(哲学系)
私の両親がキリスト教(カトリック)だったため、私は幼児洗礼を受けていました。そして物心付いた頃に自分がキリスト教であることを知らされました。私は何のためらいも無く、それに従い、子供のときはまじめに教会へ行きます。しかし、高校生の時に、当時アフリカで広がっていた大飢餓で何十万人もの人がどんどん死んでいくのを見て、頭の中に疑問が湧きます。「なぜ、アフリカで飢餓に苦しむ人々を、神は救ってくださらないのか?」
これを引き金にして、私は思考の世界へ旅立つことになります。
それは「人間とは何か?」「生きることの意味は?」「自由とは何か?」等にまで及びます。そのうち私は、神を捨てることになります。私に言わせれば、「神に見捨てられた。」のです。私は、宗教を完全に捨てきる前の約2年間は、真剣に神にお願いをしました。「私から自由を奪ってくれ!神のために生きたい!」ってね。でも、私の環境も私自身にも何も起きなかった。神は私を救ってはくれませんでした。高校3年のことでした。
現在、私はほぼ完全な無宗教者です。神に裏切られた私は、神なしに生きることになったのです。それまでの私にとって、神は生きる支えであり、辛いことも悲しいことも、神が天から見てくれているという思いで、生きていた部分がありました。
神を信じていた人間が、神を失うことがどれだけ辛いことだったか、想像できますか?
私は、生きる意味を失い、真剣に死を考えましたよ。あの時何故踏み止まれたか?よく分かりませんが、たぶん大学に合格したからだと思います。私はしばし、自分のために努力することに没頭し、死を忘れることになります。だが、修士課程2年のときである、私の前に再び、死神が現れます。その死神は強力でした。何せ、その正体は病気で死んだ私の叔父でした。私は、その後就職して、3年目ぐらいまでの長期に渡って、生きることの目的を失い常にどこかに死を感じながら生きることになります。そんな私も結局は今でも生きています。多分妻のおかげでしょう。
いろいろ悩んだり考えたり、思ったりしたことを書き綴ってみようと思います。
煩悩 - その素晴らしき世界
第八回自由 - 人間は果たして自由を欲しているか
第七回神 - 神は存在するのか
第六回人間 - 我々はどこからきてどこへ行くのか
第五回情報 - 人の幸不幸を左右する
第四回信念 - その隠された罠
第三回人生 - 生きることの意味
第二回認識 - 夢は現実をこえることができるか
第一回可能性 - 可能性に生き 可能性に死ぬ
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