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5 ソフトモスレム国家の繁栄 | |||||||||||||||
●ベルベル人最後の戦い イスラムを国教とするチュニジア。かつてキリスト教国家だったこの国の変容は、いかにして成立したのだろうか。 チュニジアは、7世紀以降イスラム化とアラブ化が進んだ。 カルタゴ滅亡後、古代ローマがカルタゴの地を復興させたが、それも5世紀に衰退。その後ローマ分裂後の一方の雄、東ローマ(ビザンチン)帝国が一時治めるがその力は頼りない。そのころ予言者マホメットがアラビア半島に現れ、「アラーのほかに神はなし」を旗印に蜂起。左手にコーラン、右手に剣をひっさげてわずか30年間でアラビア半島、エジプトを制す。そして、647 年、1万のアラブ軍が、チュニジアのビザンチン帝国の都市を襲撃陥落させる。これを機にアラブ軍と、先住民族ベルベル人・ローマ連合軍との戦いが、50数年間北アフリカ一帯で繰り広げられた。 チュニジアの東の海岸沿いのエル・ジェムの地に世界で三番目に大きな円形闘技場(写真)がある。保存状態がすこぶるいい。ビザンチン帝国時代に築かれた遺跡である。 701 年、アラブの大軍に追い詰められた最後のベルベル人部隊数万は、この闘技場にたてこもる。 「われらベルベル人の尊厳を死守し、後世に託そう」 誰かが発したことばがきっかけとなった。ムスレムからの改宗か人頭税かの選択を拒んだ兵士たちは、みずから火を放ってつぎつぎと命をたった。映画『スターウォーズ』の反乱軍戦士たちの心意気と気脈が通じていないか。その映画の監督ジョージ・ルーカスは、チュニジアをはじめとした世界の宗教戦争史に特に詳しいという。 この抵抗を最後に、アフリカ一帯にイスラム化が急速に進む。その後、十字軍による攻撃やスペインの支配、オスマン・トルコの支配と続き、19世紀に借金のかたにフランスの植民地にされるが、国民のイスラム教に変化はなかった。 ●いち早くアフリカの先進国へ 第2次大戦が勃発すると、ドイツ軍がフランスを降伏させたため、チュニジアは1年間ドイツの支配化となる。アカデミー賞総なめの映画『イングリッシュ・ペイシェント』や『ロンメル将軍』はこのころが舞台。( この映画は、当然、チュニジアで撮影された。映画については、別の項で。) 戦後独立運動を起こし、1956年フランスから独立。初代大統領は、社会主義体制をしきながら、西洋諸国寄りの外交政策をとる。イスラム教の非近代的な習慣ー男尊女卑のしきたり、重婚の禁止などを抑制して、資源の少ないチュニジアをアフリカの先進国へと引っ張っていく。 しかし、政権が長期になるにつれ、優秀な政治家でもご多分に洩れず独裁色が強くなり、政治犯をつぎつぎに弾圧・投獄。ついには、1党独裁の終身大統領制を決め、健康上の理由で引きずり下ろされるまで権力の座に30余年間居すわった。 チュニジアの民主主義政治は、彼の引退から始まる。現在は、任期5年の大統領選挙が行われ、民主主義は確実に根づいている。 ●祭政分離を貫く チュニジアの国家体制は、独立以来、宗教と政治との分離を貫いている。イスラム教では祭政分離は認めないのがテーゼだから、まさに異端。この異端をあえて国家の柱としたのはトルコも同じ。それによって国家の近代化がなし遂げられた。 現在、チュニジア政府は、宗教団体による政治活動を激しく取り締まっている。それは観光立国チュニジアには政治の安定が不可欠だからである。経済も向上し、独立以来国民所得は70倍。優遇措置により外国からの投資や企業進出も盛んである。 |
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