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「弱ったなぁ。先生、なんとかいってくださいよ」

 百山は、うむ、と返事をしたものの、点検窓に突っこんだ首を出そうとはしなかった。 その時

「ちょっと待ったあ!」 白組の列から、ひときわどすの効いた声がした。運送屋の社長だった。騒ぎが一時沈静化する。腹をゆすりながら、社長が勘一のそばにやってきた。

「確かに今のはちっとばかしおかしかった。本当の所、どうなんだ?」

「は、はあ、実は……そうなんです」 勘一がどぎまぎしながら答えた。

「やっぱりな。で、修繕はきくのか?」 社長は百山が取りついている装置の方を顎で示した。

「はあ、そりゃもう」

「みんな聞いてくれ」 社長は選手たちに向かって声をはりあげた。

「なんだ、なんだぁ?」 下駄屋が一人、殺気立った目を向けた。

「今の勝負はキカイの按配が悪かったそうだ。おれたちだって、ケチのついた勝負でなんざ勝ちたかねえ。どうだい皆の衆、ここは一つ、取り直しって事で」

 選手たちはざわめいた。下駄屋のおやじが前に進み出、社長と対峙する。

「よかろう。なかなか見上げた心がけだと、褒めておくぜ」

「勘違いしてもらっちゃ困る。実力で勝てるからいってんだ」 社長は余裕たっぷりに笑ってみせた。

「ふっ、大口たたくのも今のうちだ。今日こそ決着をつけてやる」

 芝居がかったポーズで、下駄屋が人差し指を突きつける。風が吹きつけ、二人の間に砂塵が舞った。

「先生、なんだか変な事になってますよ」 ようやくこちらを向いた百山に、勘一が小声でいう。

「わかっとる。もう一度やらせれば治まりがつくだろう。まったくもう……」

「何度やったっておんなじじゃないですか?」

「いや、今、装置の調整をやった。これで多分、双方が納得するような結果になるだろう」

 だが、再試合を始めた途端、百山の言葉は裏切られた。

「ありゃりゃ」

 今度は赤組の腕がどんどん伸び始めた。そして、白組の方はまったくそのままの状態を保っている。

「まずいなぁ」 勘一は頭をかかえた。

「ふざけんな、こんちくしょう!」

 まだ試合中にもかかわらず、運送屋の社長が怒鳴りながら綱を離した。それに習って、白の選手たちも次々と綱から手を離す。赤組の連中は綱を引き続け、装置を引き倒さんばかりの意気ごみだった。

 先ほどの二の舞いを恐れた勘一は、あわてて終了の合図を鳴らした。装置は辛うじて転倒をまぬがれ、わずかにかたむいた程度で事なきを得た。しかし──

「こんなふざけた試合は無効だ!」 運送屋の社長は唾を飛ばしてわめいた。

「中途で綱を離しておいて何いってやがる!」 負けずに下駄屋のおやじがいった。

「てめえが取り直しといったんだ。これで不服はあるめえ」

「なにお! このツルッパゲ」

 またも、険悪な雰囲気が広がっていった。選手たちは拳を固めてにらみあい、観覧席からも何人か走り出てきて、ひいきの側の加勢に入る。勘一が声を枯らして静めようとするが、なんの効果もなかった。

 社長と下駄屋を先頭に、選手たちは次第に距離を詰めていった。間に割って入った応援団員が突き飛ばされる。

「先生!」 勘一は百山の服を引っ張った。

「まったく、単細胞生物どもが手を焼かせおって!」 彼はメモの紙ばさみを装置上に置くと深呼吸をした。口元を引き締め、いきり立つ連中のどまん中に進み出る。

「やめんか!」

 周りの怒号を圧する一喝だった。痩躯に似合わぬ、威圧力をはらんだ声だ。選手たちは足を止め、社長も下駄屋も一瞬ひるんだ。

「判定に不正などはない。この百山源九朗、天地神明に誓おう!」 仁王立ちになって、眼鏡の奥の細い目をカッと見開き、双方の選手たちをにらみつける。威厳に満ちた表情だ。いきり立っていた男たちも、その気迫に押され沈黙した。しばし、会場が水をうったように静まりかえった。

その時──「にゃ―にいってやんでえ。ヒック、ウィー」

 横あいから聞こえた声に、みんながいっせいにそっちを向く。一升瓶を片手にした町会長だった。

「んなもん、イカハマに決まってっだろ」 足もとがふらつき、目が完全に座っている。

「やっぱりかぁ! このペテン師め」 怒声が湧きあがった。

「こん畜生、何が天地神明だ!」

 百山がたじたじと後じさる。

 白組の選手の一人が足元の石を拾い、「このヤロオッ」 百山に向かって投げつける。

「ヒッ」 百山が両手で顔をかばった。狙いがそれた石は、下駄屋のはげ頭に命中した。

「あたーッ!」 頭を押さえ、下駄屋がうずくまる。

「や、り、や、がっ、たな〜」

 ゆっくりと、怒りに燃える下駄屋が顔を上げる。頭から手を離すと、そこには大きな瘤が出ていた。

「勘弁ならねえ!」


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