呉智英夫子Personal Data(1946-1981)
1946(昭和21)
愛知縣西枇杷島町に生れる(月日は、占ひに惡用される恐れがある爲、非公開、とのこと。9月19日(各種人名録)、10月19日(別冊宝島)、10月21日(「ダ・ヴィンチ」誌)など、諸説ある。本人はかつて、星座は乙女座、と語ったことがあるが、此れも眞相は不明)。本名は新崎智。

1959(昭和34)
名古屋市立栄生小學校卒。

1962(昭和37)
私立東海中學校卒。

1965(昭和40)
私立東海高校卒。
早稲田大學法學部へ進學。文學サークルに入る。
「別冊少年マガジン」に掲載された「テレビくん」を讀み、水木しげるを知る。
學生會館・學費をめぐるストライキに關り、刑事訴追を受ける。

1966(昭和41)
早稲田大學の大學祭の委員となって、講演會に上野昴志を呼ぶ。

1969(昭和44)
足掛け4年に及んだ裁判で、執行猶豫の判決が下る。

1970(昭和45)
三一書房から、新書で「戯歌番外地 替歌にみる学生運動」を出す(松田哲夫(現・ちくま書房取締役)などとの共著)。
水木しげるの資料整理のアルバイトに就く。

1971(昭和46)
早稲田大を卒業。
友人が始めたコンピューター會社に勤務する。

1972(昭和47)
青林堂の箱根旅行に參加。以後、青林堂に頻繁に通ふ。

1973(昭和48)
「ガロ」(發行・青林堂)で、「劇画列仙傳」の連載を開始(最初の雜誌連載)。

1976(昭和51)
100萬圓の貯金と失業保險をもって、純粹知識人として立つことを決意。

1977(昭和52)
「宝島」(發行・JICC出版局)誌上で執筆活動を始める。

1979(昭和54)
パチンコ屋で「アザミ嬢のララバイ」を聽き、中島みゆきを知る。

1981(昭和56)
初の單行本「封建主義、その論理と情熱」を刊行。


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