改憲手続き法案に関する参議院審議の論点と今後の追及点 改訂第二版 2007年5月8日 改憲国民投票法案情報センター事務局 http://homepage.mac.com/volksabstimmung/ (旧URLを変更しましたので、ご注意下さい)
改憲国民投票法案の審議は衆議院での強行可決の結果、参議院へ移った。与党は安倍首相の大号令の下、参院においても強行スケジュールで法案審議を進めている。参院での審議時間を形式的に消化し、委員会採決、本会議採決に持ち込もうとしているのである。 しかし、参議院での委員会質疑を通じて法案の問題点と瑕疵はさらに明らかになり、また衆院審議では明らかにならなかった問題点、論点も新たにクローズアップされている。 そこで、改めて参議院審議で明らかになった点をふまえて、各論点における到達点と新たな問題点を明らかにし、委員会等での審議に必要な追及点、法案の瑕疵の修正を求める点を摘示することによって、今後の審議において前進を図るとともに、市民に対し広く法案の問題点を明らかにする材料を提供することが必要である。 ここで、法案の数多い問題点や論点のうち、特に重要なものとして、以下の諸点が論点として浮かびあがっている。 1 国民投票運動に対する重大な規制 公務員の政治活動規制の適用除外をしない 公務員、教育者の「地位利用」禁止 組織的多数人買収利害誘導罪 2 最低投票率を設けないこと 憲法96条に書いていないことは理由にならない 専門的、技術的憲法改正に不利? ボイコット運動を誘発するか? 3 国民への広報活動に致命的な瑕疵があること 運動期間が短すぎること 広報協議会の致命的問題 有料広告規制は議論が煮詰まっていないこと 以下、各論点別に審議過程の到達点と新たに明らかになった問題点を摘示し、追及のポイントを示したい。 【論点1】国民投票運動に対する重大な規制 法案では国民投票運動に対する重大な規制が居座っている。 1 国民投票運動の自由は、憲法上特に手厚く保障されねばならない (1)国民投票運動は憲法上の優越的地位にある 与党も国民投票運動が、通例の選挙運動等にも増して、「なるべく運動が萎縮されることのないよう」(船田委員)活発に行われるべきことを認めている。しかしこの自由保障は、たんに「なるべく運動が萎縮されることのないよう」という弱いものではなく、憲法上の要請である。なぜなら、96条は、憲法改正の是非の最終判断を国民の直接判断に求めており、その判断形成の場の保障は、通例の21条等により保障された政治的自由をさらに上回る強い保障が求められるからだ。 実はこの点は、与党案も暗黙のうちに容認しているはずだ。なぜなら、与党案では、憲法改正案に対して、国民に明確に賛成か反対かを迫り、判断留保を示す「白票」を無効票としているからである。これはこれで問題があるが、ここに示されているのは、国民の明確な態度決定を迫っていることである。だとすれば、そのための意思形成は憲法上の要請であり、国民の自発的な政治活動、討議の場の保障は96条の要請ともなる。 (2)法案はこの見地から重大な問題がある ところが法案は、こうした国民投票運動の自由を保障することにより活発な市民の参加と議論の場を保障するものとはなっておらず、逆にそうした広い運動に強い規制をかけようとしている。特に、公務員の政治活動規制を残そうとしている点、公務員や教育者の「地位利用」運動を禁止するとして、教員や公務員にターゲットを絞って運動から排除しようとしている点、さらに組織的多数人買収・利害誘導罪を設けて、政党や労働組合、市民団体の活動を規制しようとしている点は、共通して市民の旺盛な運動にタガをはめようという傾向をもっている。 2 国民投票運動においては公務員の政治活動規制は一括適用除外しなければならない (1)公務員の政治活動規制と、公務員、教育者の「地位利用」運動禁止は、相互に分けて議論し、対処するべきである 公務員が「全体の奉仕者」であり、「中立性」を求められることから、厳しい政治活動規制や選挙運動規制があることは周知の通りである。他方、公務員はその影響力の大きさから、選挙運動においては「地位を利用」した運動を禁止するとの規制がある。しかしこの2つの規制は相互に関係がないわけではないが、それぞれ異なる理由と異なる法的規制の下にある。法案は、国民投票運動に関して、公務員の政治活動規制から適用除外にすることを拒否し、「異なる措置」を検討するとし、他方、公務員、教育者の「地位利用」についてはこれを禁止している。 ところが、法案の説明では、提案者側は、公務員や教育者の「地位利用」運動の禁止の根拠をとわれると、「全体の奉仕者」性を引き合いに出し、この2つの規制を故意にか、無意識にか、混同している。質疑の過程で、なるほど、葉梨委員(4月19日)、船田委員(4月25日)は、2つの規制の「切り分け」を認めている。 特に、25日の審議では共産党の仁比議員の追及に対して「整理は十分できている」と答えている。しかし、実際には、答弁者の間でもしばしば混同が見られ、その混同が繰り返されている。そこでまず2つの規制を峻別したうえで、この2つの規制のいずれもが、国民投票運動においては無用、有害であることを明らかにする必要がある。 (2)公務員の政治的行為規制の対象となる「政治活動」と、国民投票運動とは全く性質をことにするので、憲法上手厚く保障されねばならない 公務員の政治活動が規制されねばならない理由としてあげられているのは、公務員等が憲法上求められている「全体の奉仕者」としての「中立性」が、特定の党派を支持したり排斥したりする運動や、選挙時において特定候補を支持するような、特定党派への支持不支持を明らかにする行為によって、損なわれ、不信をもたれることを回避するためになされている。これら活動に対しては、公務員法で、また選挙時における同種の活動に対しては公職選挙法によって禁止、規制がなされている。これら公務員の政治活動に対する厳しい規制の違憲性についてはかねてから多くの議論があるが、それはここでは問わない。 そうした公務員の政治活動規制を認めるとしても、憲法改正の是非を論じ、改正に賛成、反対を表明し、その勧誘を行なう活動は、広義では「政治的」活動であり、同じく、21条の表現の自由の保障下にあるとはいえ、公務員法や公職選挙法で禁じられている政治活動とは著しく性質を異にする。 2つの点で両者の性格は全く異なる。 1 国民投票運動は、特定党派の支持、不支持を訴える活動ではなく、いずれの側に立つにせよ、憲法の改正をめぐる支持不支持を求めるもので、これはいずれに立つにせよ、いずれも憲法の解釈、憲法の指示内容をめぐる争いであるため、公務員等が、態度を明確にすることにより、職務の中立性を損なうものではない。 2 しかも、むしろ公務員や教育者は、憲法内において15条や26条その他で特別の規程や地位を有しており、憲法の内容について、特段の理解と明確な態度決定を迫られるものであり、憲法規範の内容、方向の如何が争われる国民投票運動においては、たんに自らが一国民として態度を決定、表明することが認められているばかりでなく、その態度を明確化することが求められているというべきである。その意味ではむしろ国民投票運動への参加は促進されねばならないし、運動参加が憲法上手厚く保障されねばならない。 こうした公務員法等による政治活動と国民投票運動の性格が異なるという点は、法案の提案者も一応認めている。当初は、規制対象となる政治活動は「人を選ぶ活動」であるのにたいし、憲法改正是非の国民投票運動は「政策を選ぶ活動」であるという理屈である。したがって、それに応じた規律が必要だということは認められている。仁比議員の追及で、国民投票運動はたんなる「政策支持を争う活動」ではないことを船田議員は認めているが、憲法上の位置づけがないし、規制の誤りを認めるに至ってはいない。 したがって、まず公務員等は、国民投票運動においては、通例の政治活動規制、公選法上の選挙運動規制から包括的に適用を除外されねばならない。 (3)国民投票運動を政治活動規制の対象から包括的に外すことに反対する論拠として与党があげている随伴運動は、既存取り締まり法令で規制できる 政治活動規制からの適用除外について与党側委員は一旦は認めたことがある。それは上記(2)での指摘が説得的であると認識していたことを意味する。しかし、与党執行部の激しい巻き返しにあって、与党案は、適用除外でなく、何らかの規制を残そうとしている。与党委員は、3年間の間に具体的な措置を検討するという。 公明党の赤松委員は、この点について、4月16日の本会議での質疑においてこう言っている。「また、附則に公務員の政治的行為の制限規定の検討条項を規定しております。公務員であっても国民として他人に対する賛否の勧誘を行うことは広く認められるべきではありますが、他方、特定の公職の候補者を支持するなどの政治的目的を持った組織的な署名運動などは、全体の奉仕者たる公務員にふさわしくありません。この両者の切り分けについて、本法律が施行されるまでの三年間に、公務員の政治的行為の制限について定める国家公務員法、地方公務員法等の規定について検討を加え、必要な法制上の措置を講ずることといたしております。」しかし、政治活動規制からの適用除外をやるというのであれば、それは直ちにできる作業である。 与党委員が適用除外に対して反対する論拠としているのは、「特定の候補者を支持するなどの政治目的を持った組織的署名運動」や「政党その他の政治団体の機関紙の配付等を随伴する」運動に対しては規制しなければならないという理由である。 「また、附則に公務員の政治的行為の制限規定の検討条項を規定しております。公務員であっても国民として他人に対する賛否の勧誘を行うことは広く認められるべきではありますが、他方、特定の公職の候補者を支持するなどの政治的目的を持った組織的な署名運動などは、全体の奉仕者たる公務員にふさわしくありません。この両者の切り分けについて、本法律が施行されるまでの三年間に、公務員の政治的行為の制限について定める国家公務員法、地方公務員法等の規定について検討を加え、必要な法制上の措置を講ずることといたしております。」(公明党赤松正雄委員、4月16日本会議。下線は引用者、以下同様。) 「例えばその勧誘行為が政治的な目的を持った組織的な署名運動、あるいは示威運動、あるいは政党その他の政治団体の機関紙の配布等を随伴する場合まで、なかなか一律に自由にするのではなく、やはり公務員といえども、自由にすべき部分と、公務員の政治的中立について甚大な疑いが生じる場合にはこれを規制する部分とをもう少し丁寧に切り分けていこうというのがこの法案の趣旨である。」(葉梨議員、17日参院憲特委) これらの中には、極めてあいまいな言辞ながら表現の自由に抵触する内容があるが、ここで言いたいのは、国民投票運動の本体は自由であるが国民投票運動に名を借りて、特定政党の支持を目的とする政治活動を行なったり、特定候補者の選挙運動を行なうことに対しては規制の必要があるということである。 しかし、こうした国民投票運動に随伴する政治活動や選挙運動がもしあれば、それは、公務員法や公選法で規制することができ、何の問題も生じない。上記ケースについては既存法令の取り締まりでできることは、現に公選法上の規制が、国民投票運動とは別に行いうる旨の、4月25日参議院憲特委における総務省自治行政局選挙部長久元喜造氏の発言で、与党側も認めるところではないか。 「国民投票運動が選挙運動にわたらない限りにおいて公職選挙法の選挙運動に関する規定は適用にならないわけでありますけれども、そこで行われました事象が選挙運動にわたるといった場合には、当然のことながら公職選挙法の選挙運動に関する規定が適用になるというふうに考えておりまして、それはそれぞれの事実の切り分けによって判断されるべき事柄であろうかと存じます。」(4月25日参院憲特委、久元喜造) 3 公務員、教育者の「地位利用」による運動禁止規定は削除されるべきである 以上のように、国民投票運動は、公務員の中立性、全体の奉仕者としての性格と矛盾するどころか、かかる運動はそのためにも、より強い保障を受ける必要があることがわかる。では、公務員の地位利用はどうなるのであろうか。公務員や教育者の地位利用運動禁止も実は無用、有害である。 (1)公務員、教育者の「地位利用」運動禁止はその大きな影響力の不当な行使に対する規制にある。また公務員らの地位利用による運動には問題があることは明らかである 公職選挙法で、公務員、教育者の「地位利用」による運動禁止が設けられているのは、これら地位にあるものの大きな影響力の故である。それが選挙において不当に行使され、選挙の公平性が阻害されるのを防ぐために設けられている。この規定が公務員等の政治活動に不当な萎縮効果を与えかねない点については批判があるが、それはおく。 地位利用の禁止に関し、しばしば、公務員等の全体の奉仕者性や中立性が引き合いに出されるが、それはすでに考察されたように、国民投票運動においては問題とならないし、混同されてはならない。 では、公務員や教育者の地位利用による運動は問題なしかと問えば、問題であることは明らかである。公務員や教員は、自らの接する市民や、生徒、学生、場合によってはその父母に至るまで、大きな影響力を行使できる地位にある。たとえば、教育者がそうした影響力ある地位を不当に利用して、大学の講義等において、学生らに憲法改正の賛成、又は反対につき、試験の成績に考慮するなどのかたちで、慫慂するようなことがあれば、問題があることは明らかだ。 参院での審議でも大学教員の講義に関して論じられた。たとえば、4月19日の参議院の委員会審議において民主党の水岡議員がこの点で質問し、葉梨委員が答えている。 「発議をされた後に、例えばカリキュラムの中で、例えば社会科というような形で、それで、それについて当然試験もありましょうというときに、教員がその教育課程の中でお話をされるというのはちょっとこれはいかがなものであろうかなというふうに思います。やはり、教育者であっても、一人の国民として意見を表明していただくというのは、それはもう妨げられるものではありませんけれども、カリキュラムの中でそういったことをおっしゃられるというのは、特に憲法について、最前来、憲法の改正の限界という問題がございました。もちろんのことながら、日本国憲法の平和、民主主義、人権、この理念というのは大事なことだと、これを言うのはもう全く問題ないんです。ただ、特定の憲法の発議案について、これは明確に駄目だというような形での表明は、それはいかがなものだろうというふうに思います」という具合である。 教育者が、講義等において、教員の「地位」を利用して特定の態度に対し慫慂し、それを試験などで強要することは、一見すると、何らかの規制が必要のようにもみえる。 (2)しかし大きな影響力を有し、「地位利用」による運動が害悪をもたらすのは、公務員、教育者のみではない。政治家、会社役員のもつ影響力に伴う「地位利用」の危険性はそれらに勝る しかし、大きな影響力を行使し、地位利用運動が悪影響をもたらすのは、公務員、教育者に限られない。特に重要なのは、会社の役員のもつ従業員への圧倒的な影響力を利用した運動、国会議員、地方議会議員ら政治家がその「地位を利用」して、憲法改正の是非につき、不当な圧力を加えることなどが問題である。 政治家の場合には、選挙運動の際には、自己の当選へ向けての選挙運動は認められているが、憲法改正是非の国民投票運動においては、公務員や教育者以上の影響力を持ち、しかもそれがその「地位を利用」して勧誘した場合の害悪は大きい。会社役員の場合にも影響力は大きいだけでなく、我が国では、諸外国と異なり、会社役員の従業員への強い影響力を利用しての「企業ぐるみ選挙」が問題となったようにその危険は大きい。 この点につき、船田議員は、公務員、教員と区別して、会社役員の場合には、「一般的類型的に特定」できない点、民間人の場合には、原則自由で「私的自治」に委ねるべきだというが、これはずさんな論理である。 類型的、一般的に特定できないというのは技術的な問題にすぎず、それをもって取り締まりをしない、他方公務員、教育者は特定できるから取り締まるというのは、本末転倒、ナンセンスである。また、影響力の大きさの危険は、民間か、公共部門かの問うところではない。民間が一律に私的自治に委ねられるわけではないことは犯罪をおかした場合をみても明らかである。 (3)法案が公務員、教育者のみの「地位利用」を禁止しているのは問題であるから禁止規定は削除すべきである ところが法案は、かかる会社役員や政治家などの地位利用を広く規制するのではなく、公務員と教育者に限ってその「地位利用」を禁止している。影響力の大きさから言って全く説得力がない。 この瑕疵は、「地位利用」運動の禁止規定に、政治家や会社役員を追加するか、あるいは、地位利用禁止規定を削除するかのいずれかによって解消される。しかし、地位利用禁止規定に公務員や教員以外に社会的影響力の強い、政治家等を附加する場合には、かかるカテゴリーは無限になり、恣意的にわたらざるをえない。 したがって、公務員や教員の地位利用禁止規定を削除すべきである。 (4)悪質な地位利用は現行法で取り締まることができる 公務員や教員の地位利用禁止規定を削除してしまうと、教育者や公務員さらには政治家等の地位利用による本当に悪質な勧誘は取り締まれないという与党側の反論があるが、悪質な場合には、現行法で十分取り締まり可能である。たとえば、教育者の場合には、大学の懲戒処分規定が存在する。法案も刑事罰を課さず、悪質なものについては、行政処分でといっているので、大学の懲戒処分規定に照らして、大学の自治において、もし必要なら正規の手続きを経て処分すれば可である。それは、会社社長や政治家の地位利用でも同様であり、そもそも法案は、彼らの地位利用について規定していない。彼らの地位利用が同じく規制されるべきと考えているとすれば、現行法の規制で十分規制可能と考えているからに他ならない。 4 組織的多数人買収・利害誘導罪は、削除されねばならない 公務員等の政治活動規制、地位利用運動の禁止と並んで、法案は、もう一つ、組織的多数人買収利害誘導罪を設けている。これまた市民の、とりわけ政党や労働組合、市民運動団体の活動に対する萎縮効果を持つ違憲の疑いのある規定であり、削除すべきである。 (1)組織的多数人買収・利害誘導罪は買収や利害誘導一般でなく、「組織」の運動の規制を目的としている 法案第109条の組織的多数人買収利害誘導罪は、4月25日の審議で初めて登場したが、公職選挙法222条の多数人買収利害誘導罪の規定を改作したものであることは、与党側も認めている。しかし公職選挙法にはない規定となっているのは、国民投票法案の場合には、「組織により」という重要な条件がついている点である。公職選挙法の222条は、多数人に対する買収や利害誘導行為の処罰規定であるが、法案では、それが組織によりなされる点にターゲットを絞っているのである。 いうまでもなく、国民投票運動において「組織」といえば、憲法改正に関心を持つ、自民党から共産党に至る政党、労働組合、財界団体、そして、憲法改正に反対する「九条の会」などの市民団体や「日本会議」「新しい憲法を作る国民会議」などの団体であることは間違いない。法案が、わざわざ、これら組織の一体となった買収、利害誘導をとりわけて禁止しようとしていることの意味は大きい。 なぜなら、法案では、買収罪、利害誘導罪一般は処罰対象になっていないのである。この点では法案はいたく寛容である。あとで検討する通り、法案が、一般の選挙運動と国民投票運動の違いを理解していることはこれを見ても明らかである。 (2)組織的多数人買収利害誘導罪は、憲法96条が求めている、憲法改正是非をめぐる活発な運動や参加を抑え込もうとする反憲法的な規定である。 ではなぜ、「組織により」行われる買収や利害誘導を問題とするのか。提案者は、25日の審議で、これは一般の多数人に対する買収罪にさらに「加重」してごく悪質な犯罪だけをターゲットにしたと答えている。これは、意図して嘘をついているか、まったく無知かのいずれかである。 法案は、単純買収罪を処罰していないところを見れば、国民投票運動に買収罪が特に処罰するようなかたちで、なされないであろうと見越していることは明らかだ。にもかかわらず、「組織による買収等」のみをとりだしていることは、組織の活動一般を規制しようという意図にもとづくものと考えるしかない。買収一般の処罰規定を入れておけば、組織による買収も処罰できるが、組織的多数人買収罪を入れなければできない規制がある。それは、組織の運動を一網打尽にすることである。単純買収罪の場合には、買収や利害誘導を行なった本人の処罰になる。しかし、「組織」となれば、組織の幹部も含めて処罰対象になる。 これは法案の反憲法的性格を象徴している。政党や労働組合、市民団体を敵視しているのである。与党側が自らの政党を敵視していることはあり得ないから、この規定は、憲法改正に反対する政党や労働組合、市民団体の活動に網をかぶせ、萎縮させようという意図にもとづくとしか言い様がない。とすると、本命は買収ではなく、利害誘導行為を使うことにある。憲法96条が国民投票において、広汎な国民の活発な議論と参加を求めているのに、法案は、運動の主力となる組織を敵視しているのである。 (3)法案は、ここでも選挙運動と国民投票運動の違いを無視し、公選法上の厳しい運動規制を取り入れている 同時に、この組織的多数人買収罪が、その規定を丸ごと、公選法からもってきていることも注目される。特にひどいのは、25日の審議で大久保勉(民主党)議員から指摘され批判されたように、第109条は、公選法221,222条の文言をそのままもってきたために、今や死語と化した「小作」などという文言すら入っている。それを提案者側は、「小作」は今の請負にあたるなどと強弁したが、ここには、提案者が、通常の選挙運動と憲法改正の是非を争う国民投票運動の違いがあるといいながら、実は、世界的に例を見ない厳しい規制をそのままもってこようとしている姿勢があからさまである。 提案者は、自らに都合のよいときだけ、諸外国の例をつまみ食い的に取り出すが、ではいったい世界の国民投票法で運動者の買収処罰規定はどれだけあるのかを調べることを求める。 (4)組織的買収利害誘導罪は二重の意味で有害であり、無用であるから削除するべきである 法案109条は二重の意味で、有害、無用である。 第1に、提案者は、公務員の政治活動規制と同様、国民投票運動に随伴して、政党や組合、市民団体が勢力拡張をはかったり、選挙運動に利用することを処罰しようとしていると思われるが、こうした随伴運動は悪質であれば、公選法等の現行法で十分取り締まることができる。 第2に、逆にこの処罰規定は、政党、組合、市民団体の活動に強い萎縮効果をもたらす。審議でも、衆院以来、この対象として、市民団体の行なうコンサートなどが議論の対象となり、法案は今度の修正で、そうしたものに濫用できないようにしたというが、では一体何を狙うのか。むしろ、国民投票運動に限らず、現代の市民の運動は、一定の影響力を持とうとするかぎり、組織によらなければできない傾向にある。政党とは異なる市民運動も何らかの組織をつくって活動している。本規程がこうした組織の政治活動にターゲットを絞り、その保障でなく規制を意図しているのは大きな問題である。 【論点2】法案が最低投票率の設定を拒んでいること 法案の第2の論点は、最低投票率問題である。ここでも法案の態度は一貫している。それは国民投票運動において、市民の参加や多様な情報の流通をできるだけ、制限しようという態度である。この最低投票率を設けない点にもそれが如実に現われている。しかし、参議院での審議を通じて最低投票率を設けない理由として与党があげている点はいずれも理由が無くなった。 1 最低投票率を設けない3つの理由 最低投票率を決めない理由として、与党側は以下の3点をあげている。 第1は、憲法96条には、最低投票率の定めがない、96条は憲法改正に極めて高いハードルを設定しており、これにさらに最低投票率を設定することは新たな加重要件を設定することになる。かかることは憲法の明示の授権がなければできない。憲法96条が明文で書いていないということは、そうした最低投票率のような新たな加重要件を認めていないからだ。「最低投票率を設けることは憲法上疑義がある」というものだ。 たとえば、4月16日の参議院本会議における審議において葉梨議員はこう説明している。「憲法九十六条が規定する以上の加重要件として最低投票率制度を設けることにはそもそも憲法改正が必要ではないかと、そういうような疑義もあることは御指摘申し上げたいと思います。」と。 第2は、最低投票率を設けると、専門的、技術的な憲法改正で、国民の関心の少ない改正のときには、改正が阻まれる。国民は、かかる専門的技術的な改正の場合には、プロである国会の決定に従おうという意思をもっているのに、最低投票率を達成できずに改正ができないと国民の意思を踏みにじることになる。 同じ4月16日の本会議における審議で、保岡興治議員はこういう。「なお、専門的、技術的な国民の関心の薄い憲法改正など、憲法改正が難しくなる可能性もございます」と。 第3は、最低投票率を設けると、ボイコット運動を誘発し、主権者の意志が正しく反映されないばかりか、少数のボイコット者によって改正の帰趨が左右され、民意が損なわれるというものである。 先の葉梨議員はこの点について、こういう。「最低投票率制度を設けると投票をボイコットさせる運動を誘発させるおそれがあり、かえって国民の意思を正確に反映することができない可能性もございます」と。 しかし、この3点は、審議のなかでいずれも理由がないことが明らかとなってきた。以下に逐一検討する。 2 憲法96条に書いてないことは最低投票率を設けない理由とはならない 第1の、憲法96条に書いていないから最低投票率を規定するのは憲法上疑義があるという主張を検討しよう。 (1)参考人の多数も立法政策の問題といっている 憲法が沈黙している理由としては一般に3つ考えられる。第1は憲法が黙示にそれを拒否している場合であり、与党側においては、最低投票率は憲法96条が黙示に拒んでいるという理解だ。第2は、憲法はその点についてどちらとも決めていないから開かれている、という場合で、この問題に関していえば、最低投票率を設けようと設けまいといずれにも等距離の場合だ。第3は、憲法は明示していないが、むしろそれを望み、憲法の方向を徹底すると、それを規定することが望ましく、むしろ規定することで憲法の具体化となる場合だ。 この点について、4月23日に行われた参考人質疑において興味深い見解が聞かれた。それは、近藤議員の質問に対し、竹花光範、江橋崇、木村庸五、福井康佐氏の4名の参考人のうち与党推薦を含む3名が、「96条は最低投票率の設定を禁じていない、設けるか否かは立法政策の問題だ」と答え、福井氏だけが憲法96条には最低投票率が書かれていないから禁止ではないかと答えたことである。96条の下で最低投票率は設けられると答えた3名のうち2名は第2説、1名が第3説であった。いずれにせよ、この結果は、96条の下では最低投票率を定めても違憲の問題は生じないというのが学界の通説であるという動向を反映している。 (2)与党側の言い分は崩れている 審議の過程で与党側は、「96条の授権がないのに最低投票率を設けるのは憲法上疑義がある」とする理由として、まず、諸外国で最低投票率を設けているところは、憲法の明文で最低投票率を設けることを謳っているという点をあげたが、実際にはそんなことはいえないことが分かり、あまり主張できなくなった。 また、与党側は、最低投票率要件を加えると、憲法改正にさらに新たな加重要件を設けることになり、これは、明示の授権がなければできないと論じた。これも説得力はない。96条は、与党側も認めるように厳しい要件を設定しており、とくに2つ目のハードルで、国民の直接民主制を導入している。憲法改正の是非を最終的には国民の直接的意思表明に委ねているわけである。こうした憲法96条が、国民の意思の所在を明確にするために最低投票率を設けることを禁じていると言うことには無理があるからだ。 (3)与党側「憲法」論のダブルスタンダード しかも、与党の立論は、憲法論上は、いかにもずさんである。なぜなら、与党は一方で、憲法改正案の国会発議の手続きの一環に憲法96条に明文の規定のない、両院協議会の制度を導入している。もちろん、憲法審査会、合同審査会の制度なども憲法上に規定はない。しかし特に、両院協議会の設置は憲法論上重大である。なぜなら、両院協議会は、憲法第59条、60条、61条に明文で設置が規定されているにもかかわらず、96条では両院協議会の設置にはふれていないからである。この場合こそ、憲法は、96条関係では黙示のうちに、両院協議会の設置を拒否していると考えられる、つまり憲法が沈黙している上記1の場合であると読めるからだ。この点は、4月25日の参議院憲特委の審議で、仁比議員が追及し、与党は返答に窮している。 さらに、国民投票法の与党案は、憲法96条の明文で規定されている「国会の定める選挙の際」に行なう国民投票を規定していないのである。 このように、与党は、一方で憲法の明文が書いていないことを制度化している一方、憲法が明文でつくることを義務づけている制度をつくっていないのである。ここでは、それら個別の例の憲法上の当否は問題としないが、与党の憲法への態度が極めてご都合主義的であることは明らかだ。 (4)憲法第96条は最低投票率をどう考えているか では憲法96条は最低投票率について、いかに考えていると解釈することができるだろうか。憲法96条が、憲法改正是非の最終判断を国民の直接的な意思表示に委ねたことがヒントとなる。この考えを徹底すれば、国民の直接的意思表示が十分なかたちで表明されるように、制度をつくることは96条の趣旨に沿ったものといえる。最低投票率設定=96条違憲論は誤りであることは明らかだ。 19日の委員会審議での仁比議員の発言は上記の趣旨の表明である。「憲法改正の国民投票という場面は直接民主制そのものの場面です。当然、発議は国会がやるという仕組みになるけれども、決定権は国民にある。その国民が、その総意として直接民主制的な権利を、直接民主制そのものの権利を行使するという場面ですよね。そのときに、その直接民主制の行使として国民が総意を表明する、総意で決めていくという、その方向を強める方向での制度づくりがどうして憲法に違反するということになるんですか。」と。 3 専門的技術的改正ができなくなるという理由は国民蔑視 与党側があげるこの理由も全く説得力がない。これを強調するのは保岡委員であるが、専門的技術的改正は、プロである国会議員に任せればよいのであって、国民はそれを求めているという独断に立つものだ。4月19日の委員会審議で保岡委員はこういう。 「国民に、専門性が高くて、あるいは技術的な問題が、あるいは高度ないろんな情報、政治的な要素を考えて判断されているような問題については、むしろそれはプロの国会議員に任せた方がいいといって棄権する人が多くなるのは、これは当然の民意の動きだと思います。そういう際には、もう自らの直接民主制の権利を行使しなくていいと、それは国会の発議に任せる、ほかの人の、少なくともよく分かる人の判断に任せるというケースもあるだろう」というのだ。また、葉梨委員も同様のことをいう。「ですから、明らかにこれぐらいだったらというか、こういうような案件であれば投票所に行かなくてもほかの方たちにゆだねてもいいよというような国民が多数を占めるような案件というのはやはり幾つかは出てこようか、これはもう技術的な問題であろうかと思います。」と。これはかなり露骨な直接民主制否定論であって、憲法96条の趣旨を踏みにじるものである。 おまけに重大なのは、いうところの「専門的、技術的問題」とはいかなるものかという点である。委員会審議で明らかになった例はとんでもないものである。4月17日の委員会審議で、前川議員の質問に答えて、保岡委員のあげる「専門的技術的問題」とは憲法89条の改正による私学助成問題や、自民党新憲法草案の83条第2項に挿入されている「財政健全化条項」などがあげられている。これらはいずれも重要な問題であり、特に後者は、新自由主義改革を進める梃子となる規定である。これらの問題の適否の判断は、「プロ」に任せて国民は直接判断しないでよろしいなどというのは、とんでもない国民蔑視、反憲法的な態度に他ならない。 それにこの種の問題が単独で発議され、国民投票にかけられることは予測しがたいことを考えれば、この理由も、最低投票率を決めさせないための口実であるにすぎない。 4 最低投票率はボイコットを誘発するから、という口実のまやかし その結果、与党側委員が今やもっとも頼りにしているのが、最低投票率は、ボイコット運動を誘発するというとんでもない反対論である。そこで、最後にこのボイコット運動誘発論を検討しよう。 (1)ボイコット運動の弊害を理由として、最低投票率設定をやめるのは、本末転倒 まず第1にいわねばならないのは、論者が異口同音にボイコット運動を口実に最低投票率設定を攻撃している点である。最低投票率の制度のメリットを認めるのなら、ボイコット運動の弊害の是正を工夫すればよいのであって、ボイコット運動を理由に最低投票率設定を否定するのは、選挙運動には買収、腐敗がつきものであることを理由に選挙運動の自由を禁止してしまうのと同様の誤りである。あるいは、右翼による会場使用に対する妨害を理由にして、教職員組合の教研集会の会場使用を拒否するのと同様の論理である。 では最低投票率制度を設けて、ボイコット運動を禁止すればよいのか。それも必要はない。 (2)ボイコット運動は政治的表現の一形態である なぜなら、ボイコット運動は、デモや集会、ストライキなどと同様の政治的表現、活動の一形態であって、その評価はいろいろだが、その行使は憲法上の保障を受けているからである。 そもそも、ボイコット運動は、今井一氏の主張に与党側が飛びついたことから使われはじめたが、そこでは、岩国や徳島の住民投票に対する保守の側のボイコット運動が例としてあげられ、最低投票率があるためいかに住民の意思が曲げられたかが強調された。その今井氏が今や与党側の頼もしい味方となっていることが皮肉で興味深いが、それはさておいて、この場合に、ボイコット運動は、基地やその他の激しい政治対抗のなかで、住民や国民の政治的意思形成に不信をもつ側によって提起される戦術のひとつであることは明らかである。つまり、政治対抗が激しく行われるところで、激しい対決がボイコットとなって現われたのであり、それがなければ別のかたちで現われただけのことである。ボイコットは、その評価はいずれであるにせよ、政治的意思表示の一形態として、憲法上の表現の自由の保障を受けていることは否定できない。今、与党側は、ボイコットを悪の権化のようにいっているが、概して、日本では、住民投票などにおいて自民党も含めた保守の側が採用してきた戦術であることはよく知られている。 (3)ボイコット運動は最低投票率制度がなくとも起こる ボイコット戦術は、住民、国民の多数派形成に不信をもつ側から提起されるから、その状況になれば、最低投票率制度があろうがなかろうが、住民投票、選挙などさまざまな場面で提起される。現に、同じく住民自治のレベルでは、中野区で採用され10数年続いたにもかかわらず自民党、公明党などの側の猛烈な反対で潰された教育委員の準公選条例に対する反対運動側が、準公選の投票の際にボイコット運動を提起してきた。準公選条例に基づく準公選の選挙は、最低投票率などなかったが、激しいボイコット運動に毎回さらされた。この運動を提起した自民党、公明党はそれによって投票率を20%以下に落とし、制度と投票の権威を低下させようとはかったのである。 これを見ても分かるように、ボイコット運動は、住民の多数派形成に展望を見いださない政治勢力がかかる多数派意思の正当性を疑い、貶めるために提起する戦術だから、最低投票率がある場合、投票それ自体の不成立というもっとも大きな政治効果を得られるため提起されやすいとはいえ、それには限られないのである。したがって、憲法改正国民投票に戻れば、憲法改正の多数を望む側も、また憲法改正反対の多数派形成を望む側も、その形成と意思結集のために力を尽すほかはなく、そのための措置は市民の運動を自由化させ、市民の参加をはかることである。 (4)ボイコット運動の最大の歯止めは、国民の活発な運動参加と情報の流通 したがって、最低投票率を定めるのと同じ目的、すなわち、憲法改正是非の自由な活動と多様な参加制度の保障こそ、ボイコット運動を提起させにくく、またボイコット運動の戦術としての正当性を失わせる最良の方法である。ところが、与党案は、一方で見てきたように、市民の運動参加を敵視し、その制限に腐心している。広報制度も、活発な意見表明の場も、必ずしも法案は保障していない。こうして国民の運動や参加をふさいでおいて国民の投票率が上がることを望むことはできない。そうしておいて、最低投票率も決めないというのは、明らかに森元首相の言い草ではないが、「無党派は寝ていてほしい」というにあるのではないかと疑われる。そうでなければ与党がここまで最低投票率の設定を嫌がる理由を理解できない。 (5)「民意のパラドックス」とは何か ここへ来て、参考人の福井氏の提唱した民意のパラドックスなるものが、最低投票率制度の権威を引き下げ、与党の最低投票率反対の格好の口実となっている。 さっそく、これは盛んに与党側でもてはやされ、旗色の悪い最低投票率設定反対派の側に利用されている。福井氏は、今井一氏に継ぐ救世主となりつつある。福井氏の主張の中には、広報協議会の第三者機関論ほか、聞くべきものが多々あるが、ここでは氏の「民意のパラドックス」について批判しておきたい。 (a)「民意のパラドックス」の意味 正確に理解しなければならないが、ここで福井氏がいうのは、最低投票率制度の下では、絶対賛成率が高い場合に投票不成立になり、絶対賛成率がより低い場合に、逆に投票が成立することがあるという逆説、つまり、賛成者がより少ない場合に投票が成立するという逆転が起こりうるというものである。 「また、最低投票率を設定すると民意のパラドックスが発生する。仮に最低投票率を40%に設定したとする。投票率が35%で最低投票率を下回って、投票率の80%の賛成があったとすると、有権者に占める割合は28%になる。一方、投票率がぎりぎり40%を満たして、賛成率が60%で成立したとすると、有権者に占める賛成の割合は24%になる。実は、否決されている方が全体の賛成の割合が高いという投票率が発生することになる。」 ここで「全体の賛成の割合」というのを絶対賛成率(賛成者数/有権者数)と呼べば、絶対賛成率の少ない24%の後者で可決、絶対賛成率のより多い前者で否決という事態が起こる。このことを福井氏は「民意のパラドックス」と言っているのである。 (b)「民意のパラドックス」は最低投票率制度のないところでも起こる しかし、この種の逆転は、最低投票率制度がなくても日常的に起こりうる。第1のケースとして、絶対賛成率が28%、絶対反対率(反対者数/有権者数)が30%、投票率は58%であった場合を考えよう。このケースでは提案は否決される。第2のケースとして、絶対賛成率が26%、絶対反対率が24%、投票率は50%であった場合を考えよう。このケースでは絶対投票率がわずか26%でも提案は可決される。これは、パラドックスでも何でもない。異なった投票率間での賛成・反対率を比較する際に必ず発生する問題であり、最低投票率制度の有無とは無関係である。 (c)「民意のパラドックス」を解消するには 福井氏の提起する民意のパラドックス解消策についてもふれておこう。この方策は制度構想としては、最低投票率よりはずっとよい制度とは思うが、この場合でも福井氏の主張するのとは異なり民意のパラドックスは生じる。 福井氏は前記参考人として白議員の質問に答えてこう述べている。「制度論的に申しますと、先ほど言いましたように、最低投票率というのは、先ほど言いましたパラドックスがどうしても出てきますので、むしろ有権者の割合を何%にするというような形、例えば賛成票は有権者の四割(要するに絶対賛成率が40%:引用者注)にするんだとかと、そういう形の付け方の方がパラドックスは解消できるのではないかなと考えます」。 だが、この解消策において絶対賛成率が40%得られても、絶対反対率が41%であれば否決となるのに対し、絶対反対率が39%にとどまれば可決されるのである。だから福井提案は「民意のパラドックス」の解消とはならない。では、解消策はないのか。それはある。福井提案を徹底させて、可決要件として絶対賛成率を50%以上にすることである。そうすれば「民意のパラドックス」は起きない。それは民主主義の原則に適うことであり、この選択こそ正しい道である。 【論点3】国民への広報活動に致命的な瑕疵があること 与党が現在、成立を強行しようとしている法案は、国民を運動から排除し、最低投票率も定めずに、国民のわずか1割2割の賛成で、憲法改正を通そうという多くの問題点を抱えていることが分かった。同じ欠陥、すなわち国民投票から国民を遠ざけ多様な情報を流通させることに意を用いないという欠陥は、国民投票運動期間における広報活動や広告の問題でも致命的な欠陥となって現われている。 特に問題なのは、まず国民投票運動期間が短すぎるため、国民に配付される「国民投票公報」(以下「公報」)が間に合わないことを強行しようとしている点である。第2に、国民投票運動期間中の広報を管理する広報協議会の構成に大きな問題がある点である。第3に有料広告問題も未解決のままである。以上のように、与党修正案は国民に多様な情報を提供する制度となっていない。 1 運動期間が短すぎる (1)国民への広報による情報提供は不可欠 憲法改正についての最終判断を委ねているが、それは、現在ある「国民」ではなく、主権者として形成されることを含んだ「国民」である。そうした国民形成には、国民投票運動期間に、国民の多くが憲法改正の是非、特質に関する多様な情報を手に入れ、またさまざまな場に自由に参加して自らの判断を形成することが不可欠である。 そのためには、市民の運動や言論の自由の保障とともに、中立的で多様な立場を表明した広報の実行や、十分な熟慮を行なうにたる期間が不可欠である。 (2)「公報」は投票のわずか10日前にしかできない欠陥制度 ところが、その市民への広報を行なう国民投票広報協議会の構成もさることながら、もっとも初歩的な、憲法改正についての「公報」が、投票日のわずか10日前でしかできない制度となっている。このことは、4月17日の参院委員会での審議で公明党の魚住裕一郎議員の質問と船田委員とのやり取りで明らかになった。事情は以下の通りである。 国会での発議のあと、国会内に国民投票広報協議会が開設されるが、ここで、国民投票の「公報」作成が開始される。広報協議会での「公報」づくりには最低1ヶ月はかかるので、でき上がったものを中央選管に届けるのは、最短で発議後30日後(法案18条第1項)。それを中央選管が市町村選管に届け、配付するのに20日かかる。そうすると、法案による運動期間は、最短60日~180日なので、最短の60日と考えると、投票日前、10日になってしまう。そこで、法案は、公報の配付期日を「国民投票の期日前十日」(法案第18条第4項)と規定せざるをえなかったのである。 しかしながら、この制度は与党側委員も自覚する通り、致命的な欠陥のある制度である。もちろん、投票日前10日では国民が、憲法改正の是非についてまともに検討することなど凡そ不可能な短い期間であり、とうてい真面目に国民を主権者に形成していくことを念頭においた制度設計とはいえない。 問題はその点だけではない。投票日前10日というのは、すでに期日前投票が始まっているのである。すなわち法案61条によれば期日前投票は、投票日の14日前から始まる。つまり、国民の一部には公報が渡らずに投票を行うことが予定されているのである。 魚住議員の質問に船田委員はこう答えている。「国民投票公報ですね、いわゆる広報協議会が正式に配布をするものでありますが、これはやはり投票人が投票するに当たって十分に参考にするだろうと思いますので、国民投票公報を期日前投票が開始するまでにできれば配布したい、これが望ましいことと思います。しかし、制度上、発議後に広報協議会が設けられる、そして国民投票公報の原稿を作成をするわけでありますが、発議後、例えば最短では六十日で国民投票が行われると、こういう状況も発生するわけでありますので、広報協議会が中央選挙管理会に原稿を送付するのは早くても国民投票の期日前三十日までとせざるを得ないということ、そしてその後、都道府県及び市町村の選挙管理委員会による印刷、配布に時間を要することを考慮しますと、法律上の義務付けとしては国民投票の期日前十日までに配布をする、そういうふうに規定をせざるを得ないとは思っております」と。つまり期日前投票までには配れないということである。 こうしたことは与党側には十分承知であった。なぜならたとえば、有料広告の禁止期間を与党案は当初投票日7日前としていたのを14日前に修正したが、これは、投票日前7日では、期日前投票を行なう者には、投票日当日まで有料広告の扇情的な広告が流れる危険があり、国民の一部が冷静に判断する「冷却期間」なく投票に入る不都合を勘案してのことであった。 ところがそれにもかかわらず、公報配付という、一層根幹的な制度については、期日前投票の前にさえできなかったのである。さすがにまずいと思ってか、船田委員はこう弁解する。「もっとも、時間的余裕がある限り、国民投票公報を期日前投票が開始するまでに配布するよう努めるということは、これは言うまでもないことでございますので、そのような制度の趣旨にしたいと、こう考えております」と。一体どのような「制度の趣旨」にしたいのか。 (3)投票期間をあらかじめ短く設定したための欠陥 いったいどうしてこのような欠陥制度となったのか。それは明らかである。運動期間を最短60日から180日の間と設定したためである。その最短60日から逆算すると、期日前10日とならざるをえなかったのである。 ではこの欠陥制度はいかにして治癒されるのか。簡単至極である。運動期間を最短の方だけでも変更して、90日から180日とすれば、公報配付は期日前投票日のはるかに前である40日前には行きわたることになる。もしこのような簡単な修正もしないというのであれば、与党案は何が何でも短い期間で、国民が十分に憲法改正是非の判断形成を行う前に投票に持ち込もうと狙っていると勘ぐられても仕方のないことである。 2 広報協議会は、中立多様な広報を保障できる機関となっていない 問題は運動期間だけではない。広報を管理する国民投票広報協議会も重大な欠陥をもっている。 (1)広報協議会を国会に設置することの誤り:検察官と裁判官が同一人物 最大の問題は、国民投票の公平、中立な広報を管理する機関、広報協議会が、ほかでもなく憲法改正を提起する本体である国会の機関として設けられる点である。そのとてつもない問題性を与党側委員は、「改憲案の内容を熟知している国会議員で組織する国会が自ら行なうのがよい」というのである。 4月17日の委員会審議冒頭で、保岡興治委員はこういう。少し長くなるが聞こう。 「憲法改正の発議があったときは、国会に両議院の議員各十名で構成する国民投票広報協議会を設置することといたしております。この広報協議会は、憲法改正案やその要旨、新旧対照表その他参考となるべき事項に関する分かりやすい説明を客観的かつ中立的に記載するとともに、その憲法改正案に対する賛否両方の意見を公正かつ平等に記載した国民投票公報の原稿の作成など、憲法改正案の内容を国民に周知広報する活動を行う機関でありますが、このような周知広報活動は、憲法改正案の内容を熟知している国会議員でもって組織する国会の機関が自ら行うことがふさわしいとの考えから、このようにしているところであります。」と。 これでは、犯罪の容疑者を逮捕起訴した検察官が、容疑の「内容を熟知している」ので、検察官のみで組織した裁判を行なうというのと同様である。これで、保岡委員のいうように「客観的かつ中立的に記載するとともに、その憲法改正案に対する賛否両方の意見を公正かつ平等に記載した国民投票公報の原稿の作成など、憲法改正案の内容を国民に周知広報する活動を行う」ことができる保障はないと考えるのが、憲法にそっている。憲法は、国家権力の濫用を防ぐために周到に手続き的公正を貫徹しているが、与党側のこうした発想は、中立確保の要請すら欠落しているように見える。 これは保岡委員だけではない。船田委員も、広報を行なうのは第三者機関でなく「発議機関としての国会の義務」と答えている。4月25日の委員会での近藤議員の質問に答えて船田委員はこういう。「やはり国会の発議ということで、国会というものは憲法改正案の発議機関としてふさわしい役割を果たすべきであるというふうに解するのが私は順当であると思います。・・・むしろこれは国会の中にこの協議会が置かれるということは、発議者としての私は義務ではないかと、このように考えております」と。 (2)広報協議会は第三者機関として立ち上げるべし ではどうするか。広報協議会は、国会とは別に、独立した第三者機関として設立すべきである。与党側委員は、そんな第三者機関はどう構成してよいか分からないと答えている。25日の委員会において船田委員はいう。「じゃ、第三者機関というのは一体何なのか。恣意的に人選が行われる可能性もあるわけでございまして、不平等が生じる可能性は否めないものと思っております」と。 こうしたときになると諸外国の制度を検討することなどすっかり忘れてしまう。都合のよいときだけ外国をもち出すようなことを止め、このような広報協議会に関してこそ、諸外国ではいかなる工夫がなされているかを検討すべきである。 その点で、23日の委員会で参考人として登場した福井氏の構想は参考になる。福井氏は、広報協議会が「公正らしさ」を確保することが重要であるとして、「第三者のレフェレンダム委員会」のような機関を作るべきであると提言しているが、これは参考になるだろう。 いずれにせよ、国会とは独立した機関のくふうをすべきである。 (3)広報協議会の構成は改憲派の独占 第2に、これまたよく指摘されているように、この広報協議会の構成は国会議員の数に比例して決められるから、広報協議会のメンバーは圧倒的に改憲派によって占められる。これまた問題である。与党側委員は、こうした構成は、広報協議会が国会の機関として設立される以上必然と言っている。船田委員はいう。「やはりあくまで国会の中に置かれる組織である、あるいは国会議員を委員として設けられる組織である以上、やはり会派所属議員数の比率によって配分するということが基本ではないかと、こう私どもは考えております」と。 しかし、公平な第三者委員会として立ち上げるなら、改憲、護憲、中立の三者構成が妥当であろう。国会につくる場合には、中立はいないので、賛成派、反対派の同数で構成すべきである。こうした構成になると、逆に改憲派に不利と委員は言うが、一方で中立公正と言いつつ、改憲派に不利というのはいかなる魂胆があってのことであろうか。 (4)広報の内容は賛否平等か 広報の内容の平等性も疑われる。広報協議会の管轄する広報には、主なものは2つある。ひとつは広報協議会の発行する憲法改正に関する「国民投票公報」(法案第14条第1項)であり、もう一つは、広報協議会の行なう政党等による広報放送並びに新聞広告(法案第14条第1項、第106条、107条)である。これがいかなる具体的な内容となるか、いかなる問題点があるかは、4月25日の委員会における近藤議員と船田委員とのやり取りなどを通じて明らかになった。 (a)国民投票公報は「客観的・中立」が担保されるか まず国民投票公報に関しては、大きく3つの内容から成る。第1は憲法改正案及びその要旨、新旧対照表、「その他参考となるべき事項」として審議経過などを記述した部分、第2が憲法改正案に対する賛成意見、第3が反対意見である。当初、与党は、この賛成、反対部分を政党議席数に比例して配分するというとんでもない方針であったが、衆議院での審議において非難が集中した結果、修正案の段階では賛成、反対部分が対等となった。 衆議院での辻本議員とのやり取りで船田委員が「心を入れ替えた」という発言を引用し、船田委員はこう述べている。「実は、その心を入れ替えると、あるいは考えを変えたという部分は、この委員の構成のところではなくて、正にその公報のパンフレットの中身の問題で修正を加えようとしたわけであります。私どもの原案におきましては、委員の構成もそうなんでありますが、その公報のパンフレットの中身もその賛成、反対の比率に応じてこの分量を決めると、こういうことにしておりましたんですが、それは委員会の中での様々な議論、あるいは公述人、参考人のお話、さらには諸外国の事例なども参考にいたしますと、やはり一たび国会が発議をした後は国民にとっては賛成か反対か、これが問われる問題でありますので、そこはやはり公報を行う上において賛成意見と反対意見を平等に扱うということが、これが諸外国でも取られていることであり、また理論的にもそれが正しい、こういうことで、私自身の考え方をその時点で変えたと、こういうことであります」と。 船田委員によれば、「公報」の3つの部分は、分量的にも1対1対1が基本であるとのことだが、問題は、第1の「客観的・中立的」部分である。他国の国民投票などの公報に関しては、当該議題の賛成と反対がそれぞれ同等に扱われるのにたいして、「公報」に関してはまず第1の部分が確保され、残余の部分が同等という構成になっているからである。この部分の肥大化とその内容如何によっては心を入れ替えたことになるかはあいまいである。 この第1の部分の内容に関し船田委員は、こういう。「具体的には、憲法改正案とその要旨、要綱ですね、それから現行憲法の条文を含めた新旧対照表や参照条文、それから提案理由の説明、そして審議の過程で修正が加えられた場合にはその修正内容と修正案の趣旨説明、そして国会における審議の経過などであります。このことについては、それが賛成意見に有利かどうかということは私はあり得ない、ごく中立的なものであると考えております」と。 しかしこの点は船田委員の言説にとどまるものでなんら保障はない。特に、こうした中立性を担保する人的構成の平等性は拒否されているため、この保障はないといわねばならない。船田委員は、審議過程でしばしば譲歩を行ない、「心を入れ替える」が、公務員を政治活動規制の適用除外にするといった約束があっという間にひっくり返ったことにみられるように、制度的な保障をもたない場合には極めて心もとない。 (b)政党等による広告放送と新聞広告 ここで、「公報」と全く同じ問題が生ずる。与党原案では、その配分時間、スペースが政党議席数に比例して配分されるという著しく不平等な原則であったが、それは撤回され、与党修正案では、広報協議会による客観的中立的な放送、スペースと残余の部分の賛成、反対同等の政党等による広告となる。しかしここでも、最初の中立的部分の放送枠や新聞広告スペースがいかなるものになるかによって、構成はがらりと変わる。ほかでもなく、この「中立的」部分を決めるのが広報協議会であるから、その人的保障はないといわねばならない。 (c)なぜ政党だけなのか そして、政党等による無料広告放送、新聞広告の最大の問題点は、このスペース、時間が、政党とその「指名する団体」に限られ、市民団体や労働組合などは、それとして広告枠を得られない点である。 しかしこれは、憲法改正、改正反対運動の実態にも全く合っていない。確かに改正運動においては自民党も中心のひとつだが、改憲団体の方がはるかに一貫して活動しており、その発表する改正草案をみても、主力はこれら改憲団体である。他方改憲反対運動についてみても、こちらも共産党や社民党、新社会党などの政党の活動もさることながら、9条の会をはじめとした憲法改正反対の市民団体の活動が大きい。こうした市民団体の声は、入れる気ならいくらでも工夫はあるのに、与党案は、政党の指名団体に制限している。衆院段階での議論を上回るものではない。 問題はこれが憲法改正の実態にそぐわないという点にあるだけでなく、より原理的な政治的表現の自由、知る権利にかかわる問題を孕んでいることである。憲法改正是非の言論において政党が優越的地位を受ける憲法上の根拠は存在しない。百歩譲って政党枠を優先するにしても、賛成、反対同等の時間帯、スペースの中で、市民団体や個人の発言についての平等ルールの確保は不可欠である。その具体化はいくらでも工夫はできる。むしろ与党側はやる気になれば、知恵を求めればよい。 3 有料広告放送や運動期間中の報道の枠組みについては全く議論が進んでいない 最後に、有料広告放送や、期間中の報道の公正性と多様な報道内容の確保をめぐる大きな問題があるが、これは、事柄の大事さにかかわらず、参議院の審議でも、ほとんど進んでいない。 (1)有料広告の野放し問題 一番問題なのは、有料広告野放し問題だが、これについては、参院でも実質的に審議は進んでいない。有料広告が野放しになれば、企業スポンサーとなった改憲スポットCMが氾濫する危険については、与党側はまともな答えをしていない。4月16日本会議で社民党の近藤議員が質問し、また17日の委員会審議では公明党の魚住議員が質問しているが、以下のような立論のくり返しである。 船田委員は、金力による広告、また扇情的な広告の問題を認識しながら、「広告主の表現の自由」とのバランスをとると称して、投票日前14日の禁止を繰り返すのみである。 以下のごとくである。「今、中川委員御指摘のように、私どもの案におきましては、特に電波によるメディア、つまりテレビ、ラジオ等でございますけれども、これにつきましては、今御指摘のように、国民の感情に訴えたり扇情的なものとなってしまう、そういう可能性があるということで、この放送メディアにおける広告についてはやはり何らかの規制といいましょうか、必要であると、こういうことでございます。 しかし、また一方では、広告主のいわゆる表現の自由ということもやっぱり保障しなければいけない、こういうふうに思っておりまして、民主党さんともいろいろ衆議院の段階で様々な話合いをいたしましたけれども、民主党さんは、最終的にこの放送メディアにつきましては有料広告は全面禁止と、こういう形で出してこられました。 我々も耳を傾けて、そういうこともあるかもしれないと、こう考えていたんですが、やはり今申し上げたような広告主の表現の自由という観点も考えるとちょっとそれは行き過ぎなのかなと、こういう感じでございまして、私どもとしては、ちょうど期日前投票、これ十四日前から始まるわけでございますが、その期日に合わせる形でやはり十四日間禁止ということが最もそのバランスが取れているんではないかということで採用させていただいたわけでございます。」と。 しかし、この問題については、賛否平等な枠の設定、低料金の設定などを条件に公平な広告の枠組みを整備するなど、工夫の余地はあり、民主党の主張する全面禁止案も含めて、改めて委員会で審議し内容を詰めることが求められている。この問題ひとつとっても、法案では根本的な議論の必要な論点が多く」残っていることが分かる。 (2)放送法第3条の2第1項の「留意」規定追加の意図 有料意見広告野放し問題と並んで重大な論点は、与党修正案段階で急遽挿入された、放送事業者が「国民投票に関する放送については放送法第3条の2第1項の規定の趣旨に留意する」とした規定(法案第104条)の問題である。 この規定は明らかに、国民投票法案修正に対する自民党内での巻き返しの一環で挿入されたものである。与党が、民主党との修正協議をくり返し、何とか民主党を巻き込む努力を続けてきたことにたいし、自民党内や、タカ派のイデオローグから、民主党に譲歩しすぎて、法案が国民投票否決法案と化しているという非難が台頭し、それをうけて自民党執行部は内容についても強力な巻き返しにでた。それが、国民投票運動に関しては公務員の政治活動規制を適用除外にするという約束の破棄であり、放送法第3条の2第1項への言及の挿入であった。 この規定の意図はその意味では露骨である。先の有料広告野放し問題とは逆に、こちらは、国民投票、憲法改正をめぐる報道を規制し、改憲の賛否をめぐる活発な議論の巻き起こるのを抑え込もうという意図にもとづくものである。それは、参院での自民党議員の質問からも分かる。 たとえば、4月17日委員会での自民党中川雅治議員の質問をみよう。 「実際に、テレビの影響は大変大きいと思います。番組の中でキャスターの方が意見を言うということは番組として当然だという見方もあるわけですけれども、一方で、テレビの影響は非常に大きいので、この点いろいろ考えていくべきではないかという意見、それからやはり、それに対しまして、いわゆる放送事業につきましては当然表現の自由があるわけでありまして、こうした今のこの原案の規定でも萎縮をするということで、これはやはり公平に心掛けなければならないということは、これは自己規制に任すべきであって、法文上こういった規定を置くことも問題だと、こういう意見と両方あると思います」と。 それを受けて船田委員も、この間のテレビのやらせ問題をあげながら、規制の必要を示唆している。ここに放送法第3条の2第1項の挿入の意図が語られている。 「ただ、最近のテレビ等の番組の実態というものを考えてみますと、これは案件も違うわけであります、杞憂に終わればいいと思うんでありますが、一部の報道におきまして番組の内容が捏造される、こういった事態も一方では発生をしている、これは事実でございます。そういったことも考えると、私は決して、だからといって規制を設けるということはよろしくないと思います。あくまで放送事業者の自主的な是正、あるいはマスコミ界全体における浄化作用というものに私は期待をしたいと思っております。ただ、やはり国民投票運動の中におけるテレビ、ラジオの番組や新聞などにおきましてもそうなんでありますけれども、やはり事実と違う内容を伝える、あるいはいろいろと意見が分かれているときに一方的なコメントだけを行うということは、やはりよろしくないことだろうというふうに思っております。そこで、様々な議論ありましたけれども、私どもの修正案におきましては、特に放送事業者の皆様に対してでございますが、国民投票に関する放送については、政治的公平性等を定めた放送法第三条の二第一項の規定の趣旨に留意してほしいと、こういった念のための措置を書かせていただいたということでございます」と。 改正されたての放送法に規定があるのをわざわざここに書くことの意味は、法的、政治的にも小さくない。これで、与党は、個々の放送内容についても圧力をかけ、放送事業者の一層の自主規制を促進する梃子をえたのである。 さすがにこの点は、4月27日に行われたメディア関係者の参考人質疑において問題点が指摘された。しかし、この点も、未だ削除の検討に至っていない。 船田委員は、当然この規定の意味と効果を理解しているが、表面では新たな規制を設けるわけではないことを強調している。 「やはりこの国民投票運動につきましては、すべて初めてやることでありまして、このことについて決して新たな規定を設けるということではありませんけれども、やはり放送法の3条2第1項の規定がありますということを注意喚起をすると、こういう意味であえて同じ趣旨で書かせていただいていると、留意をしていただきたいということを書いております。決して新たな規制を設けるつもりもございません。」 もし船田委員の言うように、それが念のため規定であって、注意喚起にとどまるならば、ことさらに国民投票問題で、規定を入れる必要はないわけであって、この規定の削除はぜひとも必要である。 与党公明党の魚住議員も、4月17日の委員会質疑において鋭くこの点を衝いて質問している。 「だけど、この放送法は三条の二にあるんですよ。この国民投票法案は百四条じゃないですか。頭にある方が皆さん、放送事業者の皆さん、しっかり認識していると私は思うんですけれどもね。あえてここに書き込む、まあでもこれ、民主案もそうやっているしねというのはあるんですけれども、私個人ではちょっと解せないかなというふうに思っております」と。 この規定は削除しなければならない。
4月19日の委員会審議において民主党の水岡議員の追及に答えて、葉梨議員はこう言う。「教育者の地位利用については、行政罰とはいえ、教育者としてやっていくことはいけないということが一つございます。この地位利用とそれから政治的行為の制限というのは、当然、もう釈迦に説法かも分かりませんが、切り分けて考えられているというふうに思います。」と。
すなわち4月19日の委員会での民主党藤末健三議員が最低投票率制度をもっている国とそれを明文憲法で明記している国との異同を調べ、与党側を追及した。与党側は公明党の赤松委員が防戦に努めたが、明文に規定していない国でも最低投票率制度をもっている国が存在するため、与党の論拠は崩れた。藤末議員はこう言う。「こうやってぱっと見ると、憲法上、最低投票率が定められているというところというのは半分ぐらいしかないですよね、恐らく似たような調査使われていると思うんですけれども。それをもってして憲法上最低投票率の定めがないと、外国の例を引いて、ないから、いや、できないんですよということは僕は論理的にちょっと難しいんじゃないかと思うんですが、いかがですか、そこについて。取りあえずこの点だけははっきりさせていただきたいと思います」と。
それに対し赤松委員は「予党側が最低投票率制度に反対するのは別の論拠もあるからだ」と、事実上この理由が成り立たないことを認めざるをえなかったのである。
「昨日からも申し上げておりますように、今、藤末議員もおっしゃったように、このことだけをもってどうこうというのはおかしいだろうということを今言われましたけれども、昨日来、複合的な要素、憲法第九十六条に加重な要件を加えるべきではないというようなこと、あるいはボイコット運動を惹起させる、誘発させるというふうなこと、それからいわゆる小さいテーマ、そういった、(発言する者あり)いや、そういうふうなことも複合的な意味で勘案してこういう結論を出していると、こういうことでとらえていただきたいと思います」と。