「第11回 MTB で遊ぼう in 米沢・春の陣」参戦記

2003/5/10-11

by M. Shishido@Team HOSHI


 古志田の常設コースを開設して以来,春と秋の年二回レースを開催してきた。今年で足掛け6年目,回数は既に11回を数える。最近では,運営の方も各チーム員の中でそれなりにマニュアル化されていちいち打ち合わせなどは必要なくなってきている。ここのコースの最初の構想時から係わってきており,レースが開催されるようになってからは10回大会までずっと本部で計測やら集計やらの仕事をしてきた。が,今回の大会,何を思ったか,選手として走ってみようと思い立ち,チームのメンバーにはわがままを聞いてもらった次第である。ほとんど全てのコースに手を入れた人間が走り,その参戦記を書くというのも一興だろう。

Prologue

 さて,実際のレースの模様の前に,極めて個人的な話から始めよう。自転車に乗り出したのは仙台での大学院時代である。その当時,体重が 0.1 トン近い(正確には 96kg まで行った)状態になり,ちょっとした坂道やら階段でもハアハアいう始末で,正直,命の危険すら感じていた。高校時代までは剣道をやっていた。あの当時はいくら食っても太りはしなかった。連日,3時間以上運動していた。が,受験と共に継続的な運動を止めた。残ったのは旺盛な食欲だけ。高校時代 70kg そこそこだった体重はあっという間に 80kg に,そして卒業研究やら修論やらと睡眠不足と夜食の生活を繰り返すうちに 90kg にまで増量した。大学の定期健康診断で尿糖プラスの経験をした(幸い,翌日の再検査では出なかったが)。これはまずい。このままでは息の長い自殺だ。卒業する学生が必要なくなったからと1台のランドナーを置いていった。これだ!

 ある日思い立って,青葉山の上にある大学までの通学にその自転車を使った。初めて自転車で登ったあの坂は辛かった。途中で登り切れずに押して歩いた。太股の筋肉の違和感は一日中続いた。翌日には筋肉痛になった。が,めげずに自転車通学を続けた。さらに,キャンパス周辺のジョギングも始めた。走るという行為は高校時代以来実に8年振り。これも辛かった。が,辛抱しているうちに体重は次第に減り始めた。結局,2年ほどで 23kg という大減量を達成した。(なんか,プロジェクトX 風の語りになってきているが,.。^^;)ようやくこの頃,人より遅い就職をして,その初ボーナスでロードレーサーを購入した。自転車というのはこんなに軽く軽快に走るものなのかと驚いた。それからは週末は必ず走りに出かけた。蔵王エコーラインにも登った。仙台近郊の5万分の一の地図の道路という道路が赤く塗りつぶされた。さらに村上から鶴岡,新庄,古川と巡るツーリングもした。(ますます,プロジェクトX 風に,.。^^;) 仙台ロードマンクラブというクラブに所属し,レース活動も始めた。宮城県チャレンジロードレースで一度入賞するまでになった。この辺りが絶頂期だったかも知れない。

 1989年に結婚し米沢に移った。しばらく一人でレース活動とトレーニングを続けていたがやがてモチベーションの維持にも限界がきた。レース参加からは次第に遠のいた。その頃星輪店との係わり合いが出来た。また,一緒に走る仲間が出来た。レース活動の再開。しかし,年齢が上がると共に次第に忙しくなってきた。自宅を新築し引っ越した。自転車から遠のいた。再び,体重が増加し始めた,..。

 2002年10月にちょっとした体調の異常を覚えて,病院に検査に行った。医師に糖尿病を宣告された。二年ほど前から血液検査のデータはいわゆる境界値を示していたが,今の状態は完全に黒だということだった。もっとも,症状的にはそれほど重篤なものではなく,一ヶ月間の食事制限で様子を見ましょうというものだった。

 早速その日から日常的な飲酒を止めた。さらに,自宅に越して以来ほとんど跨がったことのなかったローラー台(キャッツアイ・サイクルシミュレータ)に跨がり,就寝前の運動を始めた。考え方としては,一日の摂取カロリーを制限して,さらに就寝前にその夜の食事で摂ったカロリーを全て吐き出してしまおうというものだ。久しぶりに跨がったサイクルシミュレータは辛かった。30〜40分がやっと。しかも,勾配負荷はゼロ。以前にバリバリ自転車に乗っていた頃は,勾配負荷 3% で 90rpm でのインターバルなどもやっていた。終わってシャワーを浴びるために階下に降りるときに太股に感じた違和感は,ランドナーで初めて青葉山の坂を登ったときのそれと同じだった。ここまで落ちたかと忸怩たる思いが頭をよぎった,..。

 それから意地になった。絶対に10年前のパフォーマンスを取り戻す。そう思い,連日サイクルシミュレータに乗った。次第にケイデンスは上がり,勾配負荷も 1%, 2% と掛けられるようになってきた。時間も伸びてきた。1時間くらいならそれほど苦にならなくなってきた。酒を断って,固定式自転車で汗を流し始めて一月。体重は 5kg ほど減少していた。検査結果も回復の兆しが見えた。医師が言った。「この調子で行きましょう」。

 それからは,休日にはスノーシューを付けての雪の斜平山歩き,連日のサイクルシミュレータ,晴れた日のジョギング,さらに食事制限という生活が3月まで続いた。体重は 13kg ほども減少していた。スノーシューを付けて斜平山を4時間ほど歩き回っても疲労感を覚えないほどに体力も回復していた。部屋の隅で埃をかぶっていた,NAKAGAWA のロードレーサーを星輪店に持ち込み,メンテナンスを依頼した。今年はかなり走れると感じた。

 4月に入って恒例の「春の陣」の準備が始まった。準備をしながら,今年は走ってみようかと思い立った。一週間前に選手としての参加を決めた。11回目にして初めてのことだった。

斜平山ヒルクライム&ダウンヒルイベント(参考競技)5/10

 5月10日の土曜日に今回初めての試みとして,斜平山のヒルクライムとダウンヒル(これは少し意味が違うが)をやってみようということになった。17人程の物好きが集まった。地蔵園をスタートして山頂の愛宕神社までの約 2km 程の登りのタイムトライアルと,斜平山の山頂からの七曲を経由した愛宕小学校跡地までのダウンヒルを行い,その合計タイムで競うというもの。結果などは別ページを見て頂くとして,ここでは主観的なことだけを書いてみよう。1分間隔で各選手がスタートする。スタート直後から登り始め,数百メートル先で最大斜度 17% ほどもある急斜面が現れる。ここが最初の山場。以前はインナーのローギヤを使わないと登れなかった。で,あのときから体重が 15kg 程も落ちて,なおかつフィジカルトレーニングもそこそこ積んだ身にとって,今回の目標はフロントインナーは使わないということだった。先を考えて少し抑え目に入ったが,一番の急斜面の手前で直ぐ後でスタートした伊東選手が猛烈なスピードで抜いていった。おお,こりゃ,凄い!!こっちはマイペース。小屋の残がいのある場所までなんとかセンターギヤで辿り着く。よしよし。^^; ここから少し下る。ここはギヤ比を大きくして出来るだけ下りのスピードを殺さずに走る。で,再び始まる登り。ここからはゴールまで登るだけである。炭焼き小屋を過ぎるといよいよ第二の難所の急斜面。ここもおそらく 13~15% 近い斜度があるかと思う(もっとも走っている本人は斜度を大きめに見積もりがちではあるが,..。:-D)。ここでとうとうフロントインナーギヤに入れてしまった。最後の登りをクリアして神社下の駐車スペースに。そこから最後の登り。ギヤを上げてぜーぜーと登る。神社前でゴール。タイムは 15'45" だった。20分をクリアできた。まあ,上出来だ。無性に嬉しかった。トップタイムは宮本選手(J シリーズエリート選手)の 12' ちょっと。12分台は彼と私を抜いていった伊東氏の二人だけ。

 それから七曲がりの降り口まで移動。ここから小学校跡地のグラウンドまでのダウンヒル。最初の七曲がりの九十九折り。こうしたタイトな急コーナーをマウンテンバイクで降りるのは本当に久しぶりだった。最初の逆バンクでリズムが狂った。コーナーでは久しぶりの緊張感に身体が一瞬すくんだ。ラインがバラバラになった。下のジープロードに降りるまでは最低の出来。そこからもやっぱりコーナーでのタイヤのグリップ感覚が全く戻らない。かなりのスロースピードでコーナリングを繰り返したように思う。次第に感覚が戻ってきたのはもう既に終盤になったころ。幸い落車はしなかった。^^; 結局,9'20" ほど掛かった。トップは宮本選手の7分台。いやはや,コースを知らない状態でこのタイムというのはよほどマシンコントロールとバランス感覚が優れているんだろう。やはり,大したものだ。エリートクラスを走れるということはやはりこの程度のパフォーマンスを備えているということなんだろう。

 結局,参加17人中で6位という総合成績。まあ,でも,ダウンヒルバイクで参加していた人も結構いたし,それほど大したことでもないか。^^; でも,当たり前のことだが,体重が落ちた分,登坂スピードは2〜3割アップと言うところ。計算してみると,体重が落ちた前後で筋力に変化はなかったということになる。単純に荷物を軽くした結果速くなったというだけのようだ。プラスアルファ(VO2max の上昇による)効果を期待していたんだけどなぁ。^^; でも,もしかしたら数字の字面だけが合っているだけで,実際はプラスアルファがあるのかもしれない。さらに,体重の減少は下りでのスピードコントロールも容易にした。軽くなった分,停りやすくなったということ。で,再加速もやりやすくなった。いずれにしても,本当に久しぶり(まともに走ったのは数年ぶり)に乗ったマウンテンバイクは,自転車の楽しさを再認識させてくれた。さ〜て,明日は4時間耐久をソロで走る。どうなるか?

「春の陣」本番,4時間エンデューロソロの部 5/11

 7時半にスタッフ集合。計測集計用のコンピュータ,出走者パンフ,賞状,プリンタなどを先に運び,一旦戻り,今度は自転車で会場に。レースは1周3キロ弱のコースを周回する。4時間という時間に少々不安がある。一定ペースで走り切れるかどうか,..。パソコン,プリンタなどをセットしてテスト。よし,大丈夫そうだ。9時からは子供たちのレース。山の麓に設置した特製コースを年齢に応じた回数だけ周回する。それなりに走れる子もいるし,泣きそうになりながら懸命に走る子もいる。これを機会にしてスポーツとしての自転車に親しむようにね。^^; 子供のレース後の表彰式の準備を終えた後,こちらも出走準備。ここで,スタッフモードから選手モードに切り替え。^^; 心拍データを記録するために胸に Polar のセンサーバンドを着ける。用意した食料はウィダーのゼリー4個,バナナ4本,粗塩10グラム。ボトルの水は1時間毎に交換してもらうことにした。

 10時過ぎにスタート。最初の2周回くらいはウォーミングアップと割り切る。リンゴ園の脇の砂利道。ここが比較的辛い。道の両脇の草の部分が比較的締まっていて走りやすいのでそこを一列になって登っていく。ジープロードの登りにかかるとチーム参加の連中が猛烈に飛ばし始める。こちらは4時間持たせないといけないのであくまでマイペース走行。それでも,少々気持ちが昂ぶっていたようで12分くらいで一周目を終える。二周回を終えた辺りでようやく気分も身体も落ち着いた。水分の補給は水路脇の平坦部分とグラウンドに帰ってきてからと決めて,規則正しくボトルを口に運ぶ。3周回目辺りでの時間とラップタイムから,今日はおおよそ16周プラスα程度の周回数になるなと予測できた。もちろん,4時間コンスタントに走り続けることができればだが,.。^^; 1時間経過後くらいからいわゆるランニングハイのような状態になる。体重が落ちた分,コーナーの立ち上がりも楽だし,さらに下りのタイトコーナーなどでのスピードコントロールがかなり楽になったことを実感した。マウンテンバイクのクロスカントリー競技には体重の重いのはマイナス因子にしかならないということを今さらながら思い知った。

 2時間経過の辺りで次第に腰痛が出始める。降りの振動のせいか,登りのせいか,.。しかし,まだまだ余裕がある。心拍は急な登りでは 170 前後,下りに入ると 130 前後だった。ほぼ 40 分置きぐらいに補給を摂る。それほど暑くはなかったが,粗塩を小まめに摂った。この辺りは,ある周回でスムースにクリアできなかったセクションがあると,次の周回では少しだけラインを変えてみるとかいうことをやっていた。これはいい練習になるなと感じた次第。

 3時間頃になると腰痛はますますひどくなり,頚や肩の痛みもひどくなってきた。こりゃ,あと1時間持つんだろうか?という不安が頭をもたげる。平地と下りの度に腰のストレッチでだまし騙し走る。3時間を少し過ぎた辺りから,登りの一部(ジェットコースターみたいな下りセクション手前の登り返し)で,禁断のフロントインナーギヤまで使い始めた。たった,10m程の距離なのだが,.。登りで踏み込むと堪え難いほどの腰の痛みが走るようになったからだ。後日,改めてこの登りをしげしげと見てみると(^^;),短いながらも勾配は 13~15% ほどもあるようだ。加えて,下りのセクションで腕の押さえが利かなくなってきた。時々,緊張感が抜けて下りラインをトレースし損ない,小さな切り株などに乗り上げ,バランスを崩しそうになることが一回の周回に2度ほど出てくるようになった。やばい。ここで集中力が切れると落車しかねない。しかも,3時間を超えた辺りから,水分の摂取で胃液が薄まったらしく,補給食もあまり摂りたくなくなってきた。腹は減っているはずなのに食いたくない状態だ。ミネラルバランスが崩れていることが一つの原因だということはわかっている。だから,粗塩を小まめに摂ってたいのだったが少なかったらしい。過去の経験から,ハンガーノックのように(ハンガーノックそのものかもしれないけれど)なり,この状態が続くと身体の動きが急激に悪くなることがある。走りながら「大丈夫かいな,...?」と不安は一杯。3時間半過ぎた辺りがいちばん辛かった。

 これで終わりかなと思った,3時間45分くらいで入った周回。が,戻ってみれば残り2分を残して新しい周回に,.。最終周回を何とか走り切ってゴール。結局,18周回。トップとは三周差。でも,ここまで走れるとは思わなかったので,ほぼ満足。補給のために立ち止まった以外は自転車から離れなかったし。ここまで体力レベルが戻ったかと思うと感慨深いものが,.。^^; 4時間の平均心拍数が 157 で,これはちっと無理しすぎかなという感じ。レース後,自転車を点検したら,使い続けたホイールのリムサイド(ブレーキが当たる部分)がすり減って,切れ目が入っていた。よく最後まで持ってくれたものだ。子細に調べるとどこかでリム打ちしたのが原因らしい。この状態だと,いつバーストしてもおかしくなかった。完走できたのはラッキーだった。

Epilogue

 走り終えてなんともいえない満足感を感じました。半年前にはただのデブの半病人(トホホ,..)に成り下がっていた人間が節制とトレーニングで半年間でここまでのフィジカルパフォーマンスを取り戻したという点で,自分自身を褒めてやりたい気分でした。^^; 日頃から周囲の人間に偉そうに言っている,「やりゃぁ,できるんだ」ということを身をもって実践できた充実感のようなものを感じます。競技レベルで見れば,当然ながら遅い部類に入るわけですが,自分で考えて,自分でトレーニングして,以前の自分よりも格段に状態が良くなった自分を認識するというのもスポーツの醍醐味の一つでしょう。アマチュアの道楽スポーツを生涯楽しむといった背景には,こうした要素は欠かせないだろうと思います。

 スポーツ少年団なんてご大層なことを言って,スポーツの意義や喜びの何たるかもわかっていない子供をダシにして,大人たちが一生懸命になり,当の本人たちはある年齢を境にしてスポーツなどには見向きもしなくなるなんて,どこかの国のお寒いスポーツ環境では生涯スポーツなんて言う考え方が定着するのは夢のまた夢です。やはり,主役は中年のおじさんです。我々が一生懸命に遊んでいる姿を子供たちに見せなければいけません。おじさんでもきちんとトレーニングすればマウンテンバイクで山道を4時間ぶっ続けに走ることが出来るんだということを教えてやらないといけません。久しぶりに走ったことで,そんな思いを新たにした次第です。

 最後に,走らせてくれというわがままを聞いて頂いたチーム・ホシの仲間たちと,ちょっとの間だけ(:-D)サポートに来てくれた女房と子供に感謝します。^^;

レース中の心拍数のデータです。120とか130とかに下っているのは立ち止まっての補給個所ですね。やはり3時間辺りから心拍変化が小さくなっています。おそらくはカルシウムとカリウムなどのミネラル分の不足が原因と思われます。
これはラップタイムのデータをグラフ化したものです。11周回と14周回が遅いのは補給とトラブルによる緊急連絡(といっても体の具合とかではなくて,コース上に車がいたことで携帯電話で連絡)のためです。14周回辺りから少しずつ速くなってきているのも面白いですね。まあ,そこそこ平均的に走れたのではないかと思います。