『産経新聞』2007年11月10日
「憲法改正、時間かかりすぎ」日の出山荘で石原都知事
東京都の石原慎太郎知事は10日、中曽根康弘元首相の別荘だった「日の出山荘」(東京都日の出町)が「日米首脳会談記念館」として再生オープンする記念の式典に出席、あいさつで「憲法改正には時間がかかりすぎ。中曽根さんがせっかく作った憲法改正試案の前文も若僧に黙殺されてしまった」などと述べた。
あいさつの詳細は次の通り。
「私が中曽根さんと知り合ったきっかけは、あるおせっかいな人がいて『石原さんが会いたい人は誰でも会わせてあげます、政治家で誰かいますか』というので即座に中曽根康弘と。すぐにお目にかかって一緒にお酒を飲んで、それ以来。当時、中曽根さんが首相は国民の総意で選ぼうという、憲法改正の先駆けとなるようなキャンペーンをやったときに、駆り出されてたどたどしい演説をしたことを覚えています。ここで申しあげたいことはたくさんありますが、中曽根さんの青雲塾というのが高崎(群馬県)にありまして、何年か前にそこを訪れて、昔からの資料を拝見してしみじみと感じたのが、『この人はやはり首尾一貫してきたなあ、本当に強い継続性を持っている政治家だなあ』と。われわれの念願である憲法改正はやっと登山口にさしかかったところでありますけれど、中曽根さんがせっかく書かれたロマンチックな、豊かな思いがつづられた(憲法改正試案)前文が若僧に黙殺されて無味乾燥なものが出てきておりましてね。いずれにしても憲法改正は本当に時間がかかりますね。私もイライラして国会議員を辞めちゃったんですけれど。何でこの国はこんなに時間がかかるんでしょう」
「中曽根さんが首相のときに、(中曽根氏の長男で)参院議員になった弘文さんが、当時は秘書官をやってらっしゃったけど、レーガンとの関わりの中で、日本の戦略技術をアメリカのために供与していいと、一晩で決めちゃった。新聞にも出ましたけど全然、反応はなかった。だけどこのおかげでアメリカは湾岸戦争に簡単に勝てた。中曽根さんは日本の先端技術を譲ってもいいとレーガンさんと約束した。その結果どうですか。アメリカはいとも簡単に湾岸戦争に勝てました。「湾岸白書」に何が書いてあるかというと、イギリスは兵隊を送って一緒に血を流して戦いはしたが、日本がアメリカに与えた貢献はその数十倍、十数倍かな、と書いてあります。アメリカはあの戦争には大きな恩恵を中曽根康弘という大胆な政治家に感じている」
「こういう政治家がこれからの日本にいないと、日本はこれだけの国力をもっていながら、アメリカだけでなく中国などにも引きずり回されて、いつも私はほぞをかみながら鬱々(うつうつ)としていますね。中曽根さんにもう一度、出てきていただきたいと思っているけれど、ちょっと足腰が弱っておられて、かつての青年将校も…。といったって私ももう57歳、いや75歳ですけど、もう後期高齢者です」
「知事になってから中曽根さんにはいろんなサジェスチョンをいただいていますが、手紙とメモをもらいました。『君が本当のリーダーになろうと思ったらこういうことを心がけるといいよ』と。5項目ぐらいメモもらいました。非常に有効なメモでした。今でも書斎の横の扉にセロテープで張ってありますが、8年たって真っ黄色になってます。その話をするとメディアが「何が書いてあるんですか」。そんなこと教えられるか。いかにメディアをハンドルする(扱う)かが書いてあるんですから。そんな手の内は教えられない。そのおかげで何とかもっていますが」
「この日の出山荘で2人の優れた政治家が会談して、その後アメリカが湾岸戦争に勝って、その結果何が起こったかというと、通常兵器で戦っても日本のバックアップがある限り絶対、ロシアはアメリカには勝てないという認識を持った。それでペレストロイカを最初に支持したのは誰ですか。ソ連の軍部が保身のために支持した。それでベルリンの壁も崩れていった。まさに中曽根康弘とレーガンが力を合わせなかったら、世界の歴史はもっと遅れていた。この日の出山荘は見えない部分で、大きな歴史の鍵を開けてきたところ。そういう記念館を町長が大事にしていくと。非常に感謝しております。きょうは本当におめでとうございます」