アマンダ・クロス(14歳・女子)
ドラムの音を聞くのは初めてではなかった。前にも、父さんがテープに吹き込むためにドラムをたたくのを聞いたことがあった。今、それを思い出したのは、そ のテープに入っていたセネカ・ララバイと今度のドラムのたたき方がよく似ていたからだった。だけど、今度はドラムがずっと大きくて、大勢でたたいていた。 私の初めてのパウワウである。
「今はまだウォーミングアップをしてるだけなんだよ、シーダム。」
と父さんが言った。私は黙っていた。男の人や少年達が出てきた。私はその人達が出てきたドアの側に座った。そしてインディアンの美しい衣装をまとった人達 を見回した。初めて見るパウワウをしっかりと目に焼き付けておきたいと思ったからだ。
部屋の四方には椅子が並べられていた。
「姉さんの学校の食堂みたいだ。」
と私は思ったけれど、父さんは、
「食堂というよりは宴会場のようなものだよ。」
と言った(宴会場がどんなものかよくわからなかったけれど)。ダンサー達が興に乗ってくるにつれて、足元の床板が振動し始めた。
踊っている人達はとても素晴らしかった。一番背の高い男の人は、長い灰色の髪を、私と同じように二つに分けて三つ編みにして、頭に羽飾りをかぶっていた。 それははりねずみのはりと鷲の羽で出来ていた。その羽飾りがどんなに貴重なものか、私はわからなかったけれど、唯とても美しいものだと感心していた。その 男の人はモカシンを履いていたが、びっくりしたのは、そのモカシンにビーズの飾りが一つもきらめいていないことだった。鹿皮のズボンとシャツを身に付けて いたけれど、足首までとどく長いケープでほどんど隠されていた。そのかわりケープについているビーズやはりねずみのはりなどの装飾が、モカシンの飾り気の 無さを十分補っていた。
その人はとても荘厳な人だった。しわくちゃの茶色い、頬骨の高い顔から、その気高さが光放っていた。大きな少し垂れた目も誇り高さを宿していた。その男の 人はいままで出会った誰よりも高く立っていた。畏敬の念を込めてその人を見つめた。ほんの一瞬、その人は踊るのをやめて、こっちを見た。目と目が会ったと き、私は頬が暑くほてった。こんなふうに人のことをじっと見つめたりしちゃいけない、と思い、私は首を引っ込めたが、目を逸らすことは出来なかった。その 人の唇の端がかすかにぴくりとしたが、微笑みにはならなかった。目が真剣になった。そしてまた踊りへともどっていった。誰かえらい人に違いない、と私は 思った。そう確信した。
ドラムの響きは私の耳に大きくはっきりと伝わってきた。ドラムをたたいている人達は、私にはわからない言葉で唄っていた。男の子達が踊り始めた。何人かは 鳥のお面をかぶり、何人かは精霊のお面を付け、そしれまた何人かは何のお面も付けていなかった。お面を付けて薄暗がりの中で踊っていたけれど、私はその子 達を怖いとは思わなかった。何人かは体がすっぽりと隠れてしまうようなケープを着、そしてそうじゃない子も含めて全員が、腰からたくさんのスカーフをたら して、スカートのようになっていた。
踊り手達は、音楽のリズムにあわせて足を踏み鳴らした。このパウワウの儀式を訪れた精霊達も大ホールのなかを踊り回っていた。熱気が部屋中にあふれ、圧倒 されるほど強かったので、まるでその熱気が目に見え、手に取ることが出来るようだった。
ドラムの音が変わった。だんだんスローテンポに、そしてもっと柔らかい響きになった。今まで見ていた人達が、踊りの輪に加わって踊り始めた。みんな美しい 衣装やビーズやふさのついたショールを身にまとっていた。とてもうらやましかった。私と同じ年頃の女の子が踊りの輪に加わって、あの荘厳な男の人の側で 踊っていた。その男の人が指をさすと、女の子は踊りの輪から離れ、しばらくの間、部屋の左右を見渡した。こっちを見てくれないかな、と私は思った。そして いざその子がこっちを見たときには、やっぱり見ないでくれればよかったのにと思った。ほら、その子が真っ直ぐ私のところへやって来る。
女の子が私の目の前に立った。その子に側へ来られると、私は自分がとてもじみに感じられた。その子が着ている鹿皮のドレスの襟ぐりには、赤い花と緑の葉の ビーズ模様がきらきらしていた。足にも青いビーズ模様の入ったモカシンをはいていた。私はきれいなドレスを着ていなかった。モカシンもはいていなかった。 その子はモカシンの青いビーズ模様とぴったりの青いショールをはおっていた。真っ黒い髪を、私と同じように二つにたらして三つ編みにしていた。目が大きく ぱっちりしていて、黒目がちだった。顔はあの荘厳な男の人と同じで、ただ少し表情が柔らかい。
女の子は私に微笑み、私も微笑み返した。手を差し伸べてきたので、私も手を伸べると、女の子は私の手を引いて、踊りの輪の中へ私を連れていった。自分の ショールを外して、半分私にかけてくれたので、二人でショールにくるまるかたちになった。
「どうやって踊ったらいいか全然わからないわ。」
と私は思って、ちょっと怖くなった。けれどもつぎの瞬間にはもう女の子に倣ってステップをふんでいた。
どんなふうに踊ったのか、私は憶えていない。後で父さんの前でやってみせようとしたら、出来なかった。でも、その時の空へくるくると舞い上がっていったよ うな感じを憶えている。それは自分の体の動きを全く意識せずに、ただドラムの音に体中の脈拍をあわせ、任せていた感じだった。私はあの部屋にいた全ての人 々になり、そしてその人々がみんな私になったような感じだった。
父さんから四時間も踊っていたと聞かされた。自分では、どのくらいの間だったのか覚えがない。踊りの輪に加わってからは、何を見ていたのかも憶えていない のだ。ただ体が空を翔けているようだった。そんな空を翔けるような感覚は、あれが初めてで、もしかしたら最後になるのかもしれない。私が若かったから感じ ることが出来たのかも知れないし、また若かったからというわけじゃないのかも知れない。ともかく、今でもドラムの音を聞く度に、私はあの空を飛ぶような感 覚を思いだす。
Amanda Cross, 14, Columbia Talented and Gifted Center, Portland
(指導)Tobi Piatek
アンドレア・ダーリング(17歳・女子)
小さかったとき、私のベッドの下には、よく怪物が潜んでいたものです。大きくて、毛むくじゃらで、あるいはぬめぬめとした怪物が、私が一気にベッドの端を めがけて跳ぶ時、足首を引っ掴もうと脅かすのでした。カーペットとベッドの間の、むき出しになっている床の危険地帯を無事に越えると、私が待っている間、 姉さんが私の部屋やクローゼットの暗い暗い隅々を確かめてくれました。時々姉さんはあちこち何箇所か見落として、怪物達が私の眠るのを待ち構えているのが 見えました。やつらは、割れ目からモソモソと這い上がってくるか、上からズルズルと滑り降りてくるかして、私は袋に入れられ、外耳炎の痛みと大嫌いな芽 キャベツの国へ連れていかれると信じていたのです。だから、私はベッドのまわりの堀を隔てて、枕やぬいぐるみの動物達をベッドの上に勢い良くぶちまけて、 とびきりすばらしい砦とねぐらを作り上げました。それを作り終わる頃には、私の寝るスペースはほとんどなくなってしまっていたけれど、とにかく、それで私 は安全を確保出来たのです。さいわい、怪物達のほとんどがナイトライト*を怖がっていました。そして、その安心を与えてくれる小さな明かりにひるまない種 類の怪物達は、比較的ぬめり気もなく、おとなしい連中でした。そういう連中は私の爪先をくすぐったり、窓をかたかたいわせたりするぐらいで、たいていはた いして悪いことはしませんでした。
両親は私の暗闇嫌悪症を心配していませんでした。私の恐怖心や暗い想像を特に止めようとはせず、ただ、ベッドの下にコソコソしている魔物のことは心配しな いで、かわりに木登りのことや歌をうたうことなど、いいことを考えるように励ましてくれるだけでした。結局、選択するのは私しだいでした。もう怖いものな んかいないと思うようになったころ、私のナイトライトの豆電球は切れてしまいましたが、私は取り替えて欲しいとは、頼みませんでした。
幼稚園時代、私の毎日は何の悩みもなく、とても穏やかでした。私は、箱のような家と、四人家族、空には黄色い点々がきらめき、ぷっくりした雲が一つ二つ、 そんな明るい絵を描いたものです。体の側面をみんな映して、私が本当に存在してるってことを見せてくれる三面鏡が面白くてなりませんでした。クレヨンを 削って、ワックスペーパーの上へ溶かし、ステンドグラス模様を作りました。そしてその最高傑作を、窓の側の物干し網につりさげたものです。砂場では、バケ ツ一杯の乾いた細かい砂を篩いにかけ、それが砂場に小さな滝のように落ちて積もっていくのを見て、目を見張りました。砂の中では、友達も私も濡れたりどろ んこになったりすることはありませんでしたが、新聞紙で帽子を作ってかぶり、舟を折って、バスタブの水の荒波をかいくぐって操舵する時はずぶぬれになりま した。雨が降ると、水たまりに入っちゃいけないと言われても入り、泥滑りをしました。黄色い長靴は、黄色のままであり続けることはありませんでした。
幼稚園で一番好きだった遊びは、魔法の袋でした。ある先生が、毎週水曜日のお昼ごはんのあとで私達にスリルを味わわせてくれたのです。その先生は黒いひも で口のところを引き絞る、ぶどう酒色のずた袋を持っていました。興味津々の幼稚園児達の輪に私も混じって座り、袋の中にあるものが何なのか、一生懸命手を 伸ばして探り当てました。袋の中は絶対に除き見たりはしませんでした。そんなことをしたら、せっかくの楽しみが台なしです。私が自分の触れているものをな んでも意識するようになったのはその時からです。どこかに座ったりするときでも、触れるもの全てに色々な感触があるということに気付き始めたのです。草が どんな感触か、私のまつげに積もる粉雪がどんなか、指の間で泥がどんなふうにぐちゅぐちゅするかを知りました。怖いもの知らずの友達が二つに切断したぬる ぬるのみみずが、どんなふうにのたうちまわって元に戻ろうとするかを知りました。手は感覚が鋭くなり、目は絶えず見張り、匂いをかぐにも全てが新鮮で、何 がどんなにおいなのかと好奇心でいっぱいでした。
お昼寝の時間。昼寝の時間は大嫌いでした。眠くもないのに先生や親達に無理に寝かされるのは馬鹿らしいと思っていました。そして先生達が皆にわかるように ゆっくりと本を読むお話の時間をよく憶えています。やはり暗やみを怖がったフランシスが出てくる「小さな動物一家」のお話を聞いて、嬉しくなったのを私は いつまでも忘れないでしょう。髪の毛を団子にひっつめた図書館のおばさんは本当にいい人でした。おばさんは私達が触ってもいい蛙のペンダントを首にかけて いて、私達にどうやって本を読んで聞かせればいいのか心得ていました。だからそのおばさんに対しては、他の人達が犬に言い付けるような調子で本を読んでく れた時のように、どうしてこの人達は本を読んでくれるのだろうなどと、その真意を疑うようなことはありませんでした。
そして動物園。たとえ雨が降っていても動物園が大好きでした。どうして追いかけると孔雀は尾羽を広げるのかは知りませんでしたが、それが見たくて、よく追 いかけまわしました。私のためらいがちな指からクラッカーをとりあげようと長く伸びてきたきりんの舌は、いつもすごいと思いました。それから、どうして熊 にはえさをやってはいけないのかと私と友達はよく聞いたものでした。そんな時先生は、あなた達まで食べられてしまうからですよ、と言いました。そんなこと はうそだと知っていたので、誰も見ていないすきにそっと熊にきりん用のクラッカーをやりました。
祝日は本当に楽しいものでした。私はサンタクロースが煙突から降りてくるのを楽しみに待ち、どうやって薪ストーブから家の中に入れるのだろうと不思議に思 いました。サンタとサンタのお手伝いのエルフ達*やトナカイ達のために心をこめてクッキーを作り、ミルクと一緒においておくと、父と母は私の夢をこわさな いように、サンタ達に代わってそれを食べるのでした。ある時父と母は私が置いておいた林檎を食べ忘れてしまい、私は次の朝、赤鼻のトナカイがきっとおなか をすかしたまま帰っていっただろうと思いました。
イースターはパステル色の幸せ。イースター・バニー*は、うちの犬に見つけられないような所に卵を隠していきました。それから、歯の妖精*まで本当に存在 したのです。私の妖精は友達の妖精程お金もちではありませんでしたが、少なくても必ずお金を置いていってくれました。バレンタインデーはその日のための準 備に大変でした。バレンタイン・カードは、全員にあげるか、もしくは誰にもあげないきまりだったからです。それで私は何時間もかけて赤い工作用紙からハー ト型を沢山切り取って、それを小さなレース模様のペーパー・ドイリーに貼り付けました。
けれどもだんだん大きくなって物事がわかるようになると、私は忘れてしまいました。想像を巡らすこと、不思議に思うこと、感じることを、私は忘れてしまっ たのです。時間に追われることばかり頭にあって、想像する意欲をなくしてしまいました。ものを作ったり、発明したりすることは、時間の無駄だと感じるよう になってしまいました。今では心の中に住む批評家が私の生活をコントロールしています。雨上がりに花の匂いをかいだり、落葉を手に取って見たり、毛虫が体 を伸ばしたり縮ませたりしながら進むのを見つめたり、水たまりをはねあげながら駆けぬけたり、そんなことを今、いったいどれくらいするでしょう。濡れるの を気にして、水を跳ねて遊ぶようなことは絶対しなくなりました。
思い出して欲しいのです。もう一度子供にもどってみて欲しいのです。たまには、新聞紙で船を折ったり、三輪車に乗ったり、四季が変わりゆくのを感じとった り、蜘蛛が巣をはるのをながめたり、水中の魚は地上に雨がふっているのか、いないのか、わかっているの、と誰かに聞いてみたりして下さい。色々なことを学 びながら成長していく小さな子供の目を見習ってください。童心にかえるのに遅すぎるということはないのです。
*ナイトライト=部屋の隅などのコンセントに直接差し込む小さな照明で、子供の部屋が真っ暗にならないように夜 間つけっぱなしにする「常夜灯」。
*エルフ=赤鼻のトナカイの物語に出てくる小人達で、サンタクロースが子供達にあげるおもちゃをつくる。
*イースター・バニ=復活祭(イースター)に子供達に色や模様付けされた卵を持ってきてくれる空想上の兎。子供 達はその卵を探し集めるゲームをする。
*歯の妖精=抜けた乳歯を子供が枕の下において寝ると、寝ている間にやって来て、その抜けた歯をもっていって、 かわりに硬貨をおいていってくれるという空想上の妖精。妖精役は実際には親が務める。
Andrea Darling, 17, Catlin Gabel School, Portland
(指導) Prudence Twohy
タラ・ファーマン(12歳・女子)
小学校の頃を覚えてる。
口喧嘩が私達の興味のまと。
私が彼女を見失ったことがあったっけ。
さがしまわって、
見つけ出して。そして今ポスターのならぶ彼女の部屋。
私達は彼女の 部屋いっぱいに笑う。
彼女と私は前と同じように話すけれど、
話題はそれぞれ別の人達や場所のことになった。
彼女と私はだんだん変わりつつある。それでも
彼女の笑顔はいたずらっぽさを含み、
今も互いに語り合うと、
彼女は木の葉のように散ってくる—
怖がりもせずに。
だって、受けとめる私がいるから。
そして私には彼女がいるから。二人が同時に散ったときは
互いにしがみつく。
そうして安心する。二人が互いに意地を張り合うときは
とことんやり合って決着をつける。
そしてくすくす笑いながら
友情へと帰っていく。彼女は私の友達、
何でも打ち明けられる相談相手。
そして私は彼女の。
私達の友情はけっしてどこへも散ってゆかない。Tarah Farman, 12, Sellwood Middle School, Portland
(指導) Michaelann Ortloff
ミン・ダン(17歳・女子)
父がはっきりそう言ったわけではないが、私は時々自分が男の子じゃなかったから父ががっかりしているのではないかと思うことがある。
「女の子というものは男の子よりも従順で、親孝行だ。」
と父が言うのを幼い頃に聞いたことがある。でも、その後父はすぐに付け加えた。
「しかし、女の子は結婚してしまえば、夫の両親のものだからね。やっぱり、息子こそ我が家に名誉をもたらすもの なんだ。」
父の、この意外な発言を私は目を丸くして聞いたが、大人になったら、何とかして親孝行することも、家族に名誉をもたらすこともきっとやり遂げよう、と決心 した。
私は四人の兄弟と八人の姉妹の末っ子としてベトナムで生まれた。祖父母は田舎の地主で、両親はサイゴンで宝石商をしていた。私が一歳半の時、母が亡くな り、父は一人で商いを続けた。そして、私がもうじき三歳になろうとする1975年4月30日、家族はベトナムを後にした。
たくさんの想い出話と写真を通して、私はサイゴンの白くほこりっぽい通りや、ひしめきあう家並み、そして広い階段の付いた私達のレンガ造りの家を憶えてい る。
「土地の狭い都会で、あんな大きな階段を持つのは、めったに出来ないことなんだよ。」
と父はよく自慢した。また、本当に憶えているのか、誰かが話していたことから思い起こされるのかわからないのだが、母が毎朝のように市場へ食べ物を買い出 しに行っていたこと、舗装されていない通りから舞い上がって入ってくる土埃のために毎日掃き掃除をしなければならなかったこと、突然雨が降ってきた時など は、窓を早く閉めないと床が水浸しになってしまうこと、などを思いだす。
アメリカへ来て最初に住んだのは、ポートランド市北西部の古い工場地域にある一軒家だった。私の豊かな幼年時代の想い出の多くには、あの広くてかび臭い家 と、側にあった空き地がよく出てくる。私達子供は山賊か逃亡者になったつもりで、空き地に生えた背の高い雑草やアザミの茂みの中に隠れて遊んだ。夏の夜に は、裸足で灰色のほこりっぽいポーチでドミノをしたり、ちらかった居間でみんなでジグソーパズルをしたりして過ごした。父と十二人の子供達がじゅうたんや 家具の上に足を伸ばして座ったり、ねそべったりしている、そこに黄昏が次第に濃くなっていくのが、長年いためつけられた木の内装に反射していた。それは私 の想い出の中で一番明るい日々である。
あの工場地帯の家に住んでいた頃、学校が休みに入って兄弟姉妹がそろって外で遊んだ熱い夏の間こそ私が一番豊かに過ごしていた期間だ。他のみんなが学校へ 行っていた九ヶ月の間は短縮され、本当に際立ったことだけが心に残っているほかはあまり憶えていないので、私の記憶の中ではまるでほんのわずかのことしか 起こらなかったかのようだ。
アメリカへ来てから学校へ上がるまでの一年間は、祖母と二人きりで家にいた。あの頃の私は年を取るということが良くわかってはいなかった。祖母は一段一段 慎重に階段を降り、視力も衰え、ちょっとしたことですぐに疲労困憊してしまった。ところが病とか衰弱には全く無感心に、私は階段を一段とばしにして祖母の 脇を乱暴に擦り抜けていったりした。
祖母が自室でお祈りをしている間、私は父の寝室で午後を一人で過ごしたものだ。その寝室は、父が宝石類の加工をする仕事部屋も兼ねていた。日差しがそそぎ 込んで、空中のほこりを照らしだしていたその部屋で、父の醜くひしゃげた作業台の上にある道具をいじるのが私は大好きだった。初めの何年間か、父は市内の 金細工屋で働き、夜は自室で自分の店のための宝石を細工していた。その部屋について良く憶えていることは、そこで遊ぶと必ず、父の作業からでるどす黒い塵 で手足が真黒になってしまったことだ。
その後、私達はブロードウェイ通りに面した灰色の家に引っ越した。今振り返ると、その引っ越しが私の人生に一つのおぼろげな区切りを付ける、マイルストー ンだったように思える。サイゴンの家は私のイマジネーションによって、実在したものより広く大きく魔法の館のようにつくりかえられた幻想の家だった。工場 地域の家は私の幸せな幼年の家、豊かな、しかし端のぼやけた半分本当で半分架空の、幼年の想い出のお城だ。けれどもブロードウェイの家は私の思春期を象る ものだ。あの家こそ、私が自我のめばえを、貧しさの痛感と共に味わった場所なのだ。
引っ越した後も、あの工場地帯の家で鮮明に思い出すのは父の寝室だ。新しい家では、父は作業部屋を別にした(今では退職して、その部屋も長く使われずにい る)。私の心の中で今も、印象深い想い出として残る、ある夜の一コマがある。それは、豪雨が激しく窓ガラスを打つ、真っ暗な夜だった。父はパジャマ姿で作 業台に向かって仕事をしており、私はもう休んでちょうだいと懇願するのだが、父はただ笑って、まだ疲れてないから、と言うのだ。人生の中で一番せつない瞬 間というのは、他の誰かが自分の為に犠牲を払っていると言うことに突然気付き、しかしそのことに気付くほど大人でありながら、それに対して何かするにはま だ幼すぎるという時ではないだろうか。私は父を手伝うことは出来ず、かといって先に寝る気にもなれず、父の椅子の側に立ち尽くして自分の非力を嘆いた。
その夜、私は自分が役立たずであることに号泣した。子供だったから貧しさに平気な私は、自分のことを強いと思っていた。あの夜から、父が働いている側で夜 更かしをしたことがしばしばあった。再び泣くことは決してなかったが、いつも悲痛なまでの真剣さで、自分がもっと大人で父のために何か出来るくらい強けれ ばいいのにと思い続けた。
夜遅く、トーチやプライヤ、どっしりと重みのある鉄のやすりなどを使って、父が仕事をしている時、私は父を店との結び付きを通して知り、また自分とその店 の結び付きをも知るようになった。父が働くのを見つめながら、私は自分に誓った。金の小さなくさりを通すために背中を丸めている、この疲れた老父の面倒を 見ようと。そしてこの時期、私は必要以上に早く大人になってしまった。私は父の店を手伝うことをどんどん学び取っていったが、あの夜父が床につくのを待ち ながら感じた無力感から、なかなか抜け出すことが出来なかった。
もう自立間近くなった今でさえ、私は幼い頃からの無邪気なツケを払うことが出来ない。父が咳をすると、その困難な息遣いのあえぎと、閑静な日差しあふれる 午後の想い出がつり合わなくて、私は身につまされるのだ。もし出来るのなら、幼い頃のツケを帳消しにするために、あの埃にまみれた黄金の午後を返上した い。私が十七歳で、強く真面目で熱心であることなど問題ではない。あの犠牲の年月をうめあわせるには私の成長は遅すぎたのだ。私は今豊かな愛と貧しさに満 ちた、色褪せた過去を思い返す。父の古びた作業台は、薬品の臭いと降り積もった埃をかぶって、記念碑のように横たわっている。
Minh Dang, 17, Lincoln High School, Portland
(指導) Geraldine Foote
メガン・ドー(17歳・女子)
私が小さかったとき、
夜、怖くなると、
おじいさんのひざによじのぼり、
その腕の中に顔を埋めた。
おじいさんは私の頬の涙を
手で拭ってくれた、
第二次世界大戦で戦い、
畑を耕し、乳を搾り、
機械を修理したその手で。
その革のようにざらざらした手が私の頬にふれると
その瞬間、愛に満ちた柔らかい指になる。私が小さかったとき、
寒い冬の日に、家へ駆け込み、
おじいさんの強く温かい手の中に
私の小さな、かじかんだ手を包んだ。
おじいさんは私の手がもう一度温かくなるまでにぎっていてくれ、
あとから私がおじいさんの掌に深くきざまれたしわをなぞるのを見守ってくれた。私が小さかったとき、
車の通りがはげしい道を渡るときは
しっかりとおじいさんの手をにぎった。
私が左右を確かめずに渡ろうものなら、
ぐいっと側に引き戻された。
私の手の甲におじいさんの指の痕がついてしまったのをいつまでも思いだす。今、私は病院のベッドのかたわらに座り、
両手でおじいさんの手をやさしくにぎっている。
おじいさんのからだは弱り、囁く声しか出ない。
だけどおじいさんの手はまだ強い。
おじいさんが私の手を握るとき
その太い指の引き締まった筋肉を私は感じる。
その手にきざまれたしわが見え、
その手の温かさを感じる。
私はここに座って、その硬い革のような手をそっとなでる。
優しい手、
おじいさんの手を。Meghan Daw, 17, Tigard High School, Tigard
(指導) Sandi Brinkman
翻訳 原田亜古、朽名章子、ウエイン・ラーマズ
クリス.ウエバー編「とれじゃあず3—日本とオレゴンの児童・生徒による文芸作品集」より抜粋. (C) Copyright 1994 by the
Oregon Students Writing and Art Foundation オレゴン児童・生徒文芸協会. All rights
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