NU SPECIAL INTERVIEW
未来と現代のギャップを狙いました
ぴょんぴょん版『ドラミちゃん』作者
いそほゆうすけ

(NU33号 「F先生じゃないドラえもん」特集より)

いそほゆうすけ 
1954年、兵庫県生まれ。本名、山川輝幸。ペンネームは高校時代好きだったイソップ物語から。78〜90年まで藤子スタジオに在籍。81年頃、少年画報社「少年ポピー」誌でデビュー、81年『おれのリナちゃん』で第2回藤子不二雄賞佳作受賞、小学館「コロコロコミック」に掲載される。86年より『ポッポロ』を「毎日こどもしんぶん」で9年間の長期連載。89年「幼稚園」版『チンプイ』、90年より「ぴょんぴょん」版『ドラミちゃん』、91年より幼年版『プリンスデモキン』を学研「トップラーン」誌で7年間連載する。『かんぽアラカルト』『忍者ハットリくんのいきいき富山ワンダフル探検!』なども手掛ける。最新の仕事は、『決定版・ドラえもん完全大事典』。


■藤子スタジオ入社の経緯
NU 藤子スタジオにはどういう経緯で入社されたのですか。

いそほ 履歴書を送って、両先生の面接を経て、24歳の時、上京して就職しました。アシスタントが一人辞める予定があり時期も良かったんです。

NU 漫画家の志望について家族から反対されましたか。

いそほ 家族だけでなく親戚縁者の皆に猛反対されました。親戚も固まった場所に住んでまして大変でした。しかし藤子スタジオに就職が決まったら、手のひらを返すように応援してくれましたね(笑)。

NU 入社当時の藤子スタジオの仕事の様子はどうでしたか。

いそほ 最初はまだ席が空いてなくて、僕一人のために上の階に部屋を用意してくれてそこで仕事してました。午後6時になると女性陣が退社するので降りて仕事しました。その後10時まで仕事して。1週間に1回か2回は徹夜でした。当時の安孫子先生は『少年時代』と『まんが道』と週刊を2本もっておられまして。新人はどっちの仕上げもやりますから。そこにさらに月に1回、藤本先生の『T・Pぼん』がおすと午前2時になりましたね。1週間泊まったり、午前5時に仕事が終わり、6時に寝て新人は9時30分に仕事場の掃除しなきゃならないから9時に起きたりしましたが楽しかったですね。全然辛くなかったです。

■デビューについて
NU デビュー作についてお聞かせください。

いそほ 藤子スタジオに入社した直後に描いた少年画報社の「少年ポピー」という雑誌に掲載された『とびだせ!ヤスベエ』(81年頃)という作品です。

NU 藤子賞を受賞された『おれのリナちゃん』についてお教えください。

いそほ 藤子スタジオにいたものだから、学校の絵もドラえもんと同じでしょ。トーンも同じ物を使ってるしどうしても似てしまって。
 平山さん(後のコロコロ編集長)との共同作業でした。僕の考えた話では女の子が主役ではなく最後のコマにいるウサギが主人公でした。女の子を宇宙人にしようと言われまして。さすがに『うる星やつら』にしろとは言われませんでしたが(笑)。藤本先生にはもっと冒険しなさいと言われました。

■『ポッポロ』について

NU 『ポッポロ』ついてお聞かせください。

いそほ ポッポロ自体はウサギの妖怪みたいな感じで森の中の動物の話でした。ですが、ドラえもんみたいに魔法を出したり道具を出したり、そういうパターンの話になってしまいましたね。途中からポッポロが妖精のリンちゃんと旅に出る話になるんです。最初は一年契約だったのですが、延長につぐ延長で約9年描きました。やはり7〜8年も続けると、ネタやアイデアを考えるのが一番大変でしたね。

NU 色がとても綺麗ですね。

いそほ 描くことは好きでした。ペン入れして色も自分で塗ってました。色塗る時は1日かけて24時間から30時間ぶっ通しでやりました。

■幼稚園版『チンプイ』について
NU チンプイは藤本先生から何か注文はありましたか?

いそほ 藤本先生のチェックはほとんどなかったのですが、『幼稚園』の編集のチェックが厳しかったです。暴力はもちろんゴキブリを出しても駄目だとか。勉強になりましたね。

ぴょんぴょん版『ドラミちゃん』について
NU 設定は何処までいそほさんがお考えになったんですか。

いそほ 実は大体が編集サイドです。のび太の代わりにジャイ子を持ってくるとか。

NU のび太が静香と結婚した代わりにジャイ子が不幸になったからドラミが来たという設定は?

いそほ それは僕です。ですが、こういうキャラがいてとか、ジャイ子がリボンをマイクの代わりにするとかは編集サイドです。『ドラミちゃん』は編集が非常に力を入れていまして。

NU ジャイ子が恋するひかるくんは。

いそほ ヒントは茂手もて夫くんですが、彼だとあまりにヒーローには成り得ないという事で、名前は当時人気のあった光GENJIかな?

NU 「ドラミちゃん」というと、方倉さんの「ドラミちゃんひみつBOOK」ですが、方倉さんと相談されたりはしましたか。

いそほ 方倉さんとは相談しませんでしたね。相談したのは担当編集の方だけです。

NU タイムマシンの入り口がトイレの中なのは、トイレが使用中だとタイムマシンが使えなくなる話を描くために設定したのですか。

いそほ それは偶然です。面白いかなと思って。

NU 藤本先生にはお見せしていたのでしょうか。

いそほ ネームは下書きで見てもらっていました。藤本先生はここがどうとか細かいことは言われないのですが、オチの付け方とか話の流れとかについてうるさかったですね。ただ、編集の打ち合わせで決まったものを締め切り過ぎて送っていたので、あるとき直しがあった時は原稿が完成していて。一度直しが有った時はペンでは直せず印刷所で加工して、勘弁してもらったことがあります。指摘されていたのは、ひかるくんが床屋に行くかどうかで悩む回です。それが変だと。実際苦しまぎれでした。藤本先生に誉められたのは一度だけ。ジャイ子ちゃんが原稿を無くす回です。オチがいいと。先生に誉められたのは2回ぐらいしかないうちの一つ。もう一つは『ポッポロ』です。藤本先生は、本当にゴチャゴチャ言われない方で。面白いなら面白い。面白くないなら面白くない。不自然なら不自然と単語のように言われる方でしたね。

NU 楽しいどころか苦しかった?

いそほ そうです。毎回毎回のチェックが…。藤本先生のチェックは他は覚えがないのですが編集が凄かった。コマ割の段階からFAXを送って具体的なコマ割り考えますから。ドラミちゃんが終わった時は正直ホッとしました(笑)。

NU ドラミちゃんが優等生的でオチャメな性格なのはいそほさんの味付けですか。

いそほ それも編集サイドからです。帰国子女の設定でと最初に言われました。それは、未来の国の住人が現代の常識と食い違う、そのおかしさを出そうということでした。

NU 編集サイドから全体的な基本路線などの指示は有りましたか。

いそほ 必ず編集サイドが言うのは、そのままジャイ子が望むものがスッと出るのでは無く、必ずちょっとポカやるドラミというのをパターン化してくれと言われました。

NU ドラミちゃんは描き易かったですか。

いそほ いいえ、藤本先生のドラミちゃんも本編であまり登場していないから難しかったです。最初のカットを描く時でも、ドラミちゃんは丸いから、ほっぺたを膨らませないで欲しいと言われました。あまり丸くすると可愛くならないし困りましたね。とにかく描く時は藤本先生のドラミちゃんを参考にします。一人で勝手に描くと自分の線が出てしまうので。これでも大分自分のカラーが出ているけど、なるべく出さないように努めました。私が基本にするのは、『魔界大冒険』のドラミちゃんで、あれが個人的にも一番好きです。

■幼年版『デモキン』について
NU いそほさんの連載開始が数ヶ月ずれているのは何故ですか。

いそほ 最初は4月からということだったのですが、『ドラミちゃん』を6月までやっていまして、それが終わってからということで、『プリンスデモキン』は8月からになりました。最初は、鈴木伸一先生が、3〜4年を担当して、3段構えという話もあったみたいです。

NU サトルくんという独自キャラクターをレギュラーに据えたのは。

いそほ 安孫子先生が第1回を見られて、せっかくサトルくんというキャラクターがいるんだから、1、2年生にはあちこち旅をさせるのは分かりづらいし、副主人公にしてしまったらどうかとおっしゃってくださったんです。自分も毎回キャラクターを作らずにすんでほっとしました(笑)。

NU 途中から16頁1本から8頁2本になったのは何故ですか。

いそほ 最初は16頁1本で頑張ったのですが、毎回悪魔と戦うというのが、デモキンの基本ストーリーなので、毎回新しい敵を出してバトルをさせるという展開に私が息切れしてしまって。1、2年生に16頁は多すぎますと言い訳して無理に2本にしてもらったんです(笑)。どうも私はアクションが苦手で、魔法で何か出して失敗するというパターンの方が性にあっているようです。

NU 安孫子先生のチェックはあったんですか?

いそほ 安孫子先生に下絵を送っていました。ほとんど直しはなかったです。

決定版ドラえもん大事典
NU 98年の三谷さんの『最新ドラえもんひみつ百科』と間があまり開いてないのですが、どういった経緯で出版されることになったのですか?

いそほ ビッグコロタンの『ドラえもん道具完全大事典』がたいへん売れていたので同じ様な事典ものを出そうということで企画されたみたいです。あとは、編集の方がインターネットなどを見ていてドラえもんの基本事項がわかりにくくなっているというので、それに対応するものを作ろうというものでした。漫画形式というのもわかりやすさからではないでしょうか。『最新ドラえもんひみつ百科』とは漫画図書と児童図書で区分が違いますから関係なく出されていますね。担当の編集者は銅鑼屋さんで『ドラえもん』の百科物はすべてこの方になりますから同じなんですが…。この方は、小学館のドラえもん関連の本をずっとやっている方で、『ドラえもん』のてんとう虫コミックス全巻が頭に入っているというスゴイ方です。

NU 特に苦労された点はどういったところですか?

いそほ 苦労したのは藤本先生が使われた道具を出すのが基本線になってしまった事です。今までの僕のドラえもんの描き方は、話がまず出来て、それに見合う道具が何かって僕の方で作ってやってたんですよ。今回もそのパターンで行こうと思っていたら、とにかくドラえもん事典の決定版にしたいと言う編集の銅鑼屋さんの意向でそれならば今まで出てきた道具で話にしてしまおうと言う暗黙の了解みたいなものがあって。話は考えてもそれに合う道具を探さなきゃならないじゃないですか。1巻から45巻までずーっと調べても合う道具が無くて話を没にする事が何回も在りました。大体、藤本先生が考えられる道具と言うのは、その話に合った道具ですから。その道具に合ったオチや話もそれが最適なわけですよ。その道具を使って別の話を作るなんて邪道以外の何物でもないわけです。それが大変でした。

NU 108の質問はどういう作られ方をしたののでしょうか。

いそほ 質問は銅鑼屋さんがホームページや色んな所から集めたり考えたりしたもので、108というのは、煩悩の数に合わせたのか尋ねたら、偶然とのことでした。
 答は銅鑼屋さんや僕や藤子プロと話し合い、漫画は私が考えて描きました。
 
NU 製作期間については。
 
いそほ 企画から3年かかりました。20世紀中に出そうという話でしたが果たせませんでした(笑)。

NU 他に苦労されたことは?

いそほ ネタを出すのが大変でした。で、大変な部分を残しながら作業を進めたので最後に一番厄介な所が残ってしまって…。のび太の住んでいる町並みの俯瞰図がそれなんですが、資料によって位置関係が全く違うんですよ。それでなくても一つの町を見開きに構成すること自体無理な話でまともに描くとのび太たちの家々が小さくなり判らなくなってしまうので困りました。本当はジャイアンの家の前は商店街になっていなければならないのだけどそれらしくならなくて。俯瞰図の真ん中にドラえもんを配置したのはごまかしなんですよ(笑)。結局、時間が押してしまってラフ画を描いて藤子プロのスタッフにお願いして仕上げてもらいました。

NU 設定面などでの御苦労は?

いそほ ドラミのオイルには頭を抱えました。オイルが違って優秀になるものなのか。そもそもオイルで兄妹になるのか。潤滑油みたいなものでしょ。そういう所を考えてしまうと理屈が付けられない。ですから文章でフォローしてもらってごまかしてます。(笑)

NU 本日は貴重なお話ありがとうございました。
2001年9月23日 田無にて 取材 高橋英樹(テキスト)/てふてふ(レイアウト) 


いそほゆうすけ先生の主な作品
●デビュー作『とびだせ!ヤスベエ』読切 
 少年画報社「少年ポピー」1981年夏?掲載
●藤子賞受賞作『おれのリナちゃん』読切 
 小学館「コロコロコミック」1981年10月号掲載
●受賞第2作『ミラクルミラーくん』読切 
 小学館「コロコロコミック」1981年12月号掲載
●『ピンクルちゃん』読切 毎日新聞社「毎日こどもしんぶん」1985年6月1日号掲載 読切・オールカラー 「代打だったのですが、好評で翌年の『ポッポロ』の依頼が来たようです。」
●『ポッポロ』連載 毎日新聞社「毎日こどもしんぶん」 1986年1月1日号〜95年3月18日号 全241話・オールカラー 同誌は週一で発行され、本作は他の漫画と交互に隔週掲載された。「毎日こどもしんぶん」は、「毎日小学生新聞」の幼年版で、藤本先生の『Uボー』の連載されていたところで、藤子スタジオのメンバーでは他に、さとうかずひろさん、さいとうはるおさん、田中道明さんも描かれていた。
●幼稚園版『チンプイ』連載 
 1989年12月〜91年3月号 小学館『幼稚園』連載 全16話
●ぴょんぴょん版『ドラミちゃん』連載 
 1990年7月〜91年6月号 小学館『ぴょんぴょん』連載
●幼年版『プリンスデモキン』連載 
 1991年8月〜98年3月号 学習研究社『トップラーン』連載
 (最後の99年度一年間は再録)
●「かんぽアラカルト」イラスト 
1995年 逓信PRセンター発行。オールカラー36P 本編には左江内氏など、マイナーキャラものイラスト多数。「これはお役所相手の仕事で、例えば女性差別になるということで、女性がエプロンをしたり、子供をだくのは駄目と言われました。そういうところにとても気を使っていましたね。」
●『忍者ハットリくんのいきいき富山ワンダフル探検!』 
1991年、B5、60P 300円 表紙および巻頭カラー、本文2色 表2に安孫子先生のメッセージもあり。全編漫画による冊子形式の観光案内です。全60頁という本格的なもの。ハットリくんのいとこの女の子ヒロミちゃんがケン一くんたちを富山県の名所を案内する。「これはとても評判がいいらしくて、何度もちょくちょく改訂しています。」この冊子は入手可です。ご希望の方はこちらに問い合わせください。 
富山県企画部広報課 TEL:076-444-3134 富山県のホームページ 
●小学館入門百科シリーズ「ドラえもん ひみつ道具使い方事典」(全3巻) 
1990年 1つの道具について2頁割いてまんがで紹介するコロタン文庫の道具百科シリーズとは独立の道具事典シリーズ。たかや健二氏、さいとうはるお氏、三谷幸広氏らと主筆を担当されている。表紙は西田真基氏。
●ドラえもんの算数おもしろ攻略 たしざん・ひきざん
大ヒット学習まんがシリーズの一冊。このシリーズの立ち上げの際に依頼され、いくつか担当されている。書名タイトルの左右ののび太としずかはいそほさんのものがずっと使用されているのはそのためと思われる。
ドラえもん宿題解決シリーズ2・宿題に役立つ60分工作
ドラえもん宿題解決シリーズ4・宿題に役立つ1日工作 
1996年に2巻、1997年に4巻の2冊担当され、それぞれ中国版もでている。カラーページは元藤子スタジオの安岡(三恵子)さんが着色された。
ビックコロタン「決定版・ドラえもん大辞典」 
2001年6月発行。ドラ編、のび太編とキャラクター別に、ドラえもんの謎108本の解説を読みやすいコミックで紹介。冒頭では映画『2112年 ドラえもん誕生』のダイジェスト漫画も掲載され、ドラえもんズおよびノラミャー子までフォローされた、まさに最新の決定版大辞典。ドラミちゃんの部屋はぴょんぴょん版「ドラミちゃん」で登場したデザインが使用されているのもミソ。「ジャイ子編のクリスチーネ剛田の絵は、本編でも描かれた本来の作者の安岡三恵子さんにお願いしました。本当はトレスしても上手く行かなかっただけです(笑)。安岡さんは、某漫画グループのメンバーで大学時代からマンガを描いてるのを藤本先生が御存知で、指名して、「ショコラでトレビアン」のタイトルだけは藤本先生で、キャラクターは安岡さんでした。」
『怪物くんの元気とやま』
2002年4月 A5判・128頁。『忍者ハットリくんのいきいき富山ワンダフル探検!』の好評を受けて観光。21世紀を担う子どもたちに、ふるさと富山県や県づくりへの関心を深めてもらうため、平成13年度からスタートした「富山県民新世紀計画」の内容や国内外に誇る富山県の魅力について、漫画でわかりやすく紹介。
この冊子は入手可です。ご希望の方はこちらに問い合わせください。 
富山県企画部広報課 TEL:076-444-3134 富山県のホームページ 


関連リンク

オールカラーそのままにいそほ先生の代表作を
ネオ・ユートピアWEBページにて復刻連載

ポッポロ

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