Squat 01『スクワットの定義を日本の風土に合わせて考え直してみる』【squat(スクワット)】
━━ vi. (〜・ted, 〜; -tt-) うずくまる, しゃがむ ((down)); 〔英話〕 ぺたりとすわる; 公有地に無断居住する. ━━ a. しゃがんだ; ずんぐりした. ━━ n. しゃがむこと[姿]; 無断居住地. (goo辞書より) 『スクワットの定義を考え直してみる』 ●僕的スクワットの定義 「空間を自分(達)に引き寄せようとする意志と行為」 抽象的だけど。様々な行為を「スクワットである」とか、「スクワット的だ」とか言えるようになると楽しいのではないだろうか。 何故そんな事を思ったのかと言うと、スクワットの事象が限定され過ぎていて日本では使いにくい。 この国の場合、「心意気はスクワットだけど…」「本質的にはスクワットなんだろうけど…」、事象が異なるのでスクワットと呼ばれない。 その事象とは「建物(廃墟)」である。建築物が絡まないとスクワットと定義されないのだ。 ●日本には廃墟が少ない スクワットの伝統があるといえばヨーロッパ。「廃墟に住み着く」ことがそもそものスクワットなわけで、要するに建物(廃墟)が必須条件だ。 しかし、日本の都心に廃墟は限りなく少ない。 何故か? 日本はそもそも木造建築なので建て直したり作り替えたりを前提としている。建築は恒久的なものではないという無意識があると思う。 再開発に対して僕は殆ど批判的な見方をするけれど、この伝統的「建て替える無意識」も働いてるような気もする。常に建て替えて行くという無意識的ベクトルが廃墟を少なくさせている一因かも知れないと思うのだ。 ヨーロッパ・スクワットの定義を忠実に守るならば、日本ではスクワットがほとんど生じないということになる。 では、本当に日本にはスクワットがなかったか? というとそうではない。新宿西口地下道段ボールハウス村は確実にスクワットだったと言える。短い期間ではあったが自律的自治まで形成されていた。 日本の場合、スクワットとは建物を占拠するのではなく土地(空間)を占拠する形をとるのではないだろうか。 地下道以外では代々木公園などの公園、河川敷、、、その多くは建物ではなく空間そのものを示す。 すると日本を代表するスクワッターとはホームレスの人達となってしまう。 殆どの路上生活者は能動的に不法占拠をしているのではなく、やむにやまれぬ様々な事情があってのことだ。 ホームレス=スクワッターとは言えないけど、スクワットの重要な要素はあると思った。 ●ホームレスの人達から垣間見れた「スクワット」 1・建物から作る(空間設定から作る) 野宿者たちはまず家を作る。ただ、段ボールを重ねて身体に掛けるだけという形態から、協同して家を作る形態まで様々だ。 日本の場合、スクワットとは「建築物を作る所から始まるのではないだろうか」と僕は思ったのだ。 あらかじめ建物(廃墟)が存在するヨーロッパ型スクワットより手間がかかるのだ! ここに「日本オリジナルのスクワット」があるのではないだろうか? 「建物」とはあらかじめ空間設定してある存在だ。日本の場合、空間設定から創造してはじめて「スクワット」を成し得た事になる。日本の方が遥かにメンド臭くてクリエイティブと言う事が出来るのではないか。 2・自分たちの空間が形成される(コミュニティーの出現) 家と家の間に空間が出来る。するとそこは家の中とはちょっと違う居場所になる。共有空間だ。 共有空間が生じ、複数の人がその場所にマッタリ出来る状態は「コミュニティーの出現」を意味すると思う。 この空間はオープンであるにも関わらず、外部の人間が無遠慮に入り込める雰囲気はない。何かを共感しないと入れないのだ。 コミュニティーが出現すると目に見えない大きな力が働き出す。けれどコミュニティーをいい感じにキープするのはとても難しい。コミュニティーはいずれ解体する。 腹を割って話し、心の奥底まで通じ合った場所ほど、そのコミュニティーが瓦解する時は悲惨で、一生立ち直れないくらいの傷を背負うことすらある。 3・切実で不可思議な必然性を孕んでいる(直観的問題なのだが。。。) スクワットの本質に何か不思議な次元の「意志」であるとか「イメージ」であるとか「思考」とか「哲学」があると思う。 「理想」や「イデオロギー」や「スローガン」とは違ったもうちょっと不可思議な「必然性」とでも言ったら良いのだろうか。 テント村を見たりした時、その有り様に奇妙な必然性を感じる事は多い。 むしろ合法的に進められる「下層民集落を潰しての巨大建築」、「地元商店街を潰しての駅前再開発」、「画壇系が牛耳るパブリックアート」などの方が「暴力的」で「必然性を感じない」事が多かったりする。 この直観的な事柄も重要なスクワットの要素なのではないだろうかと思ったりする。 合法・非合法は問わず、 「空間を自分(達)に引き寄せようとする意志と行為」をスクワットと定義し直し、 出来るだけ上記の3つの条件を満たせるような事柄を実現(作品化)すれば面白いのではないだろうか。 ●定義し直されたスクワットを見てると沸いてくる素朴な疑問 そうなると、 ・電車内で化粧をしてる女性は車内空間をスクワットしてることになるのだろうか? ・暴走族が道を我がもの顔で占領してるのもスクワットか? ・日本国内に描かれている「いわゆるグラフィティー」はスクワットだろうか? ・公共の土地に勝手に花を植えてるオバサンはスクワッターなのか? etc... ちょっと考えて行きたいです。 お腹すいたので、今日はここまで。 (野宿をしている人達を「ホームレス」という言葉で括ってしまうのに実はちょっと抵抗があります。「ホームレス」という一つの言葉で表現しきれない多様性があるからです。「典型的ホームレス」とか「記号的ホームレス」を作ってしまいがちですが、本当は驚くほど一人一人が違っています。アウトオブシステムを典型化させることは出来ません。「闇」は深くて計り知れないように。だから便宜上「ホームレス」という単語を使ってしまってる自分にもちょびっと罪悪感を感じます。しかし使ってます。あしからず) |
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