両義的な世界との応答  ─ダブル・イメージ─

 
植物や鉱物、建造物や機械の印刷物を組み合わせて、組み合わせたものを少し離れて観ると、表情があるのかどうか定かでない人間の頭部が現われる。私の作品は、おおむねそういうふうに組み立てられる。使われているひとつひとつの要素が確かな存在感をもって、そのひとつひとつに焦点を合わせれば、それぞれが手応えのある植物の部分であったり、建造物や機械であったりする。しかし焦点を細部から全体に移すと、一個の人間の頭が浮かび上がる。それはそれで不思議な存在感をもっている。この「不思議な」という印象を与える図像の性格に、私の意図が隠されているのかもしれない。

 私がつくる像の二重構造には、両義的な性格が湛えられ、その両義性の幅に思想とも言うべきある想念がこめられている。ここで言う両義性とは、われわれもしばしば経験することのある連想作用と似ている。たとえば、川原で拾う流木や空に見かける雲を考えてもいい。流木は水に洗われて骨のように白くなった木でしかなく、雲は刻々と形を変えていく。そういう木や雲に人間は別の形を見る。何か動物に見立てることもあれば、人間の姿や顔をそこに見い出すことも多い。そのとき人の想像力は、木や雲と、それから連想される別の形とのあいだを往き来する。そこにあるものと、そこにないものとが、交互に入れ替わる。この往復作用が両義性の厚みをつくりだす。

 そして、私の作品が呈示する不思議な効果は、今述べた両義性と同じ類のものだともいえるが、私の作品にはそれ以上にまず、その両義性を支える思想的な根拠が脈打っている。私の作品は、人間の姿を組み立てるそれぞれの要素は、火や水や風景、あるいは人工物など、象徴するものと象徴されるものの対応の関係を、直接的にしながら、ある考え方をそこにすべりこませている。

 その考え方とは、宇宙と地上の生き物とを平行な関係のもとに捉える。宇宙の構造と運動は、人間の仕組みと生理とに対応する。そこでは人間も、肉体と精神とに分化されず、存在と発現とがあるだけである。宇宙が形相として捉えられれば、人間も形相として捉えられる。そしてまた、人間は地上の他の生物や鉱物とさえ対応する。植物も動物も人間も、また人間が造り出した物でさえも、互いに照応するのである。互いの相似の関係を綿密に正確に見い出せば、世界は理解可能なものとなる。そういう思想がこの考え方の根底にある。

 だからこそ、自然物も人間となり得て、人工物もまた同時に人間になることができる。複数の宇宙を行き交う無礙な世界観に支えられて、人間はもう一度、不可思議な融合に還されていく。

[In Japanese]
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