腎不全とつきあいながらA
腎臓移植へ……
腎臓移植手術をすることになったのは、小学校5年生から小学校6年生になろうかという頃のことでした。あとで聞いたところによると、その頃の私の体は透析をしていく上で限界に近づいているということでした。しかし、その時の私としては、そんなに大げさに考えてなかったように思います。
腎臓移植手術をするにあたっては、私の場合、父か母からということだったので、腎臓を移植したときの相性を調べるHLA検査(血液型をA型とかB型とかよりも更に詳しく調べる血液検査)を両親と私の3人で受けました。その結果は父も母も同じくらいだということでしたが、父には仕事もあることだし、『母の腎臓をもらう』ということになりました。母は入院をして色々な検査を受け、特に大きな問題は無く、手術は現実的なものとなってきました。
入院そして手術
入院の当日までは特に手術に対しての恐怖や不安を感情的に出すことも無く、普通でいる(精神的に)ことが出来ているつもりでいました。しかし、入院をしたその日にベッドの上に横になるなり、爆発的に泣きだしてしまいました。何のきっかけもなくいきなり。それも大声をあげて。周りにいた両親、看護婦さん、先生とみんなあっけにとられていたというか、困っていたというか、そんな雰囲気が私の周りにあった感じを覚えています。
どのくらい泣きわめき続けていたのでしょうか、自分にはわかりませんが、父が私を病棟内のトイレに連れだし、「こわいか?」と私に聞き、「うん」と私が言うと、「帰ってもいいんだよ」と父は言いました。そのあと父の少し?出たおなかにしがみついてしばらく泣いていました。「帰ろうか?」と聞かれましたが、私は首を横に振っていました。
透析をしていた病院に来ていた先生の話では、透析を続けるのも限界という事も言われていたので、[帰る]=[移植手術を受けず透析に戻る]=[死んじゃうかもしれない]と言うことは、父は勿論、私もハッキリとした思考としてかどうかは覚えていないけれど、少なくとも、体と心の片隅にそれを感じていたと思います。
泣きわめき事件?のあと、どういう訳か胸につかえていた不安と恐怖のいりまじったモヤモヤがすっきりし、腹が座ったとでも言うのでしょうか、それからは移植手術へ向けて前向きな気持ちで望むことが出来ました。
手術は無事成功しましたが、術後、肺に溜まってしまった痰が切れず、このままではまずいという先生たちの判断で再度手術室へ……肺に溜まった痰を吸い出すという治療を受けました。それも何とかクリアーし、そのあとは、かなり順調に回復していったというふうに思います。母の方はと言えば、実は腎臓をもらう側の私の倍位の長さ(おへその下から腰の真ん中まで)を切られるという大きな傷をおっていました。ちなみに、私は13針、母は24針でした。術後しばらく頭痛に悩まされていたようですが、特に大きな問題もなく数週間で退院しました。
「まるで別人のように」
順調に回復していった時のことではこんなエピソードがあります。腎臓の移植手術のあと、移植した腎臓を十分に働かせるため水分を沢山摂取しなければならず、先生方の考慮で個室に居る間だけは、カルピスを飲んでも良い事になったのです。そして、私が飲んだのは、個室に居た約1か月間で実にカルピス40本でした(そのあと5〜6年見向きもしなかった)。食欲の方も、透析をしていた頃とは別人のように食べはじめ、入院当初120cm、23kgだった体は、3か月後の退院時には身長はそんなにかわってないとおもいますが、体重が38kgになっていました。夏休み明けから学校にも登校したのですが、友達からは転校生に間違われる始末でした。
おでぶにはなったもののこの後の8年間は薬を色々飲むだけで良く、ましてや体の感じは楽と言うか、透析をしている時とはくらべものにならないくらい軽く感じました。
月に一度の外来と、2度ほど拒絶反応による短い入院はあったものの、小学校6年生から中学、高校、就職して2年目までは母親からもらった腎臓のおかげで、とても良い時期を過ごすことが出来ました。