信念 ― その隠された罠
一般的に「信念」という言葉はいい意味で使われています。あの人は「信念」を持って行動する強い人だ。なんて感じでね。確かに人間は弱いものですから、信念により強くなることができ、信念を持つことによって信念なしではとうてい到達できない地点へ行くことができます。これは素晴らしいことです。私もできることなら、自分の人生を、自分の行動を、自分の選択を、もう少し自信を持って迷うこと無く進んでいくことができたなら、どんなに生きることが前向きにできるかなどと考えることがよくあります、そう信念は素晴らしいものなのです。
でも、信念って本当に手放しでいいものなのでしょうか?
つまり「信念」は、理屈ではなく自分の考えを正しいと信じるということですよね。(信念は、事実かどうか、現実かどうか判らなくてもそれを信じて疑わないというようなときに使いますよね。だから「1+1=2という信念を持っている。」っていう表現は使いません。)実はここが素晴らしいところである反面、恐ろしいところでもあると思います。なぜなら、実は世の中で起きている争いの多くが、この信念と信念の戦いではないかと思うからです。
歴史を見てみると多くの戦争や争いが宗教の違いで起きてしまっている現実があります。宗教は生きる為のものなのに、宗教を信じることによって死ぬことになってしまっている人が沢山いるということですね。宗教もやっぱり理屈ではく、信じることからスタートしますよね。「信じるものは救われる。」という言葉に代表されます。最近の湾岸戦争も、ある見方をするとキリスト教とイスラム教の戦争ですよね。イスラエルとパレスチナのエルサレム周辺の争いは、完全に宗教絡みですね。
日常の争い・喧嘩も、思い違いが、勝手な思い込みが誤解を生んでいる場合がほとんどではないでしょうか?
人間は自分が正しいと信じ込んでいるときは、他人の立場や考え方を無視して、自分の「信念」を押しつける傾向にあります。これは否定できません。そう信じてしまっているのですからしょうがないですよね。「信念」を持つことによって、やっぱり他人と共有したいと思うのはごく自然なことであり、喜びを共有することはとても素晴らしいことです。
となると、問題なのは「信念」ではなく、「他人に押し付けようとする人間の習性」が問題なのかもしれません。だから、宗教で他の宗教を信じている人を悪人呼ばわりするのは許せませんよね。わざわざ強制的に改宗させて、自分達の宗教を強引に信じさせるのも許せません。
そう「信念」は、あくまで個人的なものなのではないでしょうか?
信じることも重要ですが、ありのままの姿を、ありのままの姿でとらえ、そのありのままを受け入れることも重要だと思うのです。
ですから「信念」は生きる上での一つのツールと考えるべきなのではないでしょうか?人生を豊かに、楽しくする為の道具としてとらえるべきだと思うのです。たぶん、「信念」が、個人的なツールとして機能している間は、本当に素晴らしいものであると思います。
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