「チュニジア物語」     清水 潔


1  英雄ハンニバルのアルプス越え

 この英雄の名前を初めて聞いたのは、高校の世界史の老T先生からだった。
「ハンちゃん、このとき少しも慌てず、ヤギも四つ脚、ゾウも四つ脚、何を恐れることがあろうぞ、と真っ先にゾウの首にまたがって、アルプスの雪道を押し出していった。これに勇気づけられ、十万の大軍はしずしずとあとに続いた‥‥」
 藩校以来181 年目に入学した高校には、在籍30年、40年の名物教師がごろごろいた。T先生はその中でも3本の指に入る逸材で、彼の世界史の授業には、浪人生までが廊下にはみ出すほどに聴講にやってきた。教科書はあるにはあったが、独自のカリキュラムで講義を進め、それも脱線することしばしば。話術に長けた笑わぬ貴公子で、しかも涙もろい。中国の詩人・陶淵明の帰郷のときと、彼が地中海の義経と呼んだハンニバルの最期を語るとき、涙した。

 ハンニバルには、父とも頼る義兄ハスドルバルがいた。いまは病床にある。
「今朝、川向こうの森で青いものが二つ輝いているのを夢で見た」
「何です?」
「何かな? 青くて、きれいな光だった。森の奥のほうから一つがスーッと動いて来て、その先にもう一つ、青い光が待っていた。二つが一緒になって大きな玉に変わった」
「ええ?」
「それからまた二つに分かれて消えてしまったが……いま、わかったよ」
「どうわかりました?」
「ハンニバルがパアル神に出合ったんだ」
「出合ってどうなります?」
「それは分からない。多分、悪い予兆ではない。きれいな光だったから……。啓示かもしれない」
「ローマを叩けということでしょうか」

 パアル神は、生まれ故郷であるカルタゴの守護神である。この守護神には、タニト女神という連れ合いがいる。父はこの女神をとくに信仰していた。ハンニバルがまだ物心がおぼつかない幼児のとき、軍事専門家的門閥出身の父ハミルカル・パルカスは、北アフリカ(現チュニジア)の故郷を脱出するようにして、一族を連れてスペインに渡ってきた。
 当時カルタゴは、ローマとの戦争に破れ、その賠償金の支払いと、人心離反に苦しんでいた。カルタゴは、フェニキア人が、地中海沿岸につぎつぎにに建設した植民都市国家の指導的存在であった。ローマとの開戦は、シチリア島の覇権争いである。ローマ人は、フェニキア人をポエニと呼んだので、この戦いをポエニ戦争と呼ぶ。ポエニ戦争は3回、百年にも及ぶ。
 スペインに渡った一族は、現在のアリカンテ地方に拠点を設け、農業開発と銀鉱山開発の経営を始める。カルタゴがローマ軍に破れた要因の一つに、傭兵の問題があった。カルタゴでは、市民はほとんど従軍せず、ギリシア人やベルベル人ら外人部隊で軍が構成されていた。そのため国を守る士気や統制に弱点を絶えず抱えていた。傭兵の反乱も起きていた。
 父ハミルカルは、和平派が多数を占め、ローマの監視がきつい国内では、軍隊の再建は困難と判断して、この地にやって来た。まず、資金を得る必要がある。そのための銀山を手に入れたのも、束の間、病死する。カルタゴを離れて8年目であった。その遺志を継いだのが、娘婿のハスドルバルであった。彼の経営手腕はめざましく、都市は整備され、カルタゴ・ノヴァ(新カルタゴ)が建設され、都市の防衛の名目で、軍事力を蓄えていった。

 古代社会にあっては、神々の占める領域は大きい。
「神の啓示ですか?」
「多分」
 ハンニバルは、スペインに来て、まもなくのこと、父の命令でタニト女神像の前にひざまずかされた。「復讐の機会を我等に--」。これが父の願いであることを、幼い頭にも染みついた。

●いざ復讐戦へ

 義兄が病に倒れると、ハンニバルが将軍に推挙された。若干25歳であった。
 若い将軍はまず、ゾウを戦力に用いるべく、訓練を開始した。アフリカゾウは、インドゾウと違い人に慣れない、それに危険であると、反対する者ばかりであった。「危険だからこそ、大きな武器になるのだ」と、頑として受け付けなかった。
 トラもライオンさえも、ゾウとはまともには戦わないといわれる。それだけ破壊力は強大で、平原を時速60キロ以上で走る。鼻で縫い針を拾いあげる器用さも持っている。ゾウを戦争に使ったのは、ハンニバルが最初ではないが、アフリカゾウを用いたのは彼が最初である。数カ月して、指揮棒一つで、数十頭のアフリカゾウが一糸乱れぬ行動をとるようになった。これを見て、各国からなる傭兵たちは、肝をつぶした。そして、若い将軍の力量を認めることとなった。ハンニバルの人心掌握は天性のものであったらしい。

 神の啓示の話をしてから2年後、義兄は夭折した。
 すぐに行動を起こした。
 カルタゴ・ノヴァの隣国は、ローマの同盟市サングトゥムである。両市は国境線をめぐって、しばしば紛争を起こしていた。サングトゥム側としては、紛争を起こして、相手の出方を見る。ローマに代わっての監視役を引き受けていたのだろう。その目障りなローマ同盟市を春、攻撃し、翌年、紀元前218年陥落させた。ローマも黙していない。ここに、第2回ポエニ戦争が開始された。
 ハンニバルは、兵力を整えると、スペインの防衛を弟ハズドルバルにゆだね、進発。歩兵9万(一説3万8千)、騎兵1万2千(8千)、ゾウ37頭が陸路、イタリア本土をめざした。スペインからイタリアへ攻め上がるには、二つの途があった。一つは海岸沿い、もう一つはアルプス越えだ。ハンニバルは後者を選択した。一刻も早くローマを攻めるには、途中のローマ軍やその同盟市の妨害を避けたかった。相手の油断も期待できる。もたもたしていると、カルタゴ本国をローマ軍が攻撃する危険があった。

●行く手を阻む大自然の脅威 

 ピレネー山脈を一兵も失うことなく越えたハンニバル軍は、同年秋、アルプスの麓に達した。冬になると山脈を越えるのはむずかしい。新雪のいまの時期なら、多少の犠牲は出るかもしれないが、アルプス越えは可能だという、地元の斥候の意見を入れて、ハンニバルは進軍を発した。
 現在の仏国のリヨン辺りから峠を選んで、山脈を越えたと思われる。それは、想像を絶する行軍となった。雪の八甲田山で殲滅した明治の日本帝国陸軍と境遇は似ている。アフリカ出身の傭兵やゾウは寒さに弱い。凍死するもの、病死するものが続出した。足もとをふみはずして滑落死するものもいた。数頭のゾウは、雪の深みにはまって動けなくなり、捨ておかざるをえなかった。十万もの大軍である、その振動で起きた新雪雪崩にまきこまれたものもいただろう。
 人も馬もゾウも、心をひとつに合わせて、息を整えて、自分の足で雪径を登って、前へ前へと進む。将軍も兵も状況は同じであった。
「こんどは何が生じた?」
「雪崩で大きな岩が道を塞いで、前に進めません」
「ゾウを使え」
「足場が悪く力が出せません」
「ゾウもこの寒さで弱っています」
「神官を呼べ」
 スペインからついてきた神官が、パアル神の神託を伺う。
「焼けとの御告げです」
 火を点けられた松明が何本も、何本も岩を焦がした。
 岩にひびが生じる。岩に上った数名の兵がそこに楔を打ち込む。割れ目が大きくなる。どっと崩壊する。後続の大軍から歓声があがる。すかさず、ハンニバルが大音声をあげる。
「我等には、パアル神とタニト女神がついている。アルプスさえ越えれば勝利は間違いなし。報奨を倍額とする」
 また全軍のこころが一つになる。

 アルプス越えに15日を費やした。その15日目に、北イタリアのポー平原にたどり着く。このとき、歩兵一万八千人、騎兵二千騎を失っていた。ゾウにいたっては全滅という損害であった。無事の兵たちの疲労も極限に達しようとしていた。
 そこへ斥候一騎が、ハンニバルの幕舎に駆け込んできた。半日先のトレピア川岸で、ローマ軍が布陣しているという。続いてまた一騎。
「ローマ軍は数万、わが軍の行動をまだ気づかず」
 アルプス越えは失敗であったが、ハンニバルのすごさは、むしろこのあとに発揮された。疲労困憊の兵を率いて、休むまもなく、先頭を切って敵軍のなかに突き進んでいった。困難を乗りこえた同志として、傭兵と将軍はいつしか一体となって行動するようになっていたのである。(2へ続く)




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