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パキスタン国旗パキスタン編

地図パキスタン全図

 

Nanga Parbat Trekking(2001/5/21)

ナマステ!いしかわです。 いしかわは現在、パキスタンの首都Islamabadイスラマバッドに滞在しています。

クリックで拡大写真ナンガ・パルバットNanga Parbat(8,126m)はヒマラヤの最も西のはずれに位置した8,000m峰です。 ヒマラヤの中でマナスル(8,163m)が"日本人の山(1956年日本人によって初登頂された)"と呼ばれるように、ナンガ・パルバットはドイツ人の山であります。それは執拗に出されたドイツの遠征隊の数と悲劇的ともいえるドイツ隊の遭難者数31名("人食い山""魔の山"という異名がある)が物語っています。 ドイツ隊は第2次世界大戦直前までこの山に遠征隊を出しました。ドイツ国内だけでなく、当時オーストリアの新鋭登山家だったハインリッヒ・ハラーも隊に加えるのです。 遠征は失敗、やがて戦争になるのですが、当時この地域を押えていたのはイギリス。という事で彼らは抑留されます。 ハラー達の決断は「脱走し、ヒマラヤを越えて中国戦線にある同盟国"日本軍"に助けを求めよう」という壮大な"冒険"でした。

で、結局ハラーは日本軍に出会う事はない訳ですね。なぜならダライ・ラマのいるチベットにかくまわれたから…。そう、この話しは『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の前段なのです。 映画ではよく表現されてませんが、この話しの面白さは前段の映画『大脱走』並の部分なのですが…。まあ、ここを強調してしまうと、ダライ・ラマとの絡みが弱くなるし、何と言っても「イギリス収容所からのドイツ側の大脱走」映画になってしまうのでハリウッドも避けたのでしょう。

話しがそれました。ナンガ・パルバットでした。 そんな逸話もあって、いしかわはこの「人食い山」には非常に興味を持っていたのでした。

パキスタンのトレッキングは分かり易く、標高6,000m以下がトレッキング。(それ以上はエクスペディション)さらにエリアによってオープン・ゾーン(トレッキング・エージェントを利用してもしなくとも自由にトレッキングができるエリア)、規制ゾーン(許可されたトレッキング・エージェントを利用してトレッキングができるエリア)、立ち入り禁止ゾーンがある訳です。(その年によって規制は変更になるのでご注意下さい) ナンガ・パルバットの北面トレッキングはオープン・ゾーンでしたが、日パトラベルさんにトレッキングをお願いしました。

パキスタンは『砂漠の国』です。砂漠といっても砂だけではなく岩石や岩山で国土が覆われています。 北部の山岳地帯を車で走っていても同じような印象を受けます。わずかに人が潅漑した部分にだけ緑が見えるのです。

ところがこのトレッキングでその印象は一変しました。岩石だらけの道を登っていくと、3,000mを越えるあたりから4,000mの森林限界までの間にはマコトに豊かな森林地帯が広がっているのです。また標高が高い為、気温も20度前後で穏やかで過ごしやすい。 「人食い山」のイメージ先攻だったのでどんなオドロオドロしい山かと思いましたが、麓は天国のような場所でした。(ただ、登頂となると難しいそうですがね。)

パキスタンは初めてで気候や風土について勉強不足ないしかわですが、とにかく認識がひっくり返る思いでした。

『パキスタンに来たならトレッキングをしろ』といしかわは声を大にして言いたいですね。(いつもそんな事言ってるな)(^_^;)>

コース・タイム
5/12 Islamabad0815=(以降/16までチャーター・バン利用)0900タキシラ博物館見学0950=1130Abbottabad(昼食)1230=1600Besham(New Abasin Hotel泊)
5/13 Besham0800=1210Shatial Sites1220=1340Chilas(Karakuram Inn泊)
5/14 Chilas0800=0900Tatopani0910=0915Raikot Bridge0930=(jeep)=1040Tato(昼食)1130-1330Fairy Medows(Raikot Saraiにテント泊:ここにはバンガローもあり)
5/15 Fairy Medows0900-1030Bayal1100-1140サイドモレーン1150-1245BC(3,900m)(昼食)1340-Fairy Medows1605
5/16 Fairy Medows0810-0940Tato1020=(jeep)=1130Raikot Bridge1200=1230Jaglot(昼食)1320=1430Gilgit(Park Hotel泊)
5/17 AMGilgit観光1630=(bus)=0730Rawalpindi=0830Islamabad

 

ヒマラヤの温泉(2001/6/14)

ナマステ!いしかわです。 いしかわは現在、パキスタンの首都Islamabadイスラマバッドに滞在しています。

クリックで拡大写真皆さんも"その昔、ヒマラヤが海底だった"という話を聞いたことがあると思います。遠い昔、インド大陸がユーラシア大陸にぶつかって、隆起したのがヒマラヤ山脈だそうです。(火山活動で出来た訳ではないのですね)その際に地層が激しく動き、ある部分は逆層となったり、断層ができたりしました。そしてインド・ネパール・パキスタン・中国にまたがるある部分は長大な断層ができたのです。この断層の部分から、火山のないこの国々に温泉が湧く事になります。 ですからこれらの国の"タトパニ(「熱い水」つまり温泉)"と言われる地名や温泉マークを拾っていくと、ほぼヒマラヤに沿って一つの線ができ、断層に沿って温泉が湧いている事が分かります。 これまでにインド、ネパールの温泉に入ってきましたが、これらはすべてこの断層上にある訳です。 さて、パキスタンに入国したいしかわ。当然、この断層はこの国にも延びているはず。と踏みました。そしてありました"TATO PANI"が。

"パキスタンの生命線"と言われるカラコルム・ハイウェイKarakorum Highway上、ナンガ・パルバットNanga Parbat北面への分岐点ライコット橋Raikot Bridgeの手前にそれ(温泉)はあります。 ナンガ・パルバットのトレッキングの前にちょっと覗いてみました。 残念ながら、アツ〜イ温泉が湧いているのですが、温泉に入るという文化のないこの国ではハイウェイの崖から流れっぱなしです。たまにパキスタン人ドライバーがトラックを洗車する為に立ち寄る位だそうです。

「う〜ん、この国で温泉体験は無理かな」半ば諦めかけながら、トレッキングの手配とイスラマバッドでの宿をお願いしている日パトラベル(ここは"民宿シルクロードも兼ねている)でゴロゴロと常備されている日本語の本を読んでいたのでした。

クリックで拡大写真次に訪れるバルトロ氷河Baltoro Glacierのトレッキングは世界第2位の高さを誇るK2(標高8,611m)の麓へと続く世界でも有数のトレッキング・ルートです。 そのK2で1986年夏ブラック・サマーといわれる大量遭難事故がありました。その手記が『K2 嵐の夏The Endless Knot』クルト・ディムベルガー著(山と渓谷社刊)です。 本の内容も非常に興味深いのですが、その一節に釘付けになりました。

トレッキングの出発地点であるアスコーレAskole村の手前に温泉があると書いてあります。しかも「温泉に浸かってリラックスした」ような記述が! 早速、トレッキング開始前に入って行く事にしました。(いつも「早速」だね(^_^;)>)

パキスタン北部、インドとの国境にも程近い街スカルドゥSkardu。ここからジープをチャーターして6時間。(途中釣り橋が落ちていて乗り換えをしなけりゃなりませんでした)「トレッキングでもしなけりゃ来ないんじゃないの」という位、山しかない所です。 後アスコーレ村まで20分という何の標識もない崖下でジープが止まります。

「ホット・スプリング、アップ ゼアー」ガイドのニサールが崖を指さします。道なき崖を30分登るとモレーン上に出ました。かつてのトレッキング・ルートはこのモレーン上にあって、トレッカーも容易に温泉に入っていたようですが、ジープ道が下に通ってしまった為、今はあまり利用されてないようです。

周囲は石灰が浸みだして形作った"パレス(宮殿)"と言われる造形の岩が見られます。 そして目当ての温泉は…、ありました!!。少し緑がかったキレイなお湯が出ています。岩を積み上げて作った湯舟も3人は入れる大きさ。何よりカラコルムの山並みを見ながらの入浴は答えられません。 湯温はちょっとヌルメの36度位でしょうか?男女の別なし、無料。下着は…誰も入ってないからね〜。状況で判断して下さい。 いしかわはトレッキングでしたので、その後アスコーレ村でテント泊でしたが、宿泊設備については詳細不明です。 パキスタンの温泉。「もっといいのがあるよ〜」という情報お待ちしております。

 

Baltoro Glacier Trekking (2001/6/16)

ナマステ!いしかわです。いしかわは現在、パキスタンの首都Islamabadイスラマバッドに滞在しています。

クリックで拡大写真早朝…いや午前2時だからまだ深夜か…、とにかくいしかわは「タカサ〜ン、オチャ!」というニサールの声とともにあわただしくチャパティを流し込むとパッキングをしたのでした。

2時30分、皆の準備も整い、ポーター達が輪になります。ガイドのニサールの掛け声と共にお祈りがあって出発です。ほぼ満月の為、氷河や8,000m級の山々は輪郭がはっきり見えいて、ライトも必要ない位です。 いしかわのパーティはガイド1名、ポーター5名、この5,000mの峠を越える為に雇ったサポート3人にいしかわの計10人という大所帯になったのでした…。

『赤茶色のゴツゴツとした岩山と「青」を通り越して「黒に近い深い蒼色」になった空…。』 いつか山の雑誌に載ったバルトロ山群の写真を見て、「一度見に行きたい」といしかわは思っていました。ネパールには足繁く通っていたのですが、なぜかパキスタンには今まで縁がありませんでした。 今回のトレッキングは世界第2位の標高を誇るK2の懐に迫るバルトロ氷河を詰めて、K2に連なる8,000m峰(世界に14座ある8,000m峰の4座がここに集中している!)を見物し、さらに5,500mのゴンドゴロ峠Gondogoro Laを越える事であります。

…やがて氷河のどんづまりまで辿り着きます。キャラバン9日目にしてようやくメインのゴンドゴロ峠の基部にやって来たのでした。

クリックで拡大写真サポートの一人が雪の中から固定されたザイルを引き出します。このザイルは最近地元のガイド協会が張り終ったばかりだそうで、もし峠越えが成功すればいしかわのパーティは「今シーズン第1号」の峠越えだそうです。 登るにつれて斜面が段々急になってきます。次々にクレバスやアイスフォールが現れますが、サポートはこれらの障害を巧みに避けながらルートを拾っていくのです。 やがて、東の空が明るくなりK2やG2がはっきり見えてきた時、ポコッと本当に予期せぬタイミングで峠のてっぺんに辿り着きました。そして朝日が昇ってきました。ガイドやサポートと握手をガッチリと交わします。ポーター達は笑顔で一服しています。 周りは8,000mの山々に囲まれているとはいえ、(たとえ6,000mに満たなくとも)ここゴンドゴロ峠も氷と雪の世界。景色を胆嚢してもう一つの難関「峠の下降」へ我々は向かうのでした。

コースタイム
5/27 Islamabad1215=(bus)=
5/28 =1400Skardu
(5/28午後及び/29は食料の買い出し)
5/30 Skardu0600=(jeep)=(途中温泉に立ち寄る)=1450Askole(標高3,000m)
5/31 Askole0550-1000Korophon(昼食)1215-1520Jula
6/1 Jula0505-0840Skam Tsok(昼食)1000-1215Paiju(3,450m)
(6/2は休養停滞日、山羊をシメテ食べる)
6/3 Paiju0600-0900Liligo0915-1120Khoburtse(昼食)1320-1520Urdukas(3,450m)
6/4 Urdukas0635-1020Shakspoon(4,000m)(昼食)1120-1330GoroU(4,380m)
(6/5、夜半から降雪。朝10時位まで降り停滞)
6/6 GoroU0750-1200Concordia(4,650m)
6/7 Concordia0805-1250Ali Camp(4,860m)
6/8 Ali Camp0230-0525Gondogoro La(5,480m)0535-0810Xhuspang(4,680m)
6/9 Xhuspang0630-0840Daltsampa(4,300m)-1105Seicho(3,400m)
6/10 Seicho0600-0810Hushe(C/P)0920=Jeep=1010Kande(乗換)1100=Jeep=1200Machulu
6/11 Machulu0530=Jeep=1000Skardu(昼食、支払)1415=Bus=1915KKH合流=
6/12 =0830Rawalpindi=(Taxi)=0930Islamabad

アドバイス
パキスタンのトレッキングはネパールのそれと違って山小屋などはあまり…、いえ全く整備されていません。ロッジなどがある方が希であります。ですからトレッキングはテント泊。ポーターやコックを連れてキャラバンを組む形態が基本となります。 またバルトロ氷河のトレッキングはライセンスを持ったエージェントに手配する必要があります。 詳しくは日本ヒマラヤ協会発行の『パキスタン登山の手引(近刊)』を御参照下さい。

 

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