Jan 2007
「あるある」からマスメディア、視聴者像批判
最近はあるあるの捏造番組が話題になっているようですが、遠巻きに見ているからか、一体何が大問題なのか自分には検討がつかないのです。納豆が健康にいいという情報がウソだった?視聴者はだまされて納豆買った?やらせ?捏造?偽装?ちょっとまって。
今まで○○が健康にいいという番組はいくつありました?その食べ物がすべて体にとって並外れてよい効用をもたらすのであれば、ほとんどの食べ物が「健康食品」といってもおかしくないですよ。ようはその食べ物は健康によいという物語さえ作ることができればいいのですから。TV番組はどのジャンルもわかりやすい物語でさえあればよいのです。バラエティもドラマもスポーツも報道でさえも。
ビジネスにとって健康は最大の武器の一つなはず。食べ物も化粧品も衣料品も住居も筆記用具でさえも健康によいというイメージはくさるほど溢れ帰っているじゃないですか。そのどれもが書かれている通り健康によいと調べた人はいるのでしょうか?ほとんどの人は分からないはずです。ビタミンCが豊富?ビタミンCは大量に工業生産した白い粉ですよ。泥が体に良い?地中には結構ダイオキシンが含まれているはずですよ。お〜い。
結局今回この話題が「事件」になったのは、あるあるの番組で納豆買う人が増え、かなりヒットしたためにそのことをメディアで取り上げられ、いつもは目立たないところで番組内容に反論している人の声がたまたま小耳に入り、ちょうど大衆の関心が向いた頃に(こういうときだけ)タイミングよくスクープしたということでしょう。ただセンセーショナルなのではないか。結局制作者が恒例のいじめ形式でたたかれて話題はすぐに消え去るのだろうか。
今まで○○が健康にいいという番組はいくつありました?その食べ物がすべて体にとって並外れてよい効用をもたらすのであれば、ほとんどの食べ物が「健康食品」といってもおかしくないですよ。ようはその食べ物は健康によいという物語さえ作ることができればいいのですから。TV番組はどのジャンルもわかりやすい物語でさえあればよいのです。バラエティもドラマもスポーツも報道でさえも。
ビジネスにとって健康は最大の武器の一つなはず。食べ物も化粧品も衣料品も住居も筆記用具でさえも健康によいというイメージはくさるほど溢れ帰っているじゃないですか。そのどれもが書かれている通り健康によいと調べた人はいるのでしょうか?ほとんどの人は分からないはずです。ビタミンCが豊富?ビタミンCは大量に工業生産した白い粉ですよ。泥が体に良い?地中には結構ダイオキシンが含まれているはずですよ。お〜い。
結局今回この話題が「事件」になったのは、あるあるの番組で納豆買う人が増え、かなりヒットしたためにそのことをメディアで取り上げられ、いつもは目立たないところで番組内容に反論している人の声がたまたま小耳に入り、ちょうど大衆の関心が向いた頃に(こういうときだけ)タイミングよくスクープしたということでしょう。ただセンセーショナルなのではないか。結局制作者が恒例のいじめ形式でたたかれて話題はすぐに消え去るのだろうか。
|
仙台短編映画映画祭としてパブリックに提示する映画祭像
映画祭という形式で映画上映を行うことの利点の一つとして、映画館の様に商業的価値感に縛られる必要がないという点である。商業的価値観は観客動員数という指標に集約され、そのため劇場では映画の内容如何に関わらず宣伝としてわかりやすくインパクトのある映画の方が上映しやすいことなどから、商業的に成功する映画と面白い(または観客から評価を受ける)映画は必ずしも一致しないと思われる。それに比べ、映画祭に来ようと思う観客は自ら映画が面白いと思っている人たちが多く、映画を全く見ない人に対してもわかりやすい宣伝である必要性は薄い。よって主催する側も主観的な面白さという指標を用いる余地が広い。
また、映画祭は映画の製作ー配給の流れに縛られる必要はなく、あらゆる時代に製作された映画から「今」映画として提示したい考えに基づいて映画上映ができる。そのため、特集などの形でコンピレーションCDアルバムのようにあるテーマに基づいて映画を選択できる。
□短編映画であること
・コンピレーションCDのようにテーマに沿っていくつか映画を上映するという形態がとりやすい
・製作しやすいし手軽にみれる→何らかの目的による作品応募、公表がしやすい
・短編映画という映画の潮流の認知度を高める
・何が(短編)映画なのかという概念に関する問題定義
.....
□映画祭の目的
・世界的な短編映画の認知度を高める、商業映画への若手発掘などの大義名分→そのような規模も予算もないのでは?
・町おこし、観光
・仙台での映画製作者の育成、発掘、仙台の映画を認知度を高める
・観客と制作者が出会う場(どういう観客と制作者?)
・古きor最近のよき映画を見てもらう場を作る
・ある特定のテーマに従ったユニークな映画を上映して楽しむ
・映像として何かを語ること、それについて話をする場を作る
.....
□公募
誰から何をテーマに映画を募集して何を基準に選択して映画祭で何を提示していくかの公募の目的
映画祭のテーマに沿った映画を特定の対象から募集し、そのテーマに沿った「面白い」映画を選定する。
・商業映画への若手発掘(全国、全世界応募)
・仙台or東北での映画製作者の育成(地域限定応募)
・仙台or東北での映画製作の奨励(仙台or東北舞台の映画応募)
・新鮮な実験的な映画の発掘(全国、全世界応募)
・様々な制作者の映画が見たい(全国、全世界応募)
.....
総括
こないだの話では、映画祭として上映、応募、交流を重要な点とし、物語を編み出すとのことだった。
言葉を変えると、商業映画や趣味、素人の映画製作者らとそれを見たり作るのを楽しみにする人たち(映画祭スタッフ、観客)とで広く交流できる場を作りたいということなのだろう。もしこの意味での映画祭ならば、制作者と観客が目に見える位置にくるため、従来の雲の上の製作者ー映画を消費する観客という関係が曖昧になる。そこに様々な視点の人による交流の場が生まれるという面白さがある。これは映画祭の趣旨として十分なものだと思う。
映画祭の包括的なテーマとしてこの交流の場を設定することで曖昧になるのは、細部の目的である。例えばどのようなプログラムを作るかとか、応募作品をどのように選定するか、・・・その点が曖昧になるため、プログラムや応募の選定などで様々な方向性が混在される。もちろんそのように様々な方向性からスタッフが作りたいプログラムを作れることはそれでよいと思うが、回ごとの一貫性がなく、映画祭としてまとまりに欠けるのでは。
そのため、毎年行うシリーズ物のプログラム(他の映画祭のダイジェストプログラムorある日本の映画監督プログラム、今話したい監督プログラムなど。現時点で公募プログラムがそれに当たると思われるが、映画祭の目的と照らし合わせると形式的に行っているというようにも感じられるのではないか)を作るか、回ごとに映画祭の趣旨に沿ったテーマを決め映画祭としての方向をつけるかが必要なのではないか。
なぜ仙台かと言われれば、上記の交流の場を設けるのにちょうど適する規模の町だからという点
たまたま場を作りたい人が集まったのがたまたま仙台だったから
仙台市や東北の人に発信するという意識はあっても経済的に地方に還元するなどの目的は持たない(のか?)
□なぜ公募を行うか
公募をその対象者の業界への発掘や育成が第一の目的で行ってはいないと思うので(というのも公募で上映が決まった人をどう宣伝していくかのような話を映画祭でしていないので視野からずれていると思われるから)、上記の映画祭の目的に照らし合わせるならば、そこに最も興味をもつのが映画を作りたいと思う人であり応募してきた人はまず参加したいと思うはずである。そのため、公募は映画製作者に対する本映画祭の宣伝、あるスタッフの視点からみた面白い才能たちという映画祭内のプログラムの一つとして位置するのみ。また、才能の発掘等の目的がなくとも、映画祭でなぜその短編を取り上げることにしたのかを明確ににするために、審査員がその短編を選択した趣旨等を文章として公表しておくなどはしてもいいのではないか。
仙台短編映画映画祭がどのような映画祭かという特色や他の映画祭と住み分けは映画祭として提示した方がよいだろう。かといって、アイデアをテーマや映画祭の目的に沿わないからという理由のみで切り捨てるような利用の仕方はよくないのではなないか。
また、映画祭は映画の製作ー配給の流れに縛られる必要はなく、あらゆる時代に製作された映画から「今」映画として提示したい考えに基づいて映画上映ができる。そのため、特集などの形でコンピレーションCDアルバムのようにあるテーマに基づいて映画を選択できる。
□短編映画であること
・コンピレーションCDのようにテーマに沿っていくつか映画を上映するという形態がとりやすい
・製作しやすいし手軽にみれる→何らかの目的による作品応募、公表がしやすい
・短編映画という映画の潮流の認知度を高める
・何が(短編)映画なのかという概念に関する問題定義
.....
□映画祭の目的
・世界的な短編映画の認知度を高める、商業映画への若手発掘などの大義名分→そのような規模も予算もないのでは?
・町おこし、観光
・仙台での映画製作者の育成、発掘、仙台の映画を認知度を高める
・観客と制作者が出会う場(どういう観客と制作者?)
・古きor最近のよき映画を見てもらう場を作る
・ある特定のテーマに従ったユニークな映画を上映して楽しむ
・映像として何かを語ること、それについて話をする場を作る
.....
□公募
誰から何をテーマに映画を募集して何を基準に選択して映画祭で何を提示していくかの公募の目的
映画祭のテーマに沿った映画を特定の対象から募集し、そのテーマに沿った「面白い」映画を選定する。
・商業映画への若手発掘(全国、全世界応募)
・仙台or東北での映画製作者の育成(地域限定応募)
・仙台or東北での映画製作の奨励(仙台or東北舞台の映画応募)
・新鮮な実験的な映画の発掘(全国、全世界応募)
・様々な制作者の映画が見たい(全国、全世界応募)
.....
総括
こないだの話では、映画祭として上映、応募、交流を重要な点とし、物語を編み出すとのことだった。
言葉を変えると、商業映画や趣味、素人の映画製作者らとそれを見たり作るのを楽しみにする人たち(映画祭スタッフ、観客)とで広く交流できる場を作りたいということなのだろう。もしこの意味での映画祭ならば、制作者と観客が目に見える位置にくるため、従来の雲の上の製作者ー映画を消費する観客という関係が曖昧になる。そこに様々な視点の人による交流の場が生まれるという面白さがある。これは映画祭の趣旨として十分なものだと思う。
映画祭の包括的なテーマとしてこの交流の場を設定することで曖昧になるのは、細部の目的である。例えばどのようなプログラムを作るかとか、応募作品をどのように選定するか、・・・その点が曖昧になるため、プログラムや応募の選定などで様々な方向性が混在される。もちろんそのように様々な方向性からスタッフが作りたいプログラムを作れることはそれでよいと思うが、回ごとの一貫性がなく、映画祭としてまとまりに欠けるのでは。
そのため、毎年行うシリーズ物のプログラム(他の映画祭のダイジェストプログラムorある日本の映画監督プログラム、今話したい監督プログラムなど。現時点で公募プログラムがそれに当たると思われるが、映画祭の目的と照らし合わせると形式的に行っているというようにも感じられるのではないか)を作るか、回ごとに映画祭の趣旨に沿ったテーマを決め映画祭としての方向をつけるかが必要なのではないか。
なぜ仙台かと言われれば、上記の交流の場を設けるのにちょうど適する規模の町だからという点
たまたま場を作りたい人が集まったのがたまたま仙台だったから
仙台市や東北の人に発信するという意識はあっても経済的に地方に還元するなどの目的は持たない(のか?)
□なぜ公募を行うか
公募をその対象者の業界への発掘や育成が第一の目的で行ってはいないと思うので(というのも公募で上映が決まった人をどう宣伝していくかのような話を映画祭でしていないので視野からずれていると思われるから)、上記の映画祭の目的に照らし合わせるならば、そこに最も興味をもつのが映画を作りたいと思う人であり応募してきた人はまず参加したいと思うはずである。そのため、公募は映画製作者に対する本映画祭の宣伝、あるスタッフの視点からみた面白い才能たちという映画祭内のプログラムの一つとして位置するのみ。また、才能の発掘等の目的がなくとも、映画祭でなぜその短編を取り上げることにしたのかを明確ににするために、審査員がその短編を選択した趣旨等を文章として公表しておくなどはしてもいいのではないか。
仙台短編映画映画祭がどのような映画祭かという特色や他の映画祭と住み分けは映画祭として提示した方がよいだろう。かといって、アイデアをテーマや映画祭の目的に沿わないからという理由のみで切り捨てるような利用の仕方はよくないのではなないか。