NU SPECIAL INTERVIEW
徳富博監督・本多敏行作画監督
シンエイ藤子アニメ24周年記念スペシャルインタビュー

24年たった今も色あせない名作『ドラえもん のび太の恐竜』『怪物くん怪物ランドへの招待』。初の映画作品『のび太の恐竜』、『怪物くん』という第二の新しい柱の立ち上げ、初の二本立て映画興行を支えた『怪物ランドへの招待』、藤子アニメ初の高年齢向け作品『プロゴルファー猿』テレビスペシャル版。常に藤子アニメの地平線を広げる作品に抜擢されてきたお二人。福富博監督・本多敏行作画監督に、両氏が所属するアニメスタジオあにまる屋さんにてインタビューをさせていただきました。
福富さんと本多さんは大の映画好きで、あにまる屋の応接室にも、内田吐夢監督の『宮本武蔵』のDVDボックスセットが置いてあり、毎晩1本ずつ見ているそうです。特に福富さんは倉庫を借りるほどのビデオをお持ちだとか。
また本多さんは、自主制作アニメを制作する旺盛な創作活動に加えて、アニメスタジオ同士で野球をやったり、スポーツ好きの方。最近の若い子はフィギュアに夢中で加わってくれないと残念がっておられました。
NU 福富さんがアニメに携わるようになったきっかけをお聞かせください。
福富 最初は高校の頃、新人発掘に力を入れていた手塚治虫さんの漫画雑誌『COM』に投稿していました。それから漫画と映画の両方が好きで、アニメをやろうと思って、アニメーターになる為の方法がわからなかったのでとりあえず東京デザイナー学院に入学しました。でも授業にあまりでなくて、アニメーション倶楽部で短編を作ったりしていました。そのうち1年くらいで中退して、アニメーション倶楽部倶楽部の友だちと新宿でフーテンのような生活をしていました。新宿の地下で寝てた折り、たまたま下にしいていた新聞に電車賃と昼食代がでるというAプロ(Aプロダクション 現:シンエイ動画)の求人広告があって。電車賃と昼食代を目当てに応募したら、受かってしまいました(笑)。それが1970年かな。
当時のAプロは『巨人の星』(1968年)をやっていて、動画をやりました。続けて『ルパン三世』(1971年)『ど根性ガエル』(1972年)と動画をやっていたんだけど、あるとき呼ばれて、「お前原画にならないか?」と言われたんですが、その時には演出に興味が移ってしまっていましたので、「演出の方向に行きたい」といったら、大塚(康生 『ルパン三世』『未来少年コナン』作画監督)さんに相談してみるって言われて。初めてやったのが『侍ジャイアンツ』(1973年)のコンテでした。それから『はじめ人間ギャートルズ』(1974年)だったかな。他の人は、次々と『ガンバの冒険』に行って、最後は私一人になっちゃって、最終回は脚本もやりました。
NU 『はじめ人間ギャートルズ』での福富さんのお仕事は、斬新な画面構成の力作を多く作られ、最終回は感動的なエピソードだったとアニメ雑誌で読んだことがあります。
福富 次は『元祖天才バカボン』(1975年)で、これには途中から各話演出に入ったら、これも最後に自分一人になっちゃいましてね。その後が『おれは鉄兵』(1977年)ですね。これはAプロがシンエイ(新A)動画に改組した後初めての作品でした。そのあと別紙(壮一 現シンエイ動画専務)さんに呼ばれて、水島新司さんの『一球さん』(1978年)のチーフディレクター(CD)をやれと言われて。これが初めてのCDでした。
NU 本多さんのお話も伺えますか?
本多 こどもの頃は、ちばてつやさんの作品が好きでした。Aプロに入ったのは1969年で福富さんより1年早かったのかな。コネで入りました(笑)。当時のAプロの社長の楠部大吉郎さん(現シンエイ動画会長)の父上が私の高校の先生の知り合いで、就職先の決まっていなかった私を楠部さんに紹介してくださったんです。絵のヘタな私のめんどうをみてもらった楠部さんには頭が上がりません(笑)。
原画試験では、跳び箱と、ルパンのガンアクションと女の子が石を持ち上げるというのがありました。同時に試験を受けた青木悠三さん(『ルパン三世PARTIII』キャラクターデザイン)は天才で、ルパンが岩に隠れてバンバン打つすごくかっこいいガンアクションをあっという間に仕上げて。当時絵は全然かけなかったので、とにかく笑いを一つ入れようと思って、女の子が薬を飲んで力んで持ち上げるというのを書いたら、大塚康生さんが面白いって言ってくれて受かりました。おかげで、基礎ができていなかったのであとでえらい苦労しました(笑)。
当時は放映してしまえばそれまでだったから、本編にスタッフの似顔絵を描いたり、みんな楽しんでいましたね。今より余裕というか、スタッフにもユーモアがあったような気がします。一度『ど根性ガエル』のピョン吉の替わりにガマガエルを描いて出したら、作監の芝山さんがもっとリアルに修正されたガマガエルになって戻ってきたことがあります。さすがにそれは放映されなかったですけど(笑)。
NU テレビシリーズの『ドラえもん』のお話を伺えますか?
福富 楠部(三吉郎 現シンエイ動画社長)さんに呼ばれて旅館で『ドラえもん』の企画書を書いたのを覚えています。オープニング(日曜版)の絵コンテもやりました。作画は本多さんです。
あと、のび太君がなんでもドラえもんの道具に頼り切りなので、一度四次元ポケットを使えないお話を作りました。「のび太の夢の金メダル」(1980年5月5日放送)という特番で、最初は四次元ポケットにバンソウコウまではったりしました。四次元ポケットは使わない話になっています。
NU 映画『のび太の恐竜』のお話を伺えますか?
福富 『のび太の恐竜』は、台本ができてから入りました。本当に時間がなかったですね。
NU 熱心な当会の会員が見つけた『のび太の恐竜』の台本(1979年9月22日脱稿と記載あり)には、出木杉くんが出てくるのですが、最終的に出木杉くんが削除されたその経緯はご存じでしょうか?
福富 う〜ん。知らないなあ。もう絵コンテに入ったときは、本当に台本が完成していたから。
NU では、F先生や制作スタッフが車座になって、打ち合わせしている写真がありますが、これは?
福富 内容について、会議したことはなかったなあ。
本多 これは(資料を見て)、あにまる屋(あにまる屋の社屋は当時のシンエイ動画社屋のため)の和室ですよ。宣伝用に打ち合わせ風景を撮ったんじゃないかなあ。真剣な顔して(笑)。
映画の黒い服の男とかはプロレスが好きなのでその衣裳を参考に私が描いたんです。だからドルマンスタインも全然藤子作品らしくないでしょ(笑)。人物とメカは私が描いてから藤子F先生にチェックしてもらったんです。タイムマリンなんか芝山さんに、新幹線におっぱいつけたみたいだぞって笑われました(笑)。美術設定はレイアウトを担当してくれた芝山さんのあか抜けたイメージが生かされていると思います。
芝山さんはサラリーマンのように、決まった勤務時間で仕事をして、それでいてだれが原画を描いても間違いのないような緻密な絵コンテをサッと作ってしまう。必死にやってる様子はなく、なんかもてる能力のほんの一部しか使ってないような気がします。天才ですよね。本当の力を出し切ってアカデミー賞を取って欲しいと思います(笑)。
NU テレビ版『怪物くん』のお話を伺えますか? 正式放映が始まる前に『ドラえもんと怪物くん』(1980年7月15日放送)というドラえもんと競演するスペシャルもありましたね。
福富 最初にパイロットとして作った回ですね。ゲストでペット怪物ゴロニャンがでてるんだよね。
NU 本多さんの『怪物くん』の作画についてうかがえますか。
本多 A先生には、耳と手足を大きくしてくださいとだけ言われました。あとは自由にやらせてもらえました。それから、私は、頭身が下がっていくくせがあって、描いていくうちに怪物くんの頭身がどんどん下がって行きました(笑)。2年目のときに、キャラクター表を書き直して、やっと自分の世界をつかんだねとか周りから言われたんだけど。ものすごく寸づまった絵になっていましたね(笑)。
NU 怪物くんの2題目のオープニングは巨大な手から緑の血が画面いっぱいに飛び出すカットが話題なったのに3ヶ月くらいで終わってしまって残念でした。
福富 怪物くんの2回目のオープニングはだいぶ乗って描いたんだけど、血を緑にしたりだいぶ気をつかったんだけど、こわいって声がテレビ局にたくさん来たらしくてとりやめになってしまったんです。
NU 回り込みをよく多様されますが、誰かの影響を受けられてるのですか?
福富 私は映画が好きなのですが、伊藤大輔という移動が大好きな「移動大好き」というあだ名の映画監督の方の影響かもしれません。
NU ヒロシくんが第1回で怪物くんと会う前と同じように、最終回でも怪物くんと別れたヒロシくんが野球をやっているという原作にはない味付けをされていますよね。
福富 あれは、シリーズの最初から見た人がよく収まるように考えました。
NU 映画『怪物ランドへの招待』のお話を伺えますか?『怪物ランドへの招待』『デーモンの剣』も原作に対してかなり味付けされていますよね。
福富 悪魔の子がタバコを吸うのは辞めて欲しいと言われましたけど、藤本先生も安孫子先生も基本的に自由にやらせてくれましたね。『怪物ランドへの招待』も脚本に藤子先生の名前が入っているけど、それは原作を下敷きにしたから。原作を下敷きにほとんど私と脚本家で考えました。いのちの花というアイデアから脚本家の松岡さんのお弟子さんの山田(隆司)くんと旅館に籠もって二人で考えましたね。これが山田くんの初の脚本だったんじゃないかな。
NU 『怪物くん』は、怪物同士のバトルになってもおかしくないのに、メンタルな親子の対決にアレンジされていますよね。
福富 併映のドラえもんが戦いのお話なので、バランスを取ろうと。
NU テレビスペシャルの『プロゴルファー猿』について伺えますか?
福富 作品を担当することになってゴルフに連れてってもらいましたけど、自分はやらずに雰囲気だけ。ゴルフは、メンタルなスポーツだから、アニメ向きだと思いましたね。この作品では、紅蜂をクローズアップしたのを憶えてますね。
本多 私もゴルフは勧められてやりました。楠部大吉郎さんと撮影の清水達正さんからクラブをもらい、別紙壮一さんからマナーのレクチャーを受け、楠部三吉郎さんから技術の特訓を受けました。まさにゴルフの英才教育って感じですけど(笑)、実は藤子先生をはじめ、代理店やTV局のプロデューサーの参加するコンペなので、失礼のないようにということだったようです。初めてコースに出た私は藤子F先生とテレ朝の番組編成局長と一緒の組でした。ヘタな人間が必要とされていたようです(笑)。どうやらその条件は満たしたのですが問題はマナーだったわけです(笑)。
NU この『猿』の直後にあにまる屋を設立されたんですね。
福富 そうですね。もう自分たちのできることはないと思ったのと、いつまでも私たちがいると後進育たないと思って。10月に『猿』が終わるまで、ボクが最後まで残っていたのかな。82年12月に設立しました。87年に初代社長の真田良房氏が亡くなってから、本多さんが2代目社長です。
NU 今このあにまる屋さんの入られている、建物が当時のシンエイ動画と伺いましたが。
本多 シンエイ動画が移転することになって建物が空いてしまったのでそのあとに入ったんです。
でも建物は二代目です。最初の建物はシンエイの時代に台風で屋根がぶっ飛んでしまったんです。私は台風の翌朝、いつもより30分ぐらい早く出社して、皆をおどろかそうと、赤い絵の具で顔に血をつけてケガを装って倒れていたんです。森脇(真琴)さんあたりが発見して、びっくりするのを期待して。ところが最初に出社したのは会社一視野のせまい男。案の定無視! 次に来たのは会社一動じない女。まったく反応なし! 私の努力は実を結びませんでした(笑)
NU お忙しい中ありがとうございました。2003年3月29日 東京都 あにまる屋にて
(取材・えすけいぷ・目黒広志 記事・レイアウト・てふてふ)
スペシャルサンクス:豊永ひろみ様(あにまる屋)・よねさん(『のび太の恐竜』『怪物ランドへの招待』『デーモンの剣』台本+出木杉情報)・おおはたさん(福富さん対談記事情報)
はみだし情報●内田吐夢監督『宮本武蔵』 東映 吉川英治原作、内田吐夢監督による「宮本武蔵」シリーズ。61〜65年まで1作目の『宮本武蔵』から5作目の『宮本武蔵 巌流島の決斗』まで全5作品。武芸者として剣の道を究めんとする宮本武蔵の波乱に満ちた人生を、壮絶な殺陣シーンで彩った名作時代劇。
はみだし情報●「のび太の夢の金メダルは、ちょうど2003年4月16日発売のDVD『ドラえもんスペシャル春の1』に収録されています。興味のある方はみてみよう!
はみだし情報●『のび太の恐竜』は、シナリオ→アニメの絵コンテ→大長編原作かあるいはという流れで制作されていたのかもしれない。現在発行されている原作単行本では、ディノハンターは削除されているが、連載時の『のび太の恐竜』では、チラリと登場している。それにしても『のび太の恐竜』の福富さんの直筆絵コンテ是非全編を見てみたいものです〜。
はみだし情報●人物やメカのデザインは全部本多がやりました。芝山さんは美術設定のイメージ画をたくさん発案しました。恐龍のデザインは楠部さんです。(本多)右列最上段は、福富さんによる『のび恐』の絵コンテ。あまりに達者なため、ご本人に確認するまでアニメーターによる清書では?と取材スタッフは思っていました。左列・右列下段、ディノハンター、黒服の男、ドルマンスタイン、タイムマリンはアニメがオリジナルだったのだ!ちなみに恐竜のデザインを手掛けた当時社長の楠部大吉郎さんは、東映動画の超のつく大御所アニメーター。また、当時発売されたムック本『映画アニメドラえもん のび太の恐竜』の巻末では、藤子両先生と並んでプロデューサーの楠部三吉郎氏が写真付きで、スタッフ全員が持っている力をすべて出し切って頑張った作品ですと語られており、いかに力の入った作品だったということがわかる。
はみだし情報●『ドラえもんと怪物くん』 TVシリーズ『怪物くん』の放送前のスペシャル。1980年7月15日放送。ドラえもんとのび太くんが怪物屋敷に行き、みんなでお食事をする話。ペット怪物ゴロニャンも登場。アニメージュのインタビューでも大山さんがゴロニャンがプクンプクンとしていてかわいいと感想を語られている。
はみだし情報●福富さんのTV怪物くん開始時のコメント とにかく、おもしろいものを作りたい スタッフ一同、そう思って作っています。ぼくたちが、かつて原作を読んだとき、”おもしろい”と感じた部分を、アニメーションでも”おもしろく”伝えたいですね。怪物くんというのは、子どもの持つ好奇心に対して、おどろおどろしく見せるのではなく、スカッと体験させてくれるんです。このギャグは、ひとつの永遠性を持っていますね。もちろん、当時流行したものはいまの子どもたちには通用しないでしょうから、手なおしはしています。ともあれ、作る側のチームワークも最高なんです。ぜひ、たのしんで見てください!(アニメージュ1980年9月号)
はみだし情報●F先生・大山のぶ代さん、福富監督対談
TVシリーズ『怪物くん』の放送直前の1980年アニメージュ9月号に福富監督とF先生、大山のぶ代氏の対談が掲載されていた。直前にちょうど福富さんと大山さんは『ドラえもんと怪物くん』の収録をされていた。
(前略)
AM(アニメージュ)「あッ、先生アニメのシナリオ、はじめてだったんですか?」
藤子「そうなんですよ。で、書きあげて持っていったら、これをまともにアニメにしたら、2時間半のものができるといわれました。あの『のび太の恐竜』は1時間半のワクだったんですけど」(笑)
AM 「そのちぢめる作業は……」
福富「ぼくがやりました」
AM 「それで、いつものドラえもんとは少しちがっていたわけですか?」
福富「時間的にはね」
AM 「内容のほうは……」
福富「同じなんスよ。ぼくらアニメスタッフは藤子マンガをそのままアニメにすることが大切だと思ってますから」
藤子「ほんと、ぼくも、2時間半のものをよくあれだけうまくまとめたと思って感心してるんです。見せ場は、キチンと入ってましたもの。演出の力ですね」
福富「いやあ、そんなことないッスよ」
(後略)
(1980年7月8日PM8時45分 新宿・京王プラザホテルにて)
はみだし情報●『のび恐』の出木杉削除の件は、今回取材時に台本もお借りした会員の米山さんのホームページにくわしい記事があります。出木杉の映画ドラえもん第一作『のび太の恐竜』シナリオ第一稿にみる出木杉登場シーンのピックアップ http://www17.big.or.jp/~yonenet/fujiko/f_diaryimg/dekisugi.html
はみだし情報●小学館の『怪物くん』全6巻のレンタルビデオのOPは第1巻からすべて第2バージョンなので、見たい人は大きなお店を丹念にさがしてみよう!怪物くんたちの足の横をカメラがなめていくところ(写真2枚目)は動画でみるとゾクゾクするくらいかっこいいです。
はみだし情報●テレビスペシャル『プロゴルファー猿』(1982/10)
放送2時間枠で実質1時間半ほどの本作は、猿の登場からドラゴン篇までをまとめたもの。シンエイ初の高年齢層向け藤子作品の先兵とも言える作品である。中丸の夢に出てくるゴルフボールの雪や紅蜂を中軸にした情感溢れるストーリー、ミスターXとドラゴンとの手に汗ににぎるクライマックスなど、テレビスペシャルながら福富・本多藤子映画の第4弾と位置づけたくなる高密度な作品だ。ソフト化が待たれる。
福富博 プロフィール
(1950年7月25日 高知県生まれ)
1968 巨人の星 動画 1971 ルパン三世 動画
1972 パンダコパンダ 動画
1973 パンダコパンダ雨ふりサーカスの巻 動画
1972 ど根性ガエル 動画 1973 侍ジャイアンツ コンテ
1974 はじめ人間ギャートルズ 各話演出 最終回
1975 元祖天才バカボン 各話演出
1976 まんが世界昔ばなし 演出
1977 おれは鉄兵 各話演出
1977 野球狂の詩 各話演出
1977 まんが日本昔ばなし 各話演出
1977 まんが偉人物語 演出
1978 一球さん TV 監督(初)
1978 赤い鳥のこころ 演出
1979 ドラえもん TV 企画書 OP 各話演出
1979 ドラえもん のび太の恐竜 映画 監督
1980 がんばれタブチくん(第1作) 絵コンテ
1980 怪物くん TV 監督
1980 怪物くん 怪物ランドへの招待 映画 監督
1981 怪物くん デーモンの剣 映画 監督
1982 プロゴルファー猿 TVSP 監督
1982 フクちゃん 絵コンテ
1983 キャッツアイ 各話演出
1984 超人ロック 映画 監督
1984 GALACTIC PATROLレンズマン TV 監督
1985 ハイスクール!奇面組 TV 監督
1987 ついでにとんちんかん TV OPコンテ・演出
1988 名門第三野球部 TV 監督
1990 三丁目の夕日 TV 各話演出
1992 ツヨシしっかりしなさい TV 各話演出
1993 銃夢 OVA 監督
199? 新・同棲時代 HAWAIIAN BREEZE OVA 監督
1994 キャプテン翼J TV 監督
1995 聖ミカエラ学園漂流記 OVA 監督
1996 賢治のトランク OVA 猫の事務所
1996 水色時代 TV 各話演出
1997 エルフを狩るモノたちSECOND IMPRESSION Vol.1〜3 OVA 監督
1998 時空探偵ゲンシクン TV 監督
1999 ねこぢる劇場 監督
1999 とっとこハム太郎 TV 各和演出
2000 アンドロイド・アナ MAICO 2010 TV 各話演出
2000 ビックリマン2000(第2部) TV 監督
2001 ニャニがニャンだーニャンダーかめん TV 各話演出
2001 Dr.リンにきいてみて! TV 各話演出
2001 忍たま乱太郎(第9期) TV コンテ
2001 不思議の国の美幸ちゃん OVA コンテ
2001 だるまちゃんシリーズ OVA 第1話・3話監督
2002 ホイッスル TV 監督
2003 天使のしっぽChu! TV 各話演出
2003 真・女神転生 デビルチルドレン ライト&ダーク TV 各話演出
本多敏行 プロフィール
(1950年9月22日 群馬県生まれ)
1968 巨人の星 動画→原画
1971 ルパン三世 原画
1972 赤胴鈴之助 原画
1972 パンダコパンダ 原画
1973 パンダコパンダ雨ふりサーカスの巻 原画
1972 ど根性ガエル 原画
1974 はじめ人間ギャートルズ 原画
1975 ガンバの冒険 原画
1975 元祖天才バカボン 原画
1977 まんが日本昔ばなし 原画
1976〜1979 まんが世界昔ばなし 原画
1977 まんが偉人物語 原画
1977 おれは鉄兵 原画
1978 一球さん 作画監督
1978 野球狂の詩 作画監督
1978 ドラえもん TV 作画監督
1979 ドラえもん のび太の恐竜 作画監督
1979 怪物くん TV 作画監督
1980 怪物くん 怪物ランドへの招待 作画監督
1981 怪物くん デーモンの剣 作画監督
1982 プロゴルファー猿 TVSP 作画監督
1983 『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』 映画 レイアウト
1984 らんぽう TV 作画監督
1984 カックン・カフェ 原画
1984 『ドラえもん のび太の魔界大冒険』 映画 レイアウト
1985 『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』 映画 レイアウト
1986 『ドラえもん のび太と鉄人兵団』 映画 レイアウト
1987 『ドラえもん のび太と竜の騎士』 映画 レイアウト
1988 『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』 映画 レイアウト
1989 『ドラミちゃん ミニドラSOS!!!』映画 レイアウト
1996 賢治のトランク 猫の事務所 作画監督
2001 だるまちゃんシリーズ OVA全6本 企画・作画監督
2003 フイチンさん OVA 企画・監督
あにまる屋がいっぱい
ここからは、もっと多くの方に見て頂きたい福富さんと本多さんが所属するあにまる屋の作品を紹介します。
だるまちゃん
福富さんによる絵コンテ。アニメーター出身は伊達ではなく、実は精緻でたまげるくらいうまいのだ。
フイチンさん
あにまる屋オリジナル企画第2弾。上田トシコさんの同名漫画のアニメ化。ボイラー焚きの貧しい家の娘にもかかわらず前向きで大らかな心をもった女の子フイチンさん。そこに惚れ込んだ本多さんが企画。そもそも子供のころに近所で回し読みした中にあった「少女クラブ」で読み、当時大変印象に残こっていて、10年前くらいに復刻版が出たときにすぐに買い、当時からアニメ化を暖めていたそう。
『フイチンさん』が掲載された『少女クラブ』は、手塚先生が『リボンの騎士』でドラマ性を初めて持ち込み新しい流れを作った少女漫画の転換点となった雑誌で、1998年に開かれた『少女クラブ』の同窓会には、我らがA先生も参加されています。
現在03年9月15日の「アニメがいっぱい」での公開をめざして鋭意制作中。半分ちかくの原画を作画監督の本多さんが描いるというファンにはたまらない作画体制。総時間上映時間55分を予定。
フイチンさん●作者の上田さんは、1917年生まれ。満州ハルピンで過ごした大らかな子供の頃の思い出を元に描いたフイチンさんが、クロッキー研究所で磨いたモダンな絵柄があいまって貧しい当時の日本の女の子たちを励まし大ヒット。小学館漫画賞も受賞し、現在85才でご健在、1973年より『明日の友』に「あこバアチャン」を連載中。
キノコッタちゃんのお話
3月22日のアニメがいっぱいで上映されました。モーニング娘。の番組でグリコポッキーのCF背景を描くなど雑誌やCMで活躍中のあにまる屋さんと仲のいい新進イラスレーター「ナシエ」さんの絵本を同じくあにまる屋所属の森脇真琴監督がアニメ化した作品。あにまる屋さんが裏原宿でなんでもだるまちゃんにして売るという「だるまちゃん祭り」をやったときにお店に来てくれて、制作の方が声をかけたのがなれそめで、フイチンさんが間に合わないと解ったとき、本多さんがやってみたらと発案したのがきっかけだそうです。声の出演は全員スタッフの子供たち。キャッチーなさびのテーマ曲や音楽もあにまる屋さんと仲のいい普通のエンジニアの方。極彩色のきれいな絵とキャッチーな音楽と手練れの演出が絶妙にマッチした非常に楽しい作品です。
アニメがいっぱい
「だるまちゃん」シリーズの新作公開を中心に、あにまる屋さんが年に2回、西東京市のこもれびホールで行っている子供向けのアニメ上映会。1年に1〜2回開催されていて、一人でも多くのこどもたちに楽しんでもらいたいと、なんと入場料を100円にされています。
次回は、2003年9月15日、会場は同じくこもれびホールに決まっています(左の写真は以前のものです)。『フイチンさん』の完成上映予定。「キノコッタちゃんのお話」の成功を受けて、自主制作作品を社内で募集したら、けっこう応募があり、福富さんも初の実写(シナリオ・監督 湖山崇)作品を出品されるそうです。内容も決まっていて『たそがれ清兵衛』のパロディで『こづかれ呑兵衛』だとか。
関連リンク
あにまる屋 http://darumad.hp.infoseek.co.jp/index.html