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ペルー国旗 ペルー編

地図 ペルー全図

 

南米大陸・ペルーに辿り着く(2003/7/21)

オッラー。いしかわです。いしかわはPeruペルー Limaリマに滞在しています。

何を突然思ったのか?いしかわは再び旅立ちました。

03年夏のヨーロッパは6月から続いた好天が度を越す暑さに繋がり、しまいには『荒天?』という雰囲気になりました。フランスでは暑さの為高齢者が次々亡くなり、各国で水不足が発生。とうとうスイスのマッターホルンでは岩盤を支える永久凍土が溶け、登山道が崩壊する有り様。

クリックで拡大写真まあ、それでも山岳地帯は天気が安定して、絶好の4,000m峰登山日和です。
いしかわも在スイスの邦人の方と、1日のうちに連続してカストールCastor4,228mとポリュックスPollux4,092mを登ったりして、結構登山を楽しんでいたのでした。

しかし、そんな充実した在欧生活をしていても、なぜか心は晴れません。突き詰めると『2000年に始まったこの旅(世界一周登山の旅)が延々とエンディングを迎えない…』という思いからでした。

思い立ったら行動です。南米へのチケットを手配し、『7月中に出発』を目標に様々な仕事をこなしました。
流石に1年以上スイスに住んでいると、処理しないといけない事ばかり。ネパールを引き払った時のようなにはいかない、いかない(汗、汗、)。
全くもって、7月20日にジュネーブ空港から飛び立った時は、ヘトヘトです。

 

マドリッドを経由して降りたったのは、南米はペルーPeruの首都リマLima。空港の外はすでに暗くなっていました。

久しぶりの『旅』だからでしょうか?アジアを旅していた時の様な、言い様のない不安感が押し寄せます。
さらに憂鬱にさせる不安要因…。それは『スペイン語』。かつて南米に登山をしにきた事がありましたが、その時の経験からいっても、まず『この地では英語が通じない』のです。(さすがに空港内は英語が通じるけど)

幸い、荷物(ほとんどは登山の道具)は無事に出て来たので、「ツイテる。ツイテる。」と自分に言い聞かせ、素早く空港のプリベイドタクシーを捜します。乗ってみればタクシーというより、(高級感漂う)ハイヤー。名前も『MITSUI』。日系が多い土地柄を反映しているのでしょうか?

クリックで拡大写真タクシーから見える夜のリマの光景は決していい印象ではありませんでした。暗い路地、未舗装の道、そして暴れている酔っぱらい…。

辿り着いたのはダウンタウンにある古ぼけた日系人経営のホテル。といっても従業員の皆様は顔は日本人でも日本語はしゃべれない方々でした。残念。何とかスペイン語と英語のミックスで意思疎通。
部屋に入って、熱いシャワーを浴びたら何と無く気分が良くなってきました。

明日は旅行会社を見つけて、インカ・トレイルInca TrailとマチュピチュMachu Picchu、チチカカ湖Lake Titicacaを経てボリビアBoliviaまで移動する旅程を相談しなくては…とぼんやり考えながら、オンボロケーブルテレビに映る衛星NHKで日本のニュースを見ながら眠りこけるのでした。

 

ペルーのArroz con Mariscosを喰らう(2003/7/22)

オッラー。いしかわです。いしかわはPeruペルー Limaリマに滞在しています。

雑踏と騒がしいクラクションの音で目が覚めます。。。改めてここがリマ(ペルーの首都)だと実感。。。 ただでさえ数日前まで、車がないスイスの山村リゾートに住んでいたのです。この音が気にならない訳がありません。

ベッドの中でそんなことを考えつつ、よっこらしょっと起き上がり、2階(日本で言う3階)で朝食を頂きます。このホテル、朝食付き。ドロッとしたコーヒーにトウモロコシパン。なかなかイケる。

今回の旅は、ヨーロッパ発、南米経由、日本着までを約2カ月と決めていたので、ペルーという国に滞在できる時間は長くて10日間しかありません。
ペルーのような観光資源の多い国を10日間なんてもったいない。と言われる方も多いでしょう。実際、ナスカの地上絵や山ヤ(登山する人)に憧れの地ワラス方面には近寄れないのです。

早速、ホテルのフロントで旅行会社を紹介してもらいます。エージュントは20分で飛んできました(笑)。その後、Miraflores地区のオフィスへ移動。

いしかわが泊まったダウンタウンは、今はあまり旅行者が寄り付かない地区になっているようで、もっぱらこちらMiraflores地区が主流のようです。(この点、リマには長居するつもりがなかったので、いい加減にしかガイドブックを読んでいなかった…)
オフィスのアルドと名乗る、疲れめで調子のいいにいちゃん(英語を話す)と打ち合わせ。10日間程のプランを作ってもらいました。いしかわの目論みでは、10日間でインカ・トレイルとマチュピチュを見て回り、ボリビアに抜けてラパスLa Pazで5,000m峰を登る。というものでした。

クリックで拡大写真アルドくんは『なぜナスカに行かない』とかいろいろ訊いてきましたが、『ボリビアで登山をするんだ!!』というとすんなり引っ込みました。しかし、リマからクスコCUZCO(CUSCO)への移動には飛行機を奨められました。滞在期間が短いのと、陸路は少々危険である。という理由からです。
この点は、事前にガイドブックから推察していたので、仕方ないかな?と妥協できるところでした。 翌朝、6時のフライトを取ってもらい、契約成立です。

最後に、『ところで、ここいらで旨いものを食わせる店はないのかな?』と紹介してもらい、少々高級店でしたが『ALFRESCO』なるシーフードレストランへ直行。CUZQUENAビールにArroz con Mariscosというシーフードピラフをたらふく食べて大満足した いしかわでした。

さて、明日からはひたすら当面の目的地ボリビアに向かって歩を進めなければ…。

 

いしかわ、『世界の不思議』を見に行く。(2003/7/24)

オッラー。いしかわです。いしかわはPeruペルー Cuscoクスコに滞在しています。

クリックで拡大写真ペルー国内線が渇いた大地へと徐々に高度を落していきます。

降りたったクスコの空港で、いしかわは、強烈な日差しと空気の薄さにクラクラしてしまいました。
7月のこの時期、海岸沿い(コスタ)にある首都リマは霧につつまれているのですが、内陸部(シエラ)のクスコは乾期で、強い日射しが照りつけているのです。

もっとも、コスタにあるリマは標高200m足らず。シエラのクスコは標高3000mを越えています。一気に飛行機で来ると、標高差から体調を崩す人もいます。
とりあえず宿に直行し、熱いシャワーを浴びてから街に出てみました。

クスコはインカ帝国の首都であった所。ペルー観光の一大拠点です。すり減った石畳の細い路地は迷路のようで、歩き回っていて飽きることがありません。
石畳の道を歩きながら、クスコに着いたら是非見たいと思っていた場所へと向かいました。

クリックで拡大写真世界の七不思議(本当に七不思議に含まれているのかは不明) にも数えられる『12角の石』がこのクスコにあるのです。う〜ん。確かに『…巨石がカミソリの刃も入らない程、ぴったり組み合わさっている…』という表現もあながち誇張じゃあないですな。インカ建築技術の水準の高さを証明しています。

実はいしかわ。『世界のナントカ不思議』に弱かったりします。インド・ニューデリーでは1000年以上屋外に晒されているにも係わらず、錆びて朽ち落ちないという『アイアンピラー』(しかし、これも本当に七不思議に含まれているのかは不明だ)も見てきました。これもなかなか感慨深いものがありましたヨ。
「そうだ。この旅が完結したら、『いしかわが見た世界七不思議』を選定しよう!」と思うのでした…。

さて、目的のモノは見たんだけど、なんか強烈に眠気が襲ってきた…。そうか、今日の体調不良は高度障害かなと思ったけど、早朝6時の飛行機に乗る為に、深夜3時に起きたんだった…。今日は早々に寝る事にします。

いよいよ明日からはインカ・トレイル、そしてマチュピチュです。

 

インカ・トレイルからマチュピチュへ その1(2003/7/25)

オッラー。いしかわです。いしかわはPeruペルー Aguas Calientesアグアス カリエンテスに滞在しています。

いしかわ、インカ・トレイル・ツアーを申し込みました。
インカ・トレイルInca Trailとは、古(いにしえ)のインカ道の事です。ツアーはこの古道を歩き、インカ遺跡を巡るものです。

一般にインカ文明は、『車輪』と『文字』を持たなかったと言われています。つまり、あの巨石遺跡群は車輪を用いずに精巧に石組みされた訳で、これは驚きです(だから7不思議になっているんだろうが…)。が、一方で車輪が存在しなかった為、馬車なども存在しなかったのでしょう。インカ古道は険しい山道となっています。

クリックで拡大写真有名なマチュピチュMachu Picchu遺跡を目指すインカ・トレイル・ツアーは、テントを利用した4日間コースがポピュラーです。しかし、遺跡保護の為、ツアーには人数制限があり、今回いしかわは予約が取れませんでした。
替わって2日間のショート・トレックでマチュピチュを目指す事となります。

朝、すっかり準備した いしかわがホテル前に立ってました。 約束の6:00です。迎えは来ません。6:30、まだ何も来ない…。7時すぎになってやっと車が来ました。これで間に合うのか?と訝っていると、予感的中。汽車はすでに出発してました。ヤレヤレ…。

しかし、ガイドは慌てることなく、次の駅に車を廻します。

後で分かったのですが、クスコを出た汽車はスイッチバックを繰返し、険しい斜面を登っていくため、非常に時間がかかります。従って車で追い付く事ができるのです。

ヤレヤレ…。それだったら最初から次の駅で乗るようにスケジュールを組んでくれよ…。

クリックで拡大写真しかし、そんなドタバタを味わった割に、汽車はなかなかの良い乗り心地。車中は程好い暖房(外はけっこう寒い)、さらに朝食サービスまである!!。ちゃんとワゴンが回ってきて、簡単なサンドイッチと暖かい飲物(いしかわはマテ茶を選択)が振舞われました。ヨーロッパで使った格安エアライン並みのサービスだね〜。

さて、車窓ですが、意外なことに汽車は徐々に下っていきます。
マチュピチュのある谷は、クスコより低い所にあるのです。あたりの風景も殺伐とした砂漠から、ジャングルの様相へと変わっていきます。

やがて駅舎もなにもないKM 104といわれるポイントに汽車が止まります。
ガイドに促され、吊り橋を渡り、チェックポストへ。手続きはガイドがやってくれましたが、どうやら2日間有効なチケットを発券しているようです。
ここで昼食。冷めてるけどなかなか美味しいピラフを食べます。

さて、歩き出すか…といったところでポツリポツリ。やべ、降ってきた。ヤレヤレ…。(つづく)

 

インカ・トレイルからマチュピチュへ その2(2003/7/26)

オッラー。いしかわです。いしかわはPeruペルー Aguas Calientesアグアス カリエンテスに滞在しています。

いきなりですが、ここでマメ知識。
世界各地にはいろいろな山の呼称がありますが、それぞれ『ヒマラヤ』『アルプス』『アンデス』の語源はなんでしょう?

クリックで拡大写真答え。『ヒマラヤ』は『雪の住む所』という意味。『アルプス』は斜面の牧草地をアルプと称し、これが転じたものです。 で、『アンデス』なんですが、これは石垣で作られた耕地(つまり段々畑)『アンデネス』が転じたものなんですね。いや〜、勉強になった(笑)。

昨日スタートしたインカ・トレイル・ツアーは、そんな『アンデネス』を備えたインカの遺跡を繋ぐように歩いていきます。KM 104ポイントからChachabamba、WINAYWAYNA、INTIPUNKUを経て、マチュピチュMachu Picchuへ。

このコース、全般的にいやらしいアップダウンもなく、ゆるやかに登って行くだけなので、ペルーの豊かな自然を満喫しつつ歩けるコースになっています。(しかしこれはあくまでも『いしかわの私見』です。なぜなら同じツアーの巨漢!オランダ人女の子は遅れに遅れた為、我々ツアーのマチュピチュ到着は日没ギリギリとなりました。)
また、歩いている間、雨にほとんど降られず済み、高曇りで景色もなんとか拝めました。INTIPUNKUの方面から峠を越え、いきなり目の前にマチュピチュが現れた時には…、いしかわ、ちと感動…(泪)。

ツアーのスケジュールでは、その夜を麓のアグアスカリエンテスAguas Calientesまで降りて宿泊し、明朝、改めてマチュピチュまで上がって観光となっていました。
いしかわは夕食に一緒に歩いたイギリス人カップルとビールをしこたま飲み、なぜか大部屋のベッドをアテガワレたのでした。
『おかしーなー。もっと金は払っているはずなんだけど…それに聞いていたホテル名とも違うけど…』
でも、すべては酔いと疲れと共にどうでもよくなり、眠りに落ちるのでした。

翌朝は激しい雨の音で目が覚めます。『…厭だなー。雨だよ…。』

時に激しく降る雨の中、マチュピチュ観光ツアーは続きました。
ガイドは日系ペルー人女性。もちろん日本語は話しません。ツアーはスペイン語と英語で行なわれました。
ガイドの説明の中で印象に残った言葉。
『…インカは失われた文明です。スペインの征服者Conquistadorによってインカ文明は根絶やしにされ、我々はその文明を受け継ぐことがされなかった。今、こうしてインカの事を語るにも、我々ペルー人は外国人研究家の成果から語る事が多い…』(つづく)

 

インカ・トレイルからマチュピチュへ その3(2003/7/27)

オッラー。いしかわです。いしかわはPeruペルー Cuscoクスコに滞在しています。

クリックで拡大写真インカ・トレイル・ツアー(ショート版)は2日間の行程になっています。

一日目は、クスコから列車にてKM104ポイントまで。以降歩きでKM104〜Chachabamba〜WINAWAYNA〜INTIPUNKU〜マチュピチュ〜アグアスカリエンテス泊。
二日目が、アグアスカリエンテス〜マチュピチュ〜アグアスカリエンテス〜夕刻、列車にてクスコへ戻る。 というスケジュールです。

二日目、ザンザン降りのマチュピチュから戻ってくると、他のメンバーは夕刻の列車の時間まで慌ただしくお土産などを物色しに行きます。

実はいしかわ、もうちょっとマチュピチュを楽しみたくて、アグアスカリエンテス一泊をエクストラで付けておきました(笑)。 早速、ガイドに『今日、泊まるホテルはどこなんだい?』と訊ねます。昨夜はとんでもない大部屋に突っ込まれましたからね。まあ酔いもあってぐっすり寝込んだんでいいのですが、今晩はもう嫌だ。

ガイドは怪訝な顔をしていましたが、いしかわがもう一泊する事を理解するとエージェントに連絡をとりに行きました。 戻ってきたガイドは『ソーリー』を連発。
どうやら昨晩のホテルも間違いだったようです。連れて行かれたのは立派な新築ホテル(まあ、と言ってもゲストハウスくらいかな)。部屋にはシャワーもあるし、フロントにはTVもあるぞ。いや〜快適!快適!。清潔なシーツのベッドで寝ると、雨に濡れた疲れも吹き飛びます。

クリックで拡大写真翌朝は一転して快晴。朝一番のバスでマチュピチュ遺跡へ向かいます。
前日、雨で行けなかったワイナピチュHuayna Picchu登頂を目指しました。ワイナピチュはマチュピチュ遺跡の写真によく写っている2つのトンガッタ高い方の山。ここには登れるのです。30分ほど急な階段状のトレイルを登って頂上へ。山頂付近にも遺跡があります。眺望は最高。

また、ワイナピチュ下山途中の道を折れて『月の神殿Temple of the Moon』にも行ってきました。それから『インカ橋Inca bridge』も見学。と、天気がいいと、いろいろ見ていても楽しいですね。
天気が良いついでにアグアスカリエンテスまで歩いて帰りました(笑)。

熱いシャワーを浴びて垢を洗い流したいしかわですが、再びタオルを手に外出です。
この街アグアスカリエンテスAguas Calientesとは『熱い水』という意味。そう、ここは温泉が出るのです。海外の温泉は基本的に水着着用の温泉プール形式の入浴方式です。あまりごしごし身体を洗う訳にもいかないはず。従って事前に洗って行きました。

街の広場を抜けて、坂を登って行きます。街はずれに温泉のゲートがありました。料金を払い、いしかわは大きなバスタオルのレンタルを利用。さらに川沿いのコンクリート道を登って行くと、ありました。温泉プールが!!。
お湯の色はダークグリーンというか…、バスクリン色。水温はヌルーイ。でも、そんなお湯に浸かりながら、遥か遠方の尾根上の遺跡を見ていると『来てよかったな』と思えるのです。(おしまい)

 

チチカカ湖で民泊(2003/7/31)

オッラー。いしかわです。いしかわはPeruペルー Punoプーノに滞在しています。

クリックで拡大写真クスコ&マチュピチュ観光を終えたいしかわ。次なる場所はチチカカ湖です。

チチカカ湖は標高3,800mにある巨大な淡水湖。インカの伝承によれば、初代インカ皇帝はこのチチカカ湖から生まれでたという事です。

いしかわ、浮島訪問や島での民泊プログラムのあるツアーに参加しました。
ツアーは主にヨーロッパ人中心の20人程のツアー。ガイドの解説はスペイン語と英語で行われます。しかし、英語を解する人が1/3と少なかったので、英語のガイドはちょっと手薄でしたね。

まず、ボートを利用してUrosという浮島に上陸します。浮島はトトラと呼ばれる葦を2〜3mの厚さに敷き詰めて作られているそうです。歩くと足が微妙に沈み込み、フワフワとした不思議な感触。
居住する家もほとんど葦でできており、びっくりしたのはこの葦の家の中で火を使って(当然かまどは石組み)煮炊きしているんですね。よく火事にならないな〜。

クリックで拡大写真次の島へは葦の舟で移動。エンジン付きのボートと違って、葦の舟で移動すると『ぱちゃぱちゃ』と船頭さんの棹をさす音しか聞こえません。そんな静寂の中、希薄な空気と強烈な日射し…、どこまでも蒼い空と葦の茶色のコントラストがとても美しかった…。

つかの間の静寂も終わり、再びエンジン付きボートで本日の宿のあるTaquile島へ移動。残念ながらTaquile島は浮島ではなく、土の島です(笑)。
港ではホストファミリーが出迎えてくれました。いしかわはオランダ人カップルと一緒に民泊することになりました。(なんかオランダ人ばかりと会うんだよね)
伺ったお家は石造りの簡素な佇まい。なんとなくネパールのトレッキング最中に泊まったバッティを思い出します。
違っているのは、部屋の窓から青く光るチチカカ湖が拝めるという点。ちょっと狭いけど気持ちの良い部屋です。早速お茶をふるまってもらい、のんびり過ごします。

夕方、辺りを散策。その後、島のてっぺん(標高3,945m。いしかわのSUNTO高度計による)に登り、夕焼けを堪能。

クリックで拡大写真夕食後、ホストファミリーのおばちゃんが手招きします。どうやらポンチョを着ろと言っているみたい。オランダ人の女の子は南米衣装風のペチコートを着せられています。その衣装のまま、真っ暗な島内を歩いて公民館のような所に辿り着きました。どうやらダンスパーティーのようです…。他のツアー客も男子はポンチョ姿、女子はペチコート姿と、民族衣装できめて踊りまくりました(笑)。

翌朝、朝食後ホストファミリーに*お土産を渡し、お別れを言います。(*ツアーは食費などすべてコミコミだが、このお土産だけは持って行くようガイドから注意される。なお、ツアーが出発する港では、お土産を買いそびれたツアー客の為に、『ホストファミリー向けお土産(色鉛筆など)』の売り子がいる。)

その時、ホストファミリーのおばちゃんが、いしかわの手首にミサンガを巻いてくれました。スペイン語で何やら言うので、オランダ人カップルが訳してくれます。どうやら『Good Luck』らしい。
『ありがとう。おばちゃん…』とジーンときていたら、『3ソル(約100円)』だって(笑)。しかも、『5ソル銀貨しかないよ』と5ソル出したら、おつりをくれなかった(苦笑)。
まあ、しょうがないか。

この時のミサンガ。半年経った今でも、いしかわの手首に巻かれています。まあ、いい思い出です。

 

ペルー、バスの旅(2003/8/1)

オッラー。いしかわです。いしかわはPeruペルー Punoプーノに滞在しています。

クリックで拡大写真さっきからバスは、標高3,000〜4,000mを行ったり来たり…。強烈な日射し…。乾いた単調な風景の連続…。

数日前、クスコからチチカカ湖畔の町プーノPunoに来た時は、『First Class』という会社の豪華なバスを利用しました。所要時間は観光も込み込みの10時間。でも途中に見どころは多く、それ程退屈せずに済みました。RAQCHIというインカの遺跡は、特に見ごたえありました。

そうそう、Aguas Calientes温泉もありましたよ。地元民が温泉に浸かっているのが車窓ごしに見えたのです。残念ながらバスは通過。できることなら、バスを止めて入りたかった!。

クリックで拡大写真また、標高4,335mLA RAYAという峠には鉄道駅があり、世界でも高々所の駅として有名です。ちなみにあの『グランブルーLe Grand Bleu』には、『保険調査の為にロザンナ・アークェットが降り立つ、アンデス山中の駅』のシーンとして出てきます。

マチュピチュ、クスコ、チチカカ湖と、見どころの多かったペルー。今日はボリビアに向かって再びバスの旅です。
『First Class』バスに比べて、プーノから出る国境越えのバスはけっこうボロっちでしたね。もっともインドやネパールで乗っていたバスよりはましか…。

プーノから国境には1時間半ほどで到着。ペルー入国時に渡されたカードをパスポートに添えて提出します。特に問題なし。歩いてボリビア側のイミグレへ。ここでは日本人のみパスポートのコピーを要求されました。いしかわは何枚かコピーをとってあったので大丈夫でしたが、あの場でコピー取りにいくのは大変だろうな〜。これを読んでいる方で、国境越える予定があったら準備しておいて下さいね。

クリックで拡大写真国境からバスでちょっと走るとコパカバーナCopacabanaの町に着きます。
『コパカバーナ』といえばブラジルの方が有名ですが、本家(元祖?)はこちら。ボリビアの『コパカバーナ』から見える景色が美しい為、それにあやかってブラジルのそれが名付けられたそうですが、その後、世界的にはブラジルの方が有名になったそうな。
ここで1時間の昼食休憩が入り、バスは乗り換えになります。せっかくですから、チチカカ湖畔まで行ってみました。こころなしか、ボリビア側のチチカカ湖の方が水がきれいかな?

再びバスは走ります。途中、海峡をはしけで渡るポイントがありましたが、それ以外は冒頭にあるような、単調な乾いた風景が続きます。そして出発から10時間。すっかりバスの旅に飽きてしまった頃、ラパスLa Pazに到着しました。ああ、お尻が痛いや。

 

ボリビア国旗次の国の記録へ

 

 


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