ジョルダン職業訓練技術学院プロジェクト

【過去のコラム】
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最後のコラム(説明)

ジョルダン滞在中はいろいろと印象的なことがありました。良かったこと、悪かったこと、驚いたことなど、様々な想い出や感慨をそれぞれ「漢字1文字」に表し、それに対し説明書きをつけました。以下、各人のジョルダン生活を総括する最後のコラムです。これまでご愛読いただき、本当にありがとうございました。 2002年9月11日 ジョルダン職業訓練技術学院プロジェクト専門家一同

最後のコラム (by U)

【歩】ジョルダンに滞在している日本人は約150人位である。その殆どは首都アンマンに住んでいる。ジョルダンの緯度は宮崎県とほぼ同じである。首都アンマンは海抜900メートルで結構しのぎやすい。春、夏、秋、冬もあり、夏の暑さを我慢すれば湿度も低く暮らし易いところだ。治安もよく、しのぎ易い国だが、問題がある。それはストレス解消の場所が極端に少ないことだ。国土の80%が不毛の地、遺跡はあるものの凌ぎやすいところではない。所謂、緑が多く、森林浴等は望むべくもない。そこで、老いも若きも色々な方法でストレス解消している。テニス、ゴルフにスポーツクラブ通いである。ゴルフに関しては想像して頂きたい。小生は運動不足解消のためほぼ毎日、1時間、8千歩のウオーキングをしている。場所はウムゼイナと言う準高級住宅地である。ただウオ―キングだけでなく、生活の匂いも嗅いでいる。ここで毎日感じるのは準高級地でありながらなんと立派な家ばかり。ふと、日本の自宅を思い出す。我々日本人はどうしてこの国に援助が必要かと素朴な疑問を持つ。土地の人に聞くと、多くのジョルダン人は湾岸諸国に出稼ぎに行き、送金しお金をためて家を買うとのこと。兎に角住む家がほしいそうだ。そういえば、アンマンの人口の70%がパレスチナ人だそうだ。7、8月頃になると、路上駐車にでかいでかいアメリカ車が目立つ。よく見ると、サウジアラビア、クウエート等の産油国のナンバーだ。湾岸諸国から避暑や里帰りの人が増えるそうだ。町にはジョルダン以外の車が多くなる。当地の人の運転マナーが悪いので、出来るだけ歩道を歩くことにしている。車道との落差が30cmはざらである。家の前の歩道のオリーブの木は家のオーナーのものである。手入れしてあるものはまれで、歩道を歩くのは要注意。小生は肩をぶつけて50肩になってしまった。オリーブの木はホーリーツリーといわれるそうで、厳しい環境でもよく育っている。兎に角、歩道も油断できない。途中、ウオーキングしている現地の人とよく出会う。殆ど、太ったキングサイズの人である。細身の小生は、遠慮し勝ちに下を向いて通り過ぎる。道路を横切るときは要注意である。殆どの車は曲がるとき、方向指示器を出さない。故障もしていないのに、どうしてだろう。車はベンツ、BMW等ヨーロッパの車が多いが、日本のホンダ、三菱、日産の車も頑張っている。特に、タクシーは日産サニーだ。最近、韓国の車が多くなった。現代、太宇等だ。少々ライバル意識が芽生えてくる。夕方になると、路上で遊んでいる子供が多い。みんな細身で、目鼻立ちがはっきりして可愛い顔している。特に、女の子はそうだ。今の大人を見ると子供の頃はどうだったんだろうと想像する。ある家の前を通ると、豪華な家で、ホースから水をじゃんじゃん出して洗車している。ジョルダンでは許されないことだ。プロジェクトの運転手がいつか憤慨していた。何しろ、水がない国だから。路上に駐車している車をエジプト人が洗車している。週2、3回で月5〜10JDだそうだ。エジプト人が洗車していると大目に見るそうだ。そう言えば、週に1度、路上で水漏れがしている。これは週1度だけ給水されるとのこと。アンマンでは60%位漏水しているそうで誠にもったいないことだ。標高900メートルのアンマンには相当の高圧で送水しているため漏水も激しいそうだ。この分野にも日本の専門家が貢献しているが、漏水率を下げるのに難儀されているようだ。ウォーキングしていると、その地域の顔が見えてくる。それにしても、この地域は素晴らしい家並みだ。小生はもうすぐ帰国の身。家の広さを思うと気が重くなる。水の専門家の話によると、この国の水に関する計画は20年後までしかないそうだ。その後はどうなるんだろう。この国の人の話だと、石油は無くとも死なないが、水がなくなると人の命はもたない。水と安全はだだでない事を毎日実感している熟年の専門家です。(by U)

最後のコラム (by K)

【金】お金のことを「マサーリ」といいます。ある観光地で小さな女の子が花を持ってきて「マサーリ…」と言いました。そこで「かわいいね、マサーリちゃんていうの?」と言って頭をなでてあげたら不満そうな顔をしていました。あとでよく考えてみると「お金ちょうだい…」と言っていたのでした。 【順】スーパーのレジ、銀行あるいは役所などで順番を待っていると、必ず割り込んでくる人がいます。順番を待っている間に、後ろでなく横に並ばれたら注意せねばなりません。また、交差点では、車線ごとに整然と並んでいる車の列を尻目に、必ず横から強引に入ってくる車があります。そうかと思うと、信号が赤から黄色に変わった途端、まだ青にはなっていないのに後続車から一斉にクラクションが鳴らされます。皆、よほど順番待ちが苦手なのでしょうね。 【雅】日本で最近話題になる皇室の女性と言えば「雅子さま」ですが、こちらではアブダラ国王の奥様「クイーン・ラニア」がよく話題に上ります。とても美しい方で、クイーン・ラニアのいろいろな活動が、毎日、新聞紙上で紹介されています。以前、あるレストランで、偶然、国王ご夫妻に出会いました。私達のテーブルの横を通過される際に一生懸命目を合わせたところ、こちらを向いてにっこりと頷いていただきました。優雅なお二人に出会えた、あの日の夕食が大切な思い出です。 【夫】こちらでは現地スタッフの自宅に招かれて食事をごちそうになることがよくあります。その際、こちらが男性だけで訪問した場合には、相手の奥さんは姿を見せないのが普通です。その分、夫はかいがいしく料理を運んだり、飲み物を運んだりして客人の世話をやきます。一見やさしい夫のようですが、やたら妻を他の男性に見せてはいけないという習慣があるそうで、敬虔なイスラム教徒の場合は、女性は外出の際に目だけ出した衣服を着用せねばなりません。やさしい夫も、実は男性優位型社会の一面なのです。 【丸】アンマン市内には、サークルと呼ばれる丸い交差点がたくさんあります。直進でサークルへ入ってくる車より、サークル内の車が優先のようですが、いずれにせよ混雑する時間帯は危険がいっぱいです。一時期、通常の信号を取り付けた交差点ができたのですが、渋滞するという理由で再度工事をやり直し、わざわざサークルにするのですから…事故が減らないわけです。 【子】こちらでは一家族の子供の数、4〜5人は当たり前といった感じです。特にパレスチナ系の人達は将来を子供達に託していますから、それは、それは子沢山であり教育も熱心です。そんな中、イスラエルとパレスチナの衝突で、パレスチナの子供達が先頭に立ってイスラエルの戦車に石を投げている姿をよく目にします。中にはそのために銃撃されて亡くなる子供もいます。将来を託す大事な子供達なら、そんな場所に出ていかないように、親がしっかりと家の中で守ってやるべきではないでしょうか。ここ中東に一日も早く平和な世界が戻り、子供達に明るい笑顔が戻ることを心から願ってやみません。(by K)

最後のコラム (by K妻)

【白】朝日を浴びたアンマンの街をホテルの窓から初めて見た時、目に飛び込んできたのはたくさんの「白い建物」でした。石造りの白い家々が、まるで模型のように並んで見えました。「アンマンに来たんだぁ」とひとしきり感動に浸った後、ふと不安になりました。「何を目印に道をおぼえるの?」その不安は的中・・・。その後しばらくは道をおぼえるのに一苦労でした。 【道】こんな話を聞きました。《砂漠でオアシスへの道を旅人に尋ねられたら、たとえ知らなくても「あっちの方向へ歩けばオアシスに行けるよ。」と答えなさい。なぜなら「知らないよ」と言えば、その人は歩くことをあきらめてしまい、砂漠の真中で死んでしまうかもしれないから。方向を指してあげれば希望を持ってまた歩くことが出来るから。》その風習が今も残っているのでしょうか?今まで道を尋ねて「知らない」と言われたことがありません。でも、もっと迷ったりして・・・。自信満々の大きな声で教えてくれたのになぁ。私のオアシスは何処? 【声】歩いていると、あちこちから声が聞こえます。話し掛けられてるのか?と思ったら、みんなの声が大きいのです。あんまり声が大きくて、妙に説得力もあるし、何だか怒ってるような、喧嘩してるようにも聞こえます。でも顔が笑ってるので普通の会話なんです。最初は怖かったけど今では気にならなくなりました。そういえば、私も熊本弁で母と話してたら「喧嘩してるの?」って他県の方から言われたことがありました。アラビア語と熊本弁に共通してるものがあるのでしょうか?それとも私と・・・? 【乾】ジョルダンは乾燥してます。これには大変悩まされました。乾燥しすぎて身体中痒くて、かきすぎて足は傷だらけ、膝もかかともひび割れて、髪なんかばさばさ。肌が一気に10歳くらい年取ったみたい。でも人間ってすごいですね。そのうち慣れました。日本に帰ったら今度は湿気が多いから、10歳くらい若返るかも! ・・・むなしい願いですね。 【星】「星に願いを」って歌がありましたが(古!)、ジョルダンの星はとてもきれいです。特に冬に田舎の方へ車で走り、真っ暗な中で星を見ると、まるで降ってくるようにたくさんの美しい星空が見えます。流れ星を見たりすると何だか願いがかないそうな気分です。ワディラムなどの砂漠で見ると、もっときれいだそうですよ。こちらで冬を越すチャンスがある方は、ご覧になってみてはいかがでしょうか。 【終】アラビア語で「終わり」とか「おしまい」というのを「ハラス」と言います。この一言で、喧嘩が終わる、交渉も成立、子供のいたずらが止まる、しつこいセールスもあきらめる等など、なんとも便利な言葉です。何か止めてほしい時、ぜひ、怒ったりせずに笑いながら「ハラス、ハラス」と言ってみて下さい。そういえば私のジョルダン生活も、もうじき「ハラス」です。でも、辛かったことも楽しかった思い出も、一生心に残っていくことでしょうね。(by K妻)

最後のコラム (by M)

【雪】昨年正月の、20年に一度といわれるほどの大雪。あちこちで雪だるまや雪合戦風の遊び、さらには雪の坂道を転がって遊んでいる子供達もいました。さすがに珍しくてJordan TVも撮影してました。なかでもJordanの雪だるまは中々の物でした。 【絵】Jordanへ来て一度だけ絵を描く事があった。Jordan人の娘さんが可愛かったので描き始めたのに、勝手に自分好みにイロっぽく仕上げてしまった。しょせんアートとは人間の創造的加工物でしかない!(言い訳とも言う) 【食】アラビック料理と言えば先ずはマンサフ。英語で言えば“too much”と言う意味らしい。その名の通り堪能させていただきました。 庶民の味シュワルマは誰の口にも合うと思うのですが、いつもこれを昼食にしている日本人を見て気の毒がってマンサフを買ってきてくれるドライバーにはどの程度感謝したらいいものやら。私はお茶漬けの方が好きです♪ 【疲】異文化の生活で何もかもが珍しくわくわくするような毎日・・・は、せいぜい数ヶ月が限度。何もかもが珍しいとは、何もかもが不便と言うことに気づきだします。1週間も休みが取れれば、当然のように海外へ飛び出して行きました。 【鍵】また家の中に踏み込まれた! 家に帰ると、鍵をかけていたはずのドアが開いていた。中に誰か居る・・・。大家が工事人を連れて洗面所の工事に来ていた。この様に、私の家はしょっちゅう他人が突然入り込んでくることが多い。不調の洗面所の取り替え、掃除のおばさんがやってくる、電話が不調だから・・・。最近は次の入居希望者に家の中を見せてくれ、とか。鍵があってもプライバシーは無い我が家だった。 【祝】大使館主催の新年会1月10日(木)、恒例の新年会が日本大使館主催で開かれ、おおよそ300人くらいの日本人が招待されました。服装は「カジュアル」で全員スーツやドレスでした。ホール正面には天皇皇后両陛下の菊の御紋入りの御写真が飾られ、室内にも国旗が掲揚されておりましたが、さすがに場に似合っております。全員、両陛下の写真の前に被る(真ん前で背を向ける)ような人は一人も居ませんでしたが、最敬礼するような人も居ませんでした。少し安心したような気もする。 【食】大使館主催の新年会。パーティは立食形式でしたが、日本からの大使館料理人が立派な日本食を作ってくださったので、皆大満足です。おせち、数の子、すし、刺身、カツオのたたき、さらには、お雑煮日本酒まであります。皆普通絶対食べられないものばかりですので、飢え子のように走り回って食べてる人も居ます。そう言う私もお雑煮をお替りしてしまいました。 【水】Jordan最北端の遺跡の町ウム・ケイスはシリア・イスラエルとの3国の国境を一望にできる小高い丘の上にあるこのJordan最北端の町にあり、正面にはゴラン高原、左にはイスラエルの水がめ、ティベリウス湖を見下ろす雄大な景観を楽しめます。また、デカポリスの一つとしてローマ時代(2世紀)に最も栄えた複数の文化の混じった遺跡です。将来水問題で戦争が起こるなら再びここが別の意味で注目されるでしょう。(by M) ※趣味で作曲した曲:BoukyouTake it easy

最後のコラム (by A)

【浮】ジョルダンといえば死海。着任しばらくしてから死海に海水浴?に行きました。余りにも浮力がありすぎるので水泳が出来ず、ここではただ浮くだけがベスト。海面のうねりに身を任せプカプカです。 【食】よく職場で現地職員に昼食に誘われることがあり付き合うのですが、その時決まって云うのが「もっと食べろ」。ある日のこと同様な会話から始まり次に「若い頃は、羊を一頭よく食ったもんだ」「日本人は、マグロ一匹食べるじゃないか。」「何故食わない」・・・と会話が進みました。 【喋】ある日、C/P1人と我々日本人2人そして現地人ドライバー計4人で片道2時間かかるところに有る訓練施設を見学することになりました。その行き帰りのことですが前シートに座ったC/Pとドライバーは、往復4時間途切れることなく喋り放しで、時には感情がこもった口調で。我々2人は、お喋り好きのアラブ人を目の当たりにすることが出来ました。 【好】出歩くときはよくカメラを持っていくのですが、ジョルダンの人達は写真好きなようで、一緒に写真を撮ろうとこちらが誘わなくても近寄ってきます。だけど女性は、駄目です。 【塵】ジョルダンの人は、走っている車から平気で塵を道路にポンポンと投げ捨て走り去っていきます。呆れて私のC/Pに云ったら、「心配するな!エジプシャンが掃除するから」だって。そうなんです、ここは、出稼ぎのエジプト人が毎朝、道路清掃しているんです。 【助】実習場で不足する器具や改善する必要の有る事柄や物についてよく話し合うのですが、C/P達は決まってそれなりに前向きな意見を云います。しかし、それを期待してもやってくれません。仕方がないので自分一人でやって済ませるとその後決まって自分だったらこうすると一言助言が入ります。それだったら「おまえがヤレよ!」と言いたくなる。 【優】通勤途中の所々に水桶を見かけます。これは、その近くに有る家の人が置いたらしく、のどの渇いた通行人が自由に飲めるようにとのことだそうです。ジョルダンの人達のこころの優しさが窺える一つです。 【注】ジョルダンの人と何事かを日を決めて頼んだり約束したりした時、確認のためもう一度、大丈夫かと尋ねると時々、インシャラーと答えてくる。要注意である。 【甘】ジョルダンの人達は紅茶をよく飲みますが、その時沢山の砂糖を入れます。例えば、小さめのカップにスプーン山盛りで4から5杯程度でしょうか。最近その甘さにも慣れてきました。(by A)

最後のコラム (by A妻)

【花】ジョルダンには、日本と同じく四季が有ります。春になるといろんな花が一斉に咲き始め短い期間で終わります。ジョルダンの花(ブラックアイリス)もこの時期で、去年は、時期を逸してしまったのですが今年は見ることが出来ました。 【謎】アンマンに生活している人達を見ると邸宅と云っていいほどの大きな家と高級車そしてメイド、その様な暮らしをしている家を何処でも見られます。 【疑】ここでの住まい選びは、不動産屋さんを頼って一軒々直接物件を見て選ぶのですが、その時その物件の大屋も同行してくれて説明もしてくれます。その時の大屋は、非常に好感度の印象を与えてくれるのですが、それを信用して安易に契約すると大変です。特に、日本人が好きなんだと言う人ほど疑わしい。 【美】アカバに行って初めてシュノーケリングをしてきました。アカバ湾にある美しい色とりどりのたくさんの珊瑚を見て感激しました。 【誤】タクシーに乗るとよくどこから来たとドライバーに尋ねられます。日本からだと答えるのですがこちらのほとんどの人は、私達を中国人と見ているようです。 【羨】週に一度、英会話の勉強をしているのですが、なかなか上達しません。先日、近所の5、6歳の女の子と話す機会があったのですが、彼女は英語とアラビア語を流暢に使い分け喋ることが出来るのです。羨ましく思いました。(by A妻)

最後のコラム (by H)

【車】車好きの私には衝撃的な国でした。 (技術編)車の点検にドライバーの紹介で持っていった。点検してくれと言うと、わかった、大丈夫の返事に安心して任せた。ところがあっと言う間にエンジンギアを分解され、バラバラに・・・。元に戻してくれと言ったら、もう元に戻せないよ!!。何で・・・と聞くと、やったことが無いとのこと・・・悪夢だ。当然、言うまでも無く店の言いなりに新品を取付けた。アンマンはこんなところです。 (マナー編)運転マナーも衝撃的と言うか呆れてしまいました。まず、方向指示器は使わない。使っても逆に曲がる。道の真ん中で突然停止。かと思うと車を止めてどこかに行ってしまう。当然、大渋滞を引き起こします。一方通行は逆行。とにかくどうしようもないほどマナーは悪いです。最悪なのは車の窓からいろいろゴミを捨てることです。ある時、フロントガラスに水滴が付いたので雨かなと思ったら、それは前の車からの唾でした。これには本当に怒りました。しかし、2年間も居ると慣れてしまいました。ある意味自分も日本人から見たらジョルダン人になっているかもしれません。自分が怖いです。日本で運転できるかチョット心配です。 (取締り編)ヨルダンは至る所でスピード違反の取締りをやっている。私もお世話になりました。先日、アカバに行く途中で検問があり、止められました。警官曰く、スピードオーバーだ。そんなにスピードは出していないのに何故???。お前は中国人か韓国人かと聞いたので、私は日本人だと言うと、おおお日本人か・・・。突然、Welcomeと言われ、その場を去りました。一体何だったのでしょう???。これって良いの悪いの!!!!!。まあ、いいか。 (ヒッチハイク編)アカバからの帰り、突然砂漠のチェックポイントで止められた。もちろんスピード違反ではない。銃を持った武装兵が寄ってきて、どこに行くんだ・・・と言うので、恐る恐るカラクに行くと言ったら、その後ろからリーダーらしき人が出てきた。そしてなんと、カラクまで頼むの一言。当然この状況では断ることも出来ず、長い時間をジョルダン人と過ごしてしまいました。何故??他の車がいたのに私なの!!!。チェックポイントでヒッチハイクとは・・・、おそるべしジョルダン人。とにかく語り尽くせないほど思い出一杯です。(by H)

最後のコラム (by H妻)

【拘】−こだわり−。こちらでは、私たちが通常使っている数字とは違う字体が使用されています。友人がそのアラビア数字の腕時計をしていました。これは珍しい。お土産にちょうどいいと思い、友人が購入したという、アカバの街を探し歩いたのでした。やっと見つけたのですが、モノは1種類だけ。高級感を感じるにはほど遠い、日本の100円ショップに置いてありそうなものなのに、価格は1個 5JD (850円)。ちょっと高いと思いました。アラビア数字の時計自体、あまり売っていないこと、外国人であるせいかなかなかディスカウントに応じてくれません。交渉の末、個数を多く買ったら、結局、1個おまけしてくれることになりました。しかし、お金を払おうとした時、ふと気付きました。文字盤の隅には、小さいながらも"MADE IN JAPAN"と書かれていたのです。これではなんだかジョルダン土産としてふさわしくないような気がしました。「どうしてこの時計は、アラビア数字の文字盤なのに、"MADE IN JAPAN" なの?」・・・私。「"MADE IN JAPAN" は、サイコーだっ!」・・・店主。「そうじゃなくって・・・」・・・私。「JAPANがイヤなら"MADE IN SWISS" のシールを裏に貼ってあげよう。シールはいっぱいあるんだから。ほらっ!」・・・ぴらぴらとシールの束をちらつかせる店主。「これは、日本へのジョルダン土産だから"MADE IN JORDAN" がいいの。だったら"MADE IN JORDAN" のシールを貼って〜」・・・私。「そんなの持ってないよ〜。あっはっは〜」・・・店主。「ねえ、じゃあほんとは、どこ製なの?」・・・私。「もちろん、"MADE IN JORDAN" さっ!」・・・店主。結局この腕時計、文字盤はアラビア数字、および "MADE IN JAPAN" の文字入り。裏側には、"MADE IN SWISS" のシールを貼られ、見事な国籍不明・腕時計になりました。しかし、このエピソードも、時計とともによい土産話になりそうです。ジョルダンのこだわらない、おおらかさ(と言ってよいのでしょうか?)が、よく伝わるのではないかと思っています。(by H妻)

最後のコラム (by I)

【異】異文化理解とは、相手の行動や考え方の動機・理由を知ることです。それは相手の文化や習慣を尊重することであって、自己の価値観を曲げてまで相手に合わせることではありません。お互いが完全な存在として、対等なつき合いをするということです。それ故、摩擦も起こります。人間とはこうも異なるものなのかと、何度ため息がもれたことか。 【神】この2年間、イスラムをキーワードに世界は激震しました。神の名において遂行される戦争。暴力を否定しない神。いつまでたっても平和が訪れない神の国。神様って一体なんでしょう。 【個】イスラムは一枚岩だとか、アラブの連帯だとか、どうも世間ではそういった幻想を抱いているかもしれません。現地で彼らと接してみれば、いかに個人主義の強い人々であるかがわかります。彼らをまとめるのは並大抵のことではありません。日本人の命であるチームワークは、はたしてSTIMIに根付くのでしょうか。 【諦】中東生活15年。なんだかとにかくもういろいろなことを諦めてしまいました。「無理せず、気にせず、期待せず」。初めて中東に赴任するとき恩師からいただいた言葉が、今になって胸に刺さります。 【暑】中東で初めてクーラーのない生活をしました。特にSTIMIは暑かった!。部屋の温度が40度近くなったときは、さすがに頭がクラクラしました。アカバの51度にもまいりました。 【雪】2002年1月に降った雪がとりわけ印象的です。普段は味気ない土気色のアンマンが、一面の銀世界になりました。ここ数年で最も感動的なシーンでした。雪の翌日、積雪10cmで仕事が休みと言ったら、日本の知人はあきれていました。 【肉】ジョルダン滞在中、魚を食べたのはアカバで1回、アカバ帰りの人にマグロをもらって1回、ペラで川魚 (?) を1回だけです。その分肉を食べました。羊肉にいたっては、日本人の平均生涯摂取量の100倍は食べたと思います。マンサフ最高です。ラクダの肉も美味でした。 【羊】アンマンと言えば羊の行進を思い出します。春先には町中で羊飼いが悠々と道路を横断していました。近代的な町並みと羊飼いのギャップが面白かったです。 【花】ジョルダンは知る人ぞ知る花の王国です。花を見るためだけにまたジョルダンを訪れたいと思うほどです。イルビドにある樹齢3000年と伝えられるオリーブの木にも心底感動しました。 【楽】仕事はつらかったけれど、生活はとても快適でした。本当に楽しい想い出がいっぱいです。(by I)

最終評価会

9月10日、VTC本部においてプロジェクト最終報告書 (Final Report) を両者の合意のもと完成させました。報告書にはプロジェクトの経緯、双方の投入、成果、そして日本人専門家チームからの提言が記されました。会議の席上、VTCハニー総裁より日本政府、JICA、専門家チームへの感謝の気持ちが述べられ、またSTIMIが将来にわたって重要な役割を担うことがあらためて確認されました。最終報告書に両者の署名がなされた後、総裁から専門家1人1人に対し砂絵がプレゼントされました。驚いたことに、それぞれに専門家の名前が "漢字で" 入っていました。これはもう一生の宝物です。(by I)

学ぶ

こちらで学んだこと…それはアラビア語につきます。昔、タイ語を学んだときにも感じたのは、英語と違って、これまでまったく接したことのない言語に対する新鮮味でした。アラビア語独特の、右から左に流れるように描かれるあのくねくねとした文字を見るたびに、がぜん「読みたい!読めるようになりたい!」という変な意欲が湧いて来るのです。私の場合、どちらかというと、話せることよりも読める、書けることに重点が置かれます。もともとの専門が“デザイン”であり「レタリング」的に興味があるせいかもしれません。いずれは「アラビア書道」まで勉強してみたいと思っていたのですが、今回はどうも時間切れのようです。日本国内にも、日本舞踊や書道、日本画など日本の伝統文化・芸術を極めている外国人がたくさんいると聞きます。たとえ自分にとっては外国であれ、本当にその国の文化や芸術を愛すことができれば、それも可能だということです。今回は、残念ながら一旦この国を後にしますが、もう一度機会があれば、是非アラビア書道まで極めてみたいものです。(by K)

変わりゆく・・・

世紀末1999年11月にジョルダンに来て以来2年と10ヶ月。この間、私もアンマンも随分変貌を遂げました。日本でOLとして働いていた私が主婦となり、そればかりか、生活は中東へ移り、宗教も文化も違う世界の中へ飛び込んだのです。日本から見るアラブと、実際に見るアラブは全く想像とは違っており、私の視野も広げられ、いろんな面での考え方も変わりました。アンマンは、以前に比べるとタクシーが新しく美しくなり、数も増え、またカフェやレストラン、ブティックもどんどんできて、すごく都会になったような気がします。反面、倒産のために店舗が頻繁に変わってしまうという事実もあるようです。また都会になっていくにつれ、羊やロバが家の前を歩いたり、道路を横切って車を止めてしまう光景をみるのが少なくなってきたことは、少し寂しい気がします。「変化する」ということは必ずしも良い事ばかりではないかもしれませんが、ジョルダンも私も、そして世界中が素晴らしい「変化」を遂げ、共に平和に発展していくことを祈るばかりです。(by K妻)

ウム・ケイス (2)

ここから見渡せるシリア領のゴラン高原はイスラエルが独立する為に絶対に必要なティベリウス湖の水を安全に確保する為、戦略上大変重要な位置だったようで、現在も武力支配したまま緩衝地帯として機能しています。このように中東の火種の拡大はイギリス・フランスそしてアメリカがアラブ地域に国境線を勝手に引いた頃から始まっていたのではないでしょうか? Jordanは、ジョルダン川西岸地区をイスラエルに武力支配された後、実質的に返還要求を放棄し、和平条約を締結する代わりにこのティベリアス湖からの水をジョルダンへ供給してもらう事になっています。この水の取水施設はドイツが、水質監視施設はノルウェーが、(旧)浄水施設はアメリカが、新浄水場と1000m上のアンマンまでくみ上げる7基のポンプ場は日本が担当し、このような国際協力の上に平和が維持されている格好になっています。また、ゴラン高原のシリアよりには国連平和維持軍の白い建物が見えますが、日本の自衛隊もそこに駐屯しているのだそうです。自国の国益の為のみにJordanの国境線を勝手に引いた当のイギリスとフランスの協力はどんなものかは知りませんが、今ではアメリカの協力でも、(イスラエルの後押し、武力外交等の不評によって)もうJordanもアラブ周辺国も受け入れないのでは・・・?と感じています。だからこそ日本へのさらなる協力の期待が国際的に高まっていると言えるのではないでしょうか? 直ぐ近くのその村には、何と!かの有名なオリエント特急の駅があったと言う(80年位昔の話)。その頃の村は大きな木で森のように生い茂っていたが、汽車の石炭として売る為燃やしてしまった。その上、ゴラン高原での戦闘時に爆撃を受けた(40年?位昔)ので今ではオリーブ畑しか残っていないのだそうな。 もしこの地に政治的緊張が無かったならば、ここからオリエント特急でヨーロッパでもエルサレムでも行けたろうにね。(by M)

ウム・ケイス (1)

先月、Jordan最後の観光として行ける機会がありました。シリア・イスラエルとの3国の国境を一望にできる小高い丘の上にあるこの地は、正面にはゴラン高原、左にはイスラエルの水がめ、ティベリウス湖を見下ろす雄大で美しい景観を楽しめる、私が最も好きな場所です。その昔はデカポリスの一つとしてローマ時代(2世紀)に最も栄えたそうで、落ち着いてよく観察すると見所盛りだくさんの私のイチオシです。大地震で崩壊し、ほとんどが土に埋もれてしまっている今でも、当時のローマ式の円形劇場、ビザンチン様式の列柱等がはっきりと残っております。多くの時代を経て、この地には、ローマ、ヘレニズム、ビザンチン、オスマン・トルコ、ナバティアン等の遺跡が混在しているようで、興味ある人には特に見所の多い所です。聖堂、浴場、北にある大劇場と南に、二つも劇場がある。発掘に関しJICAの協力もあった。何に使われたのか解らないがかなり広い地下街もある! 神秘です。キリストがこのティベリウス湖を渡って来て奇跡を起こした逸話が新訳聖書にあるそうです。実際、この辺りからヨルダン川近辺にはキリストゆかりの地が多くあり、「ヨハネが・・・」、「旧約聖書のエリアが・・・」、「ネボ山にはモーゼの・・・」とか、他には「イエスが生誕後沐浴した・・・」等々。私もそこへ行った事があるが、観光地にしようと道などを奇麗に整備していたが人はまだほとんどおらず、それでも警察官が1人配備されていた。観光に力を入れようとする観光省の努力が見えた。(by M)

勇気ある決断

帰国に備えて車も売却したので、以前よく利用していたタクシーを久しぶりに電話で呼んだところ、3週間後にフランスへ働きに行くことにしたと言うのです。フランスで働いている兄を頼って行くらしく、ビザも概ね取れそうだということでした。しかし、驚いたことにそのビザは、10年間はこちらに帰って来られないビザらしく、両親や兄弟も大変寂しがっているということでした。さらに驚いたのは、向こうで結婚しなければならないと言うのです。つまり、フランスの永住権を持った女性と結婚していないと長期滞在が認められないらしいのです。相手は誰だと聞いたところ、フランスにいる兄がすでに4〜5人の候補者を探しているということでした。彼女たちはモロッコ人らしく、すでにフランスの永住権を持っているが、フランス人ではなくアラブ人と結婚したがっている女性たちだそうです。その話を聞いた直後は、いわゆる「偽装??」かなとも思ったのですが、よく聞いてみると、1年間は一生懸命働いて、その後は子供をもうけて幸せな家庭を築きたいと思っているということですから、それを信じることにして、まずは彼の決断と将来に拍手を送ってあげたいと思います。(by K)

9月11日

昨年の米国同時多発テロからもうすぐ1年です。今朝の新聞に、9月11日のアメリカ行きジョルダン航空機は出発を2時間早めると発表されていました。また、チェックインは3時間前までにとのことなので、当日の空港はかなり警備が厳しいと思われます。さて、STIMIのスタッフに、イスラム教徒による新たなアメリカ攻撃のうわさがないかどうか聞いてみました。皆かなり敏感な反応を示しましたが、まず多かったのは、昨年のあれはイスラム教徒の仕業ではないということ、次に、とにかく原因をつくったのはアメリカで誰がやったにしてもそれは自業自得であること、というのがもっぱらの答でした。ということで、聞きたかったことは全然聞けませんでした。それにしても、予想された反応とはいえ、少し悲しくなってしまいました。(by I)

灌漑用水の給水再開

ジョルダンバレー管理局は、6月から農地への給水を停止していましたが、10月1日から給水を再開することを発表しました。夏の間は、植樹林をのぞき野菜畑などへの給水は全面的に停止されていました。また、栽培に多量の水を必要とするトウモロコシ、ナス、コショウ、Mallow(日本語では何でしょう?)の畑には、突然給水量をカットするなど厳しい対応もしています。ジョルダンでは冬に降る雨の量がその年の作物の収穫量を左右してしまいます。いずれにしろ飲料水も足りないくらいですから、政府は農家に休閑地を増やすよう強く指導しています。ちなみに、あのナイル川を有するエジプトでさえ、より少ない水量で栽培できる作物への転換を図っています。(by I)

帰国の悩み

こちらから帰国する時に悩むのがお土産です。あちこちと探すのですが、これといったものが見つかりません。砂漠の国ですから、いろんな色の砂を瓶に詰めて作った砂絵などもありますが…重い。また、こちらの布地を使って作った布バッグ、スリッパなどもありますが…日本では派手だろうなぁ…。死海の石鹸や塩、泥パック用クリームもありますが…やはり重い。こちらで有名なナッツ、ピスタチオ、胡麻を使ったお菓子もありますが…以前、日本に持ち帰って職場で配ったら、ずっとそのまま置いてあったという話も聞くし…。毎日、そんなことを考えているとだんだん息苦しくなってきます。要するに日本には何でもあるということですね。何かいいものを見つけた方は教えてくださ〜い! (by K)

小さな楽しみ

こちらに来てから大変助かったもののひとつに、「味噌汁の具」というのがあります。要するに味噌汁に入れるべき、わかめ、ねぎ、豆腐、麩などを乾燥させてあるものですが、手軽に味噌汁が作れるので大変重宝しています。ただし、入れすぎるとわかめが増えすぎて大変なことになってしまいますので注意が必要ですが…。最近は、これに“そうめん”を入れて食べるのに凝っています。いわゆる、そうめんの味噌汁と白いご飯、さらに、めざしとめんたいこがあれば豪華な朝食です。実は、帰国がせまっているので、これまで冷凍して保存していた貴重な日本食の材料を、効率よく消化しなければならない時期になってきたのです。考えてみれば、日本に帰ればいくらでも手に入るものばかりなのですが、こちらでは冷凍して保存しておき、ちびりちびりと出して食べるが小さな楽しみなのです。(by K)

悪質タクシーとその対策法?

どこの国でも国際ホテル周辺にたむろする運ちゃんはタチが悪い事が多い。このイスラムの国ですらそんな輩が居た! 行き先を述べ、出発してもメーターを使わないので注意すると、概ね10倍くらいの料金を請求してきた。拒否して降りようとしても止めるどころかスピードを上げる。「どうだ、もう金を払うしか方法がないだろう」と思い込んでいるらしい。こんな場合私は結構イジになってしまう性格らしい。走行中のドアをかまわず開けて、足で目一杯開いたまま「事故が起こったら誰の責任かな〜〜????」っっと! 間もなくスローダウン、しかし降りられないよう完全には止まらない。それなら、車に引きずられながらも放さないで居られるような体制を作ってから、構わず地面に足を付けたとたん即座にピタッと止まった。「何じゃ、もう終わりかいな?」せっかく引きずられながら思いっきりわめきちらして大喧嘩したうえ警察沙汰にして責任追及してやろうと思っていたのに。(良い子は絶対まねしないようにね!)(by M)

本当は犬猿の仲かも。その本音は?

普段は全く目立たないが、STIMI開校以来仲が良くない御仁が複数存在する。表面上の主な理由は単純に性格の不一致みたいですが、どうもそれだけではないらしい。彼らは同じJordan人でも昔から住んでいた地元出身と、難民として入ってきたパレスチナ人。唯一ここJordanだけが正式に難民を国民として受け入れ全員にパスポートを与え、さらに政府の手厚い?(地元に言わせれば)保護政策が与えられている。にもかかわらず彼らは例外なく「我々は(Jordan人ではなく)パレスチナ人だ」と言う。いわゆる逆差別意識を本音として持っている人が多い事が解ってきた。信用された人からは、国王の批判まで飛び出して来るので決して軽はずみには相槌など打てる話ではない。しかしこんな場合は日本の政治家と比較しながら話すと、いとも簡単に、いかに「あなた達の国王が偉大か」を説明できるので、ある意味楽です?????(・・・日本に無事帰れるかな・・)(by M)

離婚 (2)

ジョルダン人の家に招待されました。食事をいただいた後にくつろいでいると、隣家のご主人がやって来ました。なかなか恰幅の良い人で、トーブという湾岸諸国特有の服を着ています。日本人を生で見るのは初めてとのことで、丁寧なあいさつをしてくれました。聞けば軍隊の将校として、クウェートをはじめ湾岸諸国に30年住んでいたそうです。そしてなんと、これまで7人の女性と結婚したのだそうです。離婚や死別もあって、今は2人の奥さん、5人の子供と暮らしていますが、それぞれに家を建て、悠々自適の生活です。アラブ各国の女性と結婚しましたが、生活習慣などジョルダンと違う部分も多く、それが離婚の原因になったこともあったそうです。特に5人目のシリア人の奥さんの場合、突然の来客をとても嫌い、そこがジョルダン人の彼とはもっとも相容れない部分だったそうです。結果、6人目、7人目の奥さんは地元ジョルダンとパレスチナから娶ったそうです。(by I)

離婚 (1)

イスラム社会における離婚は、男性側に生ずる義務の大きさもあって、普通考えられているほど簡単なものではありません。"マフル" については7月のコラムでもふれましたが、離婚をすると男性はかなりの慰謝料を支払うことになります。また女性は離婚後4ヶ月は再婚ができず(妊娠していないかどうかの確認期間)、その間の女性の生活費、そして将来にわたって子供の養育費を支払わねばなりません(再婚しても養子は認められない)。多くの場合、離婚宣言は男性から一方的にされるそうですが、コーランでは、3回目の離婚宣言をするまでは正式な離婚にはならないとされています。つまり、1度や2度かっとなって離婚を口走ったとしても、もう少し冷静になって考え直せということらしいのです。イスラム以前は、男性から女性に対し "お前の背中は私の母さんの背中だ"、というきつい一言(離婚宣言)があったそうですが、イスラム時代になってこれは禁句となりました。うっかりこれを言ってしまったら、それを取り消すためには2ヶ月の断食と貧者60人に食事を振る舞わなければならないそうです。(by I)

生徒募集

10月6日からスタートする第4期生の応募がなかなか集まりません。9月1日に大学の合格発表があったので、それ以降は順調に数が延びるだろうと予想していたのですが、今のところVTC関係者も困惑するような状態です。VTC幹部は、2度目の広告を大規模に行うと明言していますが、この危機的状況には何か原因があるはずです。STIMIスタッフの1人は、同じVTCが行っているナショナルプロジェクト(1万人訓練)に応募者を取られていると言います。ナショナルプロジェクトのターゲットグループは18〜40才の求職者です。つまり高卒以上ということで、STIMIの応募者と層が重なってしまいました。ナショナルプロジェクトの場合、訓練(最長で1年間)を受ければ1ヶ月あたり80JD(法律で定められた最低賃金と同額)が支給されます。これでは多くの高卒者が、まずはナショナルプロジェクトに応募しようという気になっても仕方ありません。また教育省も、大学に行けなかった者に対し特別に中・長期講座を設け、修了証も与えるという決定をしました。頭の痛い日々がしばらく続きそうです。(by I)

ザムザム (2)

久しぶりにザムザムのことを思い出したのは、現地の新聞に、"イランのザムザムコーラ、メッカ巡礼者ののどを潤す"、という記事が載ったからです。ザムザム社は以前、アメリカのペプシコーラ社と提携関係にあり、イラン革命によって関係が途絶えた後も、独自にザムザムコーラを製造・販売していました。昨年の米国同時多発テロを発端に、アラビア湾岸諸国ではアメリカ製品不買などかつてない反米運動がおこっています。その一環で、サウジアラビアではコカコーラとペプシコーラの不買(ボイコット)を決めました。もともとコカコーラ社はユダヤ資本ということで、アラビア半島の市場に入ったのはこの10〜15年ほどですが、その分ペプシコーラが国民飲料と言って良いくらい普及していました。お酒がないので、食卓やパーティーへの登場回数は圧倒的に多かったと思います。そういったわけで、現在ザムザムコーラは千載一遇のチャンスを得ているわけです。サウジアラビア以外にも、バハレン、カタール、UAE、イラク、アフガニスタンに輸出を行っており、近い将来、レバノン、シリア、デンマークにも輸出を始めるそうです。(by I)

ザムザム (1)

サウジアラビアのメッカにある聖なる泉、ザムザムをご存じでしょうか。イスラム教徒の説話によれば、アブラハムが妻ハガル、息子イシュマエルとともにこの地に来たとき、神はのどが渇いて泣き叫ぶイシュマエルを憐れみ、彼が砂を掘ったところにこの泉をわき出させたそうです。現代でも、メッカへの巡礼者はこの泉の水を飲み、また故郷に持ち帰るなどします。巡礼シーズンには、サウジアラビアの他の都市でも "Zam Zam Water" というペットボトル水が売り出されます。健康に良いと言われ1度買って飲んだことがありますが、"普通の水だなぁ"、と罰当たりなことしか思いつきませんでした。ただ、おそらく2000年以上も砂漠地域でわき続けている泉なので、逆に普通の水であることは驚嘆に値することかもしれません。(by I)

アルジブラ:補足

アラル海の南、ホラズムの出身であるフワーリズミー(Al-Khuwarizmi/780〜850年)は、アッバース朝のバグダッドで活躍した数学者です。アラビア数字は彼がインドから導入し、後にヨーロッパに伝えられました。アルゴリズムという語も彼の名前が転訛したものです。また、彼の著作である「代数学(Hisab Al-Jabr Wal-Muqabala)」によって、ヨーロッパに初めて代数というものの存在が教えられました。英語の "Algebra" はこの書名の一部である "Al-Jabr(移項して負の項をなくす操作)に由来します。この本は12世紀にラテン語に訳され、西欧世界の数学に大きな影響を及ぼしました。フワーリズミーは他にも天文表を作ったり、プトレマイオスの地図を改良することも行っています。まさに天才と呼ぶにふさわしい人物です。(by I)

アルジブラ(代数)の語源の真相?

英語で代数の事をアルジブラ(algebra)と言うが、地元の人の言うには、その語源はこの学問の基礎を築いたアラブ人のアル・ジャバル(AL jabr)から命名されたのだと言う。昔はアラブも科学や生体学に優れていたが、(オスマン)トルコに400年も支配されて教育が止まってしまった為、その間他の国の人に応用、発展されたのでアラブ人の偉業はほとんど知られていないと嘆く。その後もイギリス、フランスにアラブを分割統治されるワ、イスラエルに占領されるワろくな話はない。(by M)

体に染み付いた左側走行の習慣

普段は全く大丈夫ですが、意外と全く危険を感じられないような安心している場合には未だにあやしい場合がある。例えば、考え事をしながら車に乗り込んだら助手席だったり、話しながら運転していると、交差点での安全確認は右を見てから左を見ている(反対から見るべき)。初めての頃は、見通しの良い無人の道に入ったら左側を走ってた事もあった。ここまで強烈に条件反射が無意識に体に染み付いているとは思って居ませんでした。これは歩いている時でも起こり得る。人や車が視野に入る所では間違わないのに不思議です。(by M)

スイッチは反対

日本の場合、全てのスイッチは、下に下げた時にOFFとなるように作られている。工作機械の場合も同じだが、特にレバースイッチ等「振動や不用意にものが当たった場合、動くとすれば下へ動く事が想定される為、下方向を安全側とした。」等と聞いた事があり、その時はなるほどと いたく納得していたが、ここでは全部反対(下側でON)。体が覚えた事は条件反射的に動くのでなかなか直らないで困ります。おまけにスイッチの配列も電気配管の都合で決まるのでスイッチのレイアウトはどこも全く配慮がない。ちなみに私の家のスイッチはあまりにもムチャグチャだったので再工事したが、それでもまだバラバラで覚えきれないので全数説明シールを貼り付けている。(by M)

ゴミ

大々的に部屋の片づけを始めました。とにかくやっかいなのは日本から持ってきた雑誌類です。経験上、不用意にゴミ出しすると拾われて読まれてしまいます(出稼ぎの人たち?)。別に活字であれば特に気にもとめませんが、日本の "普通の" 週刊誌にはお決まりのグラビアがあります。開放的とは言ってもやはりジョルダンはイスラムの国。まわりまわって官憲に通報されないとも限りません。そんなわけで、雑誌類はすべて破りました。グラビアページは特に細かく。そして黒いゴミ袋(5袋!)に入れると、家から少し離れたゴミ箱に夜遅くなってから捨てに行きました。古いビデオテープも20本ほど捨てましたが、ビデオテープを壊す元気はなかったのでそのまま袋詰めしました。翌朝、出勤途中にそのゴミ箱の前を通ると、案の定5袋のうち3袋がなくなっていました。果たしてどこに行ったのやら。(by I)

喜んだり悲しんだり

9月1日に、ようやく8つの公立大学入学者の発表がありました。タウジヒ合格者のうち得点が良かった31,000人の候補者のうち、規定の条件に該当した約23,000人の名前と合格した大学名が公表されました。職場の同僚の息子さんもそのうちの一人ですが、メカトロニクス科のあるバルカ応用大学に合格できたと言って大変喜んでいました。ところが喜びもつかの間、よく調べてみるとアンマン校でなくタフィーラ校に振り分けられたようで、親子でがっかりしていました。タフィーラというのは、アンマンから車で3時間ほど南に下ったところで、通学するのはまず困難なところなのです。このように、こちらでは公立大学に合格したといっても、高等教育省側が、その点数や条件によって合格者を各大学に振り分ける権限をもっているため、なかなか自分の希望がかなうのは難しいようです。(by K)

インターネット電話

こちらの人は海外に親類や知人がいることが多く、インターネット電話を使う人がたくさんいます。これはインターネットプロバイダーを通じて提供されるサービスで、アメリカにかけても10ドルで2時間話ができ、音質もそんなに悪くないので今後ますます広がっていくだろうと誰もが思っていました。しかし、そんな便利なものが先日から急に使えなくなったそうです。どうやら政府のコントロールが入ったらしいといううわさが流れていましたが、今朝の新聞にその記事が載っていました。ジョルダンテレコム(JT)がインターネット電話の普及によって年間1,300万JD (約22億円) の損失という甚大な被害を受けているため、政府が規制に踏み切ったようです。新聞は、より良い音質とプライバシー保護の点から、消費者からJTに対しインターネット電話のサービスを始めてほしいという要望がたくさん届いていると伝えています。しかし、JT側はそのような違法行為には荷担できないと明言しています。これを機に、JTの電話代がもっと安くなると良いのですが。(by I)

春菊

春菊を食用とするのは東アジア地域だけで、ヨーロッパなどではもっぱら観賞用とされるそうです。この春、ジョルダンの北にあるオリーブ畑を見に行ったとき、一面を埋め尽くす花の群生には心底感動しました。そして色とりどりの花のなかでも、ひときわ勢いよく咲く黄色い花がありました。マーガレットのような花ですが、よく見るとその葉っぱにどうも見覚えがあります。同行した方に聞いてみると、やはりそれは春菊でした。すると、あれだけ美しいと思って見ていた花が、急に "おいしそう" に変わるから不思議なものです。この花を見てお腹を鳴らす日本人を、きっとジョルダン人はおかしいと思うでしょうね。ゴボウも欧米人にとっては木の根っこにしか見えないそうですが、こんな時は日本人に生まれて良かったと思います。(by I)

玉ねぎ

玉ねぎの栽培の歴史はとても古く、古代エジプトやメソポタミア文明の昔から始まっていたそうです。エジプトのピラミッド建設に従事した労働者には玉ねぎが給料として支払われたという説もあり、玉ねぎの壁画も残っているそうです。このように中東とは縁の深い玉ねぎですが、ジョルダンの人も玉ねぎをよく食べます。刻んで料理に使うのはもちろんですが、小玉をバーベキューで丸焼きにするととても甘く、玉ねぎはこんなにおいしいものだったのかと見直してしまいます。もちろん、そのまま生で食べることもあります。レストランに入ると、サラダということなのか、小さな玉ねぎが丸のまま出てくることがあります。ピリッとした玉ねぎの辛みが、また食欲をそそります。今でこそ日本はアメリカに次ぐ世界第2位の玉ねぎ生産国ですが、栽培が始まったのは明治になってからです。これは、日本にはすでにねぎが浸透していて玉ねぎの入り込む余地がなかったからだそうです。(by I)