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フランス編フランス全図
「あの〜、フランスに行きたいんだけど…」(2001/8/29)
ボンジュール!いしかわです。いしかわは現在、フランス東部の町シャモニーChamonixに滞在しています。「何が面白くって(ハァ、ハァ)俺はこんな事してんだろう…(汗、汗)」
スイスとフランスの国境の峠道、そんな事を頭で考えつつ、自転車を漕いでいました。
峠道を車はガンガン飛ばすし、勾配は急でギアは最低にしてあるのにちっとも楽になりゃしない。でも一番腹立つのは他の自転車に抜かれる事だ!!(怒)彼らはバッチリ決めたサイクルウェアーにタイヤの細いロードタイプ自転車に乗って楽々(そう見える!!(怒))といしかわを抜いていく。(中には爺さんもいる!!)こちらはといえば、ツェルマットで購入した中古のバリバリMTB。タイヤは太くて何だか重たそう。それに俺の格好ときたらパンツだけはサイクル用のを急ごしらえで買ったけど、登山の格好で、おまけに背中には登山装備を背負っての輪行だ。お蔭でお尻が痛い、痛い。
そもそもマルティニを出発した時もあまりの景色(マルティニから見ると国境方面は壁のように見える…)に「1時間走って駄目そうだったら…、帰ってこよう…」と思った程でした。
3時間かけてTrientの標高1,500mの峠に着き、峠のカフェで「カフェ…それからアイスクリーム…シルブプレ…」って位消耗していたのです(笑)。
その後スイス-フランスの国境まで400m下ってこれを越えます。いつも思うけど、陸路国境を越えるのは緊張します。島国ニッポンで育ったから?
「あの〜、フランスに行きたいんだけど…」高速道路の料金所みたいな国境事務所で役人に告げます。役人はチラッと自転車を見ると、顎で「行け」と杓るだけ。アッサリ済んでしまうと逆にモノ足りない。あ〜ホント慣れないなあ〜。
再び長い上り坂を登ります。そして最後の峠Col Des Montets(フランス側の峠)に辿り着きました。ここでモンブランMont Blancが見えた時は思わずガッツポーズをとりましたね〜(笑)。
Chamonixシャモニーは正確にはChamonix-Mont Blancというらしいのですが、標高1,000m位しかない谷間の小さな町です。しかも車がガンガン入って来るので排ガス臭いのと、イヌの糞が多いのは文化の違い(フランスに入ったんだ〜)を感じます!?。
何軒か宿をあたったのですが、最後にはロンリープラネットに載っているHotel EL PASOという所に決めました。夜は1階のメキシコレストランがうるさい(曲自体は結構いいのを流している。でもそれ以上にここはお味が良い!!お奨めレストラン)けど、いしかわはどこでも眠れるので…。
シャモニー訪問の目的のひとつはやはりMont Blancモンブラン4,807m登山です。Zermattにあるヨーロッパ・アルプス標高第2位Monte Rosaモンテローザ4,634mから標高第1位のモンブランへの人力移動。という目的もあったのです。
しかしガイド捜しが難航しました。誰も考える事は一緒でモンブラン登山は大盛況なんですね。結局1本コスミックCosmiques山稜のロッククライミングをしている内に天候が崩れてしまい、退却(一旦ツェルマットに帰る)することにしました。
P.S. コスミック山稜のクライミングについて
登攀終了点がミディAig du Midi展望台という奇抜なルート。岩は硬く快適な登攀が楽しめます。高度感はありますが、短い(2時間)ので思ったより楽だったのとギャラリー(ミディ展望台の観光客)が見守る中の登攀終了というのが面白かったです。
そしてつくづく思うのが空気のあるありがたさ…。今回の旅行でしばしば標高5,000mでの岩登りをしなければならなかった時の苦しさに比べると、岩だけに集中できる喜び!!<コースタイム>
ミディ展望台0830-コスミック-1100ミディ展望台
チキチキ!・マシン・カーレース?(2001/9/9)
ボンジュール!いしかわです。いしかわは現在、フランス東部の町シャモニーChamonixに滞在しています。泊まっているHotel EL PASOの裏手はスーパーの駐車場になっているのですが、ここから見える駐車中の車はバン(ハッチバック)タイプの車ばかりです。セダンタイプの車なんて本当に数えるばかり。思うに日本じゃセダンの方が多いと思うんですが…。どうしてなのかな〜?。
さらに目立つのが日本のSUBARU車。ヨーロッパでの評価は高いんですねー。なんてったってスイスではwww.4wd.chがSUBARUのHPですから。
長くいたZermattは車の入らない『カー・フリー』だったので、僕にとってここシャモニーは久しぶりに大量の車を見ることになる訳です。そんなある日(9/9)シャモニーをスタート/ゴールにして"TOUR DU MONT-BLANC"が開催されました。
もらったパンフレットはフランス語の為、詳しいルールは解りませんが、出場する車は1925年製BUGATTI 35というクラシック・カーから1994年製のCHRYSLER Viperなんていう新型車まで。お国も様々でフランス車はもとよりドイツ、イタリア、イギリス、アメリカ…。う〜むわが国の車は出場していないのか!と捜していたらありました!!1979年製MAZDA RX-7!!(なつかし〜)
写真はゴールシーン。誰が優勝したのかよく解りませんでしたが、皆が楽しくレースをしているのが良く解りました。
ヨーロッパの人って本当に遊び方を心得ているんだな〜。
なぜChamonix-Mont Blancにケーキの『モンブラン』はないのか?(2001/9/10)
ボンジュール。いしかわです。いしかわは現在、Chamonixシャモニーに滞在しています。イランで登山の地図を捜していた時、目的の山Damavand/ダマヴァント5,671mの他に、Kuhe Sabalanサバラン山(4,811m)という山の地図を買ってきました。この山、写真で見るとなかなかの山容で、ヴィザがもっとあったら是非登りたい山でした。
で、その時ふと思ったのが洋菓子の『サバラン』。
あのリキュールにしっとり浸った甘〜いケーキです。このケーキとイランの山のサバランって何か関係あるのかしらん?と思ったモノでした。そして『モンブラン』。
はてさてお山の『モンブラン』とケーキの『モンブラン』の関係は???やはり登るんだからそれ位は調べなくちゃ。とシャモニーのインターネットカフェでカチャカチャ調べ始めました。すると…。『これが元祖モンブラン!自由が丘の洋菓子店MONT-BLANC』というのがヒットしました。な、何とモンブランは『東京銘菓』だったのですね。どうやらこのお店の創業者の方が山のモンブランを見て着想されたケーキだそうな。(ケーキ業界の方には当たりまえだったのかも知れませんが、ヤマ屋は知らなかったな〜)
どうりでシャモニーで捜してもケーキの『モンブラン』は無いはずだ。(本当にない。当たり前か…(^_^;)>)
代わりに美味しいフレンチ・コーヒーとパイを頂くことにしました。
さて、『サバラン』の方ですがこちらはれっきとしたフランス菓子でした。どうやら名前は"…美食家で食通の文筆家として知られるブリア・サバランにあやかって名前をつけたらしい…"との事。な〜んだイランとは関係ないんですね。チャン!チャン!
P.S. その後、スイス-ドイツ国境の町Rheinfeldenへ出かけた時、写真のようなケーキを食べました!!。マロン味でまさしく『モンブラン』。残念ながらケーキの名前を聞きそびれましたが…。
9.11テロについて(2001/9/11)
ボンジュール。いしかわです。いしかわは現在、Chamonixシャモニーに滞在しています。今回はずっと心に引っ掛かっていて、このishiyamになかなか書き切れなかった『あの出来事』を書かなければなりません。
01年の秋、ようやくシャモニーに辿り着き、モンブラン登山のガイドを手当てした いしかわは、天候の回復をじりじりした気持ちで待っていたのでした。
ガイドのヴォルフガング君(いかにも…といったオーストリア人のガイドだ)が、「明日から登ろう」と言ってくれた為、その足でインターネットカフェに行き、日本の留守番部隊に「いよいよ出発します」とメールを打っていました。
メールを打ち終わると、いつもの事で天気予報をチェック。
いしかわはCNNの世界各地の週間天気予報にアクセスしました。『あれ…?繋がらない。』
じゃあ、BBCをチェック…。これも繋がらない。いつまでたっても『IE』のマークがクルクル回るだけで、一向にページが表示されません。仕方無しに朝日新聞のサイトを繋いだ瞬間でした。あの『ワールド・トレード・センターに旅客機が突っ込む画像』が写しだされたのでした。
しばらく何も考えられませんでした。
急いで支払いを済ませると、TVのあるカフェに飛び込みました。口をあんぐりさせながらニュースに見入っているフランス人に混じって、意味が分からないフランス語のTVにかじりつきました。
そして、そのうちに二つの棟は崩壊したのでした。
ここで何をコメントするべきなのでしょう?
アメリカで何千人という人が瞬時に亡くなりました。
そして、やがてアフガンで戦闘が始まり、ここでも誤爆で多くの罪のない市民が亡くなりました。
アフガンは旅しなかったのですが、周辺を歩いた身には、そこに住んでいる人たちの事が容易に想像できます。
多分、彼等は、地球の裏側のニューヨークで起こった事なんてまるで知らないまま、ある日突然、米軍の誤爆を受けたのです。(彼等の生活環境ではTVはもちろん、新聞なども手に入らないのです)ソ連軍が去り、つかの間の戦闘のない時を過ごした後、やってきたのは米軍…。なんという悲劇でしょう。
旅の途上で新世紀を迎えた時、僕らは新しい世紀に何らかの明るいものを想像していなかったでしょうか?しかし現実には、テロ、アフガン、パレスチナ、印パ、北朝鮮、そしてイラク…。
一体、これからどうなってしまうのでしょう?
モンブラン登頂(2001/9/13)
ボンジュール。いしかわです。いしかわは現在、Chamonixシャモニーに滞在しています。
最後の4,740mの稜を越えると、厳しい冷たい風が頬を叩きます。
ガイドのヴォルフガング君はしきりに『寒い、寒い…』を連発し、指先の血行を取り戻すべくグルグルと腕を廻しています。(こんな風にして血行をよくするなんて見た事がなかった)やがて、周囲に高い所はなくなりました。頂上です。
ヨーロッパアルプスの最高峰モン・ブランMont Blanc4,807mの登山は、こうして終わりました。
実際、2001年夏のヨーロッパ・アルプスはあまりコンディションが良くなかったように思います。7月は雨が続き、8月に10日間くらいの好天期があったかと思うとすぐ悪天期に捕まりました。
モンテ・ローザMonte Rosa4,634mは1日待ちで登れたのですが、モン・ブランはのべ2週間くらい足留め(ガイドの手当てができなかったのも含む)を食らいました。さらに、登頂した日も小屋の予約無しで食堂にザコ寝覚悟で上がったら、キャンセルがあり、運良くベッドにありつけるという有り様(早く小屋に到着したのが良かった)。 登頂時は風ビュービューだったし、帰り際、いしかわはグーテ小屋の下の岩場で膝を強打して、下山に難儀をしました。
ようやく駅前のレストランで温かい昼食を食べながら、ヴォルフガング君とビールで(彼はオーストリア人だからビールなのかな?)乾杯。
目の前のヴォルフガング君も、山頂でのひどい寒さと、下山でいしかわがめずらしくモタツイタ(本当に膝が痛かったのだ)ので少し不機嫌だったのですが、ビールの酔いもあって今はニコニコです。いしかわもほんのり酔っ払いながら、『まあ、いろいろあったけど何とかヨーロッパ・アルプスの登山も終わった訳で、当初の目的の山、モンテ・ローザとモン・ブラン(ブライトホルン4,164mも含めて)が登れたのはラッキーだったなー』と思うのでした。
ここまで、インド・ネパールから陸路を越え、いくつかの山を目標にして、挑戦して、いくつかは失敗し、いくつかは成功してきました。全体でみれば7〜8割の打率かな?。これから冬に向かうヨーロッパから、次はどこに向かうのか検討をしなければ…と思ういしかわでありました。