homepage
こだま各駅停車の旅




 のんびりと、「こだま」で大阪へ行こうと思った。
 東海道新幹線で東京─新大阪間を往復する人は、ビジネス客であれ、観光客であれ、ほとんどが「のぞみ」か「ひかり」を利用するであろう。そこをあえて「こだま」に乗って、大阪までの旅を満喫しようと考えた。所要四時間一○分。「のぞみ」に比べてプラス一時間四○分の、ちょっと贅沢な旅である。
 「こだま」号は乗車券の他に特急券が必要な特急列車である。その反面、新幹線の駅にはすべて停まる各駅停車でもある。十三の途中停車駅のうち、八駅では「停まったが最後」と言わんばかりに「のぞみ」と「ひかり」が追い抜いて行く。ひどい時には、一度に二本も抜かれてしまう。当然、停車時間がどんどん増える。どのくらい停まるのか調べてみたら、合計でおよそ四○分間も停まっている。始発から終着までの四時間一○分のうち、実に一六%が停車時間である。
 日本のどこを探しても、こんなに停まる特急列車は他にないだろう。さながら単線区間をとことこ走るローカル列車のようである。こんな列車が堂々と東海道メガロポリスを走り続けていること自体、なんだかちょっと粋ではないか。

 夏休み真っ直中の二○○一年八月四日土曜日、「こだま」に乗るために、私は東京駅へ向かった。乗車するのは「こだま411号」。東京を9時10分に発車し、新大阪に13時20分に到着する。時間帯から見て、途中駅のホームでお昼ご飯の弁当を買うという、いまどきの列車の旅でなかなかできないことができるうえ、朝方に多い「のぞみ」、「ひかり」にもたくさん豪快に抜かれるだろう、と考えた。
 東京駅には余裕を持って八時半ごろ着いた。熱気溢れるホームでは、それが一本のホームとは思えないほどの、まるで絵に描いたように対照的な光景が繰り広げられていた。九時ちょうどに「のぞみ45号」が発車する丸の内側の一六番線には、土曜日だと言うのに、ホームに並んでいる人たちの多くがワイシャツにネクタイ、スーツケースを肩に背負ったビジネス客。これに対して、わが「こだま411号」が発車する八重洲側の一七番線には、行楽や帰省に向かうと思われる家族連れが多い。赤や黄色のカラフルなリュックを背負った子供たち。大人もラフな服装が多かった。きっと、夏休みでもお盆まではまだ間があるこの時期ならではの光景だろう。  私は四号車の前側の行列に並んだ。四番目くらいだった。座席は「こだま」らしく自由席である。
 8時52分に「こだま444号」が到着。これが車内清掃した上で、「こだま411号」になる。待つ人の列は、いつのまにか長くなっていた。一つのドア当たり三十人くらいの長さだ。
 9時ちょうど、カモノハシ顔の最新型700系電車「のぞみ45号」が満席で発車。東海道線のホームからは「踊り子101号」も発車した。
 9時5分ごろ、清掃が終わってドアが開き、乗車する。こちらは東海道山陽新幹線の第二世代の電車として誕生したキツネ顔の100系電車。まるっこい顔をした初代0系電車は一昨年九月に引退してしまったので、東海道新幹線では、これが最古参の電車になる。
 12番E席に陣取る。車両のちょうど中間あたり、進行方向右側の座席である。海は見えないが、太陽の光は南から射すので北側の景色は良く見える。天気が良ければ、富士山も見えるはずだ。車内の席は瞬く間に埋まって行く。一車両に客席は約百人分あるが、乗車率はそのうち七、八割程度になった。発車間際、通路を挟んで反対側の席に作業服を着たおっちゃん三人組が乗って来る。三人席が空いてないので、前後になって座ったが、背もたれ越しに話す上に声が大きい。遠州・三河あたりの言葉だ。手には豊橋までの切符を持っていた。

 ドアが開いて約五分。車内に慌ただしさを残したまま、「こだま411号」は、定刻よりやや遅れて9時11分ごろ発車した。
 しばらくの間、山手線や京浜東北線の電車と並んだりすれ違ったりしながら走る。見慣れた風景だが、一段高い新幹線の窓から見ると、ちょっとした優越感に浸れる。
 品川付近を通過。ここはいま、平成一五年秋の開業めざして、新幹線新駅建設の真っ最中だ。
 このあたりの高輪の山の上に、かつて国鉄技師長の要職にあり、技術の総責任者として新幹線実現に尽力した島秀雄氏が住んでいた。新幹線開業の前年に十河総裁とともに国鉄を去った島氏は開業式典には招待されず、新幹線一番列車を自宅の窓から見送ったという。何とも皮肉な話だが、いま日本が電車特急による高速鉄道網の恩恵を受けているのは、他でもない島氏の情熱の賜物だと言ってもいいだろう。
 ところで、この「こだま」という愛称。私などはまるっこいような、のんびりしたような印象を受けてしまうのだが、これは昭和三三年に登場し、新幹線開業前夜まで東海道本線を走り続けた特急電車「こだま」の愛称をそのまま引き継いだものだ。機関車が引っ張る客車特急に比べ、加速減速に優れた電車特急は、東京─大阪間を六時間五○分で結び、両二大都市間の日帰り出張が可能になった。そこから、すぐに反響して返ってくる「木霊」に因んで命名されたのである。

 「こだま」は軽やかにレールのうえを滑ってゆく。東京を出て初めてのトンネル、八ツ山トンネルを抜け、山手線と別れ、横須賀線と並行しながら城南を走る。掘割の区間が多く、いくつもの陸橋が頭上をかすめる。東急多摩川線を跨いで多摩川通過。直後の左、右へのS字カーブを通り過ぎるとにわかにスピードが上がる。矢上トンネルを抜け、大倉山トンネルを抜けると右前方に円筒形の新横浜プリンスホテルが見えて来る。9時26分新横浜着。

 新横浜のホームにも長い行列が出来ていた。この駅も最近では横浜近辺だけでなく町田・相模原方面の乗客も集めるようになり、神奈川東部の一大拠点に成長した。大勢乗ってきて満席になる。私の隣の席にも年齢不詳の女性が座った。
 新横浜発車は、9時27分。空は晴れている。新横浜まではカーブが多くスピードはいまいちだが、ここからは新幹線の本領発揮、スピードをぐんぐん上げて行く。けっこう速い。
 実際、「こだま」がそんなにも鈍足なのかと言えば、そうではない。昭和三九年一○月一日の開業ダイヤでは、超特急「ひかり」は東京─新大阪間を四時間、特急「こだま」は五時間で走っている。それぞれ一時間に一本ずつ運転され、途中浜松で「ひかり」は「こだま」を追い抜くというパターンだ。線路の下地が安定した翌四○年十一月には本数も増え、「ひかり」三時間一○分、「こだま」四時間に改められたが、途中で一本だけ抜かれる四時間と比べれば、一○本も抜かれる現在の四時間一○分は、むしろ大健闘とさえ言える。
 列車は相模の国のなだらかな丘陵を快走する。陽射しは強く、南側に当たる左窓にはカーテンが閉められ、景色が見えなくなってしまった。次第に沿線は、住宅よりも畑が増えて来る。相模線倉見駅が見えたかと思うと相模川。川を渡った先は平野になって一面が田圃になる。やがて小田原・厚木道路の平塚料金所付近から山が迫って来る。ちょっと長い弁天山トンネルを走る頃にスピードが落ちてきて、小田原の案内放送がはじまる。
 酒勾川の平野に出て小田原9時45分着。ホームはまたまた長い行列だ。ずいぶん車内は賑やかになる。デッキには立席客も現れた。五分ほど停車。ダイヤ設定上二本の「ひかり」が追い抜くことになっているが、今日は「ひかり211号」のみ運転。定刻に通過。この「ひかり」の一時間後に東京を出る「ひかり219号」には米原で抜かれることになっている。

 新幹線開業の四年後に生まれた私は、物心ついた時から「こだま」に乗っていた。住まいが小田急線沿線にあり、また母の田舎が静岡県袋井市にあったので、新幹線にはこの小田原で乗り換えていた。お正月、夏休み、秋祭り。モスグリーンのナップサックを背負わされて、嬉々として「しんかんせん」に乗ったものである。
 小田原発車は、9時51分。発車してすぐトンネルに入るところ、子供の頃はなんだか神秘的に感じたものだ。トンネルを抜けると右側に箱根ターンパイクが登って行く山が見える。この上には、秀吉が北条攻めのために建てた石垣山城跡がある。
 ここから三島までおよそ三五キロは箱根越えのためにトンネルが多い区間になる。南へ大きく迂回するが、新幹線版の箱根八里だ。
 いくつかトンネルを抜ける。左窓には海がちらちらと見えるはずだが、カーテンで見えない。湯河原温泉の谷が見えた。この谷を流れる千歳川がちょうど神奈川と静岡の県境になる。

 熱海に着いた。10時00分ちょうどの到着だ。ここで降りる客は多い。二○人以上がぞろぞろと降りて行く。熱海や伊豆などへ行楽に向かう人たちだろう。東京駅からは東海道線の「踊り子号」が出ているが、最近は近距離でも「こだま」を利用する人が増えているようだ。東京─熱海間は、東海道線はJR東日本、新幹線はJR東海である。
 乗って来る客もわずかなので空席がぽつぽつ出て来る。意外だが、小田原─熱海間が最も乗客が多いと言えそうだ。南関東から集まって来る人、伊豆・静岡方面へ散って行く人。両者の重なるところがこの区間なのだ。
 通路では車内販売のお姉さんとお兄さんが頑張ってワゴンを転がしている。降りる客、乗る客が通るたびにワゴンを脇に寄せるのがたいへんそうだ。客が多いので売れ行きは上々のようである。

 熱海発車は、10時01分。駅の前後で右にカーブしてここからは西へ。左に西熱海ホテルの看板が見えたところで新丹那トンネル。熱海を出て、二つ目のトンネルだ。約三分で通過。
 日大や、製薬会社の看板が見えて来て、三島着。10時09分である。
 ここからはまた十五〜二○人ほどが乗って来る。降りる人も多い。駅のすぐ山側にある東レの大きな看板も健在だ。幼稚園に入る頃までの私の好きなものと言えば、東京タワーに新幹線、そして富士山だった。乗れば新幹線の屋根のダクトの形や、富士山の剣ケ峰、宝永山の形などを観察し、家に帰ればクレヨンで新幹線と富士山を日がな一日描きまくっていた。私の場合、富士山の手前にこの「東レ」の看板を描き込むのが特徴だった。「ひかり」通過のため、長いこと停車していたときの景色が印象に残っているためだが、親から見れば変な子供に映ったのだと思う。
 「ひかり213号」は海側を通過して、三島10時12分発。いまは「TORAY」になった東レ工場の看板に別れを告げる。
 幼い私が「こだま」車内を楽しく過ごせるかどうかは、富士山が見えるかどうかにかかっていた。窓から富士山が見えなければ、なぜ見えないんだと駄々をこねては母を困らせたものだ。今でこそ車内で騒ぐ子供をうるさく思う私だが、昔は私こそがまさに近所迷惑な子供だったに違いない。
 今日は日も射して天気は良いが、空気は霞んでいる。富士山はもちろん、手前の愛鷹山すら見えない。しかし子供の頃ほど残念には思わなくなってしまった。そんな自分がちょっと悲しくもある。

 「こだま」は愛鷹山の裾野を走る。東名高速道路はこの山の裾野を半周するかのように回っている。地図を見ると、道と川が山から放射状に麓に向かって走っている。新幹線は駿河湾をまわり込むかのようにゆるやかな円弧を描いて走る。茶畑が見えて来た。
 のどかな風景もつかの間、さらに走ると工場が増えて来る。銀色の煙突、赤と白のツートンカラーの煙突。てっぺんからは白い煙が上がっている。富士市付近は紙・パルプ工業が盛ん、とは社会科の教科書。新富士が近い。田子の浦へ流れる潤井川では、子供たちが水遊びをしていた。
 車内で偶然居合わせる客同士。会話がずいぶん盛りあがる。一方は老夫婦。「あら?」と声をかけた方は麻の白いスーツを身にまとった五十前後のきれいな女性。どうやら名古屋付近に住んでいる人たちらしい。老夫婦は東京までお父さんの眼鏡を作りに行って、途中熱海に寄ってこの「こだま」に乗ってきたと言っている。女性の方はどこから乗ってきたか、よく見ていなかったのでわからない。三島あたりだったと思う。
 豊橋まで乗るおっちゃん三人組は、走りはじめてからは静かだった。空いてきたので、三人が並んで座れるところに移動したようだ。
 新富士に着いた。10時22分。この駅は新幹線開業から二十四年経った昭和六三年に新たに設置された。このとき新設された駅には、ほかに掛川と三河安城がある。「ひかり215号」が通過。在来線の駅からやや離れているためか、人口二三万人の駅にしては乗降客が少ない。五〜六人が乗り降りして、新富士発車は10時25分。
 間もなく富士川を渡る。釣り人がのんびりと釣り糸を垂れていた。やがて山が海に迫って来てトンネルが多くなる。蒲原トンネル、由比トンネル、興津トンネル。トンネルがなければ、海がきれいに見えるところ。合間の山には住宅が建っている。
 抜けると清水の街が広がっている。向こうには日本平がこんもりと座っている。静岡鉄道をくぐったあたりで静岡の案内放送。右側に東海道線が近づいて来て静岡着。10時38分。

 静岡で下車する人は多い。仕事関係で来る人も多そうだ。前に座っていた人も、隣に座っていた人も、服装はラフな格好だったが、携帯電話で「もうすぐ着きます」などと連絡を取り合っていた。三十〜四十人。定員の約三分の一が降りてしまう。乗って来るのは五〜六人だから、空席がだいぶ目立つことになる。車内も少しのんびりした雰囲気になる。
 「ひかり」の追い抜きはないが、降りる人が多いので、一分半ほど停車して静岡発10時39分。
 安倍川を渡り、平野の盛り土の上を走って新日本坂トンネルに入る。抜けると焼津、島田の街が続く。平野には、住宅が多い。そうして大井川を渡るはずだが、どういうわけか大井川の鉄橋を見落としてしまった。越すに越されぬと言われた大井川は、いまやぼけっとしていても時速二○○キロで渡れるようになっている。
 丘陵地帯に入って牧ノ原台地をトンネルでくぐり抜ける。トンネルの合間には茶畑。風車がくるくる回る。空気をかき回して遅霜がつかないようにするためらしい。ちょうど新芽が出た頃に霜がついたら「泣きの涙だ」とは、わが母の言。短いトンネルをいくつか抜けると、やがてなだらかな平地になって来る。
 子供をあやす父親が、通路をあっちへ行ったりこっちへ来たりして歩き回っている。

 茶の蔵カネモの建物が見えてきて掛川に着く。10時55分。五分ほど停車。「のぞみ」が二本通過する。「のぞみ9号」、「のぞみ47号」が三分間隔で猛スピードで通過する。
 ここで私は、弁当とうなぎパイ購入を試みる。売店のおじさんに「うなぎパイ、二つください」と言ってお金を払おうとすると、「細かいのない?」と言われる。手許には一万円札数枚とわずかばかりの小銭しかない。さっきまであったのに、と思いながらも「ない」と応えると交渉決裂。うなぎパイを売ってもらえなかった。うかつだった。地方に出かけるときは千円札を多めに用意するものだが、今回は大阪に行くと思って油断した。
 少し離れたところにある弁当売り場のおばちゃんに、こんどは先に「一万円でおつりありますか」と言うと、嫌なものでも追い払うかのように「ないっ!」と言われてそれで終わり。
 階段を降りて改札近くの売店なら、おつりもありそうなものだが、すでに一本目の「のぞみ」が通過している。四号車の位置から行って戻って来るのは危険と思って諦めた。なんと私は、いかにも「こだま」らしい旅をしようと試みて、いかにも「こだま」らしいまた別の理由によって、その希望が叶えられなかった。掛川市の人口七万九千人。目立った乗客の乗り降りはなかった。
 掛川発11時01分。遠州の平野をしばらく東海道線と並んで走る。田圃が広がる。
 しばらく走ると袋井市。最近、愛野という東海道線の新しい駅が出来た。新しいサッカー場の最寄り駅になるらしい。
 北側に広がる田圃の向こうには、クリーム色の謎の塔が立っている。ちょうど従妹の家のあるあたりだ。幼い頃、私はその塔の存在を不審に思った。エレベータを作る会社だとかで実験のために塔が必要なのだと言う。本当にそうなのだろうが、子供は「何か悪いことをする人の秘密基地に違いない!」そう主張して、近くへ連れてってくれと大人たちにせがんだものだ。
 いまではこの付近、遠州花火大会の会場として有名になった。今年は八月十一日開催だと、会場予定地に看板が立っている。私も二度ほど見に行ったが、総打ち上げ数三万発。中でも尺玉百連発は圧巻だ。
 袋井には幼い頃の思い出がいっぱい詰まっている。おばあちゃんは母のいない隙を見て、内緒でお小遣いをくれたものだ。小学校に入ってからは秋祭りにはなかなか行けなくなってしまったが、旧東海道の細い道を歩いていると、いまでも法被を着て屋台に乗りこむ小さな私がそこかしこに隠れているようだ。

 袋井、磐田と旧宿場のあった街の南側を通り過ぎて行く。「サッカーのまち いわた」の看板が立っている。平野の盛り土の上を走る。天竜川を渡ると、家が多くなる。再び東海道線が近づいて来る。
 浜松着11時12分。十五〜二○人ほどが降りる。単純に考えて、東京、新横浜で乗った乗客が、ここまででほとんど降りたことになる。ここから再び一○人ほど乗車。座席はほぼ半分くらいが埋まった状態である。ホンダ、ヤマハ、スズキ。世界的にも有名となったこれらの企業はここ浜松が発祥の地だ。人口は県庁のある静岡よりも多く、五六万人。
 むかし袋井に帰るとき、私たちはいつもこの駅で下車した。当時は掛川に新幹線の駅がなく、また静岡で下車するよりも浜松から戻った方がいくぶん早かったからだ。その頃、浜松の新幹線駅と在来線駅とは、ずいぶん離れていて、華やかな新幹線駅に比べてうらぶれた雰囲気のする細く長くて薄暗い通路を延々歩いて東海道線に乗り継いだものである。いま以前の在来線駅があったあたりには、淡いれんが色のアクトシティと呼ばれるとっても大きな高層ビルが建っている。

 11時13分、「こだま」は浜松をゆっくり発車する。ほどなくしてうなぎの養殖場が見えて来る。いくつかの養殖場を過ぎたあたりで浜名湖。沿線でも一二を争う美しい風景である。
 遠く三ヶ日の方まで湖が見渡せる。くねくねとカーブした面白い橋。マリーナの水路では一艘のモーターボートが飛沫をあげている。美しい風景はあっという間に過ぎてゆく。
 ソニーの工場、松下電池の工場の横を通り過ぎる。このあたりが静岡県と愛知県の県境になる。豊橋が近づく。空は青いが太陽は隠れてしまったようだ。右にカーブして11時27分豊橋着。ここから名古屋まで北西に進路を取る。

 豊橋は東海道新幹線で唯一の地上駅。踏切のない新幹線には珍しい。隣の在来線駅の向こうには名鉄特急が見える。十五人ほど下車。三人組のおっちゃん達もここで降りた。車内はクーラーが程良く効いて快適だが、外は暑そうだ。駅前の電工掲示板には、いまの気温「30℃」と表示されていた。
 ここでも「ひかり147号」、「ひかり309号」と二本の「ひかり」に追い抜かれる。弁当を買おうと思えば買えただろうが、こんどは自分の腹の調子が怪しくなってきた。少し痛い程度だが、食欲は旺盛ではなくなったので、弁当は見送ることにした。何も食べなくても午後一時半には大阪に着く。それからでも遅くはないだろう。
 豊橋11時34分発。豊川を渡る。左にカーブして三河湾の近くを通る。ここを過ぎるともう大阪まで海を見る機会はなくなってしまう。新幹線から海が見られるところは小田原─熱海間、由比付近、浜名湖、そして三河湾付近と意外に限られている。

 三河安城11時49分着。田圃の見えるのどかな駅。「ひかり119号」の通過が遅れたので、三河安城発は一分遅れの11時52分。
 家並みが絶え間なく続く。境川という川を渡る。ここが三河と尾張の境である。ややあって堀川。名古屋城のお堀へ水を引くために掘られた運河らしい。
 間もなく名古屋。伊勢方面、飛騨方面、木曽方面への列車がたくさん出ているので乗り換え案内が長く続く。
 大きな広告看板が増えて来る。駅右側には新しい名古屋の高層ビルがそびえている。JR、高島屋、東急ハンズの看板。店の組み合わせが新宿駅南口に似ているなどと考える。
 名古屋着12時04分。二十〜三十人ほどがぞろぞろと下車。乗ってきた客はまばら。ほとんどが空席になる。乗車率二○%程度。現在一時間に二本走る「こだま」のうち、片方は名古屋止まりになっているが、この状態では仕方のないことだ。

 一分半停車して名古屋発12時06分。発着が一分ずつ遅れる。しばらく東海道線、名鉄と併走する。
 やがてキリンビール工場の先に、突如として真新しく光った天守閣。平成元年に再建された清洲城だ。五条川に架かる橋の朱色の欄干が美しい。考えてみれば、東海道新幹線沿線は、戦国時代以降の史跡の宝庫である。歴史ブームだからか、最近になってこうして復元されるお城も少なくないという。
 高速道路をくぐったあたりで東海道線と別れる。住宅と工場が並ぶ。どこからか名神高速道路が近づいてきて木曽川を並んで渡る。ここから岐阜県。黒い瓦屋根の家が多くなる。
 12時17分岐阜羽島着。木曽川と長良川に挟まれた平野に佇む駅。周囲に高い建物がなく、ちょっと寂しい雰囲気だ。「ひかり217号」が通過する。薄曇り。親子連れ二人が乗って来る。
 東海道新幹線を建設する際、この駅を作るかどうかでだいぶもめたというのは有名な話だ。当初の計画では名古屋からは鈴鹿山脈を越えてまっすぐ京都に向かっていたらしい。それなら時間ももっと短縮できたし、関ヶ原を通らなければ、雪に悩まされることもなかっただろうにと思う。

 岐阜羽島発は12時20分。長良川、続けて揖斐川を渡る。河原の緑が美しい。平野には黒い瓦屋根が続いている。
 気がつけば、前方左右から山が迫って来て、登り勾配に差し掛かる。関ヶ原だ。国道二一号、東海道線。谷間に交通路が集まって来る。線路下に真新しい石碑が通り過ぎるが、これが何かはわからない。地図では、このあたりが家康最初陣地となっていた。
 東海道線関ヶ原駅付近。関ヶ原病院の建物が目立つ。その向こうには古戦場が広がっている。東海道線の線路をくぐって関ヶ原トンネル。トンネルを抜けると右に伊吹山が大きく見える。岐阜県を抜け、滋賀県に入る。新幹線にかかったら、かの関ヶ原も三分ほどで通過してしまう。
 次第になだらかになって、短いトンネルを通過。右からは北陸本線。曇っていた空が晴れて来る。
 保守車両基地を通り過ぎて、米原着。12時36分。「ひかり219号」が通過する。東京を自分たちの一時間十一分も後に出た「ひかり」に、ついに追い抜かれてしまった。
 一人二人乗車する。米原は北陸方面への乗り換え駅として名が知られるが、東海道新幹線では唯一の「町」にある駅だ。滋賀県坂田郡米原町、人口一万二千人。

 米原発は12時39分。平野のまん中を右にカーブして行く東海道線を、上りの長編成貨物列車が走って来る。新幹線は南西へ向かって真っ直ぐ進む。石田三成が城を築いた佐和山を見落としてしまう。どこだどこだと右後方をのぞいて見るが後の祭り。三成が歴史的にどう評価されているかは知らないが、茶坊主をしていたころ、長い道を歩いて来た秀吉に、一杯目にぬるいお茶、二杯目に熱いお茶を出したという挿話は好きである。お茶くみだって、自分の工夫や意志次第で出世できるという話は、日頃つい弱音を吐いてしまう自分を、改めて勇気づけてくれる心強い話だ。
 琵琶湖の平野を近江鉄道が沿って走る。山がぽつんぽつんと現れる。安土山は観音寺山の西尾根。観音寺山に隠れて見えにくい。近江鉄道八日市線を越える。
 近江八幡市を過ぎると野洲町。「銅鐸の町 野洲」の看板が見える。新幹線建設中に銅鐸が出土したという。野洲川を渡ったあたりは栗東町。国道一号線と八号線が合流する地点だが、日本中央競馬会のトレーニングセンターがあるところと言った方が通りがいいかもしれない。積水化学、積水ハウスの工場。保守車両の基地を過ぎる。
 右側に見えて来る比較的高いビルは草津市だ。東海道と中山道の合流点だったが、いまや京都、大阪のベッドタウン。彦根市を追い抜いて大津に次ぐ滋賀県第二の都市である。
 琵琶湖の南端を回り込むように右にカーブして京都に向かう。瀬田工業高校の脇で瀬田川を渡る。この瀬田川がやがて宇治川となる。音羽山トンネルを抜けると京都府京都市。
 次第に大きなビルが増える。廃墟と化したボーリング場がちょっと不気味だ。国道一号線が併走する。もう一度、短いトンネルを抜けると京都タワーが見えて来る。鴨川を渡って京都着。13時02分。建て替えられた京都の新駅舎が、街の雰囲気に比べてちょっと異様に見える。

 美人が一人、人里離れた寒村に迷い込んだように乗って来る。
 京都発、13時04分。左には東寺の五重塔。右には梅小路蒸気機関車館。左にカーブしながら桂川を渡る。終着新大阪をめざす。
 やがて右から山が迫る。左からも山が近づいて来る。ここが天王山の山崎だ。本能寺で信長を討った明智光秀と、秀吉とが対峙した。桂川、宇治川、木津川の三本の川が合流し、ここで淀川となる。狭くなった平地には交通路も集まって来て、新幹線、東海道線、阪急京都線、京阪本線、国道一七一号がひしめき合っている。名神高速道路は仲間に入れてもらえず、天王山の下をトンネルで通る。麓にサントリーの工場が見える。地名がウイスキーの名前にもなっている。ここから大阪府。
 しばらく阪急京都線が並んで走る。高槻に近づくとまた平野が広がって交通路もそれぞれの道を行く。鳥飼の車両基地では、昼寝中の新幹線電車が並んでいる。
 いよいよ終点新大阪が近づいて来る。長いと思っていた「こだま」の旅も間もなく終わりだ。大きなビルが密集して、速度も落ちて来る。ガラガラの車内に新大阪の案内放送が空しく響く。駅手前で一旦停止。上り列車の通過を待って再び加速。新大阪駅二五番線に滑り込む。13時20分。定刻に新大阪に到着した。大げさではなく、本当にあっという間の四時間一○分だった。

 東海道新幹線の五一五・四キロは、居眠りを決め込もうとすると、だいぶ長く感じるものだ。反対に「こだま」でも、風景を楽しもうとすると、それほど長いとは感じない。
 ひとりひとりの小さな思い出。戦後を生き抜いた数知れない人々の人生。日本の長い歴史と、いまを支える政治、経済……。走馬燈のように流れて行く新幹線の車窓には、時間も空間も超えた一言ではいいようのない、実にさまざまなものがぎっしりと詰まっている。
 「のぞみ」、「ひかり」で充分である。こんど東海道新幹線に乗ったときは、是非一度、窓外の風景をじっくり眺めてみてほしい。きっとあなたがいままで見たことのないドラマが、そこに広がっているだろう。

 ところで、車中で食べ損ねた昼飯は、結局新大阪駅構内の立ち食いうどん屋で済ませた。腹の調子がいまいちなので「きつねうどん」が丁度いい。だしが効いた薄味の汁がうまかった。





top to this page
homepage