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 間もなく、行く手に古ぼけた洋館が見えてきた。門扉は開いたまま錆つき、外壁にはツタが幾重にもからまって、不気味な雰囲気を漂わせている。

 洋館の門をくぐって自転車を降りる。勘一は荒れ放題の前庭を横目に見つつ、古風なドアの前に立った。呼び鈴も押さず、無言で洋館の中へと入っていく。

 窓を覆うツタのせいで、屋内には逸早く暗がりがはびこっていた。天井と壁の境界に、いくつも蜘蛛の巣がかかっている。

 和洋折衷式の玄関には、爪先で底の開きかけている古靴が一足、乱暴に脱ぎ捨ててある。 勝手にあがりこんだ勘一は、長く暗い廊下をずんずん奥へと進んでいった。積もった埃が靴下の破れ目から足の指にへばりつく。

 廊下を突き当たり、右手の部屋の入り口にたどり着くと、そこには手書きの『研究室』という札がかけてあった。くすんだ色の真鍮のノブを押すと、錆びた蝶番が悲鳴をあげながら開いていった。

 その部屋は、スペースの大半を大きな実験台が占めていた。台上には物理実験に使うような装置や機械部品が所狭しと置かれ、壁際には、おびただしい薬品を収めた棚と学術書の並ぶ書架、そして、びっしり数式の書きなぐってある黒板が見える。

 奥の方から、ズルッ、ズルッと、何やら妙な音が聞こえてくる。

 入り口から一段下がった床にスリッパがある。それに足を入れ、勘一は部屋の奥へ入って行った。

 窓際の机に向かって座る白衣の背中が見える。

「どうも、しばらくです」

 勘一の声に、白衣の男が椅子をくるりと回転させ、こちらに体を向けた。

 ぼさぼさの髪と広い額。ぶ厚い眼鏡のレンズごしに、得体の知れぬ光を放つ細い目がこちらを見返す。勘一が師とあおぐ、百山源九朗、三十五歳であった。鍋から直接インスタント・ラーメンを食べている最中。

「おう、きたか。絶好のタイミングだな」

 ラーメンのスープを飲み終え、鍋をブンゼン・バーナーの三脚台に置くと、百山はハイライトのパッケージから一本とって、徳用マッチで火をつけた。

「仕事はすんだのか?」

 タバコを吹かしつつ、マッチに残った火でランプに明りをともす。

「どうせ仕事なんてありませんよ」

 ランプの明りでできた影が、ふらふらとひび割れた壁にゆらめく。かつては近隣の民家とかけ離れた風格を漂わせていたであろうこの屋敷も、今や恐ろしく古びてしまっている。現在は変り者の百山一人が住むだけだったが、その一族がかつて、相当の資産を有していた事は想像に難くない。百山自身、ある有名学者の子息という噂さもあるが、本人はそのへんの事をいっさい話さなかった。

「あれ……か」

 百山が蜘蛛の巣だらけの天井を指さす。

「ええ、自動車は一台も動けませんからね。修理したエンジンの試運転だってできやしない。バルンガのおかげで商売上がったりだって、おやっさんぼやいてますよ」

「その割に、おまえは呑気そうじゃないか?」 にやりとしながら、百山はいった。

「でっへっへ、日曜日みたいなもんですからね。けど、オートバイも乗れなきゃ、エレキも弾けないなんて、僕だってどうにかなっちまいますよ」

 勘一はそういいながら、そばにあった簡素な椅子を百山のさし向かいに持っていき、腰をおろした。

「ふん、バルンガの退治なんぞ、おれにまかせればチョチョイのチョイさ」

 鼻の穴から盛大にハイライトの煙を吹き出し、百山は嘲るような笑みを浮べた。

「え! そんな事できるんですか?」

「奴の浮かんでる場所を考えてみろ。東京タワ―にロケット・エンジンをつけて、あいつのどてっ腹に突き刺してやればいいんだ」

 勘一はぽかんと口を開け、しばらく天井を見あげていた。バルンガのどてっ腹というのがどのあたりなのか、まったく見当がつかない。「でも、自衛隊の戦闘機が攻撃を仕掛けて、全然歯が立たなかったじゃないですか。ミサイルは吸収されるし、戦闘機は爆発するし」

「吹っ飛んだエンジンが吹上御所の屋根を突き破ったって話だな。一挙に全体を破壊しないからああなる。大雑把な計算だが、タワ―の4つの脚を切り離して、それぞれにサタ―ン・ロケットのエンジンを装着すれば、タワ―はミサイル並の速度で飛び出すはずだ。各エンジンの推力を違えてやれば照準も可能だし、展望台に爆薬を仕掛けて、バルンガに突き刺さった時に同時爆発させれば、恐らく奴はまっ二つに裂けるだろう」

 百山は確かに、その発想のユニ―クさにおいては誰にもひけをとらないかもしれない。が、発明家としての真の実力のほどは、勘一にははかりかねた。

 百山自身の弁によると、過去に大ヒット間違いなしの『ピ―ナッツ・マシン』というのを発明したのだが、特許申請で柳家金語楼に遅れをとり、大儲けのチャンスを逸してしまったという。しかし、殻を自動的に砕いて、南京豆を空中に放り上げる機械などいまだにどこにも売っていないのを見ると、眉に唾をつけたくもなる。だがそうかと思うと、木村モ―タ―スに持ちこまれたフォルクス・ワ―ゲンのエンジンを、散歩で訪れたついでに鼻歌混じりになおして見せたりして、ただ者ではない片鱗をうかがわせる事もあった。

「しかしまあ、ロケット・エンジンをアメリカに借し出させるほど、佐藤に甲斐性はねえだろうな」

「じきじきに対策本部へ出向いて提案すればどうです? 本当に計算が正しければ実現するかもしれないし、そうなりゃ先生も一躍有名人ですよ」

「やなこった。怪物退治なんぞ興味はない。いや、それどころか、バルンガにはもっともっと成長してもらわんと困る」

「はあ?」

「たとえ首尾よくバルンガを退治したとして、どうなる? せいぜい、表彰されて雀の涙ほどの報奨金が出るだけだ。そんな自分の得にもならん事をして喜ぶ奴は、いくさの時にみんなくたばっちまったよ」

 短くなったハイライトを汚れ放題の床に落とし、スリッパの底でぎりぎりと踏みにじる。「でも、このままじゃあ人類は滅亡だって……。そんな事いってていいんですか?」


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