 雫石スキー場 | (8時30分頃) | 第1ゴンドラの山麓駅へ向かうため、三人揃ってシャトルバス乗車。所要約5分。
| (8時40分頃) | まず「メンズダウンヒルコース」滑走のため、第1ゴンドラ乗車。「メンズダウンヒルコース」はひろせも私もお気に入りのコースである。
| (8時55分頃) | 第1ゴンドラの山頂駅到着。まず、ひろせと私のスピードについて行けないI氏が「俺、自分のペースで滑って行くから、二人で滑ってて」という意味のことを言う。三人がどうしても間に合わない場合は、11時半に一旦ホテルの部屋に集まることになっていたのである。その後、ひろせと私が一緒に滑ることになったが、それでもひろせの方が技術もスピードも圧倒的に上であることは二人とも承知していた。そこで、ひろせは | 「じゃあ、下で。」 といい、私が「うん」と応じた。その後、私がストックの紐を手に通している間にひろせの姿は見えなくなっていた。 (9時30過ぎ) | ゴンドラ乗り場の前に到着するが、ひろせの姿はない。通常であれば、ひろせはストックの上端をそれぞれ脇の下にはさんで、ストックにもたれるようにして立ち、コース上部を凝視しているはずである。私は滑走に手こずり下山がだいぶ遅れたので、きっとひろせは待ちきれず先にゴンドラに乗ったのだと思い、自分もゴンドラに乗ることにした。
| (10時10分頃) | 2本目の滑走終了。再びゴンドラ乗り場に来るが、ひろせはいない。ちょうど10時に「レディスダウンヒルコース」を滑走するための第2ゴンドラの運転が始まった。ひろせは真っ先にそちらに向かったのではないかと期待して、自分も乗車。
| (10時40分頃) | 3本目。「レディスダウンヒルコース」の滑走終了。こちらのコースにもひろせはいなかった。I氏とも会わない。再び「メンズ」を滑走するため、第1ゴンドラに乗ろうとしたところ、場内放送が流れる。「東京からお越しのIさん、すずきさん、至急ホテルフロントまでお越しください」。これを聞いて、単純にひろせが自分たち二人を呼んでいると考えた私は、シャトルバスで戻ることなく。第1ゴンドラに一旦乗って、下山しながらホテルに着くコースを滑ることにした。
| (11時15分頃) | ホテルに向かう道がわからなくなり、迷う。もう一度リフトに乗らなければならなくなる。乗っている途中、「東京からお越しのすずきひろとも様、至急ホテルフロントまでお越しください」という場内放送がかかる。呼び出しが私だけになり、フルネームで呼ばれているので、I氏がすでに到着していることを知る。
| (11時20分頃) | 同じ放送が繰り返し場内を響きわたる中、ホテルのフロント前に到着。ホテルはゲレンデを降りたところにある。一通り辺りを見渡したがひろせはいない。I氏もいない。しかたなく、フロントの人に「今、呼び出されているすずきです」と伝える。それをきいたフロント氏は一旦奥の部屋に入り、別の人を呼んだ。その別の人が、「すずき様、どうぞこちらへ」と私をホテルから約50メートルほど離れた「スキーセンター」と呼ばれる建物へ案内した。その途中、私が「何があったんですか?」と問うたが、フロント氏は「実は、ひろせ様がですね……」としか言わない。その建物内に入ると、ひろせのスキー板、ブーツ、ストックが床面に綺麗に並べられており、警察の人がそれをカメラに収めているのが目に入る。その傍らにはI氏が焦燥しきった顔で立っていた。私は「ああ」と声をあげた。そのまま「救護室」と呼ばれる部屋へ通され、刑事たちが「あんたがすずきさんか」と訛りの入った言葉で声をかけてきた。 | ソファへ座るように促された。私の顔はすでに泣きそうになっていたのだと思う。 「すずきさん、いいか、落ちついて聞いてくれ」と刑事が言う。 「ひろせはどうしたんですか?」 「あんま、驚くな。あのな、ひろせさんな、……亡くなったんだ」 「え!?」 「木にぶつかってな、頭を強く打った。……ほとんど即死だったと」 「……。で、ひろせは、ひろせは、いまどこにいるんですか?」 「病院。すぐ救急車で運ばれてな。……ま、それは、後で教えるから」 その後、刑事に宿泊者名簿のコピーを見せられ、ひろせの住居、会社ともに連絡がつかないこと、もしひろせの実家の連絡先がわかったら、それを実家の人に伝えてほしいことなどを頼まれた。連絡のため、救護室を出るとき、くわしく話を聞きたいから連絡が終わったらまた来てくれと刑事に言われる。
| (場所) | 雫石プリンスホテル・441号室 | (11時40分頃) | スキーセンターから部屋まではホテルの支配人が付き添ってくれた。ひろせのカバンや靴がまだ転がっていた。支配人にひろせのいる病院の名前、住所、電話番号をきき、部屋の電話を使って、その日たまたま持参していた予備校仲間の名簿を見ながらひろせの実家、予備校の先生の奥さん(先生本人は外出中)、ひろせの世代のひらのたちに連絡をした。連絡中早速、コガから私の携帯に電話が入る。すでに涙声であった。一通り連絡が終わったら12時になっていた。 | 再び、スキーセンターにいるはずのI氏のところへ向かう。その途中、1階にあるスキーロッカーの前に寄る。ロッカー番号D-9、ロックの暗証番号はひろせがいつも使っている「4989」(四苦八苦)である。ドアに貼られた「ひろせ」と書かれたひろせのサインを見ながら、バタンと自分の右腕と額をロッカーのドアに押しつける。「どうして……」とつぶやく。 スキーセンターの手前で刑事とすれ違い、I氏はすでにホテルに戻ったと言われる。丁度その時、先生から電話が来て、およその経過を伝える。
| (場所) | 雫石プリンスホテル・1階ダイニングルーム | (12時過ぎ) | 刑事は441号室で事情聴取をしようとしていたが、支配人の取りはからいで、夜のみ営業する1階のレストランで行うことにする。刑事1人と私、I氏とでテーブルを囲んだ。供述調書はひろせの友人である私の証言という形でまとめられていった。途中、支配人が「お腹も空いていることでしょう」と言って、私、I氏にカレーライスを用意してくれる。たしかに自分の空腹は抑えきれず、口にはしたが世の中で一番不味いカレーライスであった。 | 事情聴取の内容は、ひろせと私、I氏の人間関係、今回の旅行の経緯、今朝別れるまでのひろせの健康状態などである。なぜ刑事がひろせの健康状態を問うのかと言えば、今回の事故についてスキー場の責任が問えるかどうかを明白にするためである。以前、突然の脳出血で滑走中に死亡したスキーヤーがいたという。この場合、転倒による怪我が原因ではないのでスキー場に責任はないのだそうだ。私、I氏は以上の刑事の質問についてありのままを答えた。 事情聴取の途中、刑事や支配人は、ひろせに起こったことを聞かせてくれた。それらを総合するとおよそ次のようになる。 斜面はゴンドラ山頂駅から約7〜800メートル程下ったところにある一枚バーン。コース幅約60メートルで斜度は20度弱。コース左側にはコースの端から約1.4メートルのところにほぼ等間隔で立木がある。秋田から三人でやってきたスキーヤーの一人がその時の情況を目撃していた。その目撃者は、ひろせが倒れた地点からおよそ80メートル離れた「SLOW DOWN」と書かれた横断幕の手前で後の二人が滑り降りてくるのを見ているときに、ひろせがコース端にある木に衝突するところを見たという。ひろせは斜面をかなりの高速で滑走しており、ほぼまっすぐぶつかっていった。しばらく見ていても動く気配がなかったので、斜面を昇って行き、すぐに事態を把握し、手分けして事情をパトロールに伝えたという。パトロール隊の記録によると第一報を受け付けたのが、3月7日午前8時55分。最初のパトロール隊員が現場に到着したのが9時2分であったという。時間の認識について多少の誤差はあるものの、ひろせは私と別れた直後、すなわち朝の一本目を滑走中にこの事故を起こしたと思われる。木へ向かうシュプールはまっすぐで、その形跡は目撃者の証言とも一致していた。一人では応対が不可能と考えた隊員はすぐに援軍を呼んだ。ひろせは頭部左を強く打っており、到着時点で息は絶えていた。人工心肺を行ったもののなす術はなかったという。ひろせは現場からボート(ソリの形をした担架)に乗せられて下山、そのまま救急車で盛岡市内の病院へと運ばれた。 聴取中、ひろせの妹さんから電話が来る。「現在埼玉にいて、すぐに準備をして新幹線で病院に向かう。夕方頃着く」という内容のことを言っていた。涙声であった。前後して、ひろせの両親からも電話が来る。「高知から大阪、大阪から仙台と飛行機を乗り継ぎ、仙台から新幹線で盛岡へ向かう。病院に着くのは20時頃になりそう」というようなことを聞いた。ひらのの妹さん、ひろせのかつてのガールフレンドのサトウシホさんからも電話が入った。 窓の外を見ると小雪がちらついていた。 当初の刑事の宣言通り、事情聴取は14時30分頃に終了した。
| (場所) | 雫石プリンスホテル・441号室 | (14時40分頃) | ホテルの支配人と職員、刑事二人の立ち会いのもと、ひろせの荷物をまとめた。その荷物は一旦警察に渡し、警察から両親に渡してもらうことにした。靴をビニール袋に入れ、鞄の上に散乱していた衣服と共にその中にしまう。テーブルの上にはレンズが汚れたメガネが置かれていた。刑事は「あれ? メガネしてんだ」とレンズを覗いたが、滑走に影響するほどの近視ではないと判断したようだ。メガネを鞄のポケットに入れるとき、スキーの理論書が入っているのが見えた。JR東日本の携帯用時刻表もそのポケットに入れておいた。 | ホテルの職員、刑事たちが去り、私とI氏が部屋に残された。事故を知ってから初めて得られた静寂であった。しばらくして、 「そこに行きたいな」 と私が言うと、 「なあ!」 とI氏も言う。しばしの沈黙の間に考えていたことは同じであった。
| (場所) | 雫石プリンスホテル・ロビー | (14時50分頃) | ロビー前のフロアは、家路へ急ぐスキー客でごった返していた。再びスキー板と靴を用意し、支配人に現場に向かいたい旨伝える。支配人は即座にゴンドラ山頂駅にパトロール隊員を一人待機させるよう手配をしてくれた。木の近くにまいてあげようとしていた日本酒をホテルの部屋に忘れてきたので、I氏がそれを取りに戻る。準備万端整って、ゴンドラ山麓駅に向かうシャトルバスに乗ったのは15時頃であった。
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| (場所) | 雫石プリンスホテル・メンズダウンヒルコース | (15時15分すぎ) | ゴンドラで山頂駅へ。駅の建物内にパトロール隊員が待っていてくれた。さっきの雪は上がっていた。彼に案内してもらって現場に到着。この木だと教えてもらう。じっとその木を見つめる。雪面から約60センチ位のところに血痕が残っていた。ひろせのシュプールはすでに多くのスキーヤーのシュプールによってかき消されてしまい、跡形もない。ひろせが倒れたと思われる場所も、救助のためと思われる多数の足跡によって曖昧になっていた。もはやどのように衝突し、どのように倒れたかを辿ることは不可能である。
木の根本付近に、昨夜ひろせが飲みそびれた日本酒をかける。I氏が「お前も飲め」と言ったが、私はスキー滑走中はアルコールを飲まないことにしているので、やめておく。I氏とともに合掌する。
帰り際、もう一度その木をじっと見つめ、また来てもわかるようにその形を覚えておいた。予備校仲間の一人Kより電話が来る。まだひろせのことを知らないようで会話がかみ合わない。そうしてスキーを履こうとするが、なかなかブーツがビンディングにはまらない。ようやく準備が整い、パトロールの人と別れて下山する。
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| (場所) | 雫石プリンスホテル | (16時頃) | ゴンドラ乗り場から再びシャトルバスに乗ってホテル着。帰りの仕度をする。フロントでチェックアウトをした。ひろせの分は、I氏と私とで折半をしようとしていたが、ホテル側のはからいで支払わなくてよいとのことだった。
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| (場所) | 雫石から盛岡へ | (16時40分頃) | ホテルの人が用意してくれたワゴン車で、ひろせがいる盛岡市内の高松病院へ向かう。
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| (場所) | 高松病院 | (17時30分頃) | 病院到着。受付の人に伝えて、ひろせがいる部屋へ通してもらう。すでに手前の廊下には線香の匂いが充満していた。通されたのは霊安室であった。廊下の一番奥に小部屋が一つあり、その左側が霊安室である。小部屋と霊安室との間にある扉は開け放たれていて、あたかも一つの部屋のようになっている。小部屋の床にはまだひろせを運んできたと思われるボートが置いてあった。霊安室を見ると白く盛りあがった布団が、キャスター付きの寝台に横たわっていた。枕部分は向かって左側にある。寝台の手前には簡単な祭壇がある。看護婦に勧められて顔を覆っていた白い布をとる。確かにひろせであった。傷が痛々しい。特に左眉の上にあたる額部分の傷みが強そうである。白い布を左手に握りしめたまま部屋の奥の段差に昇って寝台の左側にまわる。左の頬から顎にかけては木の擦り傷と思われる跡が内出血の状態で残っていた。両耳はガーゼで覆われていたが、血に染まっていた。姿形は多少変わってしまったが、確かにひろせであった。小部屋の隅にはひろせのスキーウェア類が一式ビニール袋に入れられていた。ゴーグルはレンズ部分のみが外れてしまっていた。蛍光黄色のヘアバンドは血に染まり元の色がわからないほどである。買ったばかりのグローブの左側もここにあった。ひろせはまだどこかで滑っている、という万に一つの可能性もなくなってしまった。 | 気がつくとボートはすでにスキー場の人(ワゴン車を運転してきてくれた人)が運んでしまっていて、看護婦が床に付着した血を拭っているところであった。二三人の看護婦にろうそくと線香の火を絶やさないようにと言われる。 部屋には、ひろせとI氏と私だけが残された。 (18時頃) | 医者が来て、簡単な説明をしてくれる。左眉の上の頭蓋骨が細かく骨折しているとその部分のガーゼをはがしながら説明をする。医者がその部分を押す。頭蓋骨にはない弾力が見られた。首からは下はまったく無傷だということだ。
| (18時30分頃) | お腹が空いてくる。病院の向かいにあるコンビニでおにぎりと飲み物を買ってくるが、食べないでいた。前後して、祭壇にあったお湯のみの水を日本酒に換えておいた。
| (19時40分頃) | 空腹の限界。おにぎりを食べ始める。そのとたんにひろせのご両親、妹さんがやってくる。予定より早めの到着であった。聞くと、大阪から花巻まで飛行機で来たからだと言う。お父さんはひろせの顔を見てふうと深いため息をついた。お母さんはじっと黙っていた。妹さんはすでに泣き顔であった。医者が来て、先ほどと同じ様な説明をする。 | 理由を聞いて、妹さんが「でも、あきれたね」と言うと、お母さんが「やりそうなこと」と言った。 スキー場の職員が二人やってきて、事故の説明をした。 (20時頃) | そうして、お父さんが警察へ向かう。残った人達は手前の小部屋でそれぞれ椅子に座った。お母さんが「どうしてやろ、こんなに大変な事になっているのに、涙も出ない」と言った。しゃべり方もはっきりしていて気丈なお母さんである。 | しばらくして、葬儀屋が来る。父親不在を理由に引き取ってもらった。 (20時30分頃) | ひろせの会社、アイ・エヌ・ジーの社長、ヨシナガさんが病院に到着する。ひろせの姿を見るなり号泣してしまう。
しばらくして、私が電話をするために部屋を出ると、後を追うようにしてI氏、妹さん、ヨシナガさんが病院ロビーに来る。後で聞くと、お母さんがひろせの枕元にじっと座り始めたからと言う。見ていられなかったそうだ。
| (21時頃) | お父さんが警察より戻る。しばらくして葬儀屋を呼ぶ。
| (22時頃) | 再び葬儀屋が来る。遺体をどうするかを相談する。盛岡で焼かなくても、そのまま高知へ運べるかどうかを相談していた。そうした議論が続く。
| (22時15分頃) | 帰ることにする。まずひろせに挨拶。枕元をポンとたたいて、「じゃあな」と言う。そしてご両親、妹さん、ヨシナガさんに挨拶をして病院を辞す。タクシーで盛岡駅へ。
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| (場所) | 盛岡駅 | (22時30分頃) | 盛岡駅着。すでに東京行きの新幹線は終わっていた。明日の朝、上野に着く夜行寝台特急「はくつる」に乗ることにして、その切符を買う。
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| (場所) | 盛岡駅前 | (22時45分頃) | 駅前の居酒屋で飲む。
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| (場所) | 盛岡駅 | (23時47分) | 寝台特急「はくつる」盛岡駅を発車。 | | ||||||||||||||||||||||||||||
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