私はと言えば、まだFMTownsとマックの優劣が理解できずにいた。後発の分Townsにも優れたところが沢山あり、きっと買うならTownsだろう、とまで考えていた程である。なにしろ値段が全く違ったから当時の私がそのように考えたのはある程度やむを得ないのではあるが。
そもそも私が実家で使っていたパソコンは、富士通のFM-16βという化石のようなマシンであった。もちろんOSはMS-DOSである(そういえばC-P/M?とかいう別のOSも走ったような気がする)。せっせとautoexec.batを書いては初期画面を使いやすくしよう、と頑張っていたものだ。
親指シフト
それはともかく、私が使っていたのが親指シフトキーボードで、能書きと効能の説得力にほれ込んでブラインドタッチをマスターしたお蔭で文字入力は猛烈に早く出来るようになった(いまだに使っているからもう15年以上使っていることになる)。だから、パソコンを買うにしても「親指シフトが使えないマシンはいらない」という考えになる訳だ。
さて1990年、就職が決まって独り暮らしを始めたが、パソコンは実家の親が使うので持ち出す訳に行かず、いわゆる「Unplugged状態」になった。しかも最初の半年ほど会社の寮が二人部屋だったため、パソコンの持ち込みははばかられた。そこで、とりあえず小形のワープロを、ということで富士通のオアシス30AF3という、今で言うなら省スペースデスクトップの先駆けのようなマシンを買った。プリンタも当然内蔵だし、キーボードは収納できるようにデザインされているし、もう少しあか抜けたデザインにしてマックOSが走ればなかなか良いマシンになると思うのだが。一応グラフィック機能も装備されていたが、あれは酷かった。使っていて本当に苦痛を感じるほど酷いものだった。
初マック
一方、配属された職場はデザイン系だったこともあり、マックが沢山あった。IIやIIcxにまじってアクセラレーターが装着されたベージュのPlus、そして元祖日本DTPマシンのLaserWriter NTX-J。どれもメモリは当時としては驚異的に贅沢な8MBがおごられ、「さすが会社は違う」とうなったものだ。
最初に与えられた仕事は、他社マシンの性能比較表を作るという作業だった。MacDrawを使い、Plusの小さいウィンドウを見ながら表を作った。当時の女性上司に使い方を教えて貰った際に「すぐにアタシが末ちゃんに教えて貰うことになるよ」と言った。「ええっまさか」とその時は思ったが、1年後にその予言は真実になった。その頃のFinderは全くのシングルで(これ解らない人もいるでしょうね)、あんまり使いよいという印象はなかったが、とにかくごみ箱が膨らむのが面白かった。Grouch?とかいうINITを入れてあり、オスカーが歌を歌う。パソコンがこういうシャレの効いたものになっているのがとても新鮮だった。こんな凄いカスタマイズをやってるなんて、この人たちはなんてマニアックなんだ!と思ったが、後にそうではないことが解る(笑)。
Classic
しかし、当時はまだマックは高かった。Plusの中古でさえ目が飛び出るような価格で、私のようなケチに買える代物ではない。が、翌年、転機が訪れた。低価格マックシリーズが発売されたのだ。よし、ついに自分もマックを買う時が来た!と勇んで買ったのが最低価格機のClassicだった。メモリは最大の4MBにし、ハードディスクは80MBにした。今ならさしずめキャッシュとビデオメモリの話かと思ってしまうような容量だが、当時はこれで何とかなっていたものだ。このマシンは非常にシンプルで美しいデザインであった。
とは言っても当時すでに主流は68030機であり、しばらくして040シリーズのCentrisやQuadraも出てきた。68000の8MHzという今なら「目もくらむ遅さ」のマシンは、いかに漢字Talk6.0.7が軽いとは言え結構つらいものがあった。結局2年ほど使った後、結婚を契機に買い換えることにした。
LC520
1993年の春、一体型の新機種が出るという噂を聞いて、注目していた機種が発売された。LC520であった。68030の25MHzという、IIciと同じ処理速度(ただしFPUはオプション)を持ち、CD-ROMドライブが標準でモニター一体型で30万円台という画期的なマシンだった(少なくとも登場当初はそうだった)。同時に発表されたColorClassicもそうだったが、そのデザインはお世辞にもかっこいいとは言えなかったし、大変な違和感があった。が、そのモニターにトリニトロンが採用されていたのは大きなポイントだった。
というわけで、その年の夏に購入したLC520は、確か37万円ぐらいしたと思う。メモリは8MB、ハードディスクは160MBだった。何と言ってもモニターに3万2千色表示ができたのが嬉しかった。その後メモリは20Mまで増設し、ロジックボード改造でクロックスピードを33MHzまで上げて「結構まともに使えるマシン」としてシステム7.5.5までは現役だった。
親指シフトその後
さて、親指シフトの方はというと、アップルがそもそもNICOLAコンソーシアムに加入していたので当初はアップル純正親指シフトキーボードが登場するのでは?とかなり期待していたのだが、残念ながら親指シフトはそこまでの支持というかユーザー数を獲得できなかったようで(当然か)、結局そういう話は噂の煙もほとんど流れてこなかった。が、あきらめる必要はなかった。世の中捨てたものでもなくて、マックでも親指シフトを使えるようにしよう、というアダプターが発売された。もちろんすぐ購入した。会社のマシンにこれを付けたところ、「ハードウェアプロテクトだ」と揶揄された(笑)。その後サポートが転々としたが、1998年にマック専用親指シフトキーボードとしてREUDOさんよりRboardProが発売されるに至った。値段が5万円と非常に高かったが、数がでないからいたしかたない。当然1台購入したが、結局その後時代はUSBに移行し、ソフトウェアエミュレートも充実してきたので次第に使わなくなってしまった。
PowerMacintosh 8500
520を買って半年だか1年も立たないうちに、LC575が発売され、そのスペックに驚愕した。33MHzにアップ、だけならまだしもCPUが040になっていたのには正直「やられた!」という気がしたものだ。しかし、幸いなことに両者のロジックボードには互換性があった。しかもシステム7.5以降ならEnablerも不要でそのまま起動するという。これなら、そのうちに処理速度に不満がでてきても安心だ、ロジックボードが安く入手できるようになったら買おう・・・と思っていた。が結局不満が出てきた頃には周りはPowerPCが主流になっており、「今さら040にしてもなぁ・・・」と尻込みして、結局1996年の暮れにPowerMac8500に買い換えることになった。
その後520はしばらく棚に安置されて不遇の生活を送っていたが、子供がCD-ROMで遊ぶために復活させた。それを契機に、値下がりしていた575のロジックボードを入手し、520改575として蘇りしばらく子供の相手をしたのち、Hard Offに二足三文で引き取られて行った。
PowerMac8500は決してまだ安くなかったが、それでも本体とモニターを併せても3年前のLC520とさして変わらなかった。しかし結婚してすでに子供もいる身にはかなりの出費となる。結局このときはワゴンR売却による臨時収入があったため、タイミング的には幸運であった。もうこの頃にはCPUは半年で陳腐化し、1年で2倍の性能のマシンが現れ、2年するとシステムが重くなってくるという流れを読み切っていたので、後に8600だのG3マシンだのが出てきても大して驚かなかった。そもそも性能が従来に比べ段違いに良い事もあって、MacOS8.1はほどよくチューンされており速度的に不満はなかった。
それから数年、案の定システムやアプリは重くなり、さすがのPowerPC 604 150MHzも数世代前のスペックとなっては苦しい。当時はアップルの経営は青息吐息、互換機戦略は迷走してG3アクセラレーターが大はやり。かなり廉価になってきていたPowerLogixの200MHzアクセラレーターを購入し、ディップスイッチをいじって275MHzまでクロックアップしてしばらく酷使したのちLC520の後継として子供用のマシンになっている。
PowerMac G4 QuickSilver
結局アップル純正のG3マシンは買わずじまいだった。当初ポリタンクが出た時は激しい衝撃を受け、どうにも格好いいとは思えなかったものだが、会社で何度もレンタルで使っているうちに次第に愛着が湧くようになってきた。G4が出ても最初は500MHzが450に下がったり随分情けない状況が続いたりしたものだから全く買う気が起きず、模様眺めが続いていたが、いよいよ8500のアクセラレーター仕様では仕事を持って帰ってきても話にならない状況になり、ちょうどその頃旬だったG4 QuickSilver 867を購入することにした。2001年の暮れである。
5年も我慢しただけあって性能のアップ度合いは今回が一番。しかし騒音も一番なのがネックであった。うるさくて耐えられないので机の下に置いているが、それでもかなり耳障りだ。しかし会社でその後Mirrored Drive Doorsを導入したらさらに猛烈な騒音で呆れてしまった(会社ではそれほど気にならないのだが)。G5が出てやっと静かになったのは良いが、今度は巨大化してしまった。自宅に置くには大仰すぎるのでこれを買うことは無いような気がしている。
PowerBook 5300
ノートマシンは会社にあったPortableはともかく、PowerBookが出た時から注目はしていた。が当時は目を剥くような高額、当然全く手がでなかった。会社の同僚が100や145などを買ったり、参考商品としてDuoを買ったりしたが、自分ではなかなか買えなかった。
が、海外出張に行くことになり、やはり現地からメール連絡ぐらいはできないと・・・ということで思いきって買うことにした・・・が、どうしても新品には踏み切れず中古の5300を購入。当時は初のノートマックに興奮していたものだが、今思い出すとあのパッシブマトリクスの液晶画面の品質は恐ろしく酷いものだった。スティーブジョブスが当時社長をしていたら絶対に製品化を許さなかったに違い無い。
5300は「欠陥商品」の烙印が押されるようなマシンだったが、幸いにも自分の機体は多少の割れ等はあったものの深刻なシステムトラブルには見舞われずに済み、2回の海外出張で地球を一周しても無事であった。とは言うものの当時のマックOSは「落ちるのが当たり前」という酷い代物で、作業中にはいつでもコマンド+Sを押して退避するのが癖になっていた。
PowerPC 603の100MHz、640x480の狭い画面でしばらく頑張ったが、どうにも「モバイル」するにも苦痛の方が大きい始末であり、ちょうどその頃iMac以降の新型ノートのうわさが広まってきたため、「次のノートが出たら買う!」と公言してしまった。そして発売されたのが初代iBookであった。
iBook 300
iMacはなかなかオシャレなパーソナルマックと言うことで潰れかけていたアップルが再生したほどだったので、当然次に出てくるパーソナルノートもかっこいいものになるに違い無いと読んでいたのだが、出てきたのは貝殻というか、便座カバーであった。設計思想は超先進的で、特にAirMac内蔵というのがすばらしいスペックだったのだが、いかんせんそのデザインは「恥ずかしくて職場には持ち込めない」ようなものだった・・・しかし「買う」と公言していた手前、引っ込みがつかない。「G3の性能、今までより広い画面、無線LAN・・・」と自分を納得させて購入し、数年間仕事に使って会社と自宅を数万キロ往復した。途中ハードディスクを自分で交換して全バラシをやったりしたがその後も全くノートラブル。微妙に故障がちだった5300とは大違いである。
iBook Dual USB
そして2年後。iBookはフルモデルチェンジし、端正で美しく透明感のあるデザインに生まれ変わった。これこそが自分の欲しかったノートだと確信したが、さすがにたった2年でノートマックを買い替えるというのはいかがなものかと逡巡していると、嫁が「仕事で使うんやったら買うたらエエやん。我慢すると毒やで」と夢のようなお言葉。有り難く早速購入。貝殻iBookも良く使ったが、このハンペンiBookはさらに酷使した。丁度会社で無線LANサービスが始まり、それがマックでも無事に使えることが判明したため、文字どおり毎日携帯して「どこでも仕事」状態になった。
1年半使い倒した時点で思いきってハードディスクを40GBに交換。またしても自分で作業した。世の中的には最悪にバラシが難しいと言われていたが、個人的には前の貝殻iBookの方がディスプレイヒンジの取り回しが難しかったように思う。それからしばらくは快調に使っていたが、次第に画面表示にトラブルが出始め、時々画面が砂嵐のようになってしまう。さらにAirMacの調子が悪くなってきた。ディスプレイを最大まで開くと受信感度が0になってしまう。90度までなら大丈夫という情けない状態に。
何とか騙し騙し使いつつ「次はまたPowerBookにするか」などと思っていたところに米国3ヶ月出張の話が湧いて出た。さすがに3ヶ月にも渡りこのような不調iBookを使うのは危険である。さらに家族との連絡用にiSightを使おう!ということになったものの、スペックが足りないことも判明してしまった。
iBook G4 800
さてそこで迷ったのがこの際だからPowerBookを買うかどうかということだったが、当時はスペックアップしたPowerBookが今でるか明日でるかというタイミングであり、今買えば間違い無く「負け組」という微妙な情勢であった。最重要事項は3ヶ月の出張での仕事に耐え、iSightが使え、かつ最も財布に優しい・・・となるとiBook G4しかなかった。実際G4 800MHz(キャッシュ等少ないとは言え)というQuickSilverに迫るパワーが初代iBookよりも安く手に入るとなれば・・・そしてまたも嫁が「その何ちゅうの、カメラ使われへんのでしょ?ほな新しいの買わなしゃあないやないの。」と見事に背中を押してくれたのであった。
iBook G4は見事に出張中でも大活躍し無事に帰ってきた。途中900MHzが発表されたが今までのことを思うと大したことではない。何よりもiSightが非常に快調に使え、ネット越しに自宅の家族と普通に顔を見ながら会話できたのはすばらしい事だった。
帰国後、何気なくアップルのホームページを見ていると「iBookリペアエクステンションプログラム」というものが目に止まった。何の事はない、ハンペンiBookの画面の乱れはリコールものだったのだ。早速面倒な電話連絡を経て申し込み、無事にロジックボードが交換されて戻ってきた。画面の乱れはなおったが案の定AirMacのアンテナは勝手にはなおらなかった。症状が悪化していれば文句のつけようがあるのだが、全く同じ(大きく開くと受信できない)なのでどうしたものか・・・ベースステーションのすぐ近くだと普通に使えるので、AirMacExpressを上手く使えないか、思案中である。