身体測定から始めた理科の授業

 

 90年7月、私はガーナの田舎ドンコクロムの中等学校へ理科の教師として赴任しました。ドンコクロムとは、「生き残りの村」という意味でガーナ人も住みたがらない何もない小さな村です。都会育ちの若いガーナ人の同僚教師は3カ月で夜逃げしてしまいました。

 派遣前には「日本の中学・高校程度の理科を教える」とのことでしたので、かなりの英語力と知識が要求されるのではないかと不安でした。初めのうちは、英語で書かれた教科書や事典と格闘しながら、灯油ランプの明かりを頼りに授業の準備をしました。

 ところが、こんな意気込みはすぐに裏切られてしまったのです。

 赴任して間もなく、実験器具の倉庫があるというので行ってみました。滑りの悪い鍵を開けてみると、ものすごい臭気が充満しています。長い間開けられていなかったので、屋根裏から落ちてきたネズミやコウモリの糞が床に積もっていたのです。棚には割れたビーカーや正体不明の試薬ばかりで、使えそうな実験器具はほとんどありませんでした。

 ガーナの物理の授業の最初の単元は「計測」です。長さや体積、時間を何を使ってどのように測るかを習います。これを教えてみると、ガーナの理科教育の問題がすべて分かってしまうという象徴的な単元なのです。

 まず、長さはメートルという単位で測ると教えます。しかし、生徒はメートルというものがわかりません。無意識のうちに単位は使っているのですが、生活に密着した単位だけなのです。米は「マーガリンの空き缶」という単位で測り売りですし、灯油は「ポリタンク」という単位、地酒は「ビールの空き瓶」という単位で売っています。

 ですから生活に密着していればいいわけです。「密度」を教えるときに「ポリタンク1本の灯油と水はどちらが重いか?」という問題を出したところ、全員が正しく水と答えたのでびっくりしました。小さいころから水を汲んだバケツを頭に乗せて運んでいるから、すぐ分かってしまうのです。日本なら「同じ」と答える生徒が多いでしょう。

 理科を学ぶにはどうしても「メートル」という単位に慣れてほしい。でもノートとボールペン1本しかもっていない生徒に定規を買えとは言えません。いちばん身近な「メートル」に慣れる方法は何だろうと考えてみました。
「みんなは自分の体の長さや重さを知ってるか?」
「知りませーん」

 意外というかやはりというか、生徒たちは身長・体重を測ったことがないのです。

 さっそく紙をつなぎ合わせて目盛りを書いて作った身長計を壁に貼り、ヘルスメーターを首都で買ってきました。授業を1時間つぶして身体測定です。みんな狂喜してわれ先にと測って、それをノートに書き留めます。手のひらに書いている子もいます。
「今日の結果はテストに出すから覚えておくように」
そう言い残して私は大いに満足して帰ったのです。

 第1問「自分の身長と体重を書け」。
およそ中学生の物理の試験とは思えない問題を期末試験で予告通り出しました。もちろん私は生徒の身長・体重などを控えていませんから、全員正解できるはずです。背の低い子が「180センチ・75キロ」と答えても正解にします。でも実際には「17メートル・3キロ」というような、勘違いともいえない明らかなでたらめ解答が続出してがっかりしました。

 こんなふうに試行錯誤を繰り返しながら、理科が日常生活の中にたくさん関係があると分かってもらえるように、ともかく毎回何か身近な材料を使って実験を見せられるように知恵を絞りました。虫メガネで太陽の光を集めて紙を燃やすだけでも大喜びします。そのかいあってか、試験のできは相変わらず全然だめだけれど、生徒たちは、
「先生の理科の授業はとてもおもしろい」
と言ってくれるようになりました。

 私のガーナでの2年間は、変な英語をしゃべる外人タレントのようなものだったのだろうと思います。何の娯楽もない小さな村の学校で、毎日珍しい実験を見せてくれる、理科の授業としてではなく、手品として見ればこんなおもしろい見世物はないに違いありません。成績という点から見れば成果があったとはいえないけれど、実験の1つでもおもしろかったと覚えていてくれれば成功といえるのではないでしょうか。

 私の場合もそうであったように、なかなか成果が目に見えて現れないものが協力隊の活動には多くあります。しかしそれは決して悪いことではありません。隊員活動でも日常生活でも異文化交流を行いながら、その国の人たちとよい関係を築き上げていくことは、それだけでお互いに大きな財産となるのですから。青年海外協力隊は効率や成果をシビアに追求しない国際協力であることが最もよいところなのです。

 

時事通信社刊「異文化との接点で 草の根協力の最前線から」所収


 ガーナのはなし 目次へ戻る

 たぶち・こーいちろー 目次へ戻る

webmaster@tabuchi.com