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ネパール編4
仏様の誕生日!(2004/5/4)
ナマステ!いしかわです。いしかわの現在位置はネパール東部の寒村SHERGAシェルガ村2600mに滞在してます。
さあ、今日こそシェルガ村の小学校に行こうとしたら、『今日は休日だ』と諌められてしまいました。5月4日は仏様(仏陀)の誕生日なんですね。忘れてた(知らなかった??)。
ネパールは仏陀が生まれた国。ネパールの南のタライ平野のルンビニーというところには、世界遺産にも登録された仏陀の生誕地があります。こんなにネパールを出入りしているいしかわですが、まだルンビニには行った事がありません。
シェルガ村訪問は明日に延期して、今日は休養日にしました。いしかわが滞在していたパプルーの町のホテルでも、朝からお祝いの飾り付けでバタバタしています。
ミンマシェルパの弟ペマを伴って、近くの寺院THEKGHEN PEMA CHHOLING MONASTERYを訪れました。寺院には多くの人が集まっており、ほの暗いバターの灯明の中、僧らの読経が響いていました。
そういえば、最初にこの寺院に来たのはもう4年前。当時、この寺院は改装中で、壁画を描いている最中でした。確かそのときにドネーション(浄財)を出したよな〜。という事は、この寺院の何千分の1くらいにはいしかわの浄財も活かされているのか…。寺院はすっかりきれいになり、人々の出入りも活発のようで、なんとなく嬉しくなりました。
しばらくしたら、人々が腰を上げはじめました。どうやら周囲の町々を練り歩くようです。さまざまな旗、ドラ、ホーンなどを持った僧らが隊列を作り、歩いていきます。人々もそれについて歩いていきました。
実際は寺院が山の中腹にあり、町は下の方なので山を下ったり登り返したりなんですが、さすがに現地の人々は苦もなく山歩きしていましたね。その後も、皆でまかない飯を食べたり、チャイを飲んだりして楽しく過ごしたのでした。
さすが『360以上の祭りのあるネパール』いい経験をしました。
シェルガ村たより5(2004/5/5)
ナマステ!いしかわです。いしかわの現在位置はネパール東部の寒村SHERGAシェルガ村2600mに滞在してます。丘を登りきるとさわやかな風が吹いていました。そして目の前には懐かしい風景が…。
いしかわのシェルガ村訪問は約3年ぶりになります。昨年3月にネパールには来ていたのですが、その時は最寄りのパプルーPhapluの空港が閉鎖されていて訪問できなかったのでした。
丘から学校の校舎が確認できました。(写真をクリックすると、学校部分が拡大されます)はやる気持ちを押えつつ、村への細い山道を辿っていきます。
3年前、友人のミンマシェルパの故郷に立ち寄ったいしかわは、村人から思わぬ相談を受けてしまいました。小学校校舎の増築です。 結局、このホームページを通じて日本の皆様へ寄付をお願いし、なんと校舎増築までこぎ着けました。
今、思い返しても何という無謀な計画を立て、お願いをし、実施してしまったのか…。自分がやってしまった事の大きさに身震いしてしまいます。その後、いしかわのネパール出発直後校舎は無事に完成し、喜んだ村人総出のお祭り騒ぎのうちに式典を済ませたそうです。(実際、写真も見せてもらいました。みんな踊ってます(笑)。)
昨年、カトマンズまで来た時も、ミンマシェルパから『学校はすべて順調だ』と聞かされていましたが、ずっと自分の目で見て、皆様に報告する『使命』があると感じていました。
そして『世界一周』が完了してからも、いしかわ自身何か引きずった感じがとれなませんでした。今回のネパール訪問はそういった意味の、『世界一周』とは別の『使命』を帯びた旅になりました。
しかしカトマンズに到着したそうそう、冷や水を浴びせられたかの発言があったのです。ミンマシェルパの弟ゲルーはこう言いました。『学校が土砂崩れにあって…』一瞬目の前が真っ暗になります。
『あの校舎が流されたのか?』シェルガ村の小学校に到着すると、村の男衆が集まっていました。 校舎は、きちんとありました。皆様の善意で建てられた校舎はしっかり根付いていたのです。
確かに旧校舎の一部、一教室分は壊れていて残骸が残っていました。しかし、いしかわの見立てでは『土砂崩れ』というより、『自己崩壊』したようです。そもそも石としっくいを積み上げただけ工法の上、旧校舎は相当古そうでしたから。 授業は旧校舎の残りの2教室と、日本から贈られた1教室で行なっているようです。
短い時間でしたが、授業参観をし、いろいろと学校経営の話をしました。
-- 現在生徒は21名。教師2名。--
--生徒は日本の小学校の前半にあたるのでしょう。6才から10才までが対象です。身体つきが小さく、もっと年齢が下に見えます。--
--校舎増築と崩壊の為、校庭が極端に狭く、それが現在の悩みのようです。 --
授業は書き取りをしてました。みんな『あの鉛筆』をちいさい手で一生懸命操りながら…。
『あの鉛筆』。皆さんに送って頂いていた膨大な量の鉛筆とノートは、長らく主のいない いしかわの実家の部屋を占拠していましたが、ネパールに渡る友人達の手によって少しずつ減っていきました。
もちろん今回いしかわも鉛筆とノートを携えて行きました。これもきちんと生徒に利用されています。ともあれ今の所、順調のようです。少しは『使命』は果たせたかな。では、また。ナマステ!
また、6月以降に日本においてシェルガ村の報告会を実施したいと考えています。出張報告も致しますので、仲間で、職場で、ノートを送ったという方の所になるべく馳せ参じますので、 メールにてご連絡下さい。
行きつけの古本屋(2004/5/10)
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いしかわには15年来行きつけの古本屋があります。前にもこのHPに書きましたが、それがカトマンズのタメル地区にある『THAMEL BOOK SHOP(旧NIGHTINGALE BOOK SHOP)』です。昔はKathmandu Guest House近く、KCレストラン向かいの2階(1st Floor)にあったんですが、引っ越してタメルチョークそばの1階(Ground Floor)になりました。
この古本屋には、日本人旅行者が読み終わった本や、ネパール在住者が帰国する際に処分する日本語の本が、大量に在庫されているのです。昔の看板には『日本語の古本が1,000册あります』って描いてあったのですが、現在は10倍の10,000册になっていました(笑)。実際数えたことはないけれど、文庫本を中心に相当な数の日本語の古本が積まれています。
いしかわが海外に出発する時は、いつも最後までバタバタ準備に追われているのでゆっくり本を買う暇がありません。飛行機を乗り継ぎ辿り着いたカトマンズで、ほっと一息ついてこの古本屋で本を捜すというスタイルが定着してしまいました。
この店に限らずカトマンズの古本屋の面白いのが『返却システム』です。その店で買った本なら、読み終わると半額で買い取ってくれるのです。多分、欧米人が持ち込んだシステムなのでしょうが、長期滞在の旅行者は安く日本語の本を読む事が出来るし、この日本語古本屋にとっては希少な日本語の本の在庫を減らさないで済むうまいシステムになっています。アジアの観光都市の中でも、長期滞在バックパッカーの多いカトマンズならではの商売であります。
これ程、日本語の古本があるのにも係わらず、惜しむべくは店主が日本語を読めない。という点でしょうか??昔はさかさまに本棚に並べてある本も多かった(笑)です。でも最近は結構がんばっているようで、文庫本の背表紙の色で著者分けに挑戦していたりします。
ちなみに買い取りには期待できません。いくら貴重な本でも、高価買い取りはあり得ない。なんせ店主が中身を読めないですから…。よって、ブック○フのように、本が汚れているかいないかの買い取り基準しかありません。だからでしょう、ベストセラーになった文庫本が何冊も棚に並んでいることがあります。まあ、そもそも旅人が旅先で読もうという本が棚を埋めているんです。特にインドから陸路でネパールに入る日本人が多いのか、椎名誠の『わしもインドで考えた』なんて十何冊もあります。
しかし、ごくまれに良い本が入っていて、日本では絶版で入手しにくくなったバックの『イリュージョン』なんかがポロっと出てくることもあり、そんな本を見つけた時は嬉しいですね。今回も1週間程、ネパールの地方へ行くにあたって日本語の本を仕入れにやってきました。面白そうな本を2〜3册買い込んで、近くの喫茶店で本場のチャイなんか飲みながらページをめくっていると、なんだか神保町あたりでやっていることと大差ないな〜と思うのでありました。
中世の古都バクタプルへ一泊旅行(2004/5/17)
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カトマンズ盆地には7つもの世界遺産がコンパクトに収まっていて、観光に非常に便利になっています。その内の3つがかつての王朝の都市―カトマンズKathmandu、パタンPatan、バクタプルBhaktapurです。
いしかわはもう10年以上前からネパールへ何度となく訪れているのですが、バクタプルだけは行った事がありませんでした。今回は初バクタプル訪問です。バクタプルは別名『寺院の街』と呼ばれるマッラ王朝時代の寺院がひしめく街。それ程大きくない街中には、見どころが満載です。55の出窓を持つバクタプル王宮広場Bhaktapur Durbar Squareやゴールデンゲートはその精緻な彫刻で有名。この他にもニャタポラ寺院Nyatapola Temple、ダッタトラヤ寺院Dattatreya Templeなど歴史的な建造物が所狭しと立ち並んでいます。
カトマンズから日帰りでも観光できるのですが、早朝の街がとても趣きがあると聞いていたので、わざわざ一泊することにしました。
宿泊したのはニャタポラ寺院隣にあるサニーゲストハウス。なぜここにしたかというと、部屋から寺院前の広場が見渡せるから。朝夕行き交う人々を眺めたいと思ったからです。日射しの強い昼間はあまり出歩かず、レストランでバクタプル名物のヨーグルトJujudhauを頂きました。これが絶品!!。何でもこの味は秘伝中の秘伝で、この街以外では出せない味とか…。堪能しました。
夕方涼しくなってくると広場に青空市がたちました。ぶらぶらヒヤカシながら街中を探訪します。この街では素焼きの壺や皿の生産が盛んで、あの名物ヨーグルトも、素焼きの平皿に入れて天秤棒に担がれて行商されるそうです。
翌朝、夜も明けきらない午前4時。いしかわはホテルの部屋を出ました。朝の散歩です。 こんな早朝でも人々は活動しています。人の流れについていくと、ハヌマン ガートHanuman Ghatに行き着きました。皆、朝日の中で沐浴をしています。
そんな光景を対岸から眺めながら、ゆっくりと一日が始まるのを感じているのでした。
カトマンズ・レストラン情報(2004/5/20)
カトマンズ滞在にはいろいろな楽しみがあるのですが、そのひとつが『食事』です。
カトマンズは、東京に負けず劣らず世界中の料理が食べられる街。だけど価格の安さではカトマンズの勝ちでしょう。ご多分に洩れず、日本食もアジアの国々のなかでは安く旨く食べられる希有な場所になっています。今回は日本食レストランを除いたいしかわのお気に入りのお店を何軒かご紹介。
Cafe Jalapeno
ともかくカトマンズに着いたら、最初の夕食か次の食事くらいにはここで食べますね。ここの売りは『冷えたビール』と『インド料理』と『眺め』。
『眺め』といってもヒマラヤが望める訳ではなく、行き交う人やリキシャの流れといった雑踏が眺められます。しかしそんなアジアな街角を眺めながら、冷えたビール(サンミゲルが好みです)を飲むのがいしかわ、好きなんです。食事は大抵、ほうれん草とパニール(インド風カッテージチーズ)のカレーを頂きます。まさしく『ネパールにいるな〜』という実感が湧きます。Helena's
かつていしかわの朝飯といえば、Pumpernickle Bakeryと決まっていました。でも、何度目からかそんなに『おいしい』と感じなくなってしまって…行かなくなりました。
代わって通うようになったのはHelena's。いしかわの定宿HOTEL Tashi Dheleと背中合わせに建っているレストラン。ここの屋上でとる朝食セットは、トースト、卵(好みで調理してくれる。いしかわはいつもスクランブル)、じゃがいも炒め、焼きトマト、バナナ、ジャム&バター、そしてコーヒー。これで65Rs(=約100円)。
ツーリストが集まるタメル地区はビルが多くていつも圧迫感を感じますが、ここは空が広く、Swayambunathスワヤンブナートを見ながらの朝食は優雅です(笑)。 (写真をクリックするとスワヤンブナートの遠景が見れます)Thakali Bhanchha
ネパールという国は他民族国家で、民族によって食文化もいろいろ。その中でも『ネワール』と『タカリー』が作る料理は双璧という意見があります。
『ネワール』料理といえば、古くからカトマンズに住む民族で、代表的な料理が『モモ』。いわゆるネパール餃子ですね。いしかわもよく食べます。
で、もう一方の『タカリー』料理。あんまり代表的な料理が見当たらない…。タカリー族はアンナプルナ山麓のカリガンタキ川沿いに住む民族で、古くから交易で行き交う人を世話し、現代ではトレッカー相手のロッジなどを経営しているそうです。いしかわもアンナプルナ一周トレッキングでタカリー族のロッジで食事をしました。確かに旨かった。食べたのはなんて事ないダルバート(豆カレー定食)。でも前後の村と味が全然違った。
タメルにもThakali Bhanchha(タカリーキッチンの意味)という食堂があって、今回、通うようになりました。毎回、ベジタブル・ダルバートしか食べませんが、確かに旨い、安い、量が多い。味の秘けつは何なのでしょう??(いしかわはギーと塩の使い方と見たんですが…)どなたかご存じでしたらご教示くださいな。
世界中どこでも同じ…?(2004/5/21)
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過去には自炊もしていたカトマンズですが、今回はホテル暮らし。前回書きましたように、日本食から洋食までどんなレストランも揃うカトマンズですが、いい加減、外食にも飽きてきます。たまにはコンビニおにぎりくらいで、安〜く、軽〜く食事を済ませたい。しかし、外国(しかもネパール)ではなかなかそうもいかないのです。
そもそも早朝から深夜まで(場合によっては24時間)営業のコンビニという業態は、どこの国ならあるのでしょう? いしかわが回った国では、日本、シンガポール、それからハワイのABCストアくらいしか『コンビニ』チックな業態は見かけませんでしたね〜。近い業態としては駅の『キオスク』タイプの店くらいかな。
しかし『おにぎり』は無理でも、ハンバーガー・ショップならどの国にもそこそこあるもんです。マクドナルドだってインドやスイスにもありました。
でもね、インドのマクドナルドは、いしかわにとって敷き居が高かったんですよ。日本のマクドナルドだと、『小腹が空いたけど時間がないから、安く済ますか〜』と気軽に入店できますが、インドでは、『体調もすぐれないし、清潔な店舗でちょっと贅沢してハンバーガーでも食べるか』になります。インドにおいては、マクドナルドは『高級品』。まあ実際、どこの国においても、マクドナルドは他の物価に比べて高かったですね。日本のように気軽に食べれるもんじゃありません。(もっとも日本は全体の物価が高くて、ハンバーガーだけが異常に安い。という『特殊事情』がありますが…。)
ちなみにスイスでハンバーガーとポテトと飲み物のセットを注文すると、日本円で1,000円くらいは軽く吹っ飛びます。
でもね、どこの国にも『スナック』に相当する地元の食べ物ってあるんですよ。それを食べていれば、大抵は美味しいし、安く済ませられる。インドだったらサモサ、トルコはドネルケバブ(サンドイッチ)、イタリアではパニーニをよく食べてました。そしてここネパールでは、モモ(ネパール風ギョウザ)。
写真はカトマンズ市内で見つけた珍しい『しゅうまいタイプ』。…。考えていたらお腹空いてきた。ちょっとそこまでモモを食べに行ってきます!!。
最後に、マクドナルド話しを2つ。
インドのマクドナルドじゃ宗教上の問題から牛肉、豚肉は使ってません。肉はマトン(羊)でした。『マハラジャマック』旨かったな〜。それからベジタリアン向けのバーガーは日本の『カレーコロッケパン』みたいで美味でした。
スイスのマクドナルドは多角経営?。マクドナルドのバスもあれば飛行機もある。ホテルもあるそうな。
味も違えば、サービスも様々なんですね。
プレゼントの極意(2004/5/22)
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現在、いしかわの十年来の友人ミンマシェルパは、奥さんと共に渡米中。従って彼のカトマンズのお家には、弟のゲルーシェルパを中心にミンマのご両親が住んでいます。
そのゲルーはこの春、結婚をしてました。お相手はチベタンのツェリンさん。お家に伺った時に結婚式のビデオを見せてもらいました。
いしかわの目から見ればお互いに仏教徒だし、風貌もモンゴロイドだから、それ程違いは無さそうに思えたのですが、いろいろと文化的差異があって、結婚式も調整が大変だったそうです。祝福の意味を込めて、お祝いの品をプレゼントしたかったのですが、あいにく持ち合わせが何もない。後日、ネパールの市場にでかけて、お祝いの品を物色しました。
いろいろと考えた挙げ句、プレゼントは置き時計にしました。しかし、彼らの新居にふさわしい置き時計をネパールの市場で見つけるのは至難の業。ほとほと疲れ果てた頃、ビルの奥まった店の陳列棚のさらに奥の方から2つの置き時計を見つけ出しました。ひとつは『金色』の置き時計。もうひとつは『銀色』の置き時計。う〜む、ディープなネパール人なら『金色』を好みそうだぞ。でも、ゲルーは英語もイタリア語もしゃべり、イタリアにホームステイもしたくらいだから、『金ピカ』よりもこっちの上品そうな『銀色』の方がいいかも…。悩みます。
そんな時、いしかわはいつもはるか昔のある事を思い出すのでした…。
それは、いしかわが小学生の頃。クラス替えで一緒になったA君と、下校途中に互いの誕生日の話題になりました。その時、いしかわはその日がA君の誕生日だという事を知り、お家に誘われたのでした。
早速、自宅に帰って母親にその事を告げ、『緊急措置』ということで母親から『誕生日プレゼント代』を受け取って、オモチャ屋でミニカーを品定めしました。
『う〜ん、青いスポーツカーと赤いスポーツカーがあるな〜。青いのがかっこいいと思うけど…。でも待てよ。もし、ここで青のスポーツカーをA君にプレゼントして、後で僕が青のスポーツカーを買ったら、同じになっちゃうな〜。じゃあ、A君には赤いスポーツカーを買って行こう!。』なんと姑息な考えでしょう(笑)。でも、こうして、赤いスポーツカーにリボンをかけてもらい、A君の家にいしかわは走るのでした。しかし、結果からいうと、その日はA君の誕生日ではなかったのです。A君がウソをついたのか、いしかわの勘違いだったのかは今となってははっきりしませんが、『赤いスポーツカー』が手元に残ったのは確かです。帰宅し、母親に事情を話した所その『赤いスポーツカー』はいしかわのおもちゃ箱に入る事になったのでした。
もちろん、その後『青いスポーツカー』は、『赤いスポーツカー』を持っているという理由で、買ってもらう事は叶いませんでした。そしてその時いしかわは思ったのです。
『人にプレゼントする時は、自分にとって最高の物を贈るべきなんだ』と。 さて置き時計はどうなったでしょう?もちろん、上品な(?)『銀色』の置き時計にしました。ちなみにゲルー夫婦はプレゼントを大変喜んでくれましたが、今思っても店員は『金色』の方をしきりに勧めていましたっけ…。
でも、まあいいんです。それがいしかわ流の『プレゼントの極意』なんですから…。