春 秋 公 羊 伝
|
|
|
|
(伝)孔子の経・公羊高の伝
後漢の何休の注
日本の林羅山の訓点
|
|
|
|
* * * |
|
|
|
【本 文】
|
|
【補 注】
|
|
| 〔何序〕 |
昔者 孔子の云へる有り、「吾が志は『春秋』に在り、吾が行ひは『孝経』に在り」〔注1〕と。此の二学は、聖人の極致、治世の要務なり。『春秋』を伝ふる者は、一に非らず。本より乱に拠りて作れば、其の中に非常の異義・怪しむ可きの論多し。説く者も疑惑すれば、経に倍(そむ)きて意に任せ、伝に反して違戻する者有るに至る。其の勢 問ふところありと雖も、広からざるを得ず。是を以て師言を講誦して百万に至るも、猶ほ解せざる有り。時に嘲辞を加醸して、他経を援引し、其の句読を失ひて、無を以て有と為す。甚だ閔笑す可き者、勝て記す可らざるなり。是を以て古学を治めて文章を貴ぶ者は、之を俗儒と謂ひ、賈逵をして隙に縁り筆を奮はしめ、以て公羊の奪ふ可く、左氏の興す可しと為すに至る。先師の観聴 決せずして、多く二創に随ふを恨む。此れ世の餘事なり。斯れ豈に文を守りて論を持するも、敗績して拠を失ふの過ちに非らずや。余 竊に之を悲むこと久し。往者に略ゝ胡母生が条例に依りて、多く其の正しきを得。故に遂に隠括して繩墨に就かしむるなり。 |
|
|
|
|
◆通 釈◆ |
|
|
|
| 〔何序〕 |
かつて孔子はこう言われた。「私の意志は『春秋』に述べ尽くし、私の行いに関する要諦は『孝経』に述べ尽くした」と。『春秋』と『孝経』との二つの教えは、聖人のなす究極の趣であり、世を治め民を養う勘所である。
『春秋』の学を伝えたものは、周知のように(わが公羊伝のほか穀梁伝・左氏伝の二派があり)一つではなかった。もともと『春秋』は周徳衰えた乱世に作られたものであるから、その書中には常識では測れぬ特異な話や疑わしい内容が多いのである。そのためそれを解説するものもその詭辞に惑わされ、経文の真意から乖離して自己流の発意にすりかえ、真伝の本義に背いて意に違うものまで出るようになった。内容的には疑問をさしはさむ余地が多いけれども、すでに一家の説をなしたためにそれらの説も世に広まったのだ。
このため師伝の学問を習い誦えること百万遍と至ろうとも、なお聖人の意を完全には理解できないものもいるのである。(彼らの学説はと言えば)あるいは余計な言辞を注ぎ足して、尚書や毛詩などの全く別の経籍を援用したり、経伝の句読を勘違いし誤った位置で文を区切って読んだ結果、全く逆の意味に取ったりしている。このような甚だ滑稽にして哀れむべき輩は枚挙の暇がないほどである。
かくて古文の学を修めて文字・篇章の末節を尊ぶ輩は、まさに「俗儒」と呼ぶべきなのだが、賈逵のごとき手合いが、正学の些細な間隙につけこんで大いに筆を揮い、ついには「公羊の学をやっつけて、左氏の学を興すべし」という暴論を広める機会を与えてしまったのである。先達の学匠が相違した見解に結論を出さず、むしろ前述した「自己流の発意を提唱する学派」や「別の経籍を引用し句読を勘違いしてる学派」の新説を採用してしまったことが残念でならない。こんなやり方では天下の役立たずと言われても仕方ない。これぞまさしく公羊伝の文義を守り理論を堅持して論争を挑みながら、みすみす敗走して砦を奪われるような失態ではないか。
余(わたくし)はこのことを思うたびに一人永らく胸を痛めてきた。さきに自分は胡毋生が究明して掲げた公羊学の定理に従うことで、一度ならず正しい答えを導き出すことができた。そこでこの方法を敷衍して旧説の過ち矯め正して正道に戻すことにしたい。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|