相対化する。



鳥肌実が右翼のカルカチュアライズに成功した例だとするなら、左翼のカリカチュアライズに成功した作品は外山恒一の政見放送 だと言える。
この政見放送を充分堪能(笑)した上で、コレを観ると更に楽しい。
外山恒一の政見放送 逆再生

ここで僕が言いたいのはこの人を笑い者にしてしまおうという事ではなく、「表現とは常に共犯である」ということなのだ。
この人は自分の言ってる事の相対化に成功している。笑えるキャラ作りをしてる。「ダメ連」と通じるものがある。
「ダメ連」の自己相対化やらスタイルやらをパクったのが「昭和40年会」だと僕は思っている。

世の中全て「スペクタクル」である。と言ってしまえばそれまでなんだが、
ホントは「見せ物」であって、「共犯関係」がないと成立しないのが表現だ。

「アート批判をアートの場でする」にしても、「アート批判をアート以外の場でする」にしても「場」を提供してもらわなければならない。批判される側が場を提供するワケでそこには共犯関係が常にある。
これがイヤラシくなる場合と痛快になる場合がある。

だからこそ「スクワット」する意識が必要なのだが、
場をスクワットするにしてもそこには「共犯関係」が必要なんじゃないかと思っている。

まだ、ちょっとまとまらないけど。
相対化って相対化って言葉自体からしてムズイ。
相対化とは?僕としてはこんな感じ→「たかが…されど…」 by uumin3の日記

投稿日時: 火 - 3月 27, 2007 at 01:11 午前          


©