認識 ― 夢は現実をこえることができるか
現実は実に恐ろしい。誰かが、たとえどんなに素晴らしい理論や仮説を語っても、現実が伴っていなければ、机上の空論になってしまいます。現実はいつも我々を恐ろしい目に遭わせます。少なくとも、私の歴史は常に現実に立ち向かいますが、常に現実に叩きのめされることの繰り返しです。
では現実は絶対なのでしょうか?現実が全てなのでしょうか?
私はあえてこう言います。「いや違う。」現実は夢や希望に対して絶対ではないと。
まず現実の定義が必要になりますね。辞書には「いま目の前に事実として現れている事柄や状態」とあります。では、目の前に起きていることのどれくらいの情報をさして現実というのでしょうか?
窒素原子の電子が原子核の周りを回っていること?
酸素分子が目の前を浮遊していること?
腸の中で大腸菌が活動をしていること?
白血球が傷から進入した細菌と戦っていること?
知らない国で、害虫が大発生していること?
アフリカでたくさんの人が飢え死にしていること?
イラクで毎日たくさんの人が殺されていること?
地球が回っていること?
それとも数十億光年遠方の宇宙でブラックホールが誕生したこと?
遠い惑星で新しい生命が誕生したこと?
たとえ、それを確認したとして、私の人生何が変わりません。現実の恐ろしさを思い知るわけでもないし、そんなこと知らなくても生きていけるます。我々が日常使っている「現実」の言葉の意味は、本来の意味ではなく、単に自分にとって都合のいい、興味の対象となる現象しか扱っていないのが現実ではないでしょうか?ということはとるに足らない現実も沢山あるわけですよね。
となると、例えば「大切な人が死ぬ夢を見て、目覚めたときにその大切な人が生きていることをこころから喜び、その人を大切にしなくてはと、強く思った。」の方が重要ではないでしょうか?
例えば「「孤児が厳しいいじめや社会的差別にも負けず苦労しながらも、最後は医者になるという話」の映画を見て感動して、自分も頑張る気持ちになって一生懸命勉強した。」の方が重要ではないでしょうか?
私が思うに、問題は『どれだけ心に影響を与えたか?』ではないでしょうか?つまり、その事実を、その現実を、その夢を、その空想を、どう認識するかが問題なのではないでしょうか?
現実は捉え方によって、いかようにも解釈できます。ここも現実の弱さです。人間の認識の世界において、夢や空想と同レベルなのではないでしょうか?
逆に言えば、そう思う時こそ「夢」が「現実」を超える瞬間なのではないでしょうか?
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