腎不全とつきあいながらパート3 「脳出血版」 @
「当日」
その日僕は北里大学病院の外来に朝から出かけた。CAPD(腹膜透析)の副作用である硬化性腹膜炎がおきるリスクが高い僕は2〜3ヶ月に1度観察の意味で異常が無いか外来に行きチェックしてもらっている。
「その日僕は友人のお見舞いに行っていた・・・」
その日は特に異常なくほっとして外来を後にした。
そのあと入院中の友人の所へより、話すのも厳しい状況になっている彼のそばに15分〜30分いただろうか、内心「まいったなー」と思いつつ、帰り際、
右手で彼の右手を軽く握ってみると、彼は握り返してくれた。「またくるね」と小さな声で言ってその病室を後にした。彼は僕のコンピューターの師匠でこうしてコンピューターでワープロを打ったり、メールやらインターネットやらいろいろなことが出来るようになったのは彼のおかげと言っても決して過言ではない。30歳になったばかりのころ、一人暮らしをはじめた僕はほぼ同時期に彼からコンピューターを安く譲ってもらい、セットアップからインターネットの接続まで全部お任せで、使える状態にしてもらった。
その後はなにか解らなくなるとすぐに彼に電話していた。そうしているうちに
随分コンピューターに慣れてきたのは紛れもない事実だ。 病棟を後にして、院内にある総合相談部に立ち寄り昔(十数年前)から知っているMSW(医療ソーシャルワーカー)に近況を話してから家に帰った。
その夜10時前後位、ある友達の女の子と電話で他愛無い話をしているとき突然手にしていた受話器(子機)をボタッ!と床に落としてしまった。拾い直そうとしてもどうにもからだが重くて仕方ない。それでもなんとか受話器を手に取り「 なんか俺からだの調子が変dakaratoriaezuxvyyzyz★々〆$£‰¶♭§@#∝∇∩⊃仝〇ゝ;#≧♂εδγθξω※♯@♭〆¶§‡he○|R×@????(-_;)_(._.)_(@_@)(?_?)あれっ、、俺ろれつまわってないね」しゃべっているのだがろれつが回っていないのは自分でも解った。次の瞬間、「あれ、俺、ろれつまわってないね?」というのは少しちゃんと言えたきがする「身体むちゃくちゃおかしいよ、重い、!」と言いながら体重を量ってみようと立ち上がろうとしたが足がもつれてドタッ!と倒れてしまった。「これはただごとじゃない」とおもい「ごめん、やっぱり体調むちゃくちゃ変だから実家にでんわする」と言って一度電話を切り、実家に電話をした。
「身体むちゃくちゃおもーい!なんか変だ来てくれ!救急車も呼んで!と何とか伝え、後はひっくり返っているしかなかった。こりゃこのまま逝っちゃうのかなぁ・・・と、思いながら。
多分十数分も経つか経たないかで両親が来た。パニクっている僕に対してなんか一生懸命話しかけてた。 救急車の隊員が来た、
ある程度はじぶんの症状を話すことが出来たように思うが定かではない。
「とうとう、救急車乗ちゃったよ」と頭の隅っこで思っていたし、同乗していた母によるととにかくなんだかんだとよくしゃべっていたようである。
父が北里の受診していることを救急隊言っていて北里にも連絡していたようなので、救急車は一路北里大学病院へと走っていた。「ホントにぜんぜん止まらないなぁ・・・」って思っていた。横になっている僕の視線の先に
何かモニターらしき物の数字が入ってきた。89とか90とかその辺の数字だったように思う。そのころアメリカのドラマ「ER」にはまっていた僕は
あっこれってよくERの看護婦さんが叫んでいたやつな気がすると思い、「この数字ってなんですか?」と救急隊員に聴いてみた。「血液の中の酸素の量だよ」と救急隊員。「それって酸素飽和度ってやつですか?」と僕。(字幕スーパーに何度も出てきたからわりと自信があった)「よくそんなこと知ってるねぇ」と救急隊員。「ERの見すぎです。」なんていうやりとりがあったのを覚えている。そして北里に到着。
そこからしばらくは全てうろ覚え。頭のCTを何度も撮ったこと、名前、年齢ここはどこか、
100-7は?ではじまる7を引き続ける計算。あっ、見当識をチェックされてる!って気がしていた。そいつを何度もさせられたことを覚えている。その後2日間三途の川岸にキャンプすることになるとは流石に想像出来なかった。
船には乗らなかった
とにかく、何はなくとも、どーのこーの言う前に、なんてったって、
頭が痛くてそれ以外のなにもかもがそれどころじゃなかった。
脳味噌を万力で締め上げられているような感じだった。「痛い」
って言葉でかづけないでくれと「頭、痛い?」と誰かに聞かれるたびに思っていた。しかし、それでも、透析が欠かせないのは僕の宿命だ。
透析によって、脳に圧がかかると痛みが増幅するらしく、何度も何度も「ちょっと勘弁してくれよーっ!」と心の中で叫んでいた。お見舞いに来てくれた人のこと、とぎれとぎれに覚えていたりもする。やがてCTの上では出血が止まったらしく、僕が倒れた3日後に逝ってしまった友人が「オメーはまだ乗るな!と蹴落としてくれたのか、乗船料金が足りなかったのか、ムコウの岸には渡らずにどうやらこっち側に留まることになったらしい・・情け知らずの頭痛と引き替えに・・・・しばらく続いた超頭痛?とはっきりしない意識の中で「ヤクをくれーーーっ!」と一体何度思ったことだろう。
でも、実際に声に出ていたのは「うーっ!」とか「!んあーっ!」とか
良くても「アーダーマいーだぁぁいーっ!」と周りの人に聞こえてたのかなぁ・・・?
と思う。しばらくして、、少しずつではあるが自分の意識がハッキリしてきて「また命一つ拾った・・・」と思い、同時に左半身が全然動かないことに気づいた。
とにかく、死(ムコウ)へ渡る船には乗らずに済み、生(こっち)に
留まった。リハビリと透析の両立などいろいいろこれから大変そうではあるが、なかなかしぶとい己の生命力(いのち)に乾杯だ。
※北里6Nに入院中