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SEWー繕い人 NO.16           SEWING TABLE COFFEE で繕われた人や事柄を綴っています。

中国、大年の旅から

1つ2つの季節がうつろい、

夏の旅の事を思い出そうとしていた今朝、

スエ婆ちゃんが、よっこらしょと自分が育てた1つのでっかい白菜を、

私のところまで届けてくれました。

白菜は、手押し車のカゴに1つ入るといっぱいになるほどの

立派に大きく育ったもので、

その、でっかくてどっしりとした白菜を1つ届けるために

今朝もスエ婆ちゃんは、スエ婆ちゃんの歩幅で一歩一歩押し車を押して

来てくれたのです。

その道なりは、お婆ちゃんが歩くのには、近いようでいて、長く、

それでも、1つの白菜を届けるために、やって来てくれるのです。

その野菜は、季節と共に一瞬をも見逃さぬ厳しい目と、愛情がそそがれ

大事に育くんだ、日々のメッセージのようなもので、

今朝も、いつものごとく、私のいる丘に、丁寧に辿りついたのです。

スエ婆ちゃんは、

ずっと長年畑仕事を続けてこられた、86歳になる近所のお婆ちゃんで、

何十年もの間、畑をひた向きに続けてこられた、大きくてたくましい手の持ち主です。

一つの事を、ひた向きに紡いでいくことの意味、

ただただ謙虚でいて、強い意志のある生き方を、

スエ婆ちゃんの日常の何気ないしぐさや、言葉から、

その深さを知ろうとする自分がいました。

それは私にとって、とっても今

実感したかったことだったのかもしれません。

スエ婆ちゃんの、日常の何気ない会話や、しぐさに包まれる

タカラモノのようなメッセージを、大事に思う日々です。

そして、思い起こすと、

ある日突然に、美しい刺繍がほどこされた靴が、私の目の前にあらわれました。

それはもう眺めていると楽園がとじ込められたような

美しく心の詰まった、靴でした。

その靴は、中国の山奥に住むトン族のお婆ちゃんが

孫のために刺繍した靴だと聞かせれました。

そう、それが玉ばあちゃんが小石のために縫い上げ刺繍をほどこした、靴です。

そのたった1つの靴の刺繍をのぞき込むと、

まるですべてが、息をしているかのように、生き生きとして、

思いやる気持ちが、あふれんばかりに、詰まっていました。

そしてそれは、誰かのことを思い願う感情と、長年の熟練の見事な手仕事が

交わさった、「心」が形となった素晴らしいものでした。

私はその時、同時にスエ婆ちゃんの手が創る、お野菜を思いだしていました。

すぐさま、中国にいる玉婆ちゃんの、手や目はどんなだろう、、

会ってみたい、、と深く思えました。

そして、そんな思いは、まるで魔法のように叶えられ、

気づけば、海、空を越え、

山あいを何時間もゆられ、玉婆ちゃんの元へとめざしていたのです。

山深い大年の村に近づくほどに、

どこか懐かしいような感情が、込み上げてくるのを思い出します。

あれは何だったんだろう、、と今もふと思います。

そして、とうとう玉婆ちゃんと、対面する事が出来ました。

私は今でも目を閉じれば、一番にあの瞬間を思い出します。

初めて対面した、玉婆ちゃんの笑顔と目の強さは、本当に印象深く

あ、、やっぱり、、と思いました。

想像していた通りの方でした。

スエ婆ちゃんと出会った時と同じ感情でした。

会った瞬間から、一刻も何かを吸収したいと感じました。

一瞬にしての、思い憧れです。

玉婆ちゃんのたたずまいすべてが、生き方そのもののように思えました。

凛とした強さと愛情の深さがにじみでていました。

刺繍道具が詰まった籠を、大事に抱え、

部屋の片隅に置き、小さな椅子に腰掛け、老眼鏡をかけ、

籠からきれいな小生地を選び、極上に小さな針に細い糸が通りました。

そして運針がまるで、呼吸するリズムのように、ここち良くはじまります。

目の前で、、きれいな刺繍が一針ごとにあらわれ、

それは例えるなら、

やさしい歌を耳元でささやかれるような、そんな穏やかさでした。

次の日、小石の家に、近所の家々の美しく刺繍された包包が、いくつか集まりました。

それらの包包がずらんと並んだ時、そのものの力強さに、圧倒されました。

各家々の母なる女性が、思いを託すように、

どれも数ヶ月、数年かけて、丁寧に仕上げたものばかりです。

包包は、子供たちへの幸運の祈り、母の思いがカタチになったものです。

でも時にそのものが、生活する為のお金にチェンジすることもあると、知りました。

包包が、子供のための学費になり、医療費になり、家を修理し、

生活するための大切なお金になったりもする、、

けれど、何より思ったのが、

母なる女性達は、純粋に大事に思う者のために刺繍をする、その一瞬が、

どれだけ心豊かで、むしろおだやかな時間だったんではないだろうか、、

きっと労働の疲れさえも、癒されるほどだったんじゃないだろうか、、

誰かを思って、何かを仕上げたことのあるものなら、きっとわかるはずです。

見る見るうちに、目の前で美しさが、カタチとなっていゆくことに、

純粋に、彼女たちは喜びを感じているんじゃないだろうか、、と。

玉婆ちゃんの刺繍する姿を眺めていると、

そんな、ふところの深さ、

ゆるぎなさ

そして、心の豊かさが、

まっすぐに感じれるよな、

そんな、気がしました。

私は大年(中国)の玉婆ちゃん、星ヶ丘(日本)のスエ婆ちゃんの

二人の、たくましく謙虚に紡ぐ様をかいまみて、

言葉にならない勇気をもらえたような、気がします。

そして、

このことを、ささやかにも私は、

どんな風にこれから、紡いでいけるかな、、と清々しく空を見上げ思っています。

出会えた事に、ただただ感謝するばかりです、、、

謝謝

「 大年 刺繍の村 旅にて「 大年 SEWING TABLE COFFEE  玉井恵美子

 

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