患者さんが、この後遺症を十分に理解された時に限って、手術は行われますが、かなりの記憶障害、学習能力の低下は覚悟しなければなりません。
この記憶障害は、海馬を切除することに関連していますので、最近開発されてきた選択的海馬切除法を用いても、結果は余り変わりません。
すなわち、海馬を切除する限り、術後の記憶障害は避けられないのです。
この重大な後遺症を何とか解決したいと私たちは長年取り組んできました。
そして、ついに新しい手術方法を完成しました。
6年以上前から、この新手術法を約50人の患者さんに適用しました。
その半数は、左側の患者さんで、術前のMRIで海馬の萎縮はありませんでした。
にもかかわらず、
私たちが考案した方法は、側頭葉のなるべく先端で、シルヴィウス裂に沿って、上側頭回の灰白質を一部吸引して側頭葉下角(髄液で満たされた脳室の一部)の天井に到達します。
側頭葉下角の天井は神経の束で構成され、側頭茎と呼ばれます。
この側頭茎の前半部を切断しても、特に重大な記憶障害は生じません。
そこで、この側頭茎を経由して、側頭葉先端の脳室に達し、海馬の表面を露出します。
側頭葉の小皮質切開から海馬に到達する.
次に、海馬と扁桃体の表面から直接脳波を記録します。
これにより、どの範囲がてんかん焦点になっているかが診断できます。
症例によっては、海馬の先端(海馬頭)のみが焦点の場合もありますし、海馬頭から海馬尾部の海馬全体からてんかん性異常波が出現する場合もあります。
海馬を手術する範囲が決まったら、いよいよ海馬のMSTにかかります。
海馬の表面は白板と呼ばれるきわめて硬い純白な神経線維で覆われています。
この白板を経由して、海馬からの記憶線維は海馬の内側にある海馬采へと連結されます。
白板の下に、2 mm 以内の狭い幅で、錘体細胞層があります。この錘体細胞が海馬からのてんかん性発射に最も密接に関連しています。
錘体細胞層の横方向の連絡を絶ちきることにより、MSTと同様な理屈で、てんかん発作の発生を抑制できることになります。
海馬の連絡線維に沿ってMSTを加える.
MRIの比較
このことから、海馬MSTは、側頭葉切除術に匹敵する手術効果が得られることが分かりました。
海馬のMSTは、もしかすれば、通常の大脳皮質に対するMSTよりも、効果が優れているかもしれません。
海馬MSTの記憶力温存の効果は、きわめて素晴らしいものでした。
海馬のみに処置を加えたグループでは、手術直後から全く記憶力の低下が見られませんでした。
海馬のMST以外に、側頭葉先端の切除など、他の複数の処置が加わった群では、手術直後では一時的に記憶力が低下しました。
しかし、手術後2-3ヶ月で回復の気配がみえはじめ、6ヶ月後には、完全に手術前のレベルに快復しました。
記憶力の評価には、厳密な神経心理学テストがもちいられ、手術後2週間と6ヶ月後にチェックしました。
この客観的な評価法で、記憶力が回復することが証明されたのです。
このデータから、海馬萎縮の存在しない左側焦点でも、海馬MSTを用いれば、永久的な記憶力の障害が出現することはなく、最大6か月で記憶力が回復することが確認されたわけです。
右側焦点の場合は、海馬に萎縮がなくても、海馬切除により後遺症が出ることはきわめてまれです。従って、海馬MSTによっても、右側の場合は、何の問題も生じません。
しかし、両側の焦点が疑われる場合、右側を切除しないで、MSTで対処しておけば、将来、万が一、左側の手術が必要になった場合に、安心して左側の手術を追加できるというメリットがあります。
このように、海馬MSTの導入により、後遺症のない側頭葉手術が可能になっただけでなく、これまでは不可能であった、両側の側頭葉焦点に対する外科的治療法の可能性も見えてきました。
通常の側頭葉てんかんの手術後では、視野欠損が出現することがよくあります。
しかし、視野が欠如する範囲は、手術側の反対側上1/4で、本人は自覚しないことが多く、日常生活の支障にはなりません。
この新しい手術法でも、視野欠損が出現することがありますが、側頭葉切除術の場合と同様に、日常生活には全く支障はありません。
手術に伴う後遺症は、通常の手術の場合と同様に、きわめてまれな術後の出血、感染などに限られており、この手術が特に危険性が高いことはありません。
むしろ、切除する範囲が狭いので、側頭葉切除術より安全な手術と言えるかもしれません。