曽々木

豪壮 上時国家(かみときくにけ) CubicVR:994K

 民家なのに何とも豪壮な上時国家。

 実は時国家は、平家の子孫。

 壇ノ浦の合戦後、能登に流され、生き延びた平時忠の子・時国はこの地に住みつき豪農となりました。以来、時国家は現当主まで25代と続く家柄。現存する家屋は1808年(文化5)から28年かけて築かれた茅葺きの入母屋造。大屋根は高さ18メートルあり、いわば4〜5階建てのビルを木と茅で造ったような凄さです。

 


 曽々木 上時国家

玄関 CubicVR:474K

 玄関は唐波風総けやき造り。中へ入ると大屏風と重厚な欄間が出迎えてくれ、民家とはいえ随所に武家を彷彿とさせる格式の高さを感じさせます。

 

 

 曽々木 上時国家

御前の間 CubicVR:531K

 御前の間は書院造りで、大納言の格式を表すために縁金折上格天井(ごうてんじょう)になっています。

 加賀百万石藩主(中納言)も、この部屋には自分の格では入ることが出来ないと言い、天井に紙を貼ることで格式を崩して入室されたとの話も残っています。

 また襖には平家定紋「丸に揚羽蝶」が描かれています。

 

 

 曽々木 上時国家

庭園 CubicVR:625K

 庭園は鎌倉時代の様式とされ、平庭には「心」という文字の形に池を配置、また高庭は自然の地形巧みに利用した独特の作風となっています。

 

 

 曽々木 上時国家

居間 CubicVR:526K

 囲炉裏が切られた居間。当時から近隣の一般客が寄り集まることも多く、こちらは土間から上がってこの居間を使わせてもらっていたようです。

 時代が下ると、家の歴史や古い家屋に興味を示す人たちの訪問が増え、居間はそんなお客様のもてなしの場となります。そして1950年代に正式に一般公開を始め、観光用民家公開の先駆けとなりました。1960年には県の指定文化財になっています。

 この居間がまた広い。一般の民家では大広間と呼ばれてもおかしくないですね。太い柱と、部屋を仕切る襖や障子戸。直角に交差する直線で構成された典型的な日本家屋の美。とても落ち着いた気分になれます。

 

 

 曽々木 上時国家

台所 CubicVR:329K

 賓客の来訪時の豪勢さと多忙さが容易に想像できる広い広い台所。とてもきれいに手入れがなされています。そして大きな流し台の隅に黄色い花が一輪。格式と気配りはしっかりと引き継がれているなと実感しました。

 こちらにも囲炉裏が切ってあります。お手伝いの人たちの部屋なのかな。いったい何人居たんだろう。

 

 

 曽々木 上時国家

土間 CubicVR:888K

 一般の民家がそのまま入るくらいの広さと高さを持った土間。

 上部の梁は松の芯材だけを使い、その周囲は2メートルもあります。ここからは大屋根最頂部の内側を見ることができます。梁にはお籠が三基。

 また時国家のMyキリコが。栄華を極めた頃のそれはさぞや豪華なものだったことでしょう。

 

 

 曽々木海岸

窓岩 CubicVR:854K

 曽々木海岸から海に突き出た大きな岩盤。その真ん中にこれまた大きな穴があいています。奇岩「窓岩」です。

 こちらは義経伝説。富来町から輪島、珠洲にかけて源義経一行が立ち寄ったといわれる義経伝説が多く残っており、ここは義経が弓を射た穴だと言われているそうです。

 海岸沿いから撮った写真は多くありますが、ぐるぐる(CubicVR)の撮影に向かないし迫力に欠けるので岩場を登ってぐっと寄ってみました。穴は大人がしゃがんで通れるくらいあり圧倒的な重量感で迫ってきます。周囲から聞こえる波の音と相まってとても迫力があります。

 この窓岩、横から見るとこれが薄い板状の岩盤となっており、厳しい奥能登の冬の風雪によく耐えているなと感心しました。

 上時国家は、ここから山手に500メートルほど入った程近い場所にあります。幕府直轄領の庄屋で、回船業もこなした家柄だったと伝えられているので、この窓岩を目印に多くの船が行き来していたのかもしれません。

 

 

 曽々木海岸

千枚田 CubicVR:728K

 海に向かって広がる12ヘクタールほどの斜面に2,000枚以上の田んぼが配されています。

 千枚田は、非常に日当たりが良いため、すし飯にもできるほど美味しい米が収穫されます。機械を入れることができず手作業に頼らざるを得ませんが、ボランティアの人たちの協力もあり、伝統は引き継がれています。

 近くで見てみると、これがまた本当に小さいのがあり、「枚数を数えてどうしても一枚足りないと思ったら、自分の足下に一枚あった」何て話も何の違和感もなかった。