あーっ!またやられた!



7月1日から禁煙を志す所存の武盾一郎です。おはようございます。

ってことで、学校というモノは本来、独立自治区なのであります。そこで「人間力」を養うワケでしょう。
そこに公権力が侵害してくるというのはあってはならないことなんです。そんなことが起こったら「学校の本質が意味をなしていない」ことになってしまいます。
しかし、この国の場合は最初から学校と云うモノは「お国」ベッタリで自主自立も無かったのかも知れません。

と、ノーガキたれたところで、ふと観てしまったコレ にやられてしまったのです。(空想ラビュリントスのブックマーク より)「腐ったみかん」です。
ジェネレーション的にピンポイントなんで「やられない」人の方が多いと思われます。
「本当は優しい人」が悪とみなされる瞬間。


でですね、僕の観る限り、非常に残念ですが、
まともで、真面目で、やさし過ぎて、優秀な人は病気になってしまうことが多いです。
そして、まともで、真面目で、やさし過ぎて、あんまし優秀ではない人は貧乏に喘ぎます。
「優秀」と言ったのは、本当に優秀という意味でです。ですから、これは差別発言です。


今の時代、もっとも必要なのは「姑息(こそく)」であること、だと痛切に感じます。
姑息な人は幸せを手に入れます。
姑息な人は金も手に入れます。
姑息な人は権威も手に入れます。
姑息な人は地位さえ築きます。

姑息になれない人は、真摯でまともでやさしい人が多いんです。そして、誤解されやすい人が多いです。

僕はなぜ、やさしい人に限ってこういう境遇に会うんだろう?って常々疑問でした。
で、分かったのはこれらの「能力」です。
・コミュニケーション能力
・仕事技術能力
とても真面目でやさしい人が病気になったり貧乏に苦しんでたりする場合、この二つの能力のいずれかあるいは両方が欠落してることに気が付いたんですね。
コミュニケーション能力が特に決定的だと思います。

どんなにやさしい人が「優しい本心のまま」に人に接しても、人は「ご都合ととりまく社会」に縛られてる訳であってその人の発言の意図が汲み取れないことが多いのです。
「やさしい人」だが「クレバー」じゃない場合、機転が利かないので、「ご都合ととりまく社会」に囚われてる人からすると気色悪く思われてしまうんですよ。きっと。ホントに伝わるのは「心」だ。と、かたくなにっても、ますます孤立してしまったり。。。

仕事技術能力、ってのはですね、ホントに飽きっぽい人っているんですよ。いろいろ習得する前に辞めちゃう。ホントに飽きっぽいの。だから、何も身に付かない。人間関係も我慢出来ない。そう聞くと、ダメ人間なんですが、こういう人に限って「やさしい」のです。

僕の経験上ですが、この日本社会で、「落伍者」「浮浪者」「ホームレス」「立ち直れない被災者」「(抽象的意味で)やくざ」とか、本人に問題があるとして片付けられられてしまってる人たちは、案外、「心の性根」を持っていたりするんです。
僕はその事実を知りながらなかなかそれを言えませんでした。何しろ、もっと酷いこともあったものですから。

まあ、あらかじめ「権威」を持ってるかどうかってのも決定的だったりします。一流大学(と呼ばれる)出身者は同胞で群れて権威を保持するから。

これからは口をつぐむのではなく、表現出来たらと思ってます。




ちなみに
よく、理想のタイプは?という質問に「やさしい人」と答える女性がいます。
往々にして本当に「優しい男」は浮浪者状態になります。決して社会の勝ち組になりません。
ですから、「好きなタイプは?」という質問にはせめて、「金持ち」とか「権力者」と答えて下さい。
もし「やさしい人」と答えるなら、それ相応の覚悟をして答えて下さい。

(BGM:もちろん中島みゆき)

投稿日時: 土 - 7月 1, 2006 at 04:53 午前          


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