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数分後、二人がそろって屋敷を出た頃には、町はすでに真暗な夜に呑みこまれていた。もともと外灯のまばらなこの近辺だけでなく、今は町中の明りが絶えている。
「いやー、星が綺麗だなぁ」
空を見上げながら、勘一がいう。どこからともなく虫の鳴き声が聞こえている。
「あの―、僕自転車なんですけど」
「ちょうどいいじゃないか。後ろに乗せてくれよ」
「まいったな。ライトは壊れてるし、タイヤの空気も抜けてるんですよ」
「いいから、いいから」
百山は、どこかから持ち出してきた提灯に火を入れた。
「ほ―、なかなか頑丈そうな自転車じゃないか。使えるな」
「何にです?」
サドルに座った勘一が聞く。
「ま、気にしない、気にしない。よし、出発するぞ」
荷台にまたがった百山は、勘一の背中をひっぱたいた。
「ててっ、馬じゃないんですよ、僕は。あー、それにしても腹減ったなぁー」
二人の乗る自転車は、ふらつきながら夜道を町会長の家へと向かっていった。
翌日の昼すぎ、青く澄んだ空に、唯一煙をたなびかせる煙突があった。町の銭湯『亀の湯』である。頻繁に人が出入りし、非常時とは思えぬにぎわいぶりだった。いましも、タオルと桶を手にした二人連れが、入り口をくぐった所であった。
「おう、おやじ。大入り満員だな」
「いやあ、正直いって、こっちも面食らってんですよ」
「よく釜を焚く薪があったもんだ」
二人の客は、それぞれ五百円札を番台に放り出す。
「ええ、三丁目で空き家の取り壊しをやってたおかげで、なんとか今日の分は確保できましてね。送電停止をくってますから、夜になったらしまいですが、ま、それまでゆっくりしてって下さい」
「ああ、いわれなくても、こちとら仕事もねえし、酒飲んで風呂に入るぐらいしかする事がねえってもんだ」
「それにしても、どうなるんですかねぇ」
おやじが釣り銭を探しながらいった。
「まったくなぁ。政治家どもは疎開してるって話じゃねえか」
「そういう噂ですね」
「けどよ、バルンガはビル壊して暴れ回る訳でもねえし、おれたち庶民にしてみりゃ、これしかねえやな」
おやじのすきを突いて、二人の客は番台越しに女湯へ視線を飛ばそうとした。
すかさずおやじが顔を上げた。
「はい、おつり!」ぴしゃりと番台に小銭を置く。
二人は渋々、脱衣場に向かっていった。
二人が裸になって風呂場に入ると、洗い場は満員だった。はしゃぎ回る子供の甲高い声と、頭にタオルをのせて湯船につかる中年男の浪花節が響いている。
「旅ぃゆけばぁー、駿河の国に茶の香りぃー、ここは──」
「よ、親分、ご機嫌で……」
かけ湯を体にかけながら、件のコンビの片方が中年男に声をかけた。
「ご機嫌のわけがあるかい。あの風船の化けモンのせいで、おまんまの食い上げよ」富士山の絵をバックに、男はいまいましげに毒づく。いくらか酒が入っている様子だ。
「へえ、親分さんとこも、やっぱり……」
「その親分ってのはやめてくれといってるだろ。とうの昔に足洗って、れっきとした堅気の運送屋なんだぜ」 いいながら、運送屋の社長は湯からあがった。若い頃、鉄火場で鳴らした名残りの入れ墨が現れる。肉がたるんで、たれ目になっている昇り龍であった。
「てへっ、そうでしたそうでした」卑屈に笑いながら、コンビは社長と入れ替わりに湯船へ入った。
「アチチーッ!」
湯船で跳び跳ねている二人を尻目に、社長は腰にタオルを巻いて、風呂場を後にした。 体重を秤り、団扇をとってあおぎながら、番台のそばをふと見る。「ん?」
そこには、大きな手書きのポスタ―が貼り出されていた。
「おい、おやじ。こりゃなんだ?」酒臭い息を吐きながら、社長は番台のそばへやってきた。
「見ての通りですよ。さっき、木村モ―タ―スんとこの若いのがきて、貼ってったんで」
「なんだぁ、綱引き大会?」 社長は首をひねった。
なぐり書きのポスターには、でかでかと『町内対抗綱引き大会』と書かれていた。紙の下にいくにつれスペースがなくなり、文字が小さくなっている。
「運動会をやったばかりだってのに、なんで今時分、綱引きなんだ?」
二人の会話を聞きつけ、脱衣所にうろついていた連中や風呂場からあがてきた者が、どやどやとポスタ―の前につめかけてきた。
「ああ、これなら煙草屋の前にも貼ってあったな」
「明日とは、また急な話だな」
「ま、ガキ連れで動物園にいくよりは、金がかかんねえな」
「この唐変木。腹が減りゃあ元も子もないだろ。バルンガがこのまま居座ってりゃあ、物価は天井知らずなんだぜ。まったく何考えてんだか」
「それにしても、汚ねえ字だな」
「おい、実行委員長が百山って書いてあるぜ」「あの野郎、またなにか訳のわかんねえ事をたくらんでるんじゃないのか」
全員が一斉にうなずく。誰もが疑わしげな目でポスターを見ていた。
「優勝チームは、一泊二日で草津温泉に招待だそうですよ」番台のおやじが、女風呂の方に挨拶しながらいった。
「あ、ほんとだ。字が汚ねえんでわかんなかった。……あれ、主催者は町会長だってよ」
「ふーん、じゃあ、まんざらいい加減な話でもなさそうだな」と、運送屋の社長。