ひぐらしのなく頃に 考察

最終更新日:2004/11/02

はじめに

たまには座り込んで休憩しよう。

更新履歴

この考察のコンセプト

ここでは推理を離れ「ひぐらしのなく頃に」という作品が取り巻く環境にまで目を向けてLETTERが思ったことを徒然と述べた文章を掲載していきます。ほとんどの文章は日記に投稿した文章を加筆、修正したものです。

私とひぐらしの出会い

「ひぐらしのなく頃に」の体験版の終了後に書いた感想は以下の通りです。

私がひぐらしを知ったのは、確か綿流し渡辺製作所の雑記だったと思います。で、ちょうど夏休みで暇でしょうがなかったので体験版をやりました。その結果は上記の通り。この頃はまだ犯人が人間だとは考えていなかったんじゃないかな、確か。ひぐらしのいわゆる「ギャルゲー」テイストももちろん面白いのだけど、それを求めるのならば、例えば「CLANNAD」でもやればいいんです。私が考えるひぐらしの魅力とは上記でも書いたとおり、やはり「恐怖」であり「推理」です。真相を討論するために、私の友人らにも積極的に勧めたのですが、私の日記を読んで始めたTAKさんを除いて、誰一人としてやってくれませんでした…。おかげで自分のウェブサイトでこんなへっぽこ推理を掲載するまでに至ったわけです。

CROSS†CHANNELとの相似点(2004年9月21日の日記より)

(以下の文章にはCROSS†CHANNELのネタバレがあるのでプレイする予定のある方はご注意ください!)

全編を通して読んでみてその世界設定について思ったことがある。それはCROSS†CHANNELとの相似性だ。
「ひぐらしのなく頃に」を読んだ方はお分かりかと思うが、綿流し編、崇殺し編は鬼隠し編の続編にあたるのではなく、同じ時間、同じ設定を基にした「別の選択肢」を選んだ場合の話である。本来選択肢がない「ひぐらし」において、最初に行う話の選択こそがこのゲーム最大の選択肢となっていることを意味するのであろう。
CROSS†CHANNELをやってない方のために内容を簡単に記すと(とんでもないネタバレなので注意)、CROSS†CHANNELではプレイヤーと放送部の部員たちは他の人間が一人もいない地球で同じ一週間を何度も経験することになる。その一週間が終わると部員たちは記憶が消された状態で強制的に一週間前に戻されることになる。その時までに死んだ人間も元通りになっている。つまり世界はループしており、そのループの継ぎ目をループ内の人間は認識できないでいるという設定だ。
一週間の中で主人公は選択肢から選ぶという形式で毎回異なる行動を取ることができる。しかしそれ以外のループ内の人間達は基本的には毎回全く同じ行動を取り続けるので、彼らが通常と変わった行動を取るときには唯一選択肢をとり得る「主人公」と関わっている。そして主人公は一週間の間に壊れきった部員の絆を取り戻しハッピーエンドに持ってゆこうといろいろと模索するのだが、どれも上手くいかない。そして最終的に主人公が選んだ道とは、プレイした人ならよく知っている「観測」であった。
さて、このように考えてみると、ひぐらしもCROSS†CHANNELもループしている世界での話であることが分かってくる。また唯一それを知っているのはプレイヤーだけである点も共通している(CROSS†CHANNELの登場人物も世界がループしていることを知ってはいないが、「ループしていない場所を発見」することで知り得るのである)。「ひぐらし」における話ごとの展開の違いが生まれる原因とは既に多くの方が考えている通り「規格外の行動を誰かが取ったため」に当たるだろう。その結果として主人公(圭一)を始めとする多くの人間の運命が変化している。この違いに気づき得るのはプレーヤーだけであるが、その違いが主人公によってのみもたらされたものではないことにまで頭を向けなければ、この物語の深層まで考えるのは難しいように思える。
圭一は流れを断ち切ることができるのかどうかは繰り返されるループによって得られるものであるだろう。では「ひぐらし」における「ハッピーエンド」とは何なのか。石臼を止めることができる正しい選択肢の選び方とは何なのか。その答えはひぐらしだけが知っているのかもしれない。

ひぐらし掲示板考察(2004年10月15日の日記より)

最近どこかでひぐらし専用掲示板(ネタバレあり)が混沌と化してしまい、見るのが嫌になったという文章を見た気がします。
まぁこれだけひぐらしの人気が出てくれば様々な人が様々な推理や意見を持つのは当たり前のことで、その結果スレッドの中で「AはBである」という意見に対し、「いや、AはBではないのではないか?」とか「そうではなくてAはCである」とか多種多様な意見が氾濫し、さらにそれらに対するレスが付き、これの繰り返しによって掲示板の可読性は低下するのは掲示板というシステムから考えても仕方がないことといえます。「なりきりはキモイ」とか、スレッドの内容に直接関係ない意見で読みにくくなっているのは個人的にはおかしいと思いますけどね。
さらに最近ではユーザ数の増加に伴って新しいスレッドが乱立し、それが既出なのかすら分からなくなっています。これが掲示板で推理することの限界値であるともいえます。
自分の推理を発表する方法は他にも、僕のように自分のウェブサイトで公開する方法や、2ちゃんねる、チャット、オフラインで討論、などがあります。しかしどれも一長一短で、どの方法が一番ということではありません。例えば自分のサイトで公開することは、自分の推理を誰にも邪魔されずに語れるが、その推理に対する意見がなかなか返ってこない。オフラインでの討論は推理に対する意見がダイレクトに返ってくるが、資料がないため議論が充実しないし構成が弱いため説得力に欠ける。一番(意見交換が柔軟に行われて)よい方法はチャットであると私は思います(が、こないだのチャットのようにLETTERみたいなでしゃばりがいるとやっぱり一方通行の推理しか起こらなくなりますので注意)。
さて、最近の掲示板で一番問題だと思うのは、「冒頭の詩」の謎をぜんぜん関係ないスレッドでばらしてしまっていることだと思うのですが、ここでは個人スレの話に絞ってみます。
最近個人スレ(自分の推理を中心に立て、それに対する反論とスレ主によるさらなる反論が繰り広げられているスレッドのこと)が目立ってきたような気がする(もっともしばらく掲示板を見ていなかったので実際は以前からそうだったのかもしれないけど)。一概に個人スレを悪く言うつもりは勿論ないけど、他と比較すると発言数がかなり多いように感じます。これは反論、同意、反論に対する反論、が絶えず起こるために少人数の書き込みであっても長いスレッドになってしまうわけですが、そうなってしまうとツリー構造で見ると、当人以外にはもう何がなんだか訳分からないスパゲッティー状態になってしまいがちです。スレ主が最初から反論を押さえつけられるだけの証拠を持って書き込んでいればこんなことにはならないかもしれませんが、ひぐらしという作品柄、それは難しいでしょう。
そこで、これから個人スレを立ち上げたい人にお勧めしたいのは「ブログ」です。これなら本筋を書き込むのは管理人だけに留まり、それに反論という形でコメントする。コメントが長くならないように記事を細かくぶった切っておけば可読性や第三者の関与も、ある程度は確保できるのではないでしょうか。
問題は十分なコメントを得られるだけのアクセス数を得られるかですが、今ならコマイズムさんひぐらし検索などに掲載されればそれなりのアクセスがあると思います。参考までにLETTERの場合ですと、綿流し編考察の公開から4日で800PVを獲得できましたから、アクセス数の確保は工夫次第でしょう。
もっと掲示板はいろんな柔軟な意見で殺伐としているべきなんだ。そして自分の推理にそれなりの自信がある人は、どんどん掲示板から離れていくべきだと思います。

未考察のテーマ

そのうち文章にする予定のリストです。

他の文章

ほかの「ひぐらしのなく頃に」関連文章です。

最後に

ここまで読んでいただきありがとうございました。この文章が貴殿にとって少しでも事件解決への手掛かりになれば幸いです。
この文章について意見、感想、異論反論等がある方は是非LETTERまでメールをお寄せください。
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