NU SPECIAL INTERVIEW
映画『ザ・ドラえもんズ』米たにヨシトモ監督
自分がドラえもんの歴史を作るとは思わなかった
(NU33号 「F先生じゃないドラえもん」特集より)

よねたによしとも
1963年 東京出身 アニメーション初参加作品は『The かぼちゃワイン』の演助進行。『北斗の拳』『キン肉マン』『ゲゲゲの鬼太郎』などの東映作品への参加を経て、藤子アニメでは『忍者ハットリくん』『笑ウせぇるすまん』の演出・監督をご担当。A先生作品のみならず限定公開の『ドラえもん・のび太の未来ノート』、パイロット版『ミラ・クル・ワン』、そして今回特集を組んでいる『2112』〜『オカシナナ』まで一連のドラえもんズシリーズの監督をご担当。『勇者王ガオガイガー』『ベターマン』現在も多数の傑作を手掛けられている。


■さまざまな藤子アニメをご担当

NU 最初に携わられた藤子作品は?

米たに ルックというシンエイ動画の下受け会社で『忍者ハットリくん』の演出が不足していた時に声をかけていただいたのが、最初です。終了間近の一〇本足らずだったでしょうか。同じくシンエイ動画の『つるピカハゲ丸くん』の演出を経て、『笑ウせぇるすまん』の監督として引き抜いていただきました。

A先生とはその時初めてお会いすることになりまして、第一印象は「オーラが出ているな」と(一同笑)。今までご自分で考えられていた事がストレートに表現されないことに対し、当時A先生はアニメに対して不信感をお持ちでした。放送する以上は表現上の制約もありまして。A先生とは古くからのお知り合いのクニトシロウさんにその事情を明確に意見交換する“通訳”として、総監督のポジションに就いていただきました。

原作も好きだったので、それを活かす様に作っていたつもりなのですが、アニメの立ち上がりの時期はお互いの思いにギャップがありました。

NU もっとブラックにして欲しいと?

米たに どちらかというともっとソフトな表現にして欲しいというのが、A先生のご意向でした。『黒イ』から『笑ウ』に変更した背景からきたことなのでしょう。そして私としては本編部分をなるべく長く描きたい、と考えていたのですが、A先生は(導入部とエンディングシーンはパターンを統一した)パッケージ化を望まれていました。最初の頃は、私はゲストキャラの紹介シーンを省略していたのですが、だんだんA先生のおっしゃっていることを理解し、OPで喪黒が来て、ゲスト名のテロップが出る。そしてラストは喪黒が去っていくシーンで締めくくるというパターンを作品の型として、逆にその演出を活かす方向にしてみようと自分でも考えるようになっていきました。作っていくうちにお互いの考えが判るようになって後半では信頼していただき、アニメ用におこしたプロットをマンガ作品として描いていただいたこともありました。

NU  短編の『ドラえもん のび太と未来ノート』('94年)『ミラ・クル・ワン』('95年)のパイロットフィルムの裏話はありますか?

米たに 『未来ノート』は『ドラえもん』初参加の脚本家・飯澤慎太郎さんにシナリオを書いていただいたのですが、「アニメの脚本家ってこんな扱いなのですか」とショックを受けたみたいでした(一同笑)。

どんな作品でもシナリオの存在を否定する気はありませんが、様々なオーダーや自分なりの計算に適していない場合は、コンテでシナリオを直さざるを得ないです。アニメ化する上で仕方のない改ざんなんです。

F先生とはこの作品の打ち合わせで初めてお会いしました。これは「発売されないので好きにやっていいよ」と言われました(笑)。
テレビ朝日さんに対してプロモーションを行うために作った『ミラ・クル・ワン』は、現代風にアレンジして欲しい、というオーダーがありましたので、『TPぼん』の要素なども混ぜてみました。私は原作のまま作りたかったんですが(笑)。ワンの色を原作のまま黒にしたら「黒は無いだろう」なんて言われてしまいました。

NU 他に携われた企画もありますか?

米たに 依頼されて『バウバウ大臣』のテレビアニメ企画書を作りました。『すすめロボケット』の企画立上げは本郷みつるさんが担当されましたが、いずれもパイロット・フィルムは制作されなかったと思います。

■ドラズ発進

NU ドラズ・シリーズ最初の監督作品は「2112年ドラえもん誕生」('95年)となりますが『ドラえもん』は読まれていたのですか?

米たに 昔、弟の学習雑誌を借りて『ドラえもん』は面白いね、なんて言っていたんですが、まさか自分で作ることになるとは(笑)。

F先生との打ち合わせに行く折りに自分でもアイデアを作りました。「静香ちゃんの目線から見たドラえもん誕生」というものです(一同爆笑)。実は私が参加していない頃から「2112」の企画は始まっていまして、最初からボツになるのはみんな判っていたらしいです(笑)。

F先生は過去に関係者が作り上げてきたドラえもん誕生のエピソードや設定にご納得されていなかったらしく、時代的に不都合な部分も修正したい、というご意向でした。例えば「ショックで青ざめた」というのがおかしいかな、ちゃんと理屈をつけておきたいな、と。(編註)

NU ロボ子やバギーなど楽しい客演がありますね。

米たに 本編と違う世界観ではありますが『ドラえもん』のテイストを再現したかったので、原作を全て読み返しました。

NU ノラミャー子は新デザインですね。

米たに 私は原作の通りに描きたかったのですが、別紙プロデューサーが新しいテイストにしたいんだ、と言うもので(笑)。もう少し抑えたデザインをおこしたのですが、OKが出ない(笑)。採用されたデザインは「ホントにこんなのでいいのか」なんて思っていましたがF先生からも「まぁいいでしょう」とOKが出ましたね。横で芝山努監督が「それは違うだろう」って笑ってましたが(一同爆笑)。ただ、とてもいいキャラになったとは思っています。

NU 「2112」がドラズ初お披露目の映画となっていますが―

米たに 企画当初から小学館側からのプッシュがありました。そしてシリーズ化されるかも知れない、とも聞かされていました。制作にあたってはゲームのCG映像のビデオが二巻、参考にと届きました。いつまでたってもメンバーが全員集まらず、二巻目の最後の最後にやっと揃うというものでした(笑)。

最初にドラズを見せられた時は「なんじゃこりゃ〜」と思いましたけど(笑)出演させるならば、ちゃんと意味のある出し方をしたい、と思い「これ位が限度かな」という所までが映像になっています。原作に馴染んできた者としても、ドラえもんズは『ドラえもん(=原作)』ワールドに居てはいけないものとも考えていましたね。私としては極力原作を大切に考えていたのですが、最初は原作ファンから理解されにくかったのが辛かったですね。

■ドラミ&ドラえもんズ、そしてドラズが主役に

NU ドラズの紹介編でもある「ロボット学校七不思議!?」('96年)ではドラズを主役級に押し出して欲しいとの声もあったのですか?

米たに 子供に浸透したもの=ドラズを併映にからませたい、という周囲の意向から生まれた作品です。小学館・テレビ朝日・東宝・シンエイ…喧々諤々の話し合いで、本当はコロコロコミック側から最初からドラズを主役に、という要望があったのですが、あくまでもF作品の映画であるということから“ドラミちゃん”を前に出したものになりました。別紙プロデューサーの「ドラズは藤子・F作品ではない」と言う思いを通した形になります。

ドラえもんズの活躍するシーンもからめ、三〇分という枠の制約の中でどこまでできるか、という挑戦でもありました。

NU ファンの中でも誉れ高い「怪盗ドラパン 謎の挑戦状!」('97年)では?

米たに 小学館・東宝から新しいキャラクターの登場を要請されました。ドラえもんズで既に七色以上使っていたので、打ち合わせの場で即興で残っていた紫色を使ってデザインラフを起しました(笑)。作品を重ねていく過程でドラズ達七人の色設定も少しずつ整理していきました(編註)。

ドラえもんズが主人公になったのは、子供達から凄い人気があったので自然な流れです。本編のファンからの「こんなのドラじゃない」という声ももちろん受け止めていたのですが、併映に「同じドラえもん」を作っても意味のないことなので『ドラ』に近く『ドラ』じゃないというオーダーに応えて作り上げました。

NU 「ムシムシぴょんぴょん大作戦!」('98年)で一五分になってからは?

米たに きつかったですね。ヒネリが入れられない。一五分だからできること、を探して行きました、それをうまく利用する方法を。それでも心理描写を音楽で表現できないのはとてもきついことでした。

他の仕事もありましたので一五分が限界でもあったわけですが、一五分になると報酬も半額になるので(笑)、ますます仕事しなくちゃな、とも当時思いました(笑)。別のスタッフに任せた場面を自分でやっておきたかった…と後で思うこともありますが、その時その時、全力は出しきったつもりです。

女子高生ロボを出しましたが、誰もが当時良い印象を持っていなかった下品な女子高生―誰もが否定している存在を肯定するドラニコフのやさしさを描いてみたかったのです。

NU 最後に「おかしなお菓子なオカシナナ?」('99年)は? ED曲の作詞もご担当されていますね。

米たに 周りの方からたくさん出されたアイデアを私がまとめた所「おまえは誰の意見も聴いていない」と酷評を受けました(一同爆笑)。言われたことをそのまま出したのでは駄作になってしまいますから、意見を素材に料理=加工することが大事だと思いまして…(笑)。

限られた制作費で作って欲しい、と言う逆境の中でしたが、ドラえもんズにも歌が欲しい、と訴えました。水木一郎さんと堀江美都子さんのペアで、とリクエストしてOKが出たところで、シンガーに合わせた作詞に取り組みました。

■『ドラ』を引き継ぐ者―

NU 次第にドラえもんズは認知されましたね。

米たに 最初のうちは大変でした。試写室で初号を見た関係者に「どうすんだ、コレ…」ってケチョンケチョンに言われて(笑)。二本目では「面白いね」、三本目では「このシリーズで行こう!」って慣れていただいて(笑)。

映画では主役をローテーションさせることも最初から私の中で計算済みでした。コイツとコイツは後に残しておこうとか、コンビにしたら面白いぞとか。主観を置く者のキャラクターを立てる必要がありますから。シリーズ化の予感もあったので、何もかも最初に自分でやらずにスキを残しておこう、とも考えていました。小出しと言っては何ですが、いつまでも続けられる仕掛けを残しておこうと思ったのです。ドラえもんズ一人ひとりの紹介までを「オカシナナ」でやり終えて、次はリセットされた新シリーズを後進が作りやすいようにしたつもりです。ドラえもんズそれぞれを自分の分身として描き終えたとき、即ち自分の子供と思えるような愛着も沸いてきました。
ドラえもんズの仕事はプロットを書いていて楽しかったです。毎年二〇本近いアイデアを出しているのですが、今年は子供にお化け屋敷がはやっていたぞ、と「七不思議」の案が話し合いで認められたり、子供は虫が好きだから(笑)―と単純な理由で「ムシムシぴょんぴょん」が生まれたり…。

F先生がお亡くなりになってから、「もっと長編でドラズを!」という声も上がりましたが、F先生の作品を守るため別紙プロデューサーが防波堤になって『ドラえもん』がメインであることに変りは有りません。『ドラえもんズ』が一五分と言うのも大事な意味があるのです(笑)。
F先生からは「2112」のアニメコミックスの中で、作品を容認していただいたことが嬉しかったです。まさか自分がドラえもんの歴史を作ってしまうとは(笑)。そして子供達が「ドラえもんズ」を見て喜んでいる様子を見たF先生から、『ドラえもん』を引き継ぐ人達が現れたんだなっておっしゃっていただいたことが何より光栄でした。

NU お忙しいところ貴重なお話をありがとうございました。

2001年10月13日 新宿にて

取材 舘(レイアウト)/てふてふ/加藤


はみだし情報

■テロップに賭けた青春?
●『笑ウせぇるすまん』のゲストの名前表記のテロップは初めの頃、出しても短いカットの中で読めない、読んでもらえないという経験から私は外していたのです。A先生と意志の疎通が図れてからはテロップを活かそうと「オサキマックラ」など凝った名前を考えてみたりしました(笑)。 ―その他、アニメオリジナルで独身会社員・男谷毛馬、サラリーマン・落窪 礼、マンガ家・見地目苔、俳優・出腹奈也巳…等が登場!(安孫子先生が原案を出された場合もあります。)

■さらば漫画―
●漫画で表現できることの可能性を『火の鳥』や『デビルマン』に感じ、最初は漫画家志望でした。自分の漫画作品がアニメ化された時に変な風にいじられたら嫌だなぁと思って、アニメの勉強もしておこうと、アニメの世界に飛び込みました。実際に入ってみたら色、音、動きがあってアニメの方が表現力が豊かだなぁと思いました。今でも他の方のアニメを見ていますが、漫画からは少し離れてしまいました。本当はアニメの方が好きだったんだなぁと判りました。

■逆境を越えてこそ―Y氏のクリエイター論
●最初に現場に入ったタイガープロ時代、進行担当でしたが『北斗の拳』では演出側からも意見を求められました。例えば百烈拳はどうすれば「あたたたた」に見えるのかなどディスカッションに加わり「アニメってこうやって作っていくんだな」って理解することができました。クリエイティブな仕事として影響を受けました。連続ものアニメは三千数百枚というセル画の制約、放送コード、スポンサーの誰の声を活かすべきか…など枷(かせ)があることを学びました。その時できる最良の方法を選び、そういった制約を乗り越えられてこそ誰も見たことの無い作品ができるはずだ、きつい中でこそやってやるぞ!と思っていました。

■藤子TVアニメ―その裏側
●今は逆に古いマンガをそのままアニメにするほうが価値もあり、注目される時代なのですが原作の『ミラ・クル・1』改め『ミラ・クル・ワン』が制作された頃は古くささを取り払って、新しいものを子ども達に提案したいという風潮があったのです― そういうオーダーを受け入れて作らざるを得なかったのです―。 その一方、'95『2112年ドラえもん誕生』では原作ワールドを監督自ら総ざらいした上で制作された成果が実を為した。ゴンスケ・ロボ子・ロボケットの他、ドルマンスタインやTP隊員、海底人等も出演する楽しい映像。テレビアニメ制作の背景には、なかなか難しいものがあるようだ。

■オールナイトのシナリオプレゼントは冷や汗モノ(笑)
●毎年、映画『ドラえもん』本編の方にかなりの原画マンが割かれていて、ドラズ側に携わってもらえる原画マンにいかに上手にシーンの配分するか考えました。一キャラクター・一シーンを一原画マンに担当してもらうシステムを目指しました。一人のアニメーターが一人のキャラクターを担当すれば世界観を統一したり、演出を計算しやすい効果があります。そのためにアニメーター毎、ワールド毎に分けられるように絵コンテをおこしました。その人が自分で出来る最大限の仕事をやってもらうために、シナリオの訂正まで計算しなければならないと思います。そんなわけで私の仕事には元のものが無くなってしまうほどシナリオをいじってしまう、というのが多いんです(笑)。

■ガオガイガーの現場から―
●『ガオガイガー』は一話平均3,799枚という勇者シリーズ史上最低のセル画枚数。予算上CG処理は一話につき5カットまで。コンテでは10カットもCG指定したいところがあったりして、ヒーヒー言いながら続けていましたね(笑)。
 また、スポンサーから「おもちゃの部品で、同じ型から抜いているパーツは同じ成型色だから、同じ色設定にしなさい」って学びました(一同爆笑)。そんな甲斐あってかタカラのDXガオガイガーは10万個を売るヒット商品になりました。
 この冬リリースされるDXガオファイガー…などのトイも売れてくれると良いですね。ま、担当者のクビは飛んでも金型は残るわけですが…(笑)。
*画像は「超人合体DXガオガイガー」当時7,200円 〜商品カタログより。

●中央公論社の『せぇるすまん』100万部突破記念パーティにもお招きされて、豪華な料理を食べました。「100万部売れるってこういうことなのか」って思いました(笑)。

●米たに監督の初のF原作作品となる'94年「のび太と未来ノート」は約17分。書いたことが全て将来現実になるひみつ道具「未来ノート」。自分たちの思いつくままの理想を書き込んだのび太たちが未来で出くわす大事件・大冒険。NU上映会でも二回公開。大好評。

●アニメ版『びっくり全百科』ではショックで「青ざめた」というのが青くなった理由。「2112」ではメッキがはげ落ちるという設定に変更。冒頭にメッキをかけられる製造シーンがインサートされ、展開もスムーズだ。

●「2112」で決定した彩色を利用して「ロボット学校七不思議!?」のポスターが作成された後、本編に向けて再度色彩設計を行っている。主な配色の変更点は、ドラ・ザ・キッドの帽子とベストのストライプ、エル・マタドーラの帽子とガウンなど。

●藤子作品の原作まんがでは『パーマン』が好きでしたね。新作・旧作ともアニメは自分だったらこうは作らないのに、とイライラしながら見ていました(笑)。『オバQ』『ドラえもん』も読んでいましたが特にこのジャンルが好きという読み方はなかったです。

●『ドラとバケルともうひとつ』('75年小四4月号)初出にしかのってないノラミャー子という名前は、どなたがひっぱりだしてきたんでしょうか?― の問に対しては米たに監督も回答不能のご様子。シンエイ・小学館のブレーンにとんでもないドラえもん通がいたのだろうか? ちなみに初出のノラミャー子はてんCOM11巻掲載時よりも少しおデブだ!(舘)


米たにヨシトモ関連リンク

『勇者王ガオガイガー』http://www.sunrise-inc.co.jp/datacard/card0136.htm
『ベターマン』http://www.sunrise-inc.co.jp/datacard/card0168.htm

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