オルタナティブスペースは電脳へ。。。か?



最近、やっぱりGoogleって凄いなあって思ってんの。ようつべ買収とかだけじゃなくて。
グーグルアカウントを取得して、まずパーソナライズドホームが作れる。
で、興味深いのはGoogle Docs & Spreadsheets 。要するにワードとエクセルなんだけど、それがブラウザで動く。いや、その事が重要なんじゃなくて、ファイルが本人のパソコンに保存されるんじゃないのよ。で、それをコラボレート出来る。つまり原稿の仕事の場合、第1稿、2稿、のやり取りがスムーズになる。グーグルがあればしのげちゃうのではないか?
Google Reader も興味深い。はてなももちろん面白いけど、グーグルにはなんか底知れぬものを感じたりする。
そんで、簡単な画像処理とかなら出来ちゃうのがこれ、エイジャックスピクス 。グーグルじゃないけど。

つまり、パソコンさえあれば、アプリケーションもWEB。ファイル保存もWEB、というかサービスをしてるとこのサーバというか。WEBだからクライアントのやり取りがスムーズ。という風に完全に移行するのではないだろうか。
そうなると「所有感覚」はない。お手紙を向こうに届けるという感覚ではなく、共有されたスペースでやり取りをする感覚。仕事って仕事内容を本人が所有したい訳でもないから尚更都合が良い。

情報(データ)に置き換えられ得るもの全ては所有ではなく共有になっていく。
ここで人類は緩やかに見えるけどかなり革命的に意識が変容すると思うんだけどどうなんだろう、って思う今日この頃の武盾一郎です。こんばんは。


で、続きなんだけど、今、物理的にフリーで共有するスペースがないんですよ。店に入る事は出来るけどそれは有料。新宿西口地下道広場は催事場と化し、新宿の公園のベンチは寝る事も出来ない。
物理的、身体的な事柄では「共有」がしにくい都市。地方都市、田舎だってそうかも知れない。

なんで、そんな事を思ったのかと言うと、たまたま本棚からパラパラと「墓場の鬼太郎」(ゲゲゲの鬼太郎の原形。貸本というスタイルがあった頃のマンガ)を観たとき、鬼太郎の暮らす場所は所有者のあいまいな土地なんですよ。ボロ屋があって勝手に住んでるとでも言ったら良いのだろうか。

で、時々出歩いたりする時、なんか息苦しいんだよなあ。って感じるときがあるんだけど、それは「今やほとんど全ての物理空間には所有(或は意図)がハッキリしていて、所有者不明の隙間ってヤツがない」って事に気が付くんだよ。

もちろん公園は共有スペースだけどさ。
例えば団地の公園の場合は小さな子供とその母親たちだけの為にあるんだよ。僕にはその公園のベンチに座る空気は許されてない。これは僕のグチだけど、物理的スペースでのフリー共有がしにくいのはあるような気がするんだ。

だから、Googleのようなサービスが出て来てるのではないだろうか。
それはそれで、いいんだけど。

人間は結局身体に帰ってくる。

幽閉された物理空間で、電脳内でオルタナティブスペースが繁栄する。。。。か。
けど、2ちゃんもmixiもそういうことだよな。

でも、結局最後は、身体に帰ってくる。
そこなんだけど、じゃあそんで、どうするか。
まだ分らんわ。

なんかモノローグ。。。

じゃあ、気を取り直して、DJコーナー!!
なんかアンニュイ。。。こういう時って思いっきり知らない曲聞くのもウザイし、かといって聞き過ぎたCDを聞くのもゲンナリする。
そんなあなたに、今宵はT.REX!
過激すぎず、情緒過ぎもせず、かといってつまらなくはない。
毎度おなじみ空想ラビュリントスのブックマーク よりめっけました。
おなじみテレグラムサムです!
「もうなんで2006年の秋にT.REXのテレグラムサムなのよっ!!」っていう意外性ですね。
こういうの、「心の空き地」っていうんですか。
では、

レッツラリッスン !!

投稿日時: 木 - 10月 19, 2006 at 01:24 午前          


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