Nov 2006
トゥモローワールドにみる日本映画宣伝の病
「トゥモローワールド」という映画が公開中である。舞台は2027年、イギリス。人類に子供が産まれなくなって18年。全人類が共有しうる悲しみのはずが、醜くも政治抗争を続ける人々。国家対難民という現イギリスを取り巻く社会現象を圧倒的なインパクトを持って描く、未来社会から見た現代。ありきたりな少女神話でもキリストの再来でもない、SFという固定観念を瓦解させてくれる映画である。
トゥモローワールドという映画の原題はChildren of Menである。英語圏ではもちろんそのままChildren of Menという題名であり、デンマーク、ドイツ、スペイン、スウェーデン、メキシコ等でも英語の題名を用いている。そして、お隣の韓国では「칠드런 오브 맨」という題がついているが、これはチルドレンオブマンと発音し、要するに日本でカタカナで「チルドレン オブ マン」という題名をつけるようなものである。また、中国では「人类之子」、フランスでは「Les Fils de l'Homme」という題名がついており、音は異なるものの、人類の子という原題に沿った名前がつけられている。Tomorrow Worldという英語をかカタカナ表記した「トゥモローワールド」という題をなぜか日本の配給会社だけが付けている。
視聴者の一人として推察できる理由は一つしか想定できない。それは、日本ではなじみがなく”わかりにくいと思われる”外国映画の題名を、多くの人を引きつけることが出来るよう”わかりやすそうな”題名に変えたのではないかというものだ。人類の子供たちというこれだけではSFかどうかわからない原題を、明日の世界がどうなってしまうのかという期待を彷彿させる魅力的なSFのイメージを作ろうと苦心して、過去の配給や興行成績のデータなどを参照しながら決定したのだろう。これは日本版ポスターを見ても容易に推測できる。あからさまな苦し紛れの宣伝活動が繰り広げられている。果たして、その結果は実を結んでいるのだろうか。現時点では公開第1週目の興行成績しかわからないが、公開3週目の「デスノート the Last name」が1位、初登場の「プラダを着た悪魔」が2位、「トゥモローワールド」は3位である(興行通信社調べ、2006年11月18日〜19日の劇場公開映画の興行成績)。120億円をかけて制作された映画の収益としては芳しくないのではないだろうか。
映画の題名を変更することは、以前の記事で書いたように作品の改変であるだけでなく、「トゥモローワールド」ではさらに内容と題名が乖離しているように思える点が複数の映画感想を載せている個人ブログで話題に上っている。映画は決して未来は夢のような世界が広がっているというような内容では無い。
また、アメリカの映画のホームページでは、宣伝目的も含まれていると思われるが、劇中にも登場したHuman Projectという組織をかたどって、視聴者が映画の内容だけでなく、映画を見て改めて考えた現代の社会問題に対する意見を議論できる場まで用意されている。日本の茶番と言っても仕方の無いような宣伝方法とはなぜこんなにも違いがあるのだろうか。

日本語版ポスター

英語版ポスター
「トゥモローワールド」ホームページ
http://www.tomorrow-world.com/
「Children of Men」公式サイト
http://www.childrenofmen.net/
Human Projectサイト
http://www.thehumanprojectlives.org/
映画の邦題 原題と落差
http://www.janjan.jp/culture/0610/0610032137/1.php
トゥモローワールドという映画の原題はChildren of Menである。英語圏ではもちろんそのままChildren of Menという題名であり、デンマーク、ドイツ、スペイン、スウェーデン、メキシコ等でも英語の題名を用いている。そして、お隣の韓国では「칠드런 오브 맨」という題がついているが、これはチルドレンオブマンと発音し、要するに日本でカタカナで「チルドレン オブ マン」という題名をつけるようなものである。また、中国では「人类之子」、フランスでは「Les Fils de l'Homme」という題名がついており、音は異なるものの、人類の子という原題に沿った名前がつけられている。Tomorrow Worldという英語をかカタカナ表記した「トゥモローワールド」という題をなぜか日本の配給会社だけが付けている。
視聴者の一人として推察できる理由は一つしか想定できない。それは、日本ではなじみがなく”わかりにくいと思われる”外国映画の題名を、多くの人を引きつけることが出来るよう”わかりやすそうな”題名に変えたのではないかというものだ。人類の子供たちというこれだけではSFかどうかわからない原題を、明日の世界がどうなってしまうのかという期待を彷彿させる魅力的なSFのイメージを作ろうと苦心して、過去の配給や興行成績のデータなどを参照しながら決定したのだろう。これは日本版ポスターを見ても容易に推測できる。あからさまな苦し紛れの宣伝活動が繰り広げられている。果たして、その結果は実を結んでいるのだろうか。現時点では公開第1週目の興行成績しかわからないが、公開3週目の「デスノート the Last name」が1位、初登場の「プラダを着た悪魔」が2位、「トゥモローワールド」は3位である(興行通信社調べ、2006年11月18日〜19日の劇場公開映画の興行成績)。120億円をかけて制作された映画の収益としては芳しくないのではないだろうか。
映画の題名を変更することは、以前の記事で書いたように作品の改変であるだけでなく、「トゥモローワールド」ではさらに内容と題名が乖離しているように思える点が複数の映画感想を載せている個人ブログで話題に上っている。映画は決して未来は夢のような世界が広がっているというような内容では無い。
また、アメリカの映画のホームページでは、宣伝目的も含まれていると思われるが、劇中にも登場したHuman Projectという組織をかたどって、視聴者が映画の内容だけでなく、映画を見て改めて考えた現代の社会問題に対する意見を議論できる場まで用意されている。日本の茶番と言っても仕方の無いような宣伝方法とはなぜこんなにも違いがあるのだろうか。

日本語版ポスター

英語版ポスター
「トゥモローワールド」ホームページ
http://www.tomorrow-world.com/
「Children of Men」公式サイト
http://www.childrenofmen.net/
Human Projectサイト
http://www.thehumanprojectlives.org/
映画の邦題 原題と落差
http://www.janjan.jp/culture/0610/0610032137/1.php
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事件、問題、病気
Blogのコンテキスト
さて、自分が今ちょうど関心を持ったことをBlogに書こうとしてパソコンに向かった。そして単純なことにふと気付く。私はどのようなシチュエーションにいる誰に向けてBlogを書けばいいのか。
自分が書いた文章は誰もが様々なシチュエーションで何時でも見ることが可能になる。私のBlogには想定される特定の読み手が特には存在しない。それでは、個人的な日記でもない事柄を一体だれに表明しようというのか。そこで他者との関係性を意識せずに、自己満足的な感覚で書いた自己陶酔的な文章でしかないのかもしれない。これはコンテキスト不在なのか、それともこういう状況そのものがコンテキストなのだろうか。
もしくは、私は世論という抽象的な対象と対峙している新聞記者のような存在であるのだろうか。いや、これは仕事ではないし、新聞のようなある程度の人数の固定された読者は存在せず、商業的、社会的目的などもない。
さて、Blogのコンテキストとは何なのだろうか。多分、制度的に作られた具体的なコンテキストの不在はおのおのが無意識に補完しているのだろう。mixiの日記などをみてみるとそれがよくわかる。
自分が書いた文章は誰もが様々なシチュエーションで何時でも見ることが可能になる。私のBlogには想定される特定の読み手が特には存在しない。それでは、個人的な日記でもない事柄を一体だれに表明しようというのか。そこで他者との関係性を意識せずに、自己満足的な感覚で書いた自己陶酔的な文章でしかないのかもしれない。これはコンテキスト不在なのか、それともこういう状況そのものがコンテキストなのだろうか。
もしくは、私は世論という抽象的な対象と対峙している新聞記者のような存在であるのだろうか。いや、これは仕事ではないし、新聞のようなある程度の人数の固定された読者は存在せず、商業的、社会的目的などもない。
さて、Blogのコンテキストとは何なのだろうか。多分、制度的に作られた具体的なコンテキストの不在はおのおのが無意識に補完しているのだろう。mixiの日記などをみてみるとそれがよくわかる。