ごまんえつ隊北方ごまんきつ遠征

ボルガ→ボク 歩け歩けツアー

タブコー reporter

 

 無計画が取り柄のごまんえつ隊、今回の計画はまず、「ガーナを歩こう」である。過去に女性隊員によるアブリ→アクラ完歩という輝かしい記録が打ち立てられているため、それを越えるものをと隊長も意気込んでいる。「ガーナは景色の変化に乏しいからな、どこか歩いて楽しいところはないかなぁ」と考えていると「北を歩こうか」となった。まさに景色の変化が乏しく、歩いて楽しくなさそうである。
 ルートはボルガタンガから西へ80kmの町ボクを目指して3日間で歩こうというもの。

 

歩く以前

 ともあれ、ボルガまで行かなければならない。アクラ集合でローリーなり飛行機なりで行けばよさそうなものだが、それでは隊長が許さない。ホホエ→イエンディ(1泊)→タマレ→ボルガというルートで行こうという。ちなみに、ホホエから北上してイエンディへ1日で着くというのは未だかつて誰も成功したことがないという危険なものである。しかも、隊長自身がかつて一度挫折しているのである。

 1991年4月19日、ホホエ集合。夕方5時の集合時間に間にあったのは首藤隊長だけ。しかも荷物も一等重いという、隊長の面目躍如たるものがあった。今回参加の隊員を御紹介しよう。ほとんど副隊長でありながら、隊長と同列にみなされるのは嫌がる高田隊員。そして、「北を歩くの、行きません?」と隊長に誘われ「いいですよ、ハハハハ」と何も考えずに決めてしまった倉持隊員。一時帰国から戻ったばかりでリハビリのために参加した高須隊員。ごまんえつ隊の旗を作ってきて喜んでいる田渕隊員。以上4名である。

 翌朝6時、ボルガ合流の高須隊員を除く4名はダマンコ行きローリーで出発。途中、故障して乗り換えというトラブルではらはらしたものの、うまくダマンコで川越えもでき、ビンビラ経由でイエンディに夜9時に到着したのです。

 しかし、我々が来るのを知っているはずの相馬は不在。仕方がないので用意してきた野宿セットを相馬邸の前に広げる。ローリーを15時間乗りっぱなしで疲れないはずはなく、ウイスキーを一口含んだだけで寝てしまった。

 翌日、タマレ経由でボルガ到着。明るいうちに着いたと喜んで、河野さんの学校の井戸で水浴びをしていたらガーナ人の先生に怒られてしまった。

 

二日酔いの旅立ち

 ありがちなことである。前祝いとかなんとか言って2時まで飲んで4時に起きる。これでは二日酔いではなく、酔っぱらいの旅立ちである。

 実は河野邸からボルガのタウンまでは10kmもある。我々は地図の上では承知していた。---やめときゃ良かった。タウンから歩き始めても「ボルガからボクまで歩いた」ことには変わりないではないか。タウンに着いたところで既にぐったり。朝日を浴びつつスプライト2本飲んでしまう。

 出発前は「1時間歩く毎に休憩」などと考えていたが、自然と「30分歩いて10分休憩」という規則ができてしまった。隊長を先頭に5m位ずつ間隔をあけて黙々と歩く。アルコールが早く抜けることをひたすら祈りつつ。

 平らな黄色い土の上にぽつぽつとバオバブの木、ぽつぽつと北独特の丸い家が見える。

 陽炎の中に、突然ササカワの関係者のためと思われる新築のバンガロー群が出現する。まだ蜃気楼を見るには早過ぎる。誰も中にはいないようで、幸いにもクーラーは動いていなかった。動いていたら逆上していたところだ。

 右手に視線を移すと、ササカワ相手に営業していると思われるビアバーを発見する。
「隊長、何んかありますよー」
と言いつつ、足はどんどん吸い寄せられる。ピーコーラ1本。

 10時の日射しはもう十分きつい。大きなバオバブの陰で午前の部を終了する。正午まで眠ることにする。どうも熟睡できない。暑さのせいばかりではない。振り返ると子どもから大人まで20人以上集まってじーっと我々を見つめている。昼食のツナスパを作っているときも食べているときも、食後の昼寝のときもそうだった。

 午後の部は3時半スタート。アルコールも抜けてみんなハイになっていた。マラリアの高熱もいいトリップ状態になれるが、炎天下の強行軍でもトべるらしい。

 この時、3日間流行り続けたギャグが発明された。「菅さんのものまね」である。
「やー、首藤くんいらっしゃい。よく来たねぇ、疲れたでしょ。ビールでいいかな」
読んだだけでは全く面白くない。でも、何回やっても、似てもいなくてもばか受けするのだ。トリップしている。

 ようやく陽が傾きかけた頃、向こうから自転車に乗ったオヤジがやって来る。オヤジは大声で歌いながらやって来る。それも伴奏つきだ。両手に持ったマラカスを軽快に振りながらオヤジは両手放しで自転車に乗っているのだ。かなりのスピードで我々には目もくれずすれちがった。振り向くと倉持隊員があわててカメラに収めようとしていたが、オヤジのスピードについていけない。

 1日目はコンゴの手前で日が暮れてキャンプとなる。コンゴでは冷たいビールが飲めるときいていただけに残念だ。コンゴでは菅さんが待っていてくれて「やー、よく来たね、疲れたでしょ。ビールでいいかな」と笑顔で冷たいやつを出してくれることになっていたのに。(うそ)

 ともかく疲れた。まず、おしっこをしてもちょろりんとしか出ない。本人はもっとしたいのに痛くてくすぐったいような残尿感がある。それにうんこも出ない。本人はしたいので何度も木陰に行くのだが出ない。快適な排泄ができないのは辛い。夕食はごはんにふりかけと缶詰であったが食欲がわかない。そして極めつけはこのメンバーが「ノンアルコールで寝てしまった」ということである。どれ程疲れているかわかってもらえるだろうか。

 

恐怖マラカス男

 第2日午前の部は5時にスタート。まだ真っ暗である。足どり軽く歩いているとどこからかシャッシャッシャッシャッという音が聞こえてくる。しかもだんだん大きくなってくる。恐怖のあまり僕は隊長を盾にして隠れた。
「マラカス男だ!」
誰かが叫んだ瞬間、無燈火の自転車とすれちがった。それは確かに昨日のマラカス男であった。昨日、男はボルガに向かって走っていったのだ。今日もまたボルガに向かって走っていった。ということは昨日の夜のうちに男はボク方面に戻っていたことになる。一体何のために?

 夜明けにコンゴを通過する。ナンゴディでライスボールを発見したので朝食にする。昨日の昼食・夕食と自炊したものには全く食欲がわかないのに、ガーナ食だとバクバク食べられるのだ。なぜだろう?気候・風土にあった食事というものを考えさせられます。やっぱりこの日の昼食もみんなが残してしまった。メニューはカレー味干し肉炊きこみご飯とツナキューピーマヨであった。敗因は、気候・風土というより、高田隊員苦心の作である干し肉が炭の味しかしなかったからだともいえよう。

 今日も暑すぎて昼寝ができない。木の葉もまばらでちゃんとした日陰ができないことにいらいらする。本を読もうにも頭が回転しない。隊長は手紙を書こうとレターセットまで持参していたというのにかわいそうだ。そんな状態が夕方4時まで続く。北の協力隊員は本当に御苦労様だと思う。あまりの痛さに足のマメをつぶしてから午後の部スタート。

 

水ピンチ

 隊長は井戸がなかった場合を考えて竹筒にシルバーカーボンを詰めたろ過器を作ってきたが使わずにすんだ。水は各自1ガロンずつ持つことになっている。水を飲めば軽くなって楽になる。ところがどういうわけか、最後の隊長のタンクに手をつけようかという頃に井戸が見つかって水の補給ができてしまう。つまり、全行程を隊長は水1ガロンをフルに背負い続けていたことになる。それでいて、先頭を歩き続け、文句一つ言わない。できたお方です。

 ところが第2日午後の部は隊長のタンクが半分になっても井戸が見つからない。「ティリには井戸があるだろう」次の村まであと少しということに地図上ではなっているが「何せガーナの地図だから…」という思いもある。

 不安と暑さで口を半開きにして歩いていると、倉持隊員がよろけた。
「おー、ふらっときたぁ」
あわてて、はるか前方を前かがみに進む隊長を呼びとめる。これからは「20分歩いて10分休憩」ということになったが20分休憩してしまう。倉持隊員は
「大丈夫、大丈夫」
とうわずった声で言いながら、シーブリーズという、体につけるとひんやり気持ちいいローションを頭にふっている。皆の顔も赤く上気している。

 まもなくティリの村が見えてきて、我々は歓声を上げたのでした。

 

恐怖!嵐に向かって歯をみがく男!!

 ティリから少し行っただだっ広い畑でキャンプすることになった。畑の反対側の端にある地主の家にあいさつに行く。うれしいことに玉子を5個くれた。我々もツナ缶をお礼する。

 玉子スパの夕食が終わると、西の方から黒雲がこちらへ向かってくる。風も出てきた。稲妻も見える。だだっ広い所でこういう状況はとても怖い。
「大丈夫かなぁ」
「んー、大丈夫だよ」
と高須隊員の答え。準備のときも彼の「絶対降らない」を信じて雨具は用意していない。余裕のある彼はすっくと立ち上がって、おもむろに歯をみがきだした。雨雲を見据え、風に髪を乱し、雷電を浴びてシルエットとなった彼はかっこいい「嵐に向かって歯をみがく男」であった。

 と、風向きが変わり冷たくなったかと思うと
「やばいんじゃない」
と言いつつ誰も荷物をたたまない。
「きたーぁ」
雨は一気に土砂降りとなった。慌てて荷物をまとめて地主の家に避難させてもらう。

 泊めてもらった部屋は4〜5畳位で狭い。壁には直接絵が描かれている。窓がないので圧迫感があって蒸し暑い。ここは主人の部屋らしく、彼は土間のような所で寝てくれた。みんな突然の災難に興奮している。塗れた荷物を心配したり、主人の好意に感謝したりしているというのに、高須隊員はしみじみとひとこと、
「あー、歯をみがいといて良かった」
恐るべし、嵐に向かって歯をみがく男。頭のリハビリはまだできていないようである。

 

大決断

 このアクシデントまで、完歩を強硬に主張していたのは隊長だけだった。しかし、丸二日かけてやっと中間地点である。これ以上ペースが上がることは考えられないから無理ではないかというのが隊員の気分であった。
「これ以上は無理だな」
なんと、その隊長の口から断念宣言が出た。確かに無念ではあったけれど、もう歩かなくていいかと思うと肩が、足が軽くなった。

 翌日、ゼビラまで歩き、そこからプライベートのピックアップに乗せてもらう。砂ぼこりを巻き上げる車の荷台から飛び去る景色を眺めていると、みるみる木が少なくなる。日陰のできそうにない小さな木がぽつぽつあるだけだ。井戸も見当たらない。歩いていればちょっと危ない状況になっていたかもしれない。
「やめといて良かったー」
お互いに確認しあったのでした。

 

おまけ

 ボクからローリーで、最終目標であるクルングクの、ブルキナ国境へ行きました。国境を見にくるなんて物好きは珍しいらしく、ポリスはゲートを通してくれて、まさに国境まで案内してくれました。そこには高さ1m程のコンクリートの柱が立っているだけで、あとは何もない。周りを見ても何もない。

 

ガーナ協力隊機関誌「トロトロ」56号(1991年7月)掲載

 

ローリー

ワゴン車に座席を取り付けた乗合自動車。満員にならないと発車しないので、運が悪いと半日待たされることもある。
ホホエ→イエンディ→タマレ→ボルガというルート
東京から大阪へ行くのに日本海側を経由するようなもの。
タウン
町の中心部。
ササカワ
笹川財団はガーナで農業援助を行っている。
ピーコーラ
ガーナ国産コーラ。やはり味は少し落ちる。
ライスボール
べたべたに炊いた米をテニスボール大の団子にしたガーナ料理。ピーナッツやオクラなどのスープをかけて食べる。

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