三 国 演 義
明の羅貫中の撰     
【本 文】 【補 注】
  詞に曰く、
   滾滾たる長江 東に逝く水、浪花は淘
(さら)ひて英雄を尽す。
   是非成敗も頭を転
(めぐら)せば空し。
   青山は旧に依りて在り、幾度か夕陽 紅。

   白髪の漁樵 江渚の上、慣れたり秋月春風を看るを。
   一壺の濁酒もて相逢ふを喜ぶ。
   古今 多少の事、都
(すべ)て付す 笑談の中。
*   *   *
  
第 一 回 桃園に宴して豪傑 三たり義を結び
黄巾を斬りて英雄
(はじめ)て功を立つ
 
 話説す 天下の大勢は、分かれて久しければ必ず合し、合して久しければ必ず分かる。周末に七国 分争(わかれあらそふ)するも、秦に并入(あはせいる)す。秦滅の後に及んでは、楚・漢 分争するも、又た漢に并入す。漢朝は高祖の白蛇を斬つて起義(=旗揚げ)してより、天下を一統す。後来(のち)光武 中興し、伝へて献帝に至り、遂に分かれて三国と為る。其の致乱の由を推せば、殆ど桓・霊二帝に始る。桓帝は善類を禁錮して、宦官を崇信す。桓帝の崩ずるに及んで、霊帝の即位するや、大将軍・竇武、太傅・陳蕃、共に相輔佐す。時に宦官・曹節等の権を弄べば、竇武・陳蕃は之を誅さんことを謀るも、機事(はかりごと) 密ならず、反つて害する所と為る。中涓〔補注1〕は此より愈ゝ横たり〔補注2〕
  • 〔補注〕1 中涓は、宦官のこと。
  • 〔補注〕2 「横たり」は、「専横を極めた」の意。
 建寧二年四月望日、帝 温徳殿に御す。殿角に狂風 驟(には)かに起ち、只だ見るは一条の大青蛇の、梁上より飛びて将に下り来り、椅上に蟠れるを。帝 驚倒すれば、左右は急ぎ救ひて宮に入り、百官は倶に奔りて避く。須臾にして、蛇は見えざりき〔補注3〕。忽然として大雷・大雨し、加ふるに冰雹を以てす。落(ふ)ること半夜に到りて方に止むも、壊却せる房屋 数ふる無し。建寧四年二月、洛陽 地震し、又た海水 泛溢すれば、沿海の居民は、尽(ことごと)く大浪を被りて海中に捲入す。光和元年、雌鶏 雄に化す。六月朔、黒気 十余丈、飛びて温徳殿中に入る。秋七月、虹有りて玉堂に見ゆ。五原の山岸、尽く皆な崩裂す。種種の不祥、一端に止まるに非らず〔補注4〕。帝は詔を下して羣臣に問ふに災異の由を以てすれば、議郎・蔡[巛+邑 Unicode : 9095]の上疏するに、以て[虫+兒 Unicode : 873A]の堕し鶏の化するは、乃ち婦寺(=婦人と宦官)の政を干(をか)すの致す所と為し、言 頗る切直たり。帝 奏を覧じて歎息し、因りて更衣に起つ。曹節は後に在りて竊視し〔補注5〕、悉く左右に宣告す〔補注6〕。遂に他事を以て[巛+邑 Unicode : 9095]を罪に陥れ、放ちて田里に帰す。後ち張譲・趙忠・封[言+胥 Unicode : 8ADD]・段珪・曹節・侯覧・蹇碩・程曠・夏[(恒−亘)+軍 Unicode : 60F2]・郭勝の十人の朋比 奸を為せば、号して「十常侍」と為す。帝 張譲を尊信し、呼びて「阿父(おとうさん)」と為し、朝政 日ゝ非(そむ)き、以て天下の人心の乱を思ふに致り、盗賊 蜂起す。
  • 〔補注〕3 「見えなくなった」の意。
  • 〔補注〕4 後漢書霊紀・建寧四年二月に「地震(なゐ)し、海水 溢れ、河水 清(す)む」と。同じく光和元年夏に、「侍中寺の雌鶏 化して雄と為る」と、同じく「六月丁丑、黒気 御する所の温徳殿の庭中に堕する有り。秋七月壬子、青虹 御坐せる玉堂後殿の庭中に見はる」と見える。また『捜神記』巻六に「霊帝の光和元年に、南宮の侍中寺、雌鶏 化して雄と為る。一身の毛 皆な雄の似(ごと)くなるも、但だ頭冠のみ尚ほ未だ変ぜず」と。同じく「漢の桓帝の即位するに、大蛇の徳陽殿上に見るゝ有り。洛陽市の令・淳于翼の曰く、『蛇に鱗有り、甲兵の象なり。省中に見るゝは、将に椒房・大臣の甲兵を受くるの象有らんとすればなり』と。乃ち官を棄てゝ遁れ去る。延熹二年に到り、大将軍・梁冀を誅し、家属を捕治し、兵を京師に揚ぐるなり」と見える。また後漢書霊紀・光和六年秋に「五原の山岸 崩る」と見える。「一端に止まる非らず」は、「一つや二つではなかった」の意。
  • 〔補注〕5 歎息の後に更衣に立ったのは、ある種の祝祓的行為か。「竊視」は、「盗み見る」「のぞき見る」の意。
  • 〔補注〕6 「宣告す」は、「言いふらした」の意。
 時に鉅鹿に兄弟三人有り。一名(ひとり)は張角、一名は張宝、一名は張梁と。那(か)の張角は本と是個(これ)秀才に第せず、因りて山に入りて薬を採るに、一老人に遇ふ。碧眼・童顔、手に藜杖を執る。角を喚(よ)びて一洞中に至り、天書三巻を以て之を授けて曰く、「此れ『太平要術』と名づく。汝 之を得て、当に天に代りて宣化し、普く世人を救ふべし。若し異心を萌(きざ)せば、必ず悪報を獲ん」と。角 拝して姓名を問ふ。老人の曰く、「吾は乃ち南華老仙なり」と。言ひ訖(をは)るや、陣〔補注7〕の清風と化して去る。角 此の書を得て、暁夜攻習すれば、能く風を呼び雨を喚ぶ。号して「太平道人」為す。中平元年の正月の内に、疫気流行す。張角は符水を散施し、人の為に病を治して、自ら「大賢良師」と称す。角は徒弟五百余人有り、四方に雲游し、皆な能く符を書き呪を念ず。次後(このゝち) 徒衆日ゝ多くなれば、角は乃ち三十六の方(くに)を立て、大方は万余人、小方は六七千とし、各ゝ渠帥を立てゝ、称して「将軍」と為す。訛言すらく、「蒼天 已に死し、黄天 当に立つべし。歳は甲子に在り、天下 大に吉なり」と。人をして各ゝ白土を以て、「甲子」の二字を家中の大門上に書かしむ。青・幽・徐・冀・荊・揚・[亠+兌 Unicode : 5157]・豫 八州の人、家家に「大賢良師・張角」の名字を侍奉す。角は其の党の馬元義を遣し、暗(ひそか)に金帛を齎して、中涓の封[言+胥 Unicode : 8ADD]と結交し、以て内応と為す。角 二弟と商議して曰く、「至(もつと)も得難き者は、民心なり。今 民心 已に順ふ、若し勢に乗じて天下を取らずんば、誠に惜む可しと為す〔補注8〕」と。遂に一面〔補注9〕で黄旗を私造して、挙事を約期し、一面で弟子の唐周をして、書を馳せて封[言+胥 Unicode : 8ADD]に報ぜしむ。唐周は乃ち逕(たゞち)に省中に赴きて変を告ぐ。帝 大将軍・何進を召して兵を調はしめ馬元義を擒にして、之を斬る。次いで封[言+胥 Unicode : 8ADD]等一千人を収(とら)へて獄に下す。張角は事の露はるゝ〔補注10〕を聞知し、星夜〔補注11〕に挙兵し、自らは「天公将軍」称し、張宝は「地公将軍」と称し、張梁は「人公将軍」と称す。衆に申言して曰く、「今 漢運 将に終らんとし、大聖人 出づ。汝等 皆な宜しく天に順ひ正に従ひ、以て太平を楽むべし」と。四方の百姓の、黄巾を裹(かぶ)りて張角に従ひて反する者四五十万なり。賊勢 浩大、官軍は風に望みて靡くがごとし。何進は帝に奏して、火速(すみやか)に詔を降し、各処をして備禦し、賊を討ちて功を立たしめ、一面で中郎将の盧植・皇甫嵩・朱儁を遣し、各ゝ精兵を引ゐ、三路に分れて之を討たしむ。
  • 〔補注〕7 「陣」は、「一陣の」の意。
  • 〔補注〕8 「きっと後で悔やむぞ」の意。
  • 〔補注〕9 「一面」は、「一方で」の意。
  • 〔補注〕10 「陰謀が露見したこと」の意。
  • 〔補注〕11 「星夜」は「夜の明けぬうちに」の意で、「星空」の意ではない。
 且説(さて) 張角の一軍、前(すゝ)みて幽州の界分を犯す。幽州太守の劉焉は、乃ち江夏・竟陵の人氏、漢の魯の恭王の後なり。当時(このとき) 賊兵の将に至らんとするを聞き得て、校尉の鄒靖を召して計議す。靖の曰く、「賊兵は衆(おほ)く、我が兵は寡(すくな)し。明公(との) 宜しく速に軍を招き敵に応ずべし〔補注12〕」と。劉焉は其の説を然りとし、随即(すなは)ち榜を出だして義兵を招募す。榜文 行きて[シ+(冢−冖) Unicode : 6DBF]郡に到り、[シ+(冢−冖) Unicode : 6DBF]郡中の一個の英雄を引き出だす。那(か)の人は甚だ読書を好まず、性は寛和、言語を寡くし、喜怒 色に形(あらは)さず。素より大志有り、専ら天下の豪傑と結交するを好む。生得の身長(みのたけ)七尺五寸、両耳は肩まで垂れ、双手は膝を過ぎ、目は能く自ら其の耳を顧み、面は冠玉の如く、脣は脂を塗れるが若し。中山靖王・劉勝の後、漢の景帝閣下の玄孫。姓は劉、名は備、字は玄徳なり。昔 劉勝の子の劉貞、漢武の時に[シ+(冢−冖) Unicode : 6DBF]鹿亭侯に封ぜらるゝも、後ち酎金に坐して侯を失ふ。此に因りて這の一枝を遺して[シ+(冢−冖) Unicode : 6DBF]郡に在り。玄徳の祖は劉雄、父は劉弘なり。弘は曾て孝廉に挙げられ、亦た嘗て吏と作(な)るも、早(つと)に喪ふ〔補注13〕。玄徳は幼くして孤となり、母に事へて至孝、家貧しく、[尸+(彳+婁) Unicode : 5C68]を販(ひさ)ぎ蓆を織りて業と為す。家は本県の楼桑村に住す。其の家の東南に、一大桑樹有り、高さ五丈余、遥に之を望めば、童童として車蓋の如し。相者の云はく、「此の家は必ず貴人を出ださん」と。玄徳 幼時、郷中の小児と樹下に戯れて曰く、「我 天子と為り、当に此の車蓋に乗るべし」と。叔父の劉元起は其の言を奇として曰く、「此の児 非常の人なり」と。因りて玄徳の家の貧なるを見、常に之に資給す。年十五歳、母は游学せしめ、嘗て鄭玄・盧植に師事して、公孫[王+贊 Unicode : 74DA]等と友と為る。劉焉の榜を発して軍を招く時に及び、玄徳 年已に二十八歳なり。
  • 〔補注〕12 原文「明公宜作速招軍応敵」。文中の「作」は「実行する」の意。
  • 〔補注〕13 「喪ふ」は、「亡くなった」の意。
 当日(このひ)榜文を見了り、慨然として長歎す。後ろ随(よ)り一人 声を[厂+萬 Unicode : 53B2](はげ)まして言ひて曰く、「大丈夫〔補注14〕 国家の与(ため)に力を出ださずに、何の故にか長歎する」と。玄徳 其の人を回視(かへりみ)れば、身長八尺、豹頭環眼、燕頷虎鬚、声は巨雷の若く、勢は奔馬の如し。玄徳は他(かれ)の形貌の異常なるを見、其の姓名を問ふ。其の人の曰く、「某(それがし) 姓は張、名は飛、字は翼徳。世ゝ[シ+(冢−冖) Unicode : 6DBF]郡に居り、頗る荘田有り、酒を売り猪を屠り、専ら天下の豪傑と結交するを好む。今纔(いましも) 公が榜を看て歎ずるを見、故此(そのため)に相問ふ」と。玄徳の曰く、「我 本と漢室の宗親、姓は劉、名は備。今 黄巾の倡乱するを聞き、志は賊を破りて民を安んずるに有るも、力 能はざるを恨む。故に長歎す」と。飛の曰く、「吾 頗る資財有り、当に郷勇を招募して、公と同(いっしょ)に大事を挙ぐべし。如何」と。玄徳は甚だ喜び、遂に与同(とも)に村店中に入りて飲酒す。正に飲める間(とき)、一大漢の 一輛の車子を推着しつゝ〔補注15〕、店門首に到りて歇(やす)み了(た)り。店に入り坐下し、便ち酒保〔補注16〕を喚びて、「快(と)く酒を斟(つ)ぎ来たれや、我 [走+旱 Unicode : 8D95](いそ)ぎ城に入りて軍に投ぜんとす」と〔補注17〕。玄徳 其の人を看れば、身長九尺、髯長二尺、面は重棗の如く、脣は脂を塗れるが若し。丹鳳の眼、臥蚕の眉、相貌堂堂として、威風凛凛たり。玄徳は就ち他を邀へて同坐し、其の姓名を叩(と)ふ。其の人の曰く、「吾 姓は関、名は羽、字は長生、後に雲長に改め、河東・解良の人なり。本処の勢豪の、勢に倚りて人を凌ぐに因り、吾に殺され了(た)〔補注18〕。難を江湖に避けること、五六年。今 此の処で軍を招きて賊を破ると聞き、特(わざわざ)来たりて応募す」と〔補注19〕。玄徳 遂に己が志を以て之に告ぐ。雲長 大に喜ぶ。同に張飛が荘上に到り、大事を共議す。
  • 〔補注〕14 「大丈夫」は、「男児たるもの」の意。
  • 〔補注〕15 原文「推着一輛車子」。文中の「着」は動詞について継続進行を表す。…しつつある、…しながら。
  • 〔補注〕16 「酒保」は、「店員」「ボーイ」の意。
  • 〔補注〕17 原文「快斟酒来吃、我待[走+旱 Unicode : 8D95]入城去投軍」。文中の「快」は速い、「斟」は注ぐ、「待」は…しようとする、「[走+旱]」は急いで…する、「去」は動作の方向を表す。
  • 〔補注〕18 「私が殺してしまった」の意。
  • 〔補注〕19 原文「特来応募」。文中の「特」は「特地」の特=わざわざの意。
 飛の曰く、「吾が荘後に一桃園有り、花開きて正に盛ん。明日 当〔補注20〕園中に於て天地を祭告し〔補注21〕、我ら三人 結びて兄弟と為り、協力同心し、然して後ちに大事を図る可し」と。玄徳・雲長は声を斉(そろ)へて応じて曰く、「此の如き甚だ好し」と。次日、桃園中に於て、烏牛・白馬を祭礼の等項に備へ〔補注22〕、三人は香を焚き再拝して誓を説きて曰く、「念ず、劉備・関羽・張飛は、姓を異にすると雖然(いへど)も、既に結びて兄弟と為れば、則ち心を同じくし力を協(あは)せ、困(くるしみ)を救ひ危(あやふき)を扶け、上は国家に報ひ、下は黎庶を安んぜん。同年同月同日に生るゝは求めざれど、但だ願はくは同年同月同日に死せんことを。皇天后土、実に此の心を鑒みよ。義に背き恩を忘るゝときは、天人 共に戮せ」と。誓ひ畢り、拝して玄徳を長兄と為し、関羽は之に次ぎ、張飛は弟と為る。天地を祭り罷ると、復た牛を宰し酒を設け、郷中の勇士を聚めて、三百人を得、桃園中に就きて痛飲一酔す。来日〔補注23〕 軍器を収拾するも、但だ恨むらくは馬匹の乗る可き無きを。正に思慮する間、人の両個の客人有り、一夥の伴儻を引ゐ、一羣馬を[走+旱 Unicode : 8D95]ひて、荘上に投じ来たるを報ず。玄徳の曰く、「此れ天の我を祐くるなり」と。三人は荘を出でゝ迎接す。原来(もともと)二客は乃ち中山の大商にて、一名(ひとり)は張世平、一名は蘇双、毎年 北に往きて馬を販(ひさ)ぐも、近〔補注24〕は寇の発するに因りて回(かへ)る。玄徳は二人を請じて荘に到り、置酒して管待し、賊を討ち民を安んぜんと欲するの意を訴説す。二客は大に喜び、良馬五十匹を将て相送り、又た金銀五百両・鉄一千斤を贈り、以て器用に資するを願ふ。玄徳は二客と謝別するや、便ち良匠に命じて双股の剣を造打せしむ。雲長は青龍偃月刀、又の名を「冷艶鋸」、重さ八十二斤なるを造る。張飛は丈八の点鋼矛を造る。各ゝ全身の鎧甲を置(か)ふ。郷勇五百人を共聚し、来りて鄒靖に見え、鄒靖は太守・劉焉に引見せしむ。三人は参見し畢るや、各ゝ姓名を通ず。玄徳 宗派より説(はな)し起(はじ)むれば、劉焉 大に喜び、遂に玄徳を認めて姪と為す。
  • 〔補注〕20 ここの「当」は、「ちょうど(そのとき)」の意。
  • 〔補注〕21 原文「明日当於園中祭告天地」。文中の「当」は「(ちょうどその時間・場所)で・に」の意。
  • 〔補注〕22 原文「備下烏牛白馬祭礼等項」。文中の「下」は動作の完成の気持ちを表す。ちゃんと…しておく。
  • 〔補注〕23 「来日」は「次の日」の意。
  • 〔補注〕24 ここの「近」は、「今年」の意。
 日を数へず、人ありて黄巾の賊将・程遠志が兵五万を統べて 来りて[シ+(冢−冖) Unicode : 6DBF]郡を犯すを報ず。劉焉は鄒靖をして玄徳等三人を引ゐ、兵五百を統べ、前(すゝ)み去(ゆ)きて敵を破らしむ。玄徳は欣然として軍を領して前進し、直(たゞち)に大興山下に至り、賊と相見ゆ。賊衆は皆な披髪し、黄巾を以て額に抹(あ)つ。当下(そのとき)両軍相対するに、玄徳の出馬せるとき、左に雲長有り、右に翼徳有り、鞭を揚げて大に罵りて、「反国の逆賊、何ぞ早く降らざる」と。程遠志は大に怒り、副将の[登+邑 Unicode : 9127]茂を遣はして出戦せしむ。張飛 丈八の蛇矛を挺(つきた)てゝ直(まつす)ぐ出だせば、手の起つ処、[登+邑 Unicode : 9127]茂の心窩に刺中し、身を翻して落馬す。程遠志は[登+邑 Unicode : 9127]茂を折(うしな)ひしを見るや、馬を拍ち刀を舞(ふる)ひて、直に張飛を取る〔補注25〕。雲長 大刀を舞動(ふりまは)し、馬を縦(あやつ)り飛び迎ふ〔補注26〕。程遠志は見るや、早くも一驚を吃し、手を措くも及ばず〔補注27〕、雲長の刀の起つ処、揮はゞ両段とせらる。後人に詩有り二人を讃して曰く、
  • 〔補注〕25 ここの「取る」は、「挑みかかる」の意。
  • 〔補注〕26 「飛び迎ふ」は、「飛ぶように素早く迎え撃った」の意。
  • 〔補注〕27 「手を措くも及ばず」は、「手を下すに間に合わず」の意。
   英雄 穎を露(あら)はすは今朝に在り、
   一
(ひとり)は矛を試みて一は刀を試みる。
   初て出づれば便ち威力を展
(の)〔補注28〕
   三分に好しく姓名を標(しる)〔補注29〕
  • 〔補注〕28 原文「初出便将威力展」。文中の「将」は「…を」の意。
  • 〔補注〕29 原文「三分好把姓名標」。文中の「把」は「…を」の意。
 衆賊は程遠志の斬らるゝを見、皆な矛を倒(さかしま)にして走る。玄徳は軍を揮(さしまね)きて追[走+旱 Unicode : 8D95]するに、投降する者 其の数を計らず、大勝して回る。劉焉は親自(みづか)ら迎接し、軍士を賞労す。次日、青州太守・[龍+共 Unicode : 9F94]景の牒文に、黄巾賊が城を囲み将に陥ちんとすれば、救援を賜はんことを乞ふと言ふに接し得る。劉焉は玄徳と商議す。玄徳の曰く、「備 願はくは往きて之を救はん」と。劉焉は鄒靖をして兵五千を将ゐ、玄徳・関・張と同(とも)に、青州に投じ来たる。賊衆は救軍の至れるを見、兵を分ちて混戦す。玄徳の兵寡くして勝てず、三十里を退きて寨に下る。玄徳の関・張に謂ひて曰く、「賊は衆く我は寡ければ、必ず奇兵を出だして、方に勝を取る可し」と。乃ち分ちて関公は一千の軍を引ゐて山左に伏せ、張飛は一千の軍を引ゐて山右に伏せ、金を鳴らすを号と為し、斉出接応せんとす。次日、玄徳と鄒靖とは、軍を引ゐ鼓譟して進む。賊衆の迎戦すれば、玄徳は軍を引ゐて便ち退く。賊衆は勢に乗じて追[走+旱 Unicode : 8D95]し、方に山嶺を過ぎんするとき、玄徳の軍中 一斉に金を鳴らせば、左右の両軍 斉出し、玄徳は軍を麾き身を回して復た殺(うちかゝ)る。三路より夾攻すれば、賊衆 大に潰ゆ。直に[走+旱 Unicode : 8D95]ひて青州城下に至れば、太守・[龍+共 Unicode : 9F94]景も亦た民兵を率ゐ城を出て助戦す。賊衆 大敗し、剿戮すること極めて多く、遂に青州の囲みを解く。後人に詩有り玄徳を讃して曰く、
   籌を運らし算を決して神功有り、
   二虎は還た須く一龍に遜るべし。
   初て出でゝ便ち能く偉績を垂れるは、
   自ら分鼎の孤窮
〔補注30〕に在るに応ずればこそ。
  • 〔補注〕30 「孤窮」は諸侯の一人称。「我が身」ほどの意。
 [龍+共 Unicode : 9F94]景の軍を犒ひ畢るや、鄒靖は回らんと欲す。玄徳の曰く、「近く聞く 中郎将・盧植は賊首・張角と広宗に戦ふと。備は昔曽(かつ)て盧植に師事すれば、往きて之を助けんと欲す」と。是に於て鄒靖は軍を引ゐて自ら回り、玄徳は関・張と本部の五百人を引ゐて広宗に投じ来たる。盧植の軍中に至り、帳に入りて礼を施し、具に来意を道ふ。盧植は大に喜び、留めて帳前に在りて調〔補注31〕を聴(ま)たしむ。
  • 〔補注〕31 「調」は、「軍令」の意。
 時に張角の賊衆は十五万、植の兵は五万、広宗に相拒み、未だ勝負を見ず。植の玄徳に謂ひて曰く、「我 今 賊を囲みて此に在るも、賊弟の張梁・張宝は穎川に在つて、皇甫嵩・朱儁と対塁す。汝は本部の人馬を引ゐる可く、我は更に汝に一千の官軍を助くるに、前みて穎川に去きて消息を打探し、期を約して剿捕せん」と。玄徳は命を領し、軍を引ゐ星夜(=夜の明けぬうち)に穎川に投じ来たる。時に(そのころ)皇甫嵩・朱儁は軍を領して賊を拒み、賊 戦に不利なれば、退きて長社に入り、草に依りて営を結ぶ。嵩の儁と計りて曰く、「賊は草に依りて営を結ぶ。当に火を用ひて之を攻むべし」と。遂に軍士をして、人毎に束草一把もて、暗地(ひそか)に埋伏せしむ。其の夜 大風忽ち起つ。二更以後、一斉に火を縦ち、嵩と儁とは各ゝ兵を引ゐて賊寨を攻撃すれば、火焔は天に張(ひろ)がり、賊衆驚慌して、馬は鞍に及ばず、人は甲に及ばず、四散して奔走す。
 殺(=混戦)して天明(よあけ)に到り、張梁・張宝は敗残の軍士を引ゐ、路を奪ひて走る。忽ち見る 一彪の軍馬の、尽く紅旗を打(かゝ)げ、当頭(そのとき)に来たり到つて、路を截住(さへぎ)れるを〔補注32〕。首と為つて閃出せる一将は、身長七尺、細眼長髯、官は騎都尉を拝し、沛国・[言+焦 Unicode : 8B59]郡の人なり。姓は曹、名は操、字は孟徳。操の父・曹嵩は、本姓は夏侯氏。中常侍・曹騰の養子と為るに因りて、故に冒して曹を姓とす。曹嵩は操を生む。小字は阿瞞、一名を吉利。操は幼児、游猟を好み、歌舞を喜ぶも、権謀有り、機変多し。操に叔父有り、操の游蕩して度無きを見、嘗て之を怒り、曹嵩に言ふ。嵩 操を責む。操 忽ち心に一計を生じ、叔父の来たれるを見るや、詐りて地に倒れ、中風の状を作す。叔父 驚きて嵩に告げ、嵩の急ぎて之を視れば、操は故(もと)より恙無し。嵩の曰く、「叔(おぢ)の汝が中風なるを言へるが、今 已に愈(い)えるか」と。操の曰く、「児(わたくし) 自来(もとより)此の病無し。叔父に愛を失ひしに因りて〔補注33〕、故(ことさら)に罔(し)ひらる」と。嵩は其の言を信ず。後ち叔父 但(ひたすら)に操の過を言ふも、嵩は並に聴かず〔補注34〕。此に因りて、操は恣意に放蕩するを得。時人に橋玄なる者有り、操に謂ひて曰く、「天下 将に乱れんとす。命世の才に非らずんば済す能はず。能く之を安んずる者は、其れ君に在るか」と。南陽の何[禺+頁 Unicode : 9852]は操を見て言ふに、「漢室 将に亡びんとす。天下を安んずる者は、必ず此の人なり」と。汝南の許劭は、人を知るの名有り。操の往きて之に見え、問ひて曰く、「我は何如なる人ぞ」と。劭 答へず。又た問ふ。劭の曰く、「子(きみ)は治世の能臣、乱世の奸雄なり」と。操は言を聞きて大に喜ぶ。年二十、孝廉に挙げられ、郎と為り、洛陽の北都尉に除せらる。初て任に到り、即ち五色の棒 十余条を設けて之を四門に県(=懸)け、禁を犯す者有らば、豪貴を避けず、皆な之を責む。中常侍・蹇碩の叔(おぢ)、刀を提げて夜行くに、操は巡夜して拏住(とら)へ、棒に就きて之を責む。是に由りて、内外に敢て犯す者莫く、威名 頗る震ふ。後ち頓丘の令と為る。黄巾の起くるに因り、拝して騎都尉と為り、馬歩の軍五千を引ゐ、前みて穎川に来たつて助戦す。正に張梁・張宝の敗走するに値ひ、曹操は[手+闌 Unicode : 6514]住(さへぎ)つて、大に一陣を殺(たゝか)ひ、斬首万余級、奪ひ得たる旗旛・金鼓・馬匹は極めて多し。張梁・張宝は死戦して(=辛くも)脱するを得。操は皇甫嵩・朱儁と見えて〔補注35〕、随即(そのまま)兵を引ゐて張梁・張宝を追襲し去れり。
  • 〔補注〕32 原文「截住去路」。文中「去」は動詞の後に付いて動作の方向または持続を表す。
  • 〔補注〕33 「叔父上に嫌われておりますから」の意。
  • 〔補注〕34 「別段耳を貸さなくなった」の意。
  • 〔補注〕35 原文「操見過皇甫嵩・朱儁」。文中「過」は動詞の後に付いて完了・経験を表す。
 却説(さて)玄徳は関・張を引ゐて穎川に来たるに、喊殺の声を聴き得、又た火光の天を燭(てら)すを望見し、急ぎ兵を引ゐて来たりし時には、賊は已に敗散す。玄徳は皇甫嵩・朱儁に見え、具に盧植の意を道ふ。嵩の曰く、「張梁・張宝は勢 窮し力 乏しければ、必ず広宗に投じ 去(ゆ)きて張角に依(たよ)らん。玄徳 即ち星夜(=夜の明けぬうち)に往きて助く可し」と。玄徳は命を領し、遂に兵を引ゐて復た回る。到りて半路を得るとき、只だ見る 一簇の軍馬の、一輛の檻車を護送せるを。車中の囚は、乃ち盧植なり。玄徳は大に驚き、鞍より滾(まろ)びて下馬し、其の縁故を問ふ。植の曰く、「我 張角を囲み、将に次いで破る可けんとするも、角の妖術を用ふるに因りて、未だ即(すぐ)には勝つ能はず。朝廷は黄門の左豊を差はし 前み来たつて体探せるに、我に問ひて賄賂を索取(もとめとる)せんとす。我の答へて曰く、「軍糧も尚ほ欠くに、安んぞ余銭有りて天使に奉承せん」と。左豊は恨みを挟み、回りて朝廷に奏するに、我の塁を高くして戦はず、軍心を惰慢すると説く。此に因りて朝廷震怒し、中郎将・董卓を遣はし 来たつて代はりて我が兵に将たらしめ、我を取(とら)へて京に回りて罪を問はしむ」と。張飛は聴き罷るや、大に怒りて、護送の軍人を斬り、以て盧植を救はんとす。玄徳は急ぎ之を止めて曰く、「朝廷にも自から公論有らん、汝 豈に造次す可き」と。軍士 盧植を簇擁して去れり。
 関公の曰く、「盧中郎 已に逮(とら)へられ、別人 兵を領すれば、我等 去けども依る所無し。且(しばら)く[シ+(冢−冖) Unicode : 6DBF]郡に回るに如かず」と。玄徳 其の言に従ひ、遂に兵を引ゐて北行す。行くこと二日無く、忽ち聞く 山後に喊声の大に震はせるを。玄徳は関・張を引ゐ 馬を縦(あやつ)つて高岡に上りて之を望めば、漢軍の大敗し、後面は山に漫(はびこ)り野を塞(うづ)め、黄巾の地を蓋ひて来たり、旗上に「天公将軍」と大書するを見る。玄徳の曰く、「此れ張角なり。速に戦ふ可し」と。三人は馬を飛ばし軍を引ゐて出づ。張角は正に殺(たゝか)ひて董卓を敗り、勢に乗じて[走+旱 Unicode : 8D95]ひ来たるに、忽ち三人の衝殺するに遇ひ、角軍 大に乱れ、五十余里を敗走す。三人は董卓を救ひて寨に回る。卓は三人に現に何の職に居るかを問ふ。玄徳の曰く、「白身なり」と。卓は甚だ之を軽んじ、礼を為さず。玄徳の出づるに、張飛の大に怒りて曰く、「我等 親(みづか)ら血戦に赴き、這廝〔補注36〕を救へるに、他(かれ)は却つて此の如く無礼なり。若し之を殺さずんば、我が気を消じ難し」と。便ち刀を提げて帳に入り 来たつて董卓を殺さんとす。正に是れ、
  • 〔補注〕36 「這廝」の「這」は「此の」、「廝」は「かわや」の意で、転じて「つまらないもの」「唾棄すべきもの」の意。「廝役」など。後世、憎むべき人物を罵るのに用いられる。「この野郎」「クソ野郎」。
   人情勢利は古へも猶ほ今のごとく、
   誰か識る 英雄の是れ白身なるを。
   安んぞ快人の翼徳の如きを得て、
   尽く世上の負心の人を誅せん。
 畢竟 董卓の性命や如何に、且(しばら)く下文の分解〔補注37〕を聴け。
  • 〔補注〕37 「分解」は、「解き明かす」意で、「謎解き」。
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■第一回 了