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白鳥紀行

早朝の青森駅。出発前の特急白鳥




  一 前夜

 盛岡発のスーパーはつかり15号は約四五分遅れて青森駅に到着した。すっかり日も暮れた18時40分である。聞くところによると今年の冬は昭和三六年以来の豪雪という。昨年が昭和四○年以来の雪だというから、それを上回る雪がいま東北地方を埋め尽くしているのだ。はつかりは事実、途中の三沢駅でドアが閉まらなくなり、野辺地駅の手前では先行の貨物列車のトラブルで立ち往生してしまった。ようやくたどり着いた青森駅構内では、水銀灯に照らされた機関車たちが降りしきる雪に覆われて、まるで氷の廃墟にたたずんでいるかの様だ。雪に埋もれているのは線路だけではない。屋根に守られているはずのホームは一面が白一色になっている。前の列車に乗り降りした人たちの足跡はすでにない。
 雪は水分が相当に少ないパウダースノーである。街のメインストリートのアーケードになっている歩道は一○〜二○センチの雪で固められ、一歩踏み出すたびにキュッ、キュッという音が聞こえてくる。車道との間にあるはずのガードレールは少なくとも一メートルはあろうかという雪の壁になっていて、その壁から自転車のハンドルとカゴだけが覗いていた。引っ張ってみたがびくとも動かない。恐らく春まで取り出せないだろう。雪が解けたら人が出てきたという話も納得がいく。
 明日はいよいよ特急白鳥に乗る。白鳥とは、青森─大阪間一○四○キロを走破する昼行としては日本最長の特急列車である。一日に上下一本ずつ運転されているが、今年三月三日のダイヤ改正で廃止されることになった。昭和三六年にキハ82系気動車でデビューして以来、四十年に渡って日本海縦貫線を走り続けてきたが、当初、鉄道が果たしていた長距離輸送の主役の座は、いつしか航空機へ明け渡され、青函連絡を使命としていたこの長距離列車の存在意義は薄れてしまったのである。
 白鳥全線完乗の前祝いを兼ねて、同行のZ氏と酒を飲む。肴はうまい。だんだん気が大きくなってくる。大声で「津軽海峡・冬景色」を歌いながら宿に戻る。雪は留まることなく降りしきっている。酔っぱらいの所業にいちいち関わるほど道行く人も暇ではない。


  二 出発

 二○○一年二月四日早朝。青森駅改札前の電光掲示板には「特急白鳥/6:11/大阪/3」とあってその前に「改札中」と表示されている。四番線に到着する札幌発の夜行列車「はまなす」からの乗り換え客を配慮しているのだろう。発車の三○分以上前であるにも関わらず特急白鳥はすでに三番線に入線していた。九両編成の485系電車が、じっと寒さに耐えるかのようにたたずんでいる。前夜の状態そのままなのか、先頭車両のボンネットにも、各車両の屋根、床下機器にも氷塊と化した雪がこびり着いている。先頭車両付近にはすでにカメラ・三脚を抱えた鉄道マニアたちがあと一か月ばかりの命となった特急を取り囲んでいた。指定された座席は五号車一○番A席。自分の座席近くの網棚に荷物を収める間もなく列車は定刻6時11分に発車する。青森の発車は大袈裟な儀式めいたものになるかと思っていたが、発車ベルを聴いた覚えがない。何とも実にあっけなく、一三時間に及ぶ白鳥の旅が始まった。
 乗車率はおよそ三○%程度。その殆どが大阪までの全線を乗り通すと見られる鉄道マニアだ。白鳥はまだ闇の底にいる青森駅の広い構内をいくつかのポイントを渡りながらそろりそろりと走り抜けて行く。
 奥羽本線沿線の雪は深い。田舎の小駅では、列車が停車しないホーム先端に雪が一メートル以上も積もっている。渡る川の水面も悉く氷結し、津軽平野ではりんごの木々が寒さに震えて立っている。弘前辺りで空が青く光り出してきた。大鰐温泉を過ぎる頃にはすっかり夜も明け、雲が重たそうに地上近くまで垂れ下がっている。外は相変わらずの深い雪だ。列車は再び山間に入り矢立峠を越えてゆく。峠の先は秋田県である。景色を眺めるうちに睡魔が忍び寄る。気がつくと列車は秋田駅の手前、土崎付近を走っていた。


  三 羽越本線

 雪の魔力は例外なく、この特急白鳥をも蝕んでいく。単線が続く奥羽本線を走るうちに八分の遅れが生じていた。秋田を過ぎ羽越本線に入っても状況は変わらない。秋田の次の駅では大阪発青森行きの寝台特急「日本海3号」が白鳥とのすれ違いのために停車していた。その次の駅でも、そのまた次の駅でも日本海縦貫線を走り抜いてきた長編成の貨物列車が停まっていた。
 白鳥はやがて海沿いを走り始める。季節風は相当強く、海にはかなり沖まで何層もの白波が立っている。羽後本荘付近で平野を走るがしばらくすると再び海沿いを走る。羽越本線では、大きな川の河口付近に平野が広がり、水田があり、街があり、平野が過ぎると再び山が海に迫って、線路も海沿いを走るというパターンを繰り返す。仁賀保、象潟に停車し、有耶無耶の関を過ぎると山形県に入る。左車窓に見えるはずの鳥海山は麓が僅かに見えるだけである。庄内地方の拠点の町、酒田に着く。この辺りから乗客が増えるかと予想していたが、二、三人が乗ってきただけであった。
 庄内平野は最上川の両岸に広がる平野である。米所として名高いだけのことはあって、視界が続く限りの水田である。そこに雪が降り積もり、広大な雪原を形成している。車窓が眩しい。強い反射の光を浴びながら、白鳥は真っ直ぐに敷かれたレールの上を快調に走る。この調子で走れば約一○分の遅れは新潟の一七分停車で挽回できるかに見えた。
 落とし穴はしかし、思わぬ所に隠れていた。鶴岡に停車した白鳥が発車できなくなったのである。原因は雪による停電。鶴岡と次の停車駅であるあつみ温泉との区間が上下列車とも運転見合わせとなってしまった。下りは特急「いなほ1号」が足止めを食らっている。事故の状況がわからないので、どの程度の遅れになるかわからない。一旦改札口を出て駅の売店でおにぎりを購入する。列車が遅延したら食糧を確保する。いままでの経験から、そういう習性が身に付いている。


 四 笹川流れ

 鶴岡での立ち往生は予想していたほど長くは続かなかった。架線が切れていたら、一時間では済まないだろうと考えていたが杞憂に終わった。結局三三分遅れの11時4分に発車した。再び平野が尽き、あつみ温泉を過ぎて列車は海岸線に沿って右へ左へカーブしながら南へ進んでいく。日本海の波は相変わらず高い。鳥居の建つ大岩を幾重もの白波が取り囲んでいる。鼠ヶ関を通過して新潟県に入る。越後寒川、今川、桑川……この付近は「笹川流れ」と呼ばれる名勝で、羽越本線車窓風景の白眉と言える。並行して走る国道には「高波時、波しぶきにご注意ください」といった内容の看板がかかっている。岩礁に波が激しくぶつかり、一○メートルは優にあろうかという高さにまで跳ね返る。波の音が今にも聞こえてきそうだ。そうした風景が次から次へと車窓に広がる。海岸に並ぶ家々は、絶え間なく続く風と雪と波にじっと耐えるようにしてたたずんでいる。波の向こうには微かに粟島が見えていた。
 村上の一つ手前の間島駅に到着した。間島・村上間に発生した土砂災害はまだ完全普及していない。この区間は複線で、単線時代からの海側の旧線を下り列車、複線化する際に敷設した山側の新線を上り列車が使っているが、旧線が土砂崩れで不通のままになっている。交通を途絶させないために、現在羽越本線は新線のみを使った単線運転を続けている。白鳥も普段は停車しない間島駅に臨時停車した。見ると運転手が駅長からカード型の通票を受け取って列車を発車させていた。タブレットではないが、原始的な通票閉塞方式だ。ホーム先端部に駅長が直立不動で列車を見送る光景は懐かしい。
 単線運転の関係で徐行運転が続き、遅れはさらに広がっていた。もはや一時間近い遅延になっている。
 この遅れをどれだけ取り戻せるか。行く先はまだ長い。白鳥は走る。彼方にある終点大阪めざして速度を上げてゆく。


  五 新潟停車

 坂町を過ぎた辺りから再び眠ってしまったようだ。車内のざわめきで気がつくと、列車は新潟駅手前に位置する上沼垂(かみぬったり)の車両基地を通過中だった。新潟は駅配線の構造上、青森方面へ向かう白新線も、大阪方面へ向かう信越本線も、駅の東側へ延びている。新潟を通り過ぎて青森─大阪間を行き来する特急白鳥は、ここで方向転換しなければならない。乗客達は新潟駅に到着する前から座席の向きを変えていた。その音で目が覚めたのだ。
 リズミカルなジョイント音を上げてポイントを渡り、白鳥は新潟駅一番線に到着した。車掌たちがここで交代する。新潟から乗務する車掌が、新潟までの車掌に「お疲れさまです」と声をかけていた。本来のダイヤでは、新潟到着12時17分、出発12時34分、一七分の停車時間が設定されている。列車がこの通り走っていれば、丁度昼時にのんびり立ち食いそばでも食べられるはずだった。五○分以上も遅れている今となっては、乗務員達の交代が済めばすぐにでも発車するだろう。その「すぐ」というのが具体的に何分何秒なのかは大きな問題である。
 立ち往生した鶴岡で、あてもなく買ったおにぎりを平らげてしまった私は空腹ではなかったが、何も食べなかった同行のZ氏にとって、ホームにある立ち食いそばは限りなく魅力的に映ったようだ。店の案内を見ると車内持ち込みもできるという。あと何秒停車するかはわからない。一か八かの賭である。Z氏は月見そばを注文した。
 案の定と言うべきか、その途端に発車ベルが鳴り出した。焦った。もしここで乗り遅れると、全線完乗はご破算になってしまう。再び青森からやり直さなければならない。私はそば屋に一番近いドアの前に立ちはだかり、Z氏の乗車を待った。すでに発車ベルは鳴り止んでいる。発泡スチロールの容器に入れられたそばを片手にZ氏が乗り込んだ瞬間、白鳥の扉は閉まった。


  六 愛称の由来

 列車番号を5012Mから5002Mへと変えて、白鳥は信越本線を走り始める。新潟は四○分の遅れで発車。乗客も若干増えた。一五分ほどで新津に到着する。
 昭和三六年一○月登場時のダイヤでは、白鳥は新潟を経由せず、この新津から真っ直ぐ羽越本線を青森へと向かっていた。白鳥という愛称名は、羽越線で新津から二駅目にあたる水原の白鳥の湖に由来すると言われる。だが、特急白鳥が登場する直前まで、秋田─青森─鮫間に「白鳥」という同名の準急が走っていたこと、大阪─直江津間で併結されていた上野編成も白鳥と名づけられていたことを考えると、それだけが由来とは言えないだろう。いずれにしても、白鳥という名は日本海縦貫線を走破する特急の風格ある名称であることに変わりはない。
 列車は雪一面の越後平野を快速で走り抜けてゆく。雪が多いとは言え、かなり南下した。昼下がりという時間帯も関係しているだろうか。青森、秋田に比べると風景も心なしかのんびりしているように見える。この平野も日本有数の米所だ。車窓は両側とも見渡す限りの水田である。時折薄日も差して、その眩しさは庄内平野の比ではない。
 長岡を四○分遅れのままで発車。宮内で上越線と別れると大きく右へカーブして長い信濃川橋梁を渡る。やがて山間に入り、右へ左へカーブしながら走り続ける。線路脇に鉄道マニアのカメラが並んでいる。
 柏崎を過ぎると再び海沿いに出る。空が晴れて来た。波は穏やかだ。曲線の少ない複線区間を時速一二○キロで走る。犀潟で六日町方面からの北越急行線と合流し、直江津の直前で下り白鳥とすれ違った。直江津で信越本線と別れ北陸本線に入る。JR東日本とJR西日本の境界でもある。かつて白鳥は大阪─青森間、大阪─上野間という二系統で運転され、直江津で分割・併合されていた。
 新潟から大阪までは全線複線である。単線時代、海岸線に沿って走っていた線路は複線化に際して長大トンネルに切り換えられた。美しい風景と引き替えにスピードアップが実現した。
 そして事件は、長大トンネル通過中に発生した。


  七 頚城トンネル

 妙高の山々が、北アルプスの山々が、日本海まで迫り、切り立った断崖絶壁を形成している。糸魚川前後のこの海岸線はかつて北陸道の難所中の難所とされた所だ。直江津から三つ目の駅、名立を過ぎたところに一万メートルを超える頚城(くびき)トンネルがある。この長大トンネルはちょうどトンネルの真ん中に筒石駅があることでも有名である。
 筒石駅を特急白鳥が通過した頃、突然、車内に大きな衝撃音が響いた。床下機器の雪が落下してバラストを巻き込むような音は、前からも度々聞こえていたが、今のは大きさが違う。確実に何かが壊れた音である。車内の誰もが驚いて、周囲を見回した。あっ!と前の座席の乗客が叫ぶ。その前の左側の窓ガラスに蜘蛛の巣状の亀裂が入っている。ピストルの弾が命中したかのようだ。485系電車の窓ガラスは複層ガラスになっていて、その外側のガラスが割れている。一部は剥がれ落ちて飛んで行ってしまった。内側のガラスは何とか無事のようだが、このまま走って問題はないのか。電車は何事もないかのように走り続けている。車内が緊張した。
 車掌がやって来た。床下から雪が落下して跳ね返ったバラストが、トンネル内の風圧で勢いが付き車両に当たったものだろうと分析する。この時期、時々起こる事故だという。車掌は馴れたもので、「ずいぶん、いい音したでしょう」と周りの乗客達に話しかけている。車掌の指示で、前の座席の乗客二人は、前方の空席に移動することになった。ガラスは途中駅で応急処置するという。運転は続行できそうだ。
 糸魚川に停車したが、修繕はせずそのまま発車した。トンネルとトンネルの切れ目から海が見える。親不知海岸だろう。海の上を北陸自動車道が走る。車掌は慌ただしそうに破損箇所と車掌室との間を往復していた。富山県に入り、黒部川が形成した扇状地を走る。左車窓に雪を戴いた立山が見えて来た。遅れを三七分に取り戻し、白鳥は魚津に到着した。


  八 応急処置

 魚津駅のホームでは、ちょうど五号車の停車位置に合わせて作業員がガムテープを持って立っていた。修繕と言っても、どこにでもあるガムテープを縦に貼っていくだけのことである。車掌が車内から半透明のガムテープを貼っていく。再び三分遅れて、四○分遅れの15時53分に魚津を発車した。割れた窓の前のシートにはワープロで「お客様へ おそれいります 故障のため使用できません 車掌」と書かれたA4の張り紙が貼られた。いくつかの鉄橋を渡り、富山平野を走る。車内販売で購入した「ますのすし」を食べる。
 富山に着いた。隣のホームに越後湯沢行きの新型特急「はくたか」が停車している。ここでも追加の修繕が行われるという。ホームが右側にあるので、作業員が左側のバラストの上で脚立を持って待っていた。彼が五○センチと違わず割れた窓の場所で待っていたのには感服した。ここでは補修用と思われる幅一○センチ程の透明フィルムを使って修繕を行った。窓の上の方から、横方向に丹念に貼り付けていく。その様子を鉄道マニアが写真に撮っていた。作業に五分を要し、富山の発車は四五分遅れの16時19分である。
 白鳥は再び走り始める。富山平野を抜け、高岡に停車。散村で有名な砺波平野を快走する。やがて能登の山々が右側から迫ってくる。倶利伽藍峠である。トンネルを越えると石川県になる。
 金沢駅はひどく近代的な高架駅に変身していた。富山を差し置いて北陸の一大ターミナルという地位を築いたかに見える。左側にはもう一つ高架駅の基礎のような構造物が建設中である。いずれ北陸新幹線の駅になるのだろう。駅前には航空会社が経営すると見られる巨大なホテルが建っている。隔世の感とはこのことか。この駅で幾度となく眺めた客車列車での通勤風景は遠い昔になった。いずれ国鉄塗色の特急電車も過去のものになるのだろう。


  九 北陸の夕暮れ

 富山から大阪までは、本来白鳥の三○〜四○分後を追いかけるようにして走る「スーパー雷鳥38号」が一○分程先行して発車している。遅れた白鳥を待ちきれず、この「雷鳥」に乗ってしまったのか、富山でも、金沢でも、白鳥に乗ってくる客はほんの僅かであった。
 金沢の発車は、16時57分。すでに街は夕暮れの賑わいを見せ始めている。犀川を渡り、金沢平野を走る。松任、小松、加賀温泉、福井県に入って芦原温泉と小刻みに停車する。これらの駅からは、白鳥の指定券を持った客たちが、待ちかねたような顔つきで、ため息をつきながら乗って来た。土日を使って温泉旅行を楽しんで、京都、大阪方面へ帰るのだ。ようやく車内はほぼ満席となった。
 途中、車掌が再び壊れた窓のところにやって来て、弁当「ますのすし」が入っていた段ボールを貼り付けていた。ガムテープをべたべた貼ってしまって見栄えが悪いから目隠しだという。その作業を手伝いながら車掌に訊いてみた。このガラスは新しいものに交換するのか。すると、車庫に入ったらすぐに取り替える、一時間くらいで済む、との答が返ってきた。それを聞いて私は安心した。モハ484はもはや老朽化著しい車両だ。白鳥引退と共に壊れたまま廃車になるのかと、独り勝手に心配していたのだ。列車名と共にこの老兵もお役御免となるのではあまりに切ない話ではないか。
 段ボールを貼り終えた後、車掌はその窓のカーテンを閉めた。
 九頭竜川を渡り、福井に到着する頃、辺りはすっかり闇となった。冬の日は短いが、定時運行していれば福井ぐらいまでは明るかったに違いない。もはや車窓からは僅かな街灯がぽつりぽつりと見えるだけだ。どこを走っているかもわからない。すでに乗車して一二時間が経つ。座り続けていることが、だんだん苦痛になって来る。


  十 終着

 ずいぶん長い時間トンネルを走っている。隣の席でZ氏が「北陸トンネルだ」と言っていたが私はそれを夢の中で聞いていた。目を覚ますと敦賀に到着した。長いカーブの途中にある駅である。敦賀を過ぎるとループ線を走るが明かりなど殆どない山中なので、その全容はわからない。左車窓の向こうに下りの特急電車が見えた。淡い光を放つ窓が連なって走り去ってゆく。
 再びトンネルを抜けて近江塩津駅を通過すると湖西線に入る。電源切り替えのため、車内が一瞬暗闇になる。電源切り替えは三度目だが、夜間はこれが初めてである。
 白鳥は、湖畔の丘の上を高架線で真っ直ぐ走る。速度は時速一三○キロ。速いが本来のダイヤ設定がこの速度なので遅れは取り戻せない。窓の外にはオレンジ色の灯が輝いている。その先に漆黒の得体の知れない空間が広がっている。それが琵琶湖なのだろう。
 京都で乗客の大半が降りた。乗客の殆どが鉄道マニアになった。車内は青森出発時の状態に戻って来た。結局乗り通したのは鉄道マニアだけである。航空機が大衆化した時点で、白鳥はその役割を失っていた。三○分おきに特急が走る北陸本線で、「サンダーバード」や「スーパー雷鳥」に追い立てられた。それでも大阪─青森間をひたすら走り続けて来た。なぜかはわからない。わからないが、ただひとつだけ言いたい。白鳥は、北陸線を、そして信越線、羽越線、奥羽線を、一番最初に走り一番最後に走った唯一の「特別急行列車」ではなかったか。
 複々線の東海道本線を走る。銀色の各駅停車を追い越して行く。
 淀川を渡った。列車は少しずつ速度を落としてゆく。鉄道唱歌のオルゴールが鳴り始めた。窓の外に、梅田の明かりが眩しく映える。
 定刻19時6分から遅れること四六分。19時52分である。特急白鳥は、静かに大阪駅四番ホームに到着した。



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