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3 英雄の最期 | |||||||||||||||
●地上から抹殺された遺跡 地中海に面したモロッコ、アルジェリア、チュニジアを含むアラブ諸国の西辺は、「マグレブ」と呼ばれる。アラビア語で「日の沈む地」という意味だ。 この地は、「日の出ずる国」の日本人からみると、地の果てというイメージが強い。だが、ヨーロッパからは目と鼻の先、パリやローマから3時間弱のフライトで行ける。 チュニジアは、マグレブの東に位置し、総面積は日本の40%ほどの小国である。北と東が地中海に囲まれ、出入りの激しい海岸線、約1200キロメートルが走る。カルタゴは、この多くを領土としていた。領土の中心が、現在の首都チュニスであった。 いまカルタゴ地区の丘に立つと、眼下にチュニスの美しい市街が広がる。そこはかつて海であった。丘の中腹の一部は発掘され、住居の密集跡が見える。 その住居の下も掘られ、かつての住居のモザイクの床がのぞける。全てローマ時代の遺跡である。此処は何層にも町の遺跡が重なっている。その最下層がカルタゴ時代の遺跡であるが、わずか建物の礎石の破片らしきものがいくつかあるのみ。この古代都市は、故意に地上から抹殺されたのである。 フェニキア人やその国は滅亡されても、かれらの作り上げたもの全てを、抹殺することはできなかった。それどころか、唯一かれらが創作したものが、現在、世界を制しようとしている。英語で馴染みの「アルファベット26文字」である。古代世界の共通語、ラテン文字やギリシア文字は、複雑すぎて迅速な商取引の記録にむかない。そこで、合理精神にとんだフェニキア人たちは、簡便な筆記文字、アルファベットを考案した。 ●破れた将軍 スキピオの率いるローマ軍に、ハンニバルの軍が完敗すると、カルタゴの大商人門閥からなる元老院からローマ側に和平の申し入れがなされた。ローマの元老院も、実をとるために、スキピオにカルタゴ攻略をとどめ、厳しい講和条件を提示し、これを呑まさせた。ここで講和がなり、3年間の第2回ポエニ戦争は集結した。紀元前201 年、ハンニバル45歳のときである。 --ローマを討つ-- それが、祖国カルタゴのためになる。ほとんど盲目的と言ってよいほどに一途な思いであった。だが、カルタゴの民衆はほんとうに、それを望んでいるのか。その疑念が講和をえて、ハンニバルの心に芽生えてきた。 思えば27歳でアルプスを越え、以来18年間、本国の主権を回復すべく孤軍奮闘してきた。スペインに残してきた妻子や弟たちも戦死、多くの友人や部下を戦闘で失った。ハンニバルにとって、いまは、悲観にくれている時ではなかった。戦に破れれば、捲土重来を期す父ハミルカル・パルカスの息子であった。 講和条件は、50年間払い続ける莫大な賠償金、貴族の子弟百人人質、領土はカルタゴ本国のみ、自衛戦でもローマの承認必要など過酷なものとなった。 破れたとはいえ、ハンニバルには、ローマに立ち向かった英雄として一般民衆の支持が集まり、講和条約締結後も将軍職を保った。 ●ねたまれた繁栄 カルタゴの政体は、ギリシアの哲学者アリストテレスが高く評価している。軍事、外交、行政の大権は、1名の行政長官(国家主席)と数百名の元老院が握り、かれらが提出した議案の採決権は民会にあった。民会は、成年男子全員から構成されていた。実際は、政治の実権は大商人出身の元老院が握っていたと考えられている。 敗戦の混乱を治めるには、行政に強い指導力とカリスマ性が必要と感じた元老院は、ハンニバルに白羽の矢を立てた。民会も諸手をあげて賛成した。講和から5年後、彼は国家主席となった。 敗戦後の財政改革と民主的な国制の変革をつきづきに進め、民心をまとめ、商人国家として再出発に成功。みるみるうちに経済大国にのしあがった。敗戦後の政治家、吉田茂と日本の戦後経済力と似ていなくもない。 ローマ側としては面白くない。 ハンニバル軍に荒らされた国土の復興が思うように進まない苛立ちもあった。ローマの政治家カトーは、密かにカルタゴを訪れ、その繁栄ぶりに驚愕した。帰国すると、元老院に出かけ演説を申し出た。 「元老院の方々、ローマ市民の諸兄、これを見よ。この熟したイチジクは、ローマよりわずか3日の船旅のところに存在する」 そして、演説の最後にこう言い放った。 「カルタゴは、滅ばさなければならない」 その演説を機にローマの有力政治家たちは、カルタゴ打つべしと、市民をあおった。 ●孤立する主席 ハンニバルは、カルタゴ市民に祖国の危機を訴える。ところが、カルタゴの貴族のなかには、親ローマ派がいた。その中核は、ローマに人質にとられ、その後帰国した貴族の子弟たちである。彼らに煽動された市民までもが、国が安定してくるにつれてハンニバルを危険人物として策動しはじめる。ローマに中傷したらしい。ローマの元老院からの干渉が激しくなる。 ついには、ローマの元老院に出頭して、釈明せよとの文書まで届く。返書を書く、中傷にすぎない、出頭するにおよばない。 「登庁のおりは、気をつけなされ。ローマからの暗殺団が、市内に潜伏しているとのうわさがありますぞ」 元老院の一人が、執務室に来て、耳うちする。そういう彼は、このところローマとの交易で巨額の利益をあげているというではないか。 命の危険を感じたハンニバルは、カルタゴから脱出せざるをえなくなった。わずかな同志とともにシリアのアンティオコス3世のもとに身を寄せる。そこで、反ローマ闘争を呼びかけるが協力を得られず、失敗。その後、同志と別れ、小アジアに移って機会を待つことにした。 ビテュニアにしばらく滞在することにして、家を手に入れる。 その夜半、眠れず、庭を見る。暗闇に数人の黒い影。一人は見覚えがある。 カルタゴから伴ってきた老従者。長年よく仕えてくれる、腹心と思っている。 ——いまごろ なにを… 黒い集団に、三日月の光で反射するものがある。剣の鞘。それは、戦場で見慣れた、ローマの兵士のものであった。 ローマの手がここまで伸びていた。 「もはやこれまで……」 常時身につけていた毒薬をいっきに飲み込んだ。ゾウ部隊とともにアルプスを越える二十代の自分の姿が、一瞬脳裏に浮かぶ。光がふたつの玉となってその若いハンニバルの身体を虚空にもちあげたとき、絶命した。64歳であった。 ●危機管理喪失の国家の運命 英雄ハンニバルの悲劇的な最期は、義経の最期にも似ている。かれらを敵側に売った人々も滅ぼされる運命から逃れられなかった。 強力な指導者不在をみて、燐国がカルタゴ領に侵入して挑発してきた。やむなくカルタゴは防戦する。すかさず、ローマから講和条約違反をとがめられ、現存のカルタゴを破壊し、さらに内陸に新市を建設するように命じられる。 ここにきてはじめて、ハンニバルの指摘していた祖国の危機を悟ったカルタゴ市民10万は、絶望的な徹底交戦に踏み切った。すべての女性が髪を切って、石弓のばねを作るなどの兵器を作ったといわれる。3年の籠城戦(第3回ポエニ戦争)ののち、紀元前146年カルタゴは陥落する。生き残ったカルタゴ市民5万人はことごとく奴隷に売られ、都市は17日間燃やされ続けて完全な廃墟と化した。そこに土を盛って更地に変え、さらに、二度と人が住み、作物が実らぬようにローマ人は塩をまいたのである。 こうして、7百年間繁栄した経済大国カルタゴは、地上から抹殺された。フェニキア人が記録した膨大な書物や証書までもが、ことごとく焼かれ、消失した。いまに伝わるカルタゴの記録は、敵側のローマやギリシア人が残したものである。そのため、記録の偏向をまぬがれることはないだろう。それでも、ハンニバルの行動は、英雄の悲劇として好意的に語りつがれている。(4へ続く) |
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