空にひしめく電線とネオン


昨日あるフォーラムがあった。その中で、ある外国人のパネラーが世界各国のイメージをとらえた雑誌の表紙を紹介し、各国の都市名とイメージ写真(風景)を見たのだが......。
東京のイメージ写真は、なんと「空にひしめく電線とネオン」だった。







まあ、なるほどねと言えないこともないのだけれど、ひどく恥ずかしく、ガッカリしてしまった。
こんな事でガッカリするようでは、まだまだ修行が足りないな(笑)こんなんじゃ、議論もできないし、冷静に判断することができないねぇ。
しかし、外国人の目から日本を見るとこういうイメージに見えるのかしらと、思うと「残念」という一言では片づけられない。

これを紹介したのは、「日本文化」や「日本人の素材を大事にする心」などに惹かれて京都に移住した外国人なのだけれど、まさしく痛いところをつかれた感じだ。まるで、来客があるので玄関だけを掃除したところ、客人は荷物を追いやってホコリだらけになっている勝手口に来てしまい、コチラは顔を赤らめる、という様な心境である(笑)


彼は、日本はこんなに素晴らしい素材感や文化を持っているのに、合理的というさも正しいかの様な言葉を言い訳に、素材をどんどん大事にしなくなり、自然を大事にしなくなり、伝統を大事にしなくなり、生活美を大切にしなくなり、挙げ句の果てには、まったくオリジナリティのない、美的センスの欠如する人が増えていると感じているらしい。

それに呼応するように、現在、世界で評価されている日本のフォトグラファーがどんなテーマで発表しているかというようなプレゼンの展開だったののだが、それがまたツボにはまっていて、コチラとしては笑うしかない。東京ライフ?東京スタイル?だったかな。東京での一人暮らしの部屋を淡々と撮っているのだが、これがまたとっても親近感のあるむっちゃくちゃ汚いカオスな部屋なのだ(笑)


彼はなぜ、日本人は「縮む」文化を持っているのに(そう言ったわけではなく様々な文化を指していたが)、大事にしないのだろう?との事である。
言葉足らずなのでちょっと解説してみると「縮み文化」とは、日本の生活伝統的生活スタイルを指す。もちろん一般的な表現ではないが、概ねこのような概念は一般化していると思う。日本の住まい方、畳に生活をして、その畳の部屋、所謂「間(ま)」は7変化ならぬ臨機応変に変化するのである。普段はちゃぶ台を出して(所謂ちゃぶ台の茶の間イメージは戦後の様だけれども)茶の間になる。来客があれば客間、花祭りがあれば、ひな人形を置いた展示する間、そして蒲団を敷けば寝室になる。

それが可能だったのは、日本の様々なモノや道具ががすべて畳んだり、重ねたりして収納、格納しておくことができるからである。例えば蒲団は3つ折りにして畳めるし押入に入れておける、食器も茶碗、汁椀など重ねて置いておけるモノだ。つまりそうやって必要な時には出して広げたり、伸ばしたりする。そして、基本はしまい込むという文化に繋がっている。つまり、畳の上には何も出して置かないのが美なのだ(もちろんそれだけじゃないけどね)。
ところが西洋はどうかというと、しまい込むモノではない。常に(と言うわけではないが)表に出ている。しかし置き方に工夫があり、そこに置いてあっても美しく見えるように工夫がされている。例えばベッド。蒲団は敷きっぱなしだとみっともないが、ベットはそのままが、普通である。そして食器、コーヒーカップやワイングラス、スープ皿など、重ねるよりも、カップボードなどで見ても満足出来るように作られている。ちょっと乱暴かもしれないが、つまり道具を置く・飾るのが美とも言える。

まあ、現在を見るとそうも言い切れないモノも増えてはいるが、元々そういう状況を考慮して作られてきた、又は使われてきたことは間違いないだろう。


そう考えると、現在は中途半端な状況である。だから恥ずかしいのだ。
置いた事を仮定してデザインされた道具もあれば、しまうのを前提に考えられた道具もある。使う側、使う部屋、家、生活スタイルもすべてごっちゃである。


自らの生活習慣に一本通った美がない。これは悲しむべき事だ。


ここで、自らを振り返ってみると、自分がそうなのだ。
東京ライフの部屋の住人の様に、そういう乱雑にモノが置いてある場所にいてもなんら不自由を感じない。
(もちろん、人には恥ずかしくて見せないが)
それが、悲しい。そういう感覚が悲しい。
退廃的だの、都会的だの、アバンギャルドだの面白がって言っているウチはまだいいが、そもそも破綻したキワモノ的な評価をいつまでもするわけには行くまい。そろそろ、まともな新しい日本の美、生活様式にあった美があってもいい。



彼は日本の今の状況(美的感覚)をしょうがないとしながらも
問題は公共建築物や施設が大きいのではないかという意見だった。
無駄なプロジェクトにお金を掛けるぐらいなら、電線を埋設したり、自然に気を配った(融合した)建築物にしたり、コンクリートだけでなく天然素材を使ったり、


それは、いつまだ経っても、日本は工業国から抜け出せない。





と言われているように感じた。





「キミ達は先進国で文化があるように感じているかもしれないが、ちゃんちゃらオカシーヨ」

「キミタチワ、コウジョウのロウドウシャカラ、ヌケダセテイナイノダヨ」

「キミタチハ、自国のブンカをもギンミデキルノウリョクがナイノダヨ」







な、






なめんなよ。







なーんて、

最後の方は冗談だが、背中に大きなシミを付けていることを忘れて、綺麗になったと錯覚している様な状況はいかんな。やはり、もっと日本の事を知りたい、という欲求が沸々と湧いた瞬間だった。



Posted at :08:43 PM