F-1フェラーリの事を書く前に、今乗っている愛車「ランチア・テーマ 8.32」について少し述べさせて下さい。2000年4月号のCar Graphicの140〜144頁に、マニアックにいこうよ人生は「脱ファミリーカーの勧め」と言う記事が載っています。この記事ではこの車を、「エスプレッソを大きなカップで」と表現しています。
ランチア・テーマ8.32には、フェラーリ308QVのエンジンが載っております。やはりチョット古いフェラーリ様の宿命というか、お決まりコースというか、1999年11月9日にエンジンの故障が発生してしまいました。タイミングベルトを動かす為に、クランクシャフトから動力を供給してもらって回るクランク・ドリブン・ギアーを支えるボール・ベアリングが故障したのです。このベアリングは、6万kmで交換を要するとされていた部品なのですが、この部品を交換するためには、エンジンを一端降ろして、オイルパンを外してから、更にフロントカバーまで外さないと交換できないと言う代物で、なかなかそこまで手を入れることの無い部品です。フェラーリでは、まず6万kmも走行する車両が無いために、この部品を交換したフェラーリは数少ないと思います。でも、ランチアは実用車なので、私の車も購入時78,555kmとかなり走行しており、このベアリングも交換されたことが無いようでした。次のタイミングベルトの交換まで1万kmを残した82,618km走行時に、何とかなると思いながら走っていたところ、そうは問屋が降ろさなかったわけです。
修理には時間がかかりましたが、直ってくると可愛さがまた倍増する訳です。つぶれた時には、もういらないやと思っても、直るとまた乗ってやるかぁと気が変わるわけです。出来の悪い子程、可愛いと言われる所です。これはシューマッハーが、フェラーリ・チームに入る前のフェラーリの状況に良く似ています。ニキ・ラウダの黄金期を知っている者としては、ホンダ・エンジンの台頭で、フェラーリの勝ちは無くなってしまい、その後は、ルノー・エンジンとメルセデス・エンジンに、こてんぱんにやられると言う不遇の時代が続いていました。フェラーリにとっては、この悪夢のような時代には、ここ一発は早いんだが、途中でエンジン・トラブルが発生してリタイアするというのが、フェラーリのお決まりコースとなっていた訳です。しかし、1999年以降は、ようやくフェラーリにコンストラクターズ・チャンピオンをもたらすまでに、機械的な信頼性を回復しました。もう、途中でリタイアするなんて言う事は誰にも言わせませんでした。これも、シューマッハーがフェラーリに在籍するようになってからです。彼の超一流のドライビング・テクニックが、性能的には少し劣るフェラーリを走らせて、マクラーレンに勝って来た事が一番の理由なのですが、それ以外に勝つことによって彼のアドバイスを受ければ勝負に勝てるという雰囲気を作る事によって、エンジン設計者やメカニック達を動かした事も大きな要因と思っています。総合優勝と言う大きな目標に向かって、一丸となって勝てるマシンを仕上げようと努力したからだと思います。私の8.32も故障しないように、予定されたピットインをこなしてメインテナンスを続けておりますので、楽しい車生活を送ることが出来ております。
2000年以降は、無敵の王者フェラーリ・チームを2002年まで続けたことは皆さんの周知の如くです。しかしながら、信じられないことに、2003年は開幕から3連敗を喫しております。これはまるで、奢れる平家は長くは続かなかった話の様です。2003年4月20日は待ちに待った、サンマリノ・グランプリとなりました。心配された雨も降っていません。今シーズンの悪い流れを変えるためにも、我々ティフォーシ達は、ここ地元サンマリノ・グランプリでは優勝が必須と考えました。出来れば、バリチェロにも頑張ってもらって、1-2フィニッシュしてくれればフェラーリ・チームとして最高です。今年からF-1 Grand Prixのルールが突然改正されて、予選で使用した車両は一度パルクフェルメで車両保管されて、決勝まで車を整備したり、燃料を積んだりする事が禁止されております。急なルール改正で今のところ、フェラーリ・チームは一歩、メルセデスや他のチームに遅れを取っている様に見受けられます。イモラのコースでは抜きどころが少ないために、今まで以上に予選でポール・ポジションを取ることが優勝に近づくことが分かっているだけに、シューマッハーが優勝必須条件のポールポジションを獲得した事は、大変喜ばしいことでした。しかしながら予選でトップを取っても、決勝で事故などが起きると一巻の終わりですから、決勝が終了するまでは、テレビを見ているものとしては祈るしか無いのです。祈る気持ちと言うことでは、最近の政府が勝手に決めた矢継ぎ早の医療法の改正(本人3割負担)も、「もう止めてくれ〜。」と祈るしか無いのと似ています。最近では、打たれっぱなしのサンドバッグ状態の医師にも半分責任がありますが、これはもう終わってしまったことですので、文句を言っても仕方ありません。これからは、医師も患者もフェラーリも早くルールに順応して、生き残らなければいけませんし、また勝たなければいけないと思っております。官僚達は、政府と医師と患者の痛み分け等と言っておりますが、得をしているのは厚生労働省だけで、医師と患者は不当に不利益を被っております。次に起こるであろう、反則ルールの改正は絶対に反対して、阻止することが必要ですし、正しく公平なルールの運用が行われる様に、常時目を光らせておく必要性を感じました。ダメな事は、絶対にダメだと意思表示をすることが必要です。
今日2003年4月21日は、昨日のサンマリノ・グランプリの結果も分かっております。我々ティフォーシ達の祈りが通じたのか、母の死別の日にシューマッハーは地元イモラで優勝を飾りました。彼は祈るだけでは、決してもぎ取ることの出来なかった勝利ですから、やはりそれだけの努力と精神力が必要だったと痛感した次第です。彼は、歴史に残る名パイロット間違い無しです。勝つと決めたら、絶対に勝つという信念の元に勝ち取った勝利だと思い、感動してしまいました。何処かの厚生族総理大臣が、横綱が怪我を押しての優勝を飾った時に発してしまった言葉など足下にも及ばない、もっと深みのある感動でした。この日ばかりはティフォーシは勿論、日頃はフェラーリ・ファンじゃない車好き達も皆、昨日のシューマッハーのイモラでの優勝を讃えたことと思います。優勝者会見は、お母さんのお葬式に出席するために欠席して、その代わりにジャン・トッド監督が、「今日の優勝は、今まで彼がF-1の世界で行ってきた事を代表する様な大きな仕事だった!。」と言っておりましたが、その通りだと思いました。強い信念こそ、岩をも動かす力があると感じた次第です。
現在、イタリア車を良く知る人は、このランチア・テーマ 8.32 を「タクシーの皮を被ったF-1」と呼んでいます。私はこの車を、週末のドライブなどに使用しておりますが、花粉が飛ぼうが、雨が降ろうが、寒かろうが、窓は2cm位開けて、フェラーリ・サウンドを聴きながら運転することで、日々の溜まったストレスを解消しています。とてもタクシーにはならなくても、ファミリー・カーには十分使用できます。最近では、フェラーリ・サウンドを聴きながら、今後の予期せぬ医療法の改正をどうして乗り切ってやろうかとか、車以外の事を考えております。
2003年4月21日記
2000年3月27日に作製しました。
2003年4月21日に更新しました。
最初のランチア・テーマ8.32のページに行く(1999年07月08日)。
伊勢でのミニ・ミーティングに行く(1999年09月03日)。
アルファ・ロメオとの合同ミーティングに行く(1999年11月07日)。
潰れた、エンジンの修理記録に行く(1999年11月07日)。
関西2000年・LTOCミーティングに行く(2000年04月16日)。
イタ車でイタ飯ミーティングに行く(2000年06月11日)。
もみじ饅頭紅作戦 2000 に行く(2000年11月12日)。