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ネパール編
十数年ぶりに再会を果たす!!!?(2000/8/23)
ナマステ!いしかわです。
いしかわの現在位置はネパール首都カトマンドゥ Kathmandu
に滞在してます。
多分いしかわの部屋には今でも、十数年前にカトマンドゥのホテルの屋上で撮った写真があるはずです。こうして同じようにカトマンドゥのタメルTHAMEL地区のHOTEL Tashi Dheleの屋上でメールを書いていると、今がいったいいつなのかぼんやりしてきます。
5年ぶりでトリブヴァン国際空港に降りたった時は「それほど変わっていないかな」と思ったのですが、カトマンドゥは様変りしていました。
事前に情報をもらっていましたが、今カトマンドゥではメータータクシーが走っています。この周辺の国では画期的なことで、お決まりの事前の値段交渉がいらないのです(ちょっと寂しい気もしますが)。街もビルが多くなり、道も幾分か清潔になったようです。ただし、車が増えた分、標高1300mのこの街の大気汚染が進んだようで残念でなりません。
そうそう、変わらないモノ(?)もありました。
空港の客引きの中になつかしい顔!。B.K.Singh(シン)さんがいるではありませんか!彼とは十数年前、最初にネパールにトレッキングに来た時お世話になったネパール人で、日本にも歌手(!?)になるために来日していた日本語が堪能な方です。いしかわは当時、山のクラブの後輩5人(男2人女3人)を引率?してアンナプルナ方面にトレッキングに来たのでした。トレッキング自体は途中雪が降ったり、調子が悪くなる女の子が出たりといろいろありましたが、結構楽しいトレッキングでした。まあ、これも何かの縁ですから、彼のイトコが経営しているHOTEL Tashi Dheleにチェックインする事にします。
8月のネパールはまだ雨期のようで、一日に数回まとまって雨が降ります。あちこちで土砂災害による通行止めがあるようでトレッカーはウワサに右往左往。しかし、合間に見せる日差しは結構強烈で、ネパール人も旅行者も「それ!」といった感じで一斉に洗濯モノを干します。いしかわも洗濯モノを干し、太陽充電池で充電を行いつつメールを書きます。あれ、ちょっと雲ゆきがあやしくなってきたようです。続きはこの次へ。では。
カトマンドゥの日々(2000/8/27)
ナマステ!いしかわです。
いしかわの現在位置はネパール首都カトマンドゥ Kathmandu
に滞在しております。
いしかわが旅に出て一ヶ月が過ぎようとしています。本編の最後に簡単なクイズを付けました。氏名、住所を付してishiyam@tabuchi.comまでご回答をお寄せ下さい(9月末日締め切り)。時間はかかりますが、抽選にて いしかわがインドはレーで求めました「お土産」を進呈いたします。
ここネパールはインドに比べ、人も気候も食べ物もマイルドです。インドでちょっと疲れていたので思い切って贅沢をすることにしました。バフ(水牛)ステーキです。ご存知の通り、ここネパールでも”牛”は神聖な動物で、町中至る所にウロウロしています。でもどういう訳か水牛は別物らしく、シェルパ族やチベット系住民を中心にポピュラーに食べられています。ネパールに着いてそうそう、この名物ステーキにかじりつきました。う〜ん、うまい。肉を、いや、動物性たん白質をとっている感じです。その他にもカトマンドゥはタメルという旅行者が溜まる一角には、イタリア、オーストラリア、日本、韓国などの料理店が軒を連ねています。一説によると、各国の登山隊が長いキャラバン中にネパール人コックにそれぞれの国のレシピを直伝し、彼らが店を開いた為どの店も本格的な味が楽しめるそうです。
それから、いしかわがタメルに着いて真っ先に入った店があります。それは古本屋。タメルには日本人の長期の滞在者(目的はトレッキングだったり、大麻だったり、サル岩石だったり様々ですが…)も結構多く、古本屋にも日本語の本が沢山あります。システムも気がきいていて、売り値の半額でまた買い戻してくれるので、さながら有料図書館の面持ちです。(多分欧米人の発想でしょう)出発のドタバタで何ひとつ本を持たなかったいしかわは、ここで「竜馬がゆく(司馬遼太郎)」を手に取りました。面白いことに、すでにこの本はバンコク(タイ)→バンビエン(ラオス)→カルカッタ(インド)→カトマンドゥ(ネパール)と渡って来たことが裏書きで分かります。久しぶりに頭に染み透る感じで、むさぼり読んでいます。(ちょうど坂本竜馬が土佐藩を脱藩し「海賊にでもなるかの〜」と言っているクダリです)
最後にクイズをひとつ。
インド北部やネパールで食べられているチベット風餃子のことを何というでしょう?
氏名、住所を付してishiyam@tabuchi.comまでご回答をお寄せ下さい(9月末日締め切り)。 時間はかかりますが、抽選にて いしかわがインドはレーで求めました「お土産」を進呈いたします。
さて、来週からネパールトレッキングが始まります。インドと違いどんな出会いがあるか楽しみです。では。
いしかわ、ネパールの家庭に呼ばれる(2000/8/28)
ナマステ!いしかわです。
いしかわの現在位置はネパール首都カトマンドゥ Kathmandu
に滞在してます。
再びネパールで懐かしい人と再会できました。MINGMAミンマSHERPAです。彼は十年程前いしかわが最初にネパールでトレッキングした時のガイドで、その後も手紙のやりとりなど交流を持っていました。今日は彼の家に“お呼ばれ”なのです。
ミンマ家の家族構成は彼と奥さんと2人の男の子です。ただし、ミンマの弟GELUゲルーと妹KANCHIカンチが一緒に住んでいるらしく、結構賑やかです。2人の男の子はシャイでなかなか出て来ません。さらに今日は親戚のガイドのBEKHベックも来ています。
驚いた事にミンマ家のテレビは日本語放送(NHK衛星)が入ります。衛星受信機を入れたら受信できたそうで、いしかわは約1カ月ぶりのNHKに見入ってしまいました。
ビールの後にマトンカレーと野菜カレーいろいろとテーブルの上にならびました。いや、旨いのなんの。バクバク食べて飲んで昔話に盛り上がります。
しかし、残念な事がひとつ。10年前アンナプルナ、ランタン谷を一緒にトレッキングしたミンマの従兄弟DAUWAダウワSHERPAが2年前の韓国エベレスト隊に参加し、亡くなっていました。彼は体が大きく、何より性格が明るくて、今回のいしかわのトレッキングも彼のスケジュールに合わせようとまで思っていたのでショックでした。ランタン谷では途中で風邪を引いたらしく「すみません。(栄養つけたいんで)玉子焼きを食べていいですか?…」なんて申し出たり…。アンナプルナのトレッキングの際には「俺がザイルで引っ張り上げるから、今度は Annapurnaアンナプルナ(8091m)に行こう!」なんて言っていたのに…。謹んで御冥福をお祈りします。
21時頃までおじゃまして、帰りはミンマのバイクでホテルまで送ってもらいました。久しぶりに家庭の雰囲気を楽しんだひとコマでありました。
ジリで日本文化に出会う(2000/8/31)
ナマステ!いしかわです。
いしかわの現在位置はネパール東部シェルパ族の中心地NAMCHE BAZAARナムチェ・バザール3440mに滞在してます。
首都カトマンドゥ
から東へバスで8時間。 JIRIジリという街に着きます。ここは古き良きトレッキングロードの出発点。これより先に車道はありません。
道は山道となり、やがてシェルパ族の中心地NAMCHE BAZAARナムチェ・バザールへと続いています。その道のりは徒歩で1週間以上かかります。しかし現在、ジリから7日程の街LUKLAルクラに飛行場があり、トレッカーの多くはカトマンドゥから一飛びにこのルクラまで行ってしまいます。よってジリは「よし、下から歩いてやる」という物好き、いや根性の入ったトレッカーしか訪れない静かな街になりました。トレッカーにとっては忘れられたような街ですが、ネパール人(ネパーリー)にとって基本は歩き。当然この街には歩きでナムチェを目指すネパーリーが集まっています。その意味では街は本来の姿に戻ったと言えるでしょう。
今はまだ雨期も明けきっておらず、またルクラの空港が整備中で飛行機が飛ばない為トレッカーは極端に少ないようです。いしかわはなぜこの街に来たか?根性見せる為か?いやいや、ここからローカルヘリがルクラや、更に上の街(ルクラから2日程)SYANGBOCHEシャンボチェ3720mまで飛んでいると聞き付けてやって来たのです。
ただし、ヘリは天候次第。ロッジには4日足留めを食っているロシア人が酒をあおっていました。今は飲んだくれている彼らですが、れっきとしたクライマー。LHOTSEローツェ8501mを登る選抜された精鋭ロシア登山隊員です。最初は横でお茶を飲んでいたのですが、「ちょっと来い」と呼ばれ、一緒に飲み出してしまいました。もうほとんど酔っ払っているので、よく分からないのですが「原潜の事故は最悪だ」とか「俺の弟はチェチェンで戦死した」とか。そして何かあると「“トゥース”」と言って一気に杯を空けていきます。そんな彼らも翌日飛んでいってしまいました。
ただ待っているのも何なので、街を散策してみます。でもメインストリートは端から端まで10分ほどで終ってしまうんですが…。そこに通りかかった少年2人。なんと日本の“道着”らしいものを着て歩いています。暇潰しに付いて行きました。辿りついたのは“SHITARI KARATE DOJO”という丘の上の空手道場。20人程の少年少女が稽古をつけてもらってます。ジリのような街で日本のスポーツに出会うとは思いもよりませんでした。
ネパールや南アジアを旅していると、日本に関する話題は極端に偏ります。だいたい日本製の工業製品の話だったり、日本に行って働いて大金を得て帰って来た(または行きたい)という手合いの話ばかりです。その度「日本は“モノ”や“カネ”でしか知られていないんだな」とちょっと悲しく思っていました。それが、(いしかわは柔道の方は有段者ですが、空手はさっぱり分かりません。)熱心に稽古で汗を流すネパーリーの少年少女を見ているだけで、日本のスポーツが根付いている事に単純に感動してしまいました。やがてこの少年少女達が“空手”を通して“日本”や“日本人”や“日本文化”に興味を持ってくれたら…と願いながら暗くなりかけた道を下りていきました。
トレッキングロードにて(2000/9/3)
ナマステ!いしかわです。
いしかわの現在位置はネパール東部PHERICHEペリチェ4240mに滞在してます。
いしかわは久しぶりにネパールのトレッキングロードを歩いています。エベレストのあるクーンブ地方、シェルパ族の中心地NAMCHE BAZAARナムチェ・バザールから先は標高も3700mを越える高所のトレッキングロード(当然車なぞ入れる訳がなく、ひたすら歩くのみ)になっています。
しかし外国人にとってはトレッキングロードでも、地元の人には生活道。でっかい木材を担いだ少年やヤク(毛長牛)の隊商、食器を洗いに行く女性など様々な人が歩いています。
9月も初旬とあってシーズンにはまだ早く、トレッカーが少なくて山はまだまだ静かです。午後には曇ってしまう為、景色はもっぱら明け方が良いのですが、今朝も隣室のイギリス人女性が、「OH!MY GOD!!」を連発し、朝5時に起こして(?)くれました。(確かに景色はいいけど5時はないでしょう!)さて、このイギリス人女性と同じ興奮を味わいたい方、下記のH.Pにて同じ風景がライブで楽しめます。これはSYANGBOCHEシャンボジェにあるHOTEL EVEREST VIEW(約3800m)の展望テラス脇のカメラで撮ったライブ映像です。今回いしかわも行きましたが、何も飲まず食わずで景色だけ堪能して出て来ました。ちなみに経営者は日本人の方で、ホテルは異国で日本語が通じる不思議な空間です。
http://www.m.chiba-u.ac.jp/class/respir/ismm98j.htm
さて、トレッキングロードを歩く際に注意点が3つ。
1つ。生活物資は主にポーターと呼ばれる担ぎ手さん達によるところが大です。彼らは自分の数倍もある荷物を担いで同じトレッキングロードを行き来しています。トレッカーはポーターさんに道を護るようにしましょう。彼らは生活の為、我々はレジャーで来ているのですから。
2つ。トレッキングロードには“マニ石”と呼ばれる梵字(仏教文字)が刻まれた石が道の所々に積んであります。一応、仏教徒のルールではこの石を右に見ながら通ります。(旗の場合もあるので注意)「自分は無宗教だから」という人も“郷に入れば郷に従え”です。このルールを守ってあげましょう。
3つ。良い景色だな〜。と漫然と歩いていると「ぐにゅ」とやられます。ヤクの糞に。いしかわはかっこいい欧米系トレッカーのおにいさんが「ナマステ〜」と挨拶しながら、ヤクの糞でコケタのを2度程目撃しました。ご注意。この3つさえクリアーすればあなたも立派なトレッカーになれます。但し高山病だけは注意してください。もうここは富士山より高い場所なのですから。では、また。
さまよえる峠(2000/9/6)
ナマステ!いしかわです。
いしかわの現在位置はネパール東部シェルパ族の中心地NAMCHE BAZAARナムチェ・バザール3440mに滞在してます。
「またここも違う」
ここ2日程、5100mにB.C(ベースキャンプ)を設置してから降雪と霧に巻かれ、目指す山も良く分からない状況が続いています。ガイドのBEKH(ベック)もルートが良く分かっていないようです。
いしかわは“2週間で登れる世界の山”を目標に、あまりガイドブックに載っていない、日本人によく知られていない山を登るつもりでエベレストのあるネパールはクーンブ地方にやって来ました。しかし、思ったより事は難航しました。どこのトレッキングエージェントを当たっても目的の山“POKALDE(5802m)”と“KONGMA TSE(5849m)”など知らないというのです。この二つの山はネパール登山協会(NMA)が定める(登山料の比較的安い)トレッキングピークだというのにです。
最後にあてにしていた、(10年前に知り合った)ダウワシェルパは2年前のエベレスト韓国隊に参加して亡くなっていました。そこにダウワの親戚にあたるガイドのベックが「POKALDEなら行った事がある」と名乗りを挙げて来たのです。当然、彼も公式のガイド証も持っていましたし、目指すもう一つの山“KONGMA TSE”は“POKALDE”と峠一つ隔てた向かいの山なので「“POKALDE”を知っていれば安心」と彼を雇いました。
「今年はLUKLAルクラ(この地方の玄関口にあたる街)の飛行場が閉鎖中だけど、ローカルのヘリがさらに上(2日程日程が短縮できる)のSYANGBOCHEシャンボジェまで飛んでいるから大丈夫」などと出足は好調でした。しかし、目的の山が近くなるにつれ「あれが“POKALDE”か?」と訊くと「ここの村の人が言うには“POKALDE”はあの裏らしい」などと歯切れが悪くなり、B.C設置の際には「自分は“POKALDE”の前衛峰を南から登った事はあるけど、こちらからは登った事がない」と言い出す始末。そして冒頭の“彷徨”が始まったのです。
“彷徨”2日目の昼、一瞬空が晴れました。見ると覆いかぶさるように“NUPTSE(7861m)”が見えます。ふと「ちょっとNUPTSEに近すぎるじゃないか?」と疑問がもたげます。「ベック、一つ谷が違うんじゃないか?」「…」
「もうここしか登る所は残っていない」道も定かでないその尾根(5500m)を越えると、そこから目指す峠“KONGMA LA(5535m)”が遠望できるではありませんか。そうです、やはり我々は谷を一つ間違えていたのです。(つづく)
成功、そして挫折(2000/9/11)
ナマステ!いしかわです。
いしかわの現在位置はネパール東部シェルパ族の中心地NAMCHE BAZAARナムチェ・バザール3440mに滞在してます。
ネパール・クーンブ地方のトレッキングピーク“POKALDE(5802m)”と“KONGMA TSE(5849m)”を目指していたいしかわは、谷を一つ間違えてB.C(ベースキャンプ)を設置した事を知りました…。
早速 B.Cを設置し直しです。それにしてもよく雨(5000m以上では雪)が降ります。B.Cに入る前は比較的天候は良かったのですが、ここのところ朝、晴れ。その後、曇。午後2時から、雨または雪。の繰返しです。まだ雨期が抜けていないのでしょう。
まずは“POKALDE(5802m)”を目指します。設置し直したB.C(5200m)から1時間半程であんなに探し求めていた峠“KONGMA LA(5535m)”に着きました。峠にはチベット文化圏独特のタルチョ(祈祷旗)がはためいています。峠からPOKALDEの山頂までは稜線を忠実に辿っていきます。比較的広い岩稜をゆくとやがて岩峰にゆき当たりました。キワドイ岩登りです。チムニー状を下りぎみに、そして“カニの横ばい”のようなもろい岩場。ここが3000m級の山ならなんて事ないのですが、すでに標高は5700mを越えています。頭痛はないのですが、体が妙に重く感じます。
「ああ、あの岩が落ちるな〜」と見ていると、案の定ベックがその岩を蹴落としました。
しばらく無音。そして遠くで「カツーン」と乾いた音がします。ガスで下は見えませんが、落ちればまず助からないでしょう。
なんとか岩場を通過。南斜面に廻り込みタルチョのあるPOKALDE山頂に達しました。時刻は10時。B.Cから約3時間弱。あれ程探した割にはあっけない結末でした。ベックが「さっき(岩場)では足が震えたヨ」と告白します。景色は無く、30程で下山開始。再び峠を経て12時にはB.C に戻る事ができました。(夜は降雪)
翌朝、昨夜の雪が信じられない程晴れ、B.Cからこの地方の名峰AMA DABLAM(6856m)が見えます。早速“KONGMA TSE(5849m)”を目指します。
POKALDEとは違い、峠からではなく小規模なKONGMA氷河の右岸を斜上していきます。始めこそケルン(目印の石積み)があったのですが、やがてそれもなくなりルートを探りながら進みます。例によってベックが先に立って歩くのですが、彼は難しい方へ難しい方へと行く傾向があるようで、脆い岩場から一気に稜線に突き上げました。雪稜の向うに三角錐のような形の良いピークが見えます。右に目を転ずればNUPTSE(7861m)が覆いかぶさる様にそびえています。昨日より景色は見えるし条件は良いようにみえたのです。が、ベックは頂上に続く新雪とその下に隠れる脆い岩場の状況から「これ以上は危険。シーズンが悪い」と撤退を勧告しました。10時15分。標高5700m位。山頂まであと高度差100mちょっと程でしょうか。しかし写真を撮っているうちにガスが上がって、下山は小雪が舞う中、もう少し易しいガラガラの岩場を2人で駆け下りました。13時半、B.C着。その後雪は一晩中降り、翌朝B.C撤収時まで降っていました。天候の事を思うとベックの下山の判断もまんざらではなかったかな、と思えます。
こうして1勝1敗でこの登山は終わりました。しかし、この後われわれはミンマSHERPAの故郷の“SHERGA”村に向かいます。トレッカーも訪れる事が希なこの村でのリポートはまた続きで。
SHERGA村たより(2000/9/19)
ナマステ!いしかわです。
いしかわの現在位置はネパール東部の寒村SHERGAシェルガ村2600mに滞在してます。
いしかわはジリとルクラを結ぶトレッキングロードからはるか南にはずれたシェルガという村にやってきました。ここはネパーリーの友人ミンマSHERPAの故郷。到着するなりミンマパパとミンマママ、それからミンマの弟PEMAペマSHERPAに温かく迎えられました。今日からしばらく居候です。
シェルガ村はトレッキングロードから遠く離れている為、訪れる外国人もなく静かな村です。18日間のトレッキングを終えたいしかわにとっては絶好の休養となりました。
ネパールの田舎の生活サイクルにはすぐ慣れました。ここでは朝は5時ごろ日の出とともに起き、朝食はミルクティ(成分無調整の素の牛乳入り!!)だけで済ませます。(それでもミンマママはいしかわが外国人だからかチャパティをいつも焼いてくれます。)そして牛を放牧しに行ったり、洗濯したり朝の仕事をこなします。昼食は9時です。ここでダルバート(ネパールの主食。いしかわが考えるに日本の"みそ汁ぶっかけご飯"だと思って頂ければよろしいかと)を食べます。ちょっと多いかな?と思う位しっかり食べます。その後は畑仕事をしたり、穀物の乾燥や干し草ほしなどをします。おやつ時にララ(インスタント塩ラーメン)やワイワイ(インスタント醤油?ラーメン)、外出先だとモモ(チベット餃子)をつまみます。こちらでは石臼がよく使われています。ミンマママは午後になるとよく臼をひいて粉を作ってました。夕食は7時ごろ。茹でたジャガイモやシェルパシチュー(すいとんのようでした)やダルバートを食べ、20時には寝てしまいます。
シェルガ村は電気こそ通っていて夜の灯には事欠きません。しかし非常に不安定なようで、いしかわにネパール音楽を聞かせようとラジカセを使う度に、ペマはどこかの灯を消しに出ていきました。
こんな風に一日(刺激的な事件やどなく、たんたんと過ぎていきます)
ミンマ家の敷地内には小さいながらもGOMPAゴンパ(チベット寺院)が建っています。なんでもおじいさんの代までは僧侶だったそうで、置かれてある経文は非常に古く、おじいさんがチベットから命懸けで持ち帰ったものだそうです。
ミンマパパは僧侶でこそありませんが、ゴンパを管理し村の重鎮といった面持ちです。そんなミンマパパからこんな話が出ました。「村にはいろいろな問題もあるが、何とかやっている。でも一番頭の痛い問題は次の世代、つまり子ども達が大人になった時どうなるかだ。自分達は子ども達が将来困らない様12年前に"SHREE SHERGA BAGAM PRIMARY SCHOOL"を作った。(BAGAMは隣村。ミンマが子どもの頃、村に学校はなく、山道を何時間も歩いたそうです)今、この学校の経営で頭を痛めている。子どもの数が多くなり(現在25人)教室(一つ8畳ほど)3つでは入りきらない。増築をしたいのだが…」
当初学校にはもっと大きな問題がありました。トイレがなかったのです。皆、学校前に流れる小川で用を足していました。それがたまたま2000年の新年をネパールで迎えようと訪れたミンマの友人のスウェーデン人グループが寄付を申し出、今は簡素な2つのトイレが出来たという事です。
「さて、困った。なんとかしたいけど、いしかわ個人の技量を越えた話になってきたぞ(汗)」トレッキングの最中も「これはヒラリー卿が援助して建てたゴンパ(学校の場合も多くありました)です。」などとは聞かされていました。しかしヒラリー卿はエベレストを最初に登ったいわば有名人。寄付を集めるにも格が違う。
「ちなみにどれ位必要なのでしょう?」恐る恐る聞いてみます。ミンマパパは先生と相談を始めました。(その頃になると先生もやって来た!)「とりあえず$700あれば教室が一つできます。」「(あれ!?)」本当は傾斜地に学校が建っている為、もう少し(+$300ほど)あると良いらしいのでしが、それでも7万円ちょっとで教室が建ってしまうとは…。ちなみに例のトイレ。$300の寄付で大工さんが来て建てたそうです。
しかし、旅の途上にある今のいしかわには、$700でもちょっと苦しい。そこで皆様のお力にすがりたいと思うのですが…、如何でしょう。コーヒーを一杯、お店(ドトールじゃなくて)で飲んだと思って、一口$3-を是非ともご寄付頂けないでしょうか。(何杯も飲んだつもりになって頂ける方は、何口でも構いません)ネパールはシェルガ村の子どもに教室を贈りたいと思います。
集金等の経過はこのHP等で行い、いしかわが責任もってシェルガ村再訪問して手渡すように致します。
シェルガ村教室増築につきまして、皆様の大きな支援を頂きました。集計途中ですが、金額は10万円を突破した模様です。本当にありがとうございます。シェルガ村の子ども達にとっては大きなクリスマスプレゼントかお年玉となることでしょう。また、文具等の支援もありがとうございます。いしかわの実家には様々な文具の詰まった段ボールが積まれているそうです。大変ありがとうございます。
さて、2000年末を持ちまして募金の方は締め切らせていただきます。いしかわも2001年2月にはネパールに戻り、肉体労働で教室増築へ貢献するつもりです。文具の方はできれば継続したいと考えております。シェルガ村や周辺の村でも文具は不足している模様です。教室のような大きな贈り物ではありませんが、続ける事、思い続ける事が大切だと感じています。
最後に、遠い場所から拙いメールだけの呼びかけに対して、このように多くの支援を頂きましたことを、今一度、感謝、御礼申し上げます。(2000/12/25)
ジェームス・ボカ・ボンドのナイトライフ(2000/9/26)
ナマステ!いしかわです。いしかわの現在位置はネパール首都カトマンドゥKathmandu
に滞在してます。
ようやくデジカメの画像が送れるようになり当初の"モバイルジャーニー"も形になってきました。皆さんからのメールは全部読ませて頂いています。時間がかかっても返事を書きますので御意見、御感想お待ちしております。写真のほうの感想も是非お願いします。
さて、今回は首都カトマンドゥのナイトライフ(?)についてです。
ここのところ画像を送ったりする為に「電話屋」に出かけます。そこのHARIHARハリハール(通称ハリー君24歳)と仲良くなりました。彼が「今夜モデルコンテストがあるから行こう!」と言い出しました。
いしかわが住むタメル地区は旅行者の溜り場で、娯楽はひと通り(カラオケまで!)揃っています。しかし旅行者のものであってネパールの若者の娯楽とは違うようです。
「ムムム、ネパーリーのデルモさん。興味あるね〜」ということで即決。夜7時に少ない衣類の中から比較的まともなのを選んで出かけました。会場は最近できたRadisson Hotel。立派です。スポンサーもビール会社やブランド服の会社など一流どころ。さらにネパーリーの人気歌手も幕間に登場するとかで「なんかすごいじゃない!!!」とますます期待が高まります。
さて、ラップ調の華やかなBGMと共に肝心のコンテストが始まりました。「???」これがお粗末で、苦笑してしまいました。モデルさんは確かに美人ぞろい。インド・アーリア系の顔立ちから日本人のモデルさんに近い子まで様々です。しかし、歩き方がぎこちない。颯爽としていないのでカッコウが悪い。なんかターンしないといけない位置でターンしそびれると「やばい間違えた!」という表情が丸出しです。ちなみにこちらでも厚底が流行のようです。(日本じゃもう流行っていないか?)いしかわが思い出したのは、そう日本の学園祭のミスコンです。そういう目で見てみると、モギリしていた若いのや裏方でウロウロしているのは、いしかわが大学生でバブル絶頂期だった頃の「広告研究会」やら「プロディース研究会」などの怪しげな奴らそっくり!!その後のコンテストの見方がすっかり変わってしまいました。コンテストが終ってみれば、大体のモデルの女の子は主催者とおぼしき「広告研究会」君の彼女のようです。(ここらへんも昔そっくり)バカバカしくなってハリーとバイキングの食事をガツガツ食べてました。(この辺りのいしかわの行動も、昔のいしかわの行動と同じ)
「よう!ボカ・ボンド。昨日は楽しかっただろう!??」翌日画像をアップしに電話屋に行くと、ハリーがニヤニヤしながら訊いてきます。適当に相槌を打ちました。ちなみに昨晩、彼の友人から"ジェームス・ボカ・ボンド"というアダナをもらいました。ボカとは山羊の事。いしかわのノバシテいる顎ひげを指していっているのでしょう。
「ボカ・ボンド。今日はプールに行こう!」プールといっても泳ぐ方ではなく、ビリヤード場の事です。今、ネパール全土はビリヤードブーム。そういえば標高3440mの街ナムチェ・バザールにもビリヤード場があったっけ。また夜7時に集合し出かけます。きったないビリヤード場につきました。これまた昔、バブルの頃、つまりいしかわが大学生の頃流行ったものです。日本では大抵バーが併設され、お酒が飲めるのが主流でしたが、ネパールは違うようでコーラを飲みながら玉を突きます。勝負の方は始めハリーに押されぎみでしたが、そこは昔とった杵柄、あっと言う間に2連勝してしまいました。というよりまだブームのハシリのようで皆それ程うまくないようです。ハリーはちょっとしょんぼりしてましたが。
何とは無く大学生の頃を思い出させる、素朴なネパールのナイトライフでありました。
ネパールの"聖"と"生"と"性"(2000/9/29)
ナマステ!いしかわです。いしかわの現在位置はネパール首都カトマンドゥKathmandu
に滞在してます。
電話屋のハリーに誘われてDashainダサインの祭を見にDakkhin Kaliダッシンカリーというヒンズーのお寺に行く事になりました。
ダサインとはいわば収穫祭。しかし日本のお正月にも似ていて、子どもは凧揚げを楽しみ、大人はカードで賭事をします。そしてこの祭の一番の特徴が、"戦いの女神ドゥルーガにいけにえを捧げる"というやや荒っぽい側面を持っている事です。
カトマンドゥ南部、小高い山に中腹に建つダッシンカリーに着きました。すでに参道にはいけにえ用の山羊や鶏を売る露店が軒を連ねています。段々核心部に近付くにつれて地面に夥しい血が…。やがて核心部につきました。生をもって生をあがなう"いけにえ"とはいえナカナカ豪快に、そして淡々と山羊の首を切っていきます。いしかわは「ネパーリーは元来性格的には穏やかである。」と思っているのですが、次々屠られる山羊を静かな興奮で見守るネパーリーに多少違和感を覚えました。しかし、これは宗教行事。我々外国人がとやかく言えるものではありません。ハリーはしきりに「どうだった?どうだった?」と訊いてきますが、「すごい…」と日本語で返すしかありませんでした。
「宗教」と言えば次に回ったヒンズー寺院にはいわゆる「エロチック・スタチュー」が外壁に飾ってあります。いわゆる「性交」の情景を彫像で示してあるのですが、中にはすごい体位も…。
この地域(南アジア)ではヒンズー寺院に限らず、仏教寺院でも同様な壁画を目にします。ここでは宗教は"彼岸"にあるのではなく、非常に身近にあって彼らの「聖」であって「生」であって「性」なのだな〜。とひとり納得してしまいました。
いしかわYOGAを習う(2000/09/30)
ナマステ!いしかわです。いしかわの現在位置はネパール首都カトマンドゥKathmandu
に滞在してます。
トレッキングの最中、いしかわは朝と晩に必ずストレッチを行います。単純に筋肉痛防止の為なのですが、ガイドのベックは不思議そうな顔でこちらを見ています。そのうち「ヨガみたいだ」と言い出しました。
「ヨガ…、そういえばタメルの本屋でヨガ講座の貼紙がしてあったな」という事でヨガ講座にいそいそと出かけました。
場所はタメルの有名な本屋PILGRIMS'です。この本屋はビジネス的に成功している本屋で、ヨガ講座の他にマッサージセラピー、瞑想講座、クラシック・シタールコンサートを開いています。裏にはレストランも併設しており、出版事業も手がけ、インドに支店まで持っている…。と宣伝のようになってしまいましたが、HPもあるので見て下さい。www.pilgrimsbooks.com
さて、本屋のカウンターで受講料400Rs(600円位)を払い、2階の薄暗い部屋に入ります。すでに何人かの欧米人の男女が座っていました。まずは瞑想。そしてヨガが始まります。YOGI MASTER(先生)が実演しながら静かな声で指示を出してきます。これがなかなか厳しい。いしかわが柔道をやっていた事は前にも触れましたが、そのせいもあって体は柔軟だと思っていました。が、ヨガのポーズは思ったよりハードです。しかも、YOGI MASTERが言うには「君は背中と内臓に問題アリ」ですって…。たっぷり2時間、汗ばむ位の手応えある講座でした。(なお、ヨガ講座終了1時間はモノを食べるのは慎んだほうが良いそうです)
ヨガなら英語力が乏しくとも見よう見まねでできる。1日2時間と短い。お手軽。本場(?)の体験。という事で、こんな観光も良いのではないでしょうか?興味のある方はタメルの本屋PILGRIMS'のカウンターまで。
1週間程通いましたが、いしかわはまだ呼吸法ができていないという事で、この初歩の部分を集中的に教わりました。後は自分で実践するのみです。来週から20日間のアンナプルナ1周のトレッキングが始まります。その後の成果はどうでるでしょうか???
ネパーリーの家族とピクニック(2000/10/01)
ナマステ!いしかわです。いしかわの現在位置はネパール首都カトマンドゥKathmandu
に滞在してます。旅に出て早くも2月が経とうとしています。いしかわはひと月ぶりにカトマンドゥに戻ってきました。しばらくは休養するつもりです。
ようやく雨期も去り、今ネパールは観光シーズンに突入しました。なのに、日本人旅行者は次々と帰っていきます。(もう大学生も授業が始まるのでしょう)「これからが良い季節なのに、なんで日本人は帰ってしまうの?」ネパーリーの素朴な疑問にひとつひとつ答えています。代わって欧米人が入って来ました。彼らは休みをネパールのシーズンに合わせて2〜3週間単位でとってくるようです。(うらやましい仕事環境!!)
さて、今回は週末を利用してミンマ・シェルパの家族とピクニックに出かけました。場所はNAGARKOTナガルコットです。ナガルコットはカトマンドゥ盆地の東端の山の上(1900m)にあり、天気の良い日はヒマラヤの大展望が拝めることで有名です。いしかわはネパールに3回来ているのに、まだナガルコットには来た事がありませんでした。
前日に夕立ちが降ったので天気が心配でしたが、ミンマの二人の息子達は大はしゃぎ。カトマンドゥの街中は東京と同じで広い遊び場が少なく、子どもは屋上などで遊ぶことが多いそうです。ツーリストバスで3時間、ナガルコットに着きました。何と無く空気がひんやりしています。夕食をとっていると満天の星空!トレッキングの最中は月があったのでこうはいかなかったですが、久しぶりに天の川を見ました。明日の好天が期待できます。
翌朝5時30分。まだ夜が明けきらない内にホテルの裏山に登ります。暗いながらもヒマラヤの山々が白くうかび上がって見えます。雲ははるか下のほうにしかなく、上空は快晴です。その雲海の合間に小さい丘が突き出ていて、まるで島のようでもあります。
やがて東の山が黄金色に輝き始めました。ご来光です。ヒマラヤの山々もモルゲンロード(朝日を浴びて山がピンク色染まること。山用語はピッケル、ヒュッテなどドイツ語が多い)に包まれます。神々しいセレモニーは20分ほどで終わりました。トレッキングとはまた違うネパールの山の楽しみ方でした。
お茶もいろいろ(2000/10/4)
ナマステ!いしかわです。いしかわの現在位置はネパール首都カトマンドゥKathmandu
に滞在してます。
インド、ネパールを廻って、すでにいろいろなお茶を飲みました。今日はその中間報告です。
チャイ
インド、ネパールを旅した事のある人なら必ず飲んでいるこのタイプ。ネパール人は朝食代わりにしています。街でよく見かける作りかたは、1)鍋にミルク(粉ミルクのようだ)を入れ、2)ここに紅茶の葉っぱと砂糖をブチ込み3)「ガッ」と煮立ててしまう。4)しかるのち茶こしでカップに移す。大胆な作り方ですけど美味しいですよ。
カシミール茶
カシミールはスリナガルで飲んだお茶。この地方の飲み方はミルクを入れずスパイスを入れます。小皿に黒い茶葉とスパイスが写っています。
無理矢理連れていかれたカーペット屋ではサフランを入れるさらに高級な飲み方もお目にかかりました。
ちなみにカーペットよりもお茶を褒めたら、すごく厭な顔をされた。
マサラ・ティ
Masalaとは数種のスパイスを混ぜた事を指すそうで、良くシナモン、ジンジャー、カルダモン(生姜系のスパイス)などが使われるそうです。(ただしブレンド方法などは店によってずいぶん違うらしい。)
マサラ・ティはこのマサラを入れたミルクティ。普通のミルクティ同様、砂糖をたっぷり入れて甘くして飲みます。
今、いしかわの一番のお気に入り。
チベタン・ティ
別名バター茶。シャルパ族やチベット系住民がよく飲む。映画"セブンイヤーズ・イン・チベット"でブラピ扮するハインリッヒ・ハラーが不味そうに飲むシーンが印象的。見た目はミルクティのようですが、味は似て非なるもの。茶葉(写真手前の黒い物体)にバターと塩を入れるのですから、味は想像できます。ちなみにこの味、いしかわは好きです。<番外>
ツァンパ
お茶ではありませんが、チベタン・ティを使った食べ物。日本にも"そばがき"といった食べ物がありますが、見た目はそれに近いかな?。作り方はチンコー(!?)という大麦の一種を粉にしたものにチベタン・ティを注いで、グリグリかき混ぜ、少し粘り気をつけてから食べます。いしかわは日本でよくそばがきを食べてたので、見た目はそっくり(だけど味は違う!!)なツァンパを食べながら、「そば湯とねぎと醤油が欲しい〜!」と思ってしまいました。
クイズ正解と当選者発表(2000/10/4)
問題:インド北部やネパールで食べられているチベット風餃子のことを何というでしょう?
第1回(2回があるのかしらん?)クイズの正解は「MOMO」または「モモ」(写真左)でした。(サモサという解答もありましたが間違いです)
当選者は次の方に決定です。細川恭子さん、本多和弘さん、田渕規子さん、藤木淳司さん。以上4名の方にはいしかわがインドはレーで買い求めた“History beads”(日本のトンボ玉ですかね)をお送りします(写真右)。小さな穴が通っていますから、ネックレス等にしてご利用ください。時間は掛かりますが、必ず送りますので気を永くしてお待ち下さい。
マオイストとは何か?(2000/10/5)
近頃、ネパールの新聞に”Maoistマオイスト”の記事が載らない日はありません。(いしかわもすっかり現地化して、日刊紙にも目を通してネパーリーとの日々の会話にも事欠かなくなりました。)
ここ数週間でも、「マオイスト、銀行を襲う」「マオイスト、警官を8人殺す」など大活躍。今日の新聞には「マオイスト、ダサイン(”ネパールの聖と生と性”を参照下さい)のお祭りの間は活動停止」ですって。おいおい、それじゃダサインが終わったら活動再開か?
マオイストとは元は共産思想系の政党だったそうですが、ネパーリーに言わせると「ただのマフィアだよ」。彼らが外国人ツーリストを襲う事はないようですが、特にアンナプルナやマナスル方面は注意が必要だとのことです。
実はいしかわ、次はアンナプルナ一周という2週間ほどのトレッキングに出かける腹積もりでした。(何かいつも危険な方危険な方へと、突っ込んでいくような気がするな〜)それがこんな事態に…。
そこでミンマ・シェルパに相談したとこと、こんな提案が「来週からゲルー(ミンマの弟)が、よく知ったイタリア人トレッカー数人をガイドしてアンナプルナ一周に出発する。いしかわも同じ日に出発して、同じ宿を使って、後ろから歩いてくればいいじゃないか。」しかも、「ガイド料なんかいらないよ」との事。おおっ!そりゃいい。(最悪、どこかのレストランの掲示板に”一緒に歩いてくれるトレッカー求む”と貼り紙しようと思っていた位ですから)
こうして出発の日取りが10月8日からと相成りました。それでは!!
ネパールからBuon Giomo!!(2000/10/15)
Buon Giomo!いしかわです。いしかわは今、ネパールの8,000m峰アンナプルナAnnapurnaを巡る2週間程のトレッキングの最中です。
アンナプルナは人類が初めて立った8,000m峰で、このトレッキングコースは山の景観もさることながら、ヒンズー系文化からチベット系文化に至る村や人々の移り変わりを見て歩く事も楽しみの一つになっています。
今日はトレッキングが始まって7日目、ちょうど休養日でマナンManang村に滞在しています。マナン村は1977年に外国人に開放されたチベット文化を色濃く残す場所のはず…なのですが、実際には1時間程の所に(小さな)飛行場があって非常に開かれています。
さて、冒頭なぜ挨拶が”ナマステ”でないかというと、今いしかわはイタリア人トレッカーと一緒にトレッキングしているから。(詳細は”マオイストとは何か”をご覧ください。)
しかし、このイタリア人カップル2組は4人とも英語が全く駄目。当然ネパール語も駄目。"jam(あの甘いジャム)"も通じない。(ちなみにイタリア語ではマルメラァータだそうです)よって、居候の身のいしかわがイタリア語を覚えて使うことにしました。ガイドのゲルーに教えてもらいながら(彼は英、伊、ネパール語それにシェルパ後を使いこなす秀才!です)何とか意志疎通をはかっています。いしかわも最近では「You're welcome」ではなく「Prego」がすらっと出るようになりました。
しかし、覚えようと努力すればする程、「英語」が特殊な言語に思えてなりません。(言語学などを学ばれた方がいたら御免なさい)いしかわが思うにイタリア語はスペイン語やフランス語に非常に近い。当然日本語とはさらに違う訳ですが、英語が生活の中に入り込んでいるので、単語などで結構通じるものです。しかし、全く英語の通じないイタリア人と話をしていると、単語がかすりもしない。そうなると意志疎通は身振り手振りしかありません。今後(多分来年の夏)イタリアも回る予定のいしかわとしては、いい勉強になりました。では!Ciao!!
Japanese Tea Party(2000/10/16)
Buon Giomo!いしかわです。今回は一緒に回っているイタリア人パーティの紹介を。
彼らはイタリア北部マントバの出身。まずリーダー格の写真左のリノは元郵便局員で、今はリタイアしたそうです。過去ゲルーとクーンブ地方のメラピーク(6,473m)を登ったベテランの山屋。写真右奥はその奥さんのマーガレット。この方、結構拗ねたり、ふて腐れたりして喜怒哀楽が激しい。でも陰湿な感じじゃなく、本当に可愛らしいラテン系でした。
ダビデとローザはいしかわと同じ32歳の同級生夫婦。ダビデはカミオン(トラックの事ですな)ドライバー。サングラスをかけるとジャン・レノ風ですが、サングラスをとったその目はアントニオ・バンデラス系。う〜ん、ラテンです。ローザ(写真右手前)は歯科衛生士で、彼女が一番いしかわとコミュニケートしようと頑張ってくれました。驚くと「マドンナ!ベッリッシーモ!」を連発してました。
2組の夫婦に共通しての印象は「夫婦仲が非常に良い」ことでしょうか?特にリノとマーガレットの夫婦はトレッキングロードで手をつないで歩いたり、写真を撮ってあげると3回に1回は二人のキスシーンでした。ダビデの方も、高価な為ローザが買うのをためらった指輪を後でこっそり買ってきて、ビシッと決めたり…。その時のローザの喜びようは大変なものでした。(このさりげないタイミングの取り方は日本男児も見習いたいものです)
また、彼らは自分たちの言葉や食文化に大変な誇りを持っていて、ネパールでピッツァやパスタを食べませんでした。確かにネパールのイタリア料理はアメリカンタイプのイタリア料理で、彼らの目からは違う料理と映っていたのかもしれません。印象的だったのは”トマトケチャップを使わない”こと。ポテトフライと共にケチャップのビンが出てきても、「なんじゃこりゃ」という目で一瞥くれただけで”無視”でした。彼らの思うところの”トマト”とはフレッシュなトマトであって、ケチャップはアメリカ料理なのですね。だから、いしかわの発言で一番喜んでくれたのは、「来年の夏頃はイタリアに行くけど、その時はイタリア各地のチーズとピッツァを食べまくるから」というもので「そうだ、そうだ。イタリアのピッツァは最高だ〜」と盛り上がっていました。(結構単純…)
さて、居候の身でお世話になってばかり(はて?こちらが通訳とかでお世話ばっかりしているようにも思えるのですが)お礼をすることにしました。しかし、もてなすものと言っても、いしかわがトレッキングに持ってきたモノでのやりくりです。まずは”ほうじ茶”のティーパックがあったので、"Japanese Tea Party"という事にしました。彼らから見るとほうじ茶は紅茶のようですが、「日本ではこのお茶には砂糖を入れずに飲むのだ」と説明しながらお茶をいれてあげました。
本当は甘いお茶うけ、羊羹などがあると良かったのですが生憎持ち合わせがありません。仕方ないのでライスボール、おにぎりを作りました。山用のアルファ米とふりかけがあったので、これで小さなおにぎりを作ってお茶と一緒に出しました。イタリアではお米も食べる文化がありますが、ほとんどはリゾットのような形になってしまうので、おにぎりは喜ばれました。ガイドのゲルー達にもおにぎりを分けてあげて、"Japanese Tea Party"はなかなか好評のうちに幕を閉じました。
アンナプルナの温泉(2000/10/21)
ナマステ!いしかわです。アンナプルナ一周の途上には沢山の温泉が湧いています。ガイドブックから拾っただけでもJade,Jagat,CameとTatopani(タトパニはネパール語で”熱い水”の意味)には温泉が湧いているはずです。「世界の山もさることながら、世界の温泉も制覇(こういうのを”制覇”というのかどうか?)しよう」としているいしかわにはウッテツケのトレッキングコースです。
まず2日目Jadeに着きました。村のロッジの看板にも”HotSpring”と書いてあります。「おおっ!」トレッキングロードから見下ろせる河原には何やらそれらしい”水溜まり”が!イタリア人には「俺はちょっと寄って来るから」と告げ、一目散に駆け下りました。どうやら対岸の源流からホースで引き込んでいるようです。石で仕切られた水溜まりに手を突っ込んでみます。「…」ヌルすぎです。イタリア人も好奇心にかられて降りてきましたが、いしかわがガッカリしているのを見て、ルートに戻って行きました。それでもネパーリーの子供たちはヌルい温泉にハシャギながら入っていました。
次のJagatに期待をかけましたが、温泉に降りていくポイントのロッジが閉まっていたのと、見えないくらいの急な小道を降りていくのを嫌って行きませんでした。
そんなこんなで「温泉は無理かな〜」と諦めかけていた4日目、Chameに着きました。ロッジのシャワーを終えたイタリア人が「シャワーは水しか出なかった」と凍えるように報告してきました。ここら辺のロッジは電気もままにならない為、ホットシャワーはソーラーパワーに頼っています。大抵のロッジの屋上には大きなパネルが設置してあり、これでお湯を作っている訳です。しかし、泊まり客が多かったり、天気が思わしくなかったりすると当然思うようにお湯が作れません。仕方ないのでこの日はシャワーなしだと思っていました。お茶でも飲もうと食堂に行くと、ガイドから「温泉は行かないの?」と声がかかりました。「え!?そうだここは温泉が湧くんだった」聞けばこのロッジから歩いて2分とのこと。転がるように河原に降りていきました。
なるほど欧米人やネパール人が河原で水着姿になっています。一方は河原の巨石の下から熱いお湯が湧いており、
もう一方には小規模ながらコンクリで湯船ができています。
ただしこれが熱すぎる。火傷しそうです。すぐ隣には氷河から落ちてきた冷たい川が流れているのだから、なんとか引き込む努力をすればよいのに…。皆、足だけ浸けていました。写真は湯船とアンナプルナで出会った立教大山岳部の家永くん。いしかわは巨石のお湯で髪を洗い「サッパリ」して宿に戻りました。
Tatopaniは十年前初めてネパールに来た時入った温泉のある村です。その頃のタトパニはひなびた印象で、温泉も我々の他にはトレッカーがいなくて湯船を独占したものでした。今回は十年ぶりの訪問です。まずタトパニの街?にビックリ。なんでも土砂崩れがあって昔の村は捨てられ、すっかり新しい街ができていました。さらにここから最短で1日歩くだけで車道に出れるとあって、ガイドブック曰く「タメルの街中のようである。」
温泉も全く違う場所に作り直されていました。
湯船も二つできていて、洗い場(皆、石鹸やシャンプーを思いっきり使っていた)までできています。着替え(こちらの温泉は水着着用です!!)に苦労した十年前とは大違い。キオスクのような売店には何でも売っています。写真は一緒にトロン峠を超えてきたスロベニアの女の子達と。「さて、入るか」と思ったら少年が「10ルピーだ」との事。なんと有料になっていました。ブツブツ言いながら入浴料を払いましたが、ちゃっかりビールもオーダーして温泉に入りながら飲んでしまいました。(美味しかった!)
十年でいろいろ変わってしまったけれど、温泉の気持ちよさだけは十年前と変わっていないな〜。