腎不全とつきあいながらC

 

   「CAPDを導入して」

 

 CAPD(連続携行式自己腹膜透析)をいよいよ導入ということになり、20歳になったばかりの11月に入院をして、管をお腹に入れる手術をしました。手術自体は簡単なもので、無事終了しました。術後の経過は大きなトラブルもなく、また、これから自分でこの透析方法をやってゆくのに必要な操作、血液検査の結果の意味、緊急時対処のマニュアルなどを勉強し、最後にはちょっとした筆記試験のようなことをして、無事卒業(退院)になりました。

 退院後は、会社での透析をどこでするかを考えなければなりませんでした。実際、退院後に病院のケースワーカーと保健婦の人との立ち会いのもとで、会社内の応接室を見てもらう形で(CAPDをするのに問題ない環境であるかどうか)訪問もありました。

 軌道に乗ってきた生活の中にも、さまざまなトラブルや出来事がありました。仕事中、遊びに行った先、そして家の中と、いくつかのエピソードがあげられます。まず成人式の日に友達と飲みにゆき、思いのほか酔っぱらって帰った夜のことでした。俗にいうところの「ごきげん」という状態(家族の証言より)で家に帰り着いた私は、かなりふらふらしていたようです。しかし、透析をしないで寝てしまうわけにも行かないことは酔っぱらいながらもわかっていて、「だいじょーぶ、だいじょーぶ」と言いながら、何とかやっていたそうです。

 

   「会社勤めと透析」

 

 会社においてもこんな事がありました。

 会社ではお昼休みに透析を行うのですが、いつも会社の中にいるとは限りませんでした。ときには得意先(いわゆる親会社)への納品業務や会議の出席のためなど、どうしても決まった場所でできない場合が幾度かありました。それでも、車の中で昼休みをとれる場合は良いのです。透析を車の中でやってできないわけではなかったので。

 ちょっとばかり大変だったのは、会社から出荷した製品にクレームが付き、そのクレーム処理にいったときのことです。得意先に着いたのは午前11時位だったでしょうか。それからは品質管理担当の人と対面で「どーしておたくの製品は……なんでこーなっちゃうの……ぐちぐち、なんやかんや」と言われ続けて、そして謝り続けてという状態でした。 しかし、困ったのはお昼休みになってもそれが終わらず、お昼休みの時間帯が終わってもさらに続いてたことでした。当時は「多少の時間のズレはそんなに気にすることない」とドクターから言われてはいたものの、予定していた透析時間より随分オーバーしていて、なお話はまだ長引きそうでした。仕方がないので、得意先の人に「ちょっと、この場所で透析してもいいですか?」と尋ねてみました。

 最初はけげんな顔をしていた相手でしたが、事情を説明すると「いいですよ」ということになり、しょうがないから透析をしながら文句を聞くかと覚悟を決め、一度車に行き透析に必要な物品を一揃え持ってきました(ちなみにそこはとてもきれいな所だったので、透析をする環境的には問題なかった)。

 ところが、おもしろいもので私がお腹から管を引っぱり出し、透析液(持った感じは詰め替え用の食器洗い洗剤、内容量は2リットル)と使用するいろいろな器具を机上に出し、バッグ交換を始めると、クレームの話はどこへやら、私が始めた行為に対しての興味が芽生えたらしく、「いや実は私は腎臓が機能していなくて、そのため、この袋の中の液体をお腹の管から入れたり出したりして……」と事細かに説明してしまいました。まぁ、私としては自分の透析のことを人に話したりすることに抵抗はなかったし、クレームを聞き続けるよりはよっぽどましだと、心の底ではしめしめと思っている部分もありました。

 他には、昼休み会社で透析をミスしてしまい、突然病院に行かなくてはならなかったりもしました。

 という具合に、大小はともかくいろいろなトラブルを起こしつつも、大敵である腹膜炎にならずになんとか今まで過ごしてくることができました。しかし最近、腹膜の機能(透析の効率を示す検査値)が落ちてきていて、ここ一年の間くらいに血液透析に移行しなければならないようなので、昔(20年前)の血液透析のイメージしかない私は、ちょっぴり(だいぶ?)びびっているところです。                

 

          to be continue