タブコー
初めてここを渡し船で渡った時にこう思った。こんな所を本当にカヌーで渡れるんだろうか?つかみどころなく漠々と広がる湖面を眺めていると方向感覚がおかしくなってくる。目標をどこに定めたら良いのかがわからない。船頭さんの確信に満ちた舵とりはどこから来るのだろうか。アマンクワクロムはドンコクロムからローリーで東へ1時間のところにあるボルタ湖岸の小さな村です。ここからパンドゥへは1日1往復の、ヤマハの船外機付き今にも沈みそうな舟があります。所要時間は2時間。救命胴衣はないし、浸水はしてくるし、ガーナ人もあまり乗りたがりません。
ここをカヌーで横断して、私の任地ドンコクロムから最も近い隊員、パンドゥの菅さん宅がゴールという計画です。東西に点々と連らなる島づたいに進んで行き、途中の島で一泊する。無人島であったときのために食糧とテントは用意しました。
1991年1月6日朝6時にアマンクワに到着。湖岸でカヌーを組み立てていると、やじうまが30人位集まってくる。いつものことながら手伝おうと手を出してくる人がいる。でも乗せてくれと言ってくる人はいない。あまりの珍しさに触わるだけで満足しているのだろうか。
私のカヌーはファルトボートという種類で、折りたたんで持ち運び可能というのが特徴です。とはいっても重さは20kgあるし、大きさはゴルフバッグほどもあって、お世辞にもコンパクトとは言えません。特殊ビニルでできた船体布の中に木製の骨組みを組み立てれば出来上がり。こいつは水深20cmもあれば進むことができるし、荷物だって100kgは積めるというスグれものなのです。
村人は「一人で漕いでいくのか!」と驚いていたが「5時間でパンドゥに着くよ」と続けたのを聞いて私の方が驚いてしまった。こっちは1泊2日の予定で来ているのに。
やじうまの皆さんに見送られて9時前に出航しました。ちょうどハマターンの時期で視界が非常に短く、目標の島がよく見えません。私の南遠くを渡し舟が出航していった。相変わらずパンドゥ目指して一直線に、白く霞むハマターンの中へ消えていった。
最初に寄った島はかなり大きい。人も多く住んでいる。島の名前は「プリダ」だという。プリダ島には時々渡し船が着いて荷物を降ろしたりしているので、本土と隔絶された感じはしない。
実はこの島に泊まろうかとも考えていたのだが、1時間で到着してしまっては前進しなくては。先は長いのだ。
次の島は、プリダ島民によると無人島だと言う。そこへの途上、プリダ島発パンドゥ行きの渡し船にあう。漁師が使うような小さな舟にエンジンをつけただけの粗末なもの。客も5人位しか乗れない。
「島づたいじゃなくて直接行けば3時には着くよ」
と船頭が助言してくれる。5時間で着くというのはやはり正しいのだろうか。などと考えつつ着いた島は、何ということのない無人島だったので通過する。
漁師の乗ったカヌーが停泊していたので近寄ってみる。8人乗っている。話しをすると、なんと今朝8時にパンドゥ・トコ(港)を出てきたのだという。2時間余りでここまで到達できるのだろうか。パドルを4本持っていたので、4人ずつ交代で漕いできたのだろうが驚異的な速さといえよう。これから1週間程、島(北の方を指していた)に泊まりこんで漁をするのだという。
漁師に、人の住んでいる島はないかと尋ねてみる。私は、地図に名前の載っていたアジェボソ島という、わりと大きな島に期待していた。
「アジェボソ島に人はいない。その近くの小さな島に男が住んでるよ。ボドというんだ」
これは貴重な情報です。名のある島には人は居らず、名もない小さな島に人が居るというのです。も指呼の情報がなければ、無人島の寂しい一夜となったところでした。小島を1つ通過して、アジェボソ島は12時半に通過。やはり誰も住んでない。この島はきれいな円錐形をしていて、山頂にはトンビが数羽舞っていました。
昼を過ぎると、ハマターンとはいえあまりの暑さに漕いでいられなくなります。ボド島に向かってまっしぐら。岩と木でできているのは他の島と同じですが、岸には舟が見えます。その脇で少年と青年が漁網の手入れ中です。1時頃上陸。彼の案内で主人に会見しました。主人は50歳位で、ちょうどプロレスラーのブッチャーを少し細くした感じの人です。この島初めてのヨボに少し驚いたようですが、一夜の宿はすぐにOKしてくれました。
「この島はボド島というのですか」
「いや、ボドは私の名前だ」
「じゃ、島の名は…」
「名はない。ところでどうして私の名前を知っているのだ」
この島は小さくて、彼の家族10人が住んでいるだけなのです。だからこの島は「ボドさんの島」なのですね。ボルタ湖ができる前から住んでいるそうです。「ボドのつづりはどう書くんですか」
「分からない」
自分の名前のつづりが分からないことに私は驚いた。ちなみに「ボド」のつづりは先の漁師によると「Gbodo」だそうです。ボド一家には妻・娘ら6人の女性がいます。皆、瞳が大きくて墨色をしています。日本人男性は黒目の大きい女性が好みなのだそうだ。だから墨色の大きい瞳の彼女たちに私はどきっとしてしまった。残念ながら私の好みのタイプとはいえなかったけれど。
食糧として持ってきたパン・ツナ缶・オレンジ・グランナッツをお礼としてあげた。これが効いたのかは知らないが、待遇はとても良かった。
4軒ある建物のうち倉庫に使っている1軒をあけてくれた。そこにマットを敷き、毛布を敷いて、シーツをかけてくれた。枕まである。お陰で快眠できました。それに、ここは一年中蚊がいないそうです。
一段落着いた3時頃、食事を出してくれた。わざわざ作ってくれたのだろうありがたい。豪華にも魚卵たっぷりシチューのアップレである。そりゃ、お腹すいていたから全部いただきました。
6時にはもう夕食。普通の魚シチューのアップレである。まださっきのアップレのげっぷが出るというのに、食欲がわくはずもない。申しわけないけれど、少し手をつけただけで残してしまった。
翌朝、パンをかじっていると、ビールジョッキいっぱいに砂糖いっぱいの紅茶を出してくれた。さて、出発するかと腰を上げると飯を食ってけという。鶏肉シチューのアップレである。そういえば昨晩、鶏を1羽つぶしていました。感激しましたが、3食アップレはきついものがあり、半分しか食べられなかった。
この島では、トウモロコシとキャッサバを細々と作っているだけなので、毎日アップレというのは当然なのでした。たんぱく源は毎日獲れる魚と数羽の鶏です。
トイレは囲いも何もない。崖からお尻を突き出してするだけ。直接湖面に落ちないのは残念だけれど、雨が降れば流してくれます。
ボルタ湖というと、泥で濁った汚ない水というイメージがあると思います。これは発見なのですが、点々と散在する島の湖岸は小石でできているので水が澄んでいます。そのまま飲めそうです。泳ぎたくなってきます。
さて、ここで撮った写真をどうやってボドさんに進呈するかという問題が持ち上がりました。
「今度来るときに持ってきますよ」
などと主人に言っていると、英語が分からないはずの奥さんが
「もう一度来るなんて嘘でしょう。無理だわよ」
と言った。私にはそう聞こえた。正しいご指摘に凍りついた私でした。
「息子はドンコクロムの学校に入れることにしよう」
とまで言ってもらって、一家総出で見送ってもらい、2日目の航行が始まりました。ボドさんの島とパンドゥの間には島が1つもないのでひたすら漕ぎ続けることになります。もちろん対岸は見えませんから、コンパスを見ながらひたすら南東に進みます。
3時間ほど漕ぎ続けて、やっと岸に着きました。おばちゃんが洗濯しています。
「ここはどこですか」
「パンドゥ・トコだよ船着き場はもうちょっと奥にはいったところ」
計器航行でぴったり着きました。船着き場には顔なじみの船頭さんがいて祝福してくれました。延べ航行時間は7−8時間でした。最短コースを進めば5時間で着くでしょう。アマンクワクロムの人が言ったことは正しかったわけです。予想よりもずっと短時間で着いたので何だか拍子抜けしてしまいました。
ガーナ協力隊機関誌「トロトロ」55号(1991年4月)掲載
- ボルタ湖
- ボルタ川にアコソンボ=ダムを建設してできた、世界最大の人造湖。
- ローリー
- 乗合自動車。この路線は、人も荷物もいっしょにまとめてトラックに詰め込まれる。
- ハマターン
- 12月から数カ月間、サハラ沙漠の砂が飛来してどんよりと空が霞んだ状態が続く。
- ヨボ
- 現地のエヴェ語で白人の意
- 分からない
- エヴェ語は文字を持たず、後にローマ字を当てただけなので、ボド氏がつづりなど知らなくて当然である。
- Gbodo
- エヴェ語では"gb"のつづりをしたときのgは黙字になる。
- グランナッツ
- groundnut=ピーナッツ。
- アップレ
- 発酵させたキャッサバ(タピオカの根茎)の粉から作った、餅のようなガーナ料理。オクラや薫製魚のシチューをかけて食べるのが一般的。
- 紅茶
- ガーナでは本来お茶を飲む習慣がないので、たいそうなおもてなしである。
- 鶏を1羽つぶして
- ガーナ人はよく鶏や山羊を飼っているが、それをつぶして食べるのはたいへんなごちそうである。
- ドンコクロムの学校
- 筆者が働いていたドンコクロム農業中等学校のこと。
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