ジョルダン職業訓練技術学院プロジェクト

2002年6月のコラム

チーズもいけます

学生時代、阿佐ヶ谷にあったラーメン屋さんでミルクスープにチーズが乗った "スイスラーメン" を食べた時の衝撃は今でも忘れません。そんなこともあって、最近、チーズラーメンを作ってみました。とりあえず無難 (?) な組み合わせとして、しょう油+モッツァレラから入りました。麺の煮込み時間あと1分のところでチーズ (スライスチーズ4枚分くらい) を投入します。これは普通においしかったので、肩すかしを食らった感じでした。みそ+モッツァレラはさらにおいしく、次はエメンタール、次はゴルゴンゾーラなどと想像力がかき立てられました。個人的には大成功のチーズラーメンでしたが、やはりウォッシュタイプやシェーブルタイプは駄目だろうなと思います。(by I)

ラーメンはやっぱり熊本ラーメンだ!

休日の昼食の楽しみはラーメンです。我家でもいろいろな種類のインスタントラーメンを送ってもらい倉庫に蓄えていますが、その中でも好評なのは断然「熊本ラーメン」です。あのにんにくのきいた濃い味の熊本ラーメンに、紅しょうが(こちらでは売っていないので、大事に少しずつ使っている)と、ジョルダン製の大きなネギを乗せ、ビールを飲みながら食べるのが休日の楽しみのひとつです。今度は、さらに阿蘇の高菜漬けをプラスして食べてみようと思います。(by 九州出身専門家)

有名な医者

先日、妻の手先がしびれるというので、いつも診てもらっている内科医に別な医者を紹介してもらいました。電話番号を教えてもらって電話し、「○○先生をお願いします。」と言ったところ、「ラ(No.)!」と言って切られてしまいました。2,3度繰り返したのですが同じ結果です。どうもそれは医者ではなく受付の男性のようで、アラビア語しか話せないようでした。それでも、最後にもう一度と…!思って電話したところ、ようやく「私が○○です。」と英語が話せる医者が出ました。とりあえず、約束の日を決めて電話を切ったのですが、我が家では「英語の話せない受付(しかも男性)がいるようなところは、あまり信用できないのでは…?」ということで、結局行くのをやめて大使館の医務官に診てもらいました。その後、このことをジョルダン人の友人に話して医者の名前を言ったところ、「え?それってジョルダンでは有名な神経科医で、保健省の大臣も経験した人だよ。」ということでした。「それなら、英語の話せる受付くらい雇いなさいよ…、だから客一人損するんだよ!」といいたい気分でした。(by K)

最近の政府の動き

現地新聞に発表された最近の閣議決定です。米国クレセット社に対し、ジョルダン南部アラバ渓谷での金の採掘権が認められました。同社は7月より半年間、アカバの北90kmにあるアブクシーバで鉱脈調査などを行います。近々政府使節団がフランスに派遣され、70億ドルに達しているジョルダンの対外債務について協議を持ちます。2002年の返済額は元金と利子を合わせ8億1,500万ドルに上り、このうちパリクラブへの支払いは3億8,400万ドルです。水道当局は緊急時の給水に備え給水車を数十台保有していますが、給水車の水料金を立方メートルあたり1.25JD (225円) から1.5JD (270円) に値上げします。社会経済計画の全体予算2億5,000万JD (450億円) のうち、具体的な実行プランにかかる1,000万JDが承認されました。ただし、これには国営企業の民営化により得られる外国資本を充てる予定です。ジョルダン、エジプト、シリア、レバノンの4ヶ国により国際ガスパイプライン建設に関する合意がなされました。シナイ半島のタバからアカバへ続く海中パイプラインの完成を待って、来年中にはエジプトからジョルダンへのガスの供給が始まります。2005年には、アカバからシリア、レバノンへと延びるパイプラインが完成する予定です。(by I)

MHRK

車の車検証に、アラビア語で「RQM・SHASYEE」および「RQM・MHRK」と綴られていました(ここではローマ字表記にしておきます)。「RQM」は「ラカム」と読み、「番号」という意味です。また、「RQM・SHASYEE」はどうやら「シャースィー」ですから「ラカム・シャースィー」と発音し、意味は「車台(シャーシー)番号」のようです。しかし、「MHRK」の発音と意味がよくわからなかったので、こちらの人に意味を聞こうと思い「車関係の言葉で“ラカム・シャースィー”と一緒によく使う“ラカム…マハレク?…マハラック?…”は何の意味だい?」と聞いてもさっぱり理解してくれません。「そんなアラビア語はないよ。」の一点張りです。どうも私が言うときに「MHRK」の「R」の発音が巻き舌になっていなかったらしいのですが、それにしても「車関係の言葉で“ラカム・シャースィー”…」と言っているわけですから、少しは推測して「それは“ムハリック”だろう。意味は「エンジン」だよ」と教えてくれればいいのですが、まったく想像をめぐらせようともしないのにはがっかりしました。この意味がわかるまでに相当時間がかかったことは言うまでもありません。(by K)

労働災害 (2)

ジョルダンには職業構成法という法律があり、企業は就労場所の安全を確保する義務があります。VTC所管の労働安全衛生学院 (OSHI) の活動は、安全教育(38コース/600人:2001年)、啓蒙活動、調査研究とともに、2週間に一度、職業構成法に基づき企業への立ち入り検査を行っています。安全基準を満たさない企業は最大で300JD (54,000円) の罰金を科されます。この20年で、ジョルダン政府は労働災害補償として16万8,000人に対し2,400万JD (43億2,000万円) を支払ってきました。もちろんこれはSSC会員のみで、実際には労働災害を被っても補償を受けられない労働者がかなりの数いるはずです。政府はこの問題を憂慮し、昨年から就労場所の安全の度合いを競うコンペティション(SSC Award)を開催するなど、啓蒙活動に力を入れています。(by I)

労働災害 (1)

ジョルダン国内には約100万人の労働者がおり、そのうち38万人が Social Security Corporation (SSC) に加入しています。常勤職員5人以上の会社は加入義務があり、SSC加入者には社会保険や公的年金などが適用されます。労働省の調査によれば、この10年間で企業や工場の数が大幅に増えたことにより、労働災害の発生件数は1990年の7,536件から、2000年の19,899件へと大きな増加を見せています。産業別比率(2000年)は、工業(製造業)・鉱業:28%、建設業:20%、サービス業:16%、その他:36% となっています。これらの事故のうち、85〜88%は労働者および雇用主の不注意や怠慢、無知に起因するものだとされています。施設設計の見直し、機材の保守整備、防護服やヘルメットを着用すること、そして雇用主がもっと安全対策に費用をかけることが必要とされています。(by I)

消防車

空き地の多い我が家の周りでは、また今年も野火が頻発しています。先日はついに家の隣の空き地で野火が発生しました。夕方涼しくなったころ部屋の窓を開けると、何やらきな臭い匂いが漂い、バチバチと激しい音が聞こえてきました。見れば直径数メートルに渡って枯れ草が炎をあげています。下の大家さんの部屋からも慌ただしい雰囲気が伝わってきました。結局大家さんがバケツに水を汲んできて消火作業をしたため、大事には至りませんでした。先月からこんなことが繰り返されています。消防車による消火活動も何度か目にしましたが、基本的には枯れ草が燃えてしまえばそれ以上大きな火災にはならないことから、消防隊員はまず枯れ草の延焼具合をじっくりと観察します。必要であれば放水をしますが、その量も、日本人が庭で水まきをするくらいのわずかなものでした。やはり水は貴重なんですね。(by I)

アラビア語のような日本語

知人の中に、自分の子供にアラビア語とかけた名前をつけた人がいます。ヤスミ(ヤスミーン:ジャスミン)、マリカ(マリカ:女王)、ハヤト(ハヤート:人生)、アヤ(アーヤ:奇跡、コーランの一節)などです。逆に、日本人の名字でアラビア語の単語に近い音のものがあり、そういう人たちはこちらですぐに名前を覚えてもらえます。浜田(ハマーダ:よくあるアラブ人の名前)、前田(マーイダ:食卓)、平(ターイラ:飛行機)などが有名なところです。平さんの場合は飛行機の口語である "タイヤールさん" と呼ばれていました。最悪なのは(と言っては恐縮ですが)、楠さんでした。こちらの口語ではそのものズバリであり、もっとも言ってはいけない単語のひとつです。一度アラブ人に自己紹介をして大爆笑になって以来、ファーストネームを言うよう心に誓ったそうです。(by I)

語感

言葉のもつ感じ、ニュアンスというのは、その言葉に対するこちらの知識あるいは思いこみによって変わってくるのかもしれません。アドベンチャーは冒険そのものですが、アバンチュールというと何か奔放な恋愛を想像してしまいます。また、青い鳥といえばかの名作を思い出しますが、ブルーバードではまったく別物の印象を受けます。さて、先日、日本のテレビ番組のビデオを見ていて、"朧月夜" というお姫様が出てきました。きれいな名前だなぁと思いましたが、これを"Oborozukiyo" とローマ字で書いて意味をジョルダン人に説明したとしても、私が感じたほどの感動はないでしょう。逆に、アラビアンナイトで有名な "バドルルブドゥール姫" は、例えこれが "満月の中の満月" という意味だと聞いたとしても、日本人にはぴんと来ないでしょう。濁音ばかりで汚いと感じる方もいるかもしれません。総じてアラビア語は力強い(と私が感じる)単語が多いように思います。"I love you." が "バヒッベック" というのは、もうちょっとなんとかならないかなと思います。(by I)

ハウスキーパー

こちらで家を決めるとき、大家さんにハウスキーパーを紹介されて以来、週に1度家の掃除をやってもらっています。スリランカの女性で、アンマンにはもう何年も住んでおり、今は何軒もかけもちでハウスキーパーの仕事をしています。いつもこちらの出勤中に来るので直接その仕事ぶりを見たことはありませんが、その日は帰宅すると家の中がきっちり整理整頓されています。ただ、彼女なりの癖があるようで、灰皿は食器棚に入れる、洗面台の石けんは窓際に置き直す、ハムスターのケージは背面を前にして置き直す、体重計は机の上に乗せる、歯ブラシを入れたコップの中にハサミとクシを入れる、まな板は電子レンジと壁の狭い隙間に入れる、といったことがずっと続けられています。昨日、台所に置いてあったアヒルのおもちゃにふと目をやると、あろうことか、髪型がソバージュになっているではありませんか。一瞬我が目を疑いましたが、よく見るとそれはキャベツの葉で、乾燥してちりちりになったのがパーマに見えたのでした。彼女がおしゃれのつもりでやったのでしょうか。謎は深まるばかりです。(by I)

名詞の複数形 (2)

アラビア語ではお金の単位にも複数形があります。また、数の数え方がやや複雑で、名詞の性に合わせて数字も男女形を使い分け、1、2、3〜10、11〜99、100以上では名詞(ここではお金の単位)を変化させる必要があります。1 Dinar (ディナール・ワーヒドゥ)、2 Dinar (ディナーラーニ)、5 Dinar (ハムサ・ダナーニール)、20 Dinar (イシュルーン・ディナーラン)、100 Dinar (ミア・ディナーリン)。ただし口語では少しくだけた言い方で、1 Dinar (ディナール)、2 Dinar (ディナーレーン)、11以上 (○○・ディナール) になります。いくら必要かと聞いて "ダナーニール" と言われたら、それは3〜10 Dinarの間ということになります。Dinarの下の単位でも Fils (フィルス/フルース)、Piaster (キルシュ/クルーシュ) ともに複数形があります。職場では毎日お昼にサンドイッチを買ってきてもらいますが、毎週末、集金が来るとだいたい "ディナーレーン (2 Dinar=360円)" と請求されます。双数形というのはアラビア語の特徴のひとつですが、短くパッと言えるので便利です。(by I)

名詞の複数形 (1)

アラビア語の名詞(形容詞)には単数、双数、複数の3種があり、特に複数形はある程度の規則性はあるものの、基本的にはひとつひとつ覚えなければなりません。日(単数形:ヤウム/複数形:アイヤーム)、家(バイトゥ/ブユートゥ)、本(キターブ/クトゥブ)、男(ラジュル/リジャール)、王子(アミール/ウマラー)、友人(サディーク/アスディカー)、学校(マドラサ/マダーリス)、箱(スンドゥーク/サナーディーク)等々、学習者にとってはかなりやっかいな言語だといえます。先日ワディラム(ジョルダン南部の砂漠地帯、観光スポット)に行った帰り、道を走っていると後ろから見覚えのある車が追い抜いていきました。先ほど砂漠を走ってもらった運転手さんとそのピックアップトラックでした。彼もこちらに気付き、すかさず車を減速すると、止まれという仕草をしました。そして、"家がこの近くなんだ、コーヒーを飲んでいってくれないか"、と言われました。フィンジャーン・カホワ(コーヒー1杯)ではなく、ファナージーン・カホワ(コーヒーを何杯も)と言ってくれたのは、彼のやさしさだと思いました。(by I)

番外編:サウジアラビアのトカゲ料理

その昔、現地の友人に誘われダッブ(トゲオアガマ)を捕りに行きました。アラビア半島のダッブはパセリの野生種のような植物を食べているため肉に臭みがなく、ベドウィンには昔から好まれてきたそうです。まずその野生パセリが生えている場所を探し、次はダッブのいそうな穴を決めます。その穴に水を大量に流し込み、息が詰まって顔を出したところを手でわしづかみにして引き出すわけです。ダッブの穴は時に数メートルに枝分かれしており、必ず捕獲できるわけではありません。また穴によってはサソリがいるので、そこは細心の注意が必要です。捕まえたダッブは適当な大きさに切り分け、野菜やスパイスと一緒に20分ほど煮込みます。いったん火から下ろし、皮を取り除いたらさらに20分ほど煮込んで完成です。白身の肉は旨味があり、特にシッポの肉は最高のご馳走でした。(by I)

番外編:エジプトのウミガメ料理

その昔、アレキサンドリアに魚の買い出しに行ったときのこと。ある魚市場でウミガメがさばかれようとしていました。仕事人はイスラム教徒らしく、まず頸動脈にナイフを入れました。赤い血が吹き出ると、こぼさないようすかさずコップをあてます。周りを見ればコップにお札を入れて順番待ちをしている人が数人。お年寄りから妙齢の女性まで、コップを片手にウミガメをじっと見つめています。仕事人は次々とコップを受け取り、半分ほど血を入れると皆に手渡していきました。アレキサンドリアの人々の間では、ウミガメの血は循環器系の疾病に効能があると信じられているそうです。さて、日本では小笠原などでも食べられているウミガメですが、私も肉を2kgほど買って家で料理してみました。昆布ダシで鍋にしてみましたが、赤身の肉は歯ごたえも良く、かなりおいしかったと記憶しています。(by I)

パレスチナ問題 (5)

第3次中東戦争の後、PLOは他の抵抗運動組織(PFLPやファタハ)を基盤に再編成され、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が共存する単一の民主的・非宗派的パレスチナ社会の建設を目標とするようになりました。イスラエル市民を巻き込む形で新しいパレスチナ社会の形成が目指されたのです。しかし、第4次中東戦争の双方の呼称が示すように、アラブ諸国対イスラエルという対立図式の中で、パレスチナ問題は宗教抗争であるいう点が強調されました。そこには、やはりパレスチナ人の自決権が存在しません。一方、本来は多様なイデオロギー的立場をもつユダヤ人知識人の非宗教的運動として出発したはずのシオニズムも、いよいよユダヤ教正統派の権威と切り離せなくなっています。近年、問題解決がますます遠のいているように感じます。(by I)

パレスチナ問題 (4)

1948年5月、イスラエル国家の成立とともに、アラブ諸国とイスラエルの間で武力紛争が始まりました。その中で大規模な戦争に発展したものが4度あります。48〜49年の第1次(パレスチナ戦争/イスラエル独立戦争)、56年の第2次(スエズ戦争/シナイ戦争)、67年の第3次(6月戦争/6日戦争)、73年の第4次(ラマダン戦争/ヨムキプル戦争)です。特に第3次戦争は、第1次戦争後に固定されていた休戦ラインを超えて広大なイスラエル占領地(ジョルダン川西岸、ガザ、ゴラン高原、シナイ半島)を作りだしました。それらの領域内に多数のパレスチナ人住民を抱え込んだイスラエルは、シオニズムの目標であったユダヤ人国家から大きく変質していきました。その後の第4次戦争やアメリカ主導の中東和平工作も、キャンプデービッド合意に基づくエジプト・イスラエル和平条約などの変化を生み出しましたが、その他の面では第3次戦争が作りだした現実を逆に凍結するよう作用しました。第3次戦争におけるイスラエルの圧倒的勝利は、現在において自らの首を絞める結果となっているようです。(by I)

パレスチナ問題 (3)

パレスチナへのユダヤ人入植は、19世紀末の帝政ロシアによるポグロム(ユダヤ人虐殺)扇動のもとですでに始まっていました。シオニズム運動を20世紀の中東支配に利用しようとしたイギリスが、パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成(バルフォア宣言)するとこの動きは本格化し、ことに1930年代のナチスによる異常なユダヤ人弾圧が拍車をかけました。移住はアメリカを中心とする諸財団・基金によって促進されましたが、その裏に欧米の反ユダヤ主義があったことは否定できません。1936〜39年にはアラブ住民による強い抵抗運動がありましたが、その後パレスチナ分割決議案が国際的に議論される過程においては、すでにパレスチナ側の政治的・軍事的抵抗力は破壊されており、国際社会もパレスチナ人の自決権に顧慮を払いませんでした。(by I)

パレスチナ問題 (2)

1915年、イギリスの高等弁務官マクマホンは、メッカのシャリーフであるフセインに対し、対オスマントルコ戦の協力を取り付けるため、パレスチナのアラブ人居住地の独立支持を約束します(フセイン・マクマホン書簡)。これがアラビアのロレンスで名高いアラブの反乱に結びつきます。翌1916年、イギリス外相バルフォアは、ユダヤ系資本の援助などを目的に、英国シオニスト連盟会長に対しパレスチナにユダヤ人の民族国家を建設することを認めます(バルフォア宣言)。さらに1917年、イギリス代表サイクスはフランス代表ピコと、大戦後のオスマントルコ領の分割案を密約します(サイクス・ピコ協定)。これら3つのものは互いに矛盾し、その後のパレスチナ紛争の原因となりました。(by I)

パレスチナ問題 (1)

もともとパレスチナという呼称はフィリスティア(ペリシテ人の国)に由来し、ローマ・ビザンチン支配のもとではシリアの行政区画であり、アラブ支配もこれを受け継いでフィラスティーン軍区を置きました。その後パレスチナは漠然とシリア南部地方を指すものでしたが、20世紀に入り、南部シリアのうちジョルダン川の西側地域をバレスタインと定め、そこにイラクやジョルダンと同様、国際連盟の名によるイギリス委任統治を樹立することが決定されていく過程において、パレスチナの地域的区画は明確になりました。こうして、ユダヤ人国家建設予定地の中に囲い込まれた住民が、その後の紛争を通じてパレスチナ人となっていきました。(by I)

古いコイン

いつも使いそびれて100枚以上残ってしまったコインを見ていたら、面白いことを発見しました。1949年製の5Fils (0.005JD/1円弱) コインには、"The Hashemite Kingdom of the Jordan" と刻印されているのです。同じデザインの 5Fils でも、1955年製になると "The Hashemite Kingdom of Jordan" という現在の国名に変更されています。ジョルダンは、1955年12月に国連に加盟しています。想像ですが、国連加盟の前にあらためて英語の国名を検討し、そして現在のものに決定したのではないでしょうか。なお、"Hashemite" というのは "ハーシム家の" という意味で、つまりジョルダン王室のことです。ハーシム家は預言者ムハンマドやアッバース朝などを生みだした家系です (12月のコラム:アラブ人物伝/ハーシム家もご覧ください)。(by I)

車の税金

任期終了まであと3ヶ月。そろそろ引っ越し準備を始めようかという時期になりました。一番の問題は、自家用車の売却です。とにかく税金が高く、ジョルダン人に売ろうとしても、そもそも買い手を見つけるのが難しいのです。できればJICA専門家のように免税特権をもつ人に売りたいのですが、人数には限りがあります。車の税金は新車価格の何%と計算されます。1500cc以下:30〜50%、1501〜1600cc:60%、1601〜2000cc:80%、2001cc以上:140%。中古車の場合は新車価格から一定の比率を引いて査定価格を出します。2年以内:5%、3年:10%、4年以上:15%。このように税金が高いのでは、ベンツやBMWはまだしも、2001cc以上の日本車などは売却するのに相当な困難が伴うようです。仮に無料であげたとしても、その人はほとんど新車価格分の税金を払わねばなりません。今は政府の公用車も、2001cc以上のものは原則許可されないそうです。(by I)

人に優しく

惜しくも日本はトルコに敗れてしまいました。私としては、"日本代表はよくやった、敗れて悔いなし"、という顔をしていたつもりなのですが、やはり肩はがっくりと落ちていたようです。職場ではジョルダン人スタッフが口々に "Hard Luck (運がなかったね)"、と声をかけてくれました。普段は英語などいっさい話さないスタッフからも "Hard Luck" と言われ、人の優しさがぐっと心にしみた1日でした。(by I)

タウジーヒ

今日、6月16日から、タウジーヒ (大学入学資格) 試験が始まりました。夏と冬、年に2回実施されるタウジーヒ試験は、今回は全国で10万3,657人が受験しています。今回初挑戦の8万6,192人は、コンピュータなど新しい学科を含めて試験を受けています。なにしろ受験者が多いので、教育省は全国1,359ヶ所の試験会場に、1万1,568人の試験官を配置しました。それらの会場で2万1,887人が理系、4万7,876人が文系、1万5,687人が職業分野、748人がシャリーア(イスラム法)に挑戦しています。視力や聴力にハンディキャップを持つ約100人の受験者には、数学やコンピュータの試験が免除されたり、試験用紙の文字が大きいフォントで印字されるなどの配慮がなされています。また、試験会場はチュニジアとカタールにも1ヶ所づつ設置され、国外で働くジョルダン人の子女のことも配慮されています。試験結果の発表は、来月下旬だそうです。(by I)

マブルーク

アンマンでもサッカーワールドカップは盛り上がっています。対ロシア戦、対チュニジア戦ともに日本が勝利し、STIMIでも日本チームの評価はうなぎ登りです。こちらの習慣に従い、私たちも勝利の翌日にはSTIMIのスタッフにチョコレートやケーキを配りました。今、STIMIでは全員が日本のサポーターで、口々に "マブルーク (おめでとう)" と言ってくれます。もっとも、次に勝ったらマンサフ(ご飯に羊肉の煮込みをのせたジョルダン料理)だぞと、これまた今から言われていますが。ところで、先週はスタッフの1人が夜間大学に通ってマスターを取得したことから、アラブの甘いお菓子を配ってくれました。今日は別の1人が定年退職するということで、小さなセレモニーを催し皆でケーキをほおばりました。そういったわけで、先週からとにかく甘い物が続いています。おめでたいことが続くのはけっこうですが、ちょっとお腹が出てきたかも?。(by I)

国名

世界の国名を言うとき、アラビア語と日本語では意外に違うものがあります。トゥーニス(チュニジア)、ヤマン(イエメン)、アルジャザーイル(アルジェリア)、フィラスティーン(パレスチナ)、ウルドゥン(ジョルダン/ヨルダン)あたりは想像の範囲内としても、マグリブ(日の沈む国)=モロッコ、ミスル(イスラム初期に征服地に建設された軍営都市)=エジプト、イマーラート(首長国/Emirate)=アラブ首長国連邦、などはわかりにくい例です。ニムサー(オーストリア)、ユーナーン(ギリシャ)にいたっては、わかる人などほとんどいないでしょう。ヤーバーン(日本)は中東に来て最初に驚く単語のひとつです。たいていの人は "野蛮!?" と思ってしまうからです。ちなみに、"サハラー" はそもそも砂漠という意味なので、サハラ砂漠というのはちょっとおかしな表現です。まぁ、フラダンスみたいなものですね。(by I)

トルネシアとフットボール?

ある日、Jordan人から 「今度はトルネシアとフットボールだろ?」と聞かれて、サッパリ意味が解らなかった。わからなかった原因は、私の聞き取りが少々悪かったのに加え、奇妙なJordanなまりがあった為であった。複数の人が、はっきりと「トーニシア」と発音している(ように聞こえる)。R音による長音の場合は、この国の人はよく「ル」と発音するのでてっきり「トルニシア(Tornisia)」と言っているように聞こえた(これは私の聞き間違い)。ある人が、ジョルダンなまりでは「トーニシア」になるが、英語では「トゥーニジァ」と言う、と言っていたのでだんだん解ってきた。答えは・・・・「チューニジャ(Tunisia)」と言うべき!。すなわち「チュニジアとフットボール(=サッカー)する日」の話でした。いずれにせよ、Jordanなまりの英語はこのように不可解なまでに実在する。同様に日本語なまりの英語も実在はするが、これに較べればはるかに美しい!(と私は信じているが、どうだろう?)(by M)

刑罰

イスラム法 (シャリーア) では、刑罰は キサース (報復)、ハッド (法が厳正に定めた刑罰)、タージール (懲戒、矯正) の三つに大別されます。キサースは、イスラム以前に行われていた無制限の報復 (復讐) を、コーランをもとに同害報復に改めたものです。ある者が他者を故意かつ不当に殺害した場合、加害者を殺す権利が被害者の相続人に与えられます。傷害の場合は同程度の傷害を仕返す権利が与えられます。また、同害報復の代わりに、血の代償 (賠償金制度) も認められました。ハッドは法に絶対的であり、加減は許されません。姦通罪には石打ちの刑 (既婚者) か鞭打ち (未婚者)、飲酒罪には鞭打ち、窃盗罪には手足の交互切断 (初犯=右手、再犯=左足、3犯=左手、4犯=右足) などです。タージールは裁判官の裁量に任されており、文書偽造や偽証などが対象となります。19世紀に至り、イスラムの刑罰は西欧の影響により改革の必要性が主張され、1858年にはオスマントルコが刑法典を制定するなど近代化の兆しを見せました。しかし1970年代以降、シャリーアの実施をあらためて主張する動きが強まり、特にハッドの施行意義が強調される傾向にあります。(by I)

刑の重さ

今週、Honour Crime (一族の名誉を守るための犯罪) に関する記事が2件、紙面を飾りました。ひとつは先週木曜日にイルビドで起きた殺人事件です。あるエジプト人男性との姦通罪によって2年間の服役をした29才の女性が、出所後、夫のもとに向かわずそのエジプト人男性のところに身を寄せたことから、夫が彼女を捜しだし殺害したものです。犯人の夫はすぐに自首し、現在捜査官によって取調中です。もうひとつの記事は、ちょうど1年前にアズラクで起きた事件の判決に関するものです。犯人は被害者の兄で、未婚の妹 (23才) が妊娠したことに気付き、殺害に至りました。こちらも犯人はすぐに自首しています。通常、Honour Crimeと認定された場合その刑はとても軽く (昨年11月のコラム "女性の人権2" 参照)、今回も殺人に対して禁固2ヶ月、銃使用のライセンスを持たず発砲したことに対して禁固2ヶ月、他人の銃を無断で拝借したことに対して禁固1ヶ月など、結局トータルで禁固7ヶ月が言い渡されました。犯人はすでに7ヶ月以上留置されていたため、判決後自由の身になったということです。(by I)

暑いっ!

日本も相当暑いようですが、ここジョルダンもいよいよ本格的な暑さになってきました。各地区の最高気温は次の通りです。アンマン/37度、アカバ/42度、ジョルダン渓谷(死海含む)/44度。ただ、日本とは違って湿度がなく、家も石造りであるため家の中では結構涼しいので助かります。空には雲がなく太陽熱が直接降り注いでくるような気がします(写真)。アンマンから1時間ほどのところにある「死海(Dead Sea)」にはちょっとしたリゾートホテルもありますが、この時期から9月くらいまでは熱風にあおられ、ホテルのプール自体も温水になっていてとても泳ぐ気にはならないようです。ジョルダンを訪れるなら4月〜5月、10月〜11月がお勧めです。(by K)

熱波来襲

一昨日から急に暑くなりました。これはアラビア半島から北上してきた熱波によるもので、この時期にしては例年より5〜7度ほど高い気温だそうです。今朝8時に出勤すると、部屋の中の空気がボワ〜ッと生ぬるく、すでに30度を超えていました。すぐに窓を開けて涼しい外気を入れましたが、外の方が涼しいのも9時くらいまでです。それ以降は窓を開けても熱風が入ってくるばかりで、午後には室内温が34.5度にまで上がりました。帰宅すると、何はともあれ冷たいシャワーを浴びようと、バスルームに入りました。しかしこちらでは水タンクが屋上に設置されています。冷水の蛇口をひねって5分もすると、ぬるいお湯が出始めました。こんな時は、すかさず蛇口を温水側にひねります。すると、またしばらくは冷たい水が出てくるのです(ボイラースイッチは当然OFF)。初めて経験される方はかなり面食らうでしょうね。(by I)

年間訓練計画とイスラム暦(2)

これまでの実績からすると、ラマダン明け休暇はラマダンが始まってから30日後に4日間、また犠牲際はラマダンが終了してから70日後に5日間となっているようですが、職場にはこれを正確に答えられる人はほとんどいません。というか…あまり考えたことがないようです。「犠牲際はいつから始まるのか?」と職場で聞いたところ、帰ってくる答えは「うーん、大体2ヶ月後くらいかなぁ…」程度です。今年のラマダンは11月初旬ですから、ラマダン終了は12月初旬(30日後)であり、ここまでは今年の日記帳に記載されています。しかし、犠牲際は当然今年の日記帳には記載されていないので、自分で作成した年間訓練カレンダー上で、ラマダン終了日からせっせと70日を数えた後、それから5日間を休日として計画することになるのです。ラマダンの始まりと終わりが、実際にその日になるかということについては、ラマダン開始の前日くらいにしかわからないのですが、とりあえず宗教休日を年間訓練カレンダー上に記載して計画しておけば、1日程度のずれは変更が出た時点で簡単に修正できることを、早く理解してもらいたいものです。(by K)

年間訓練計画とイスラム暦(1)

そろそろ第4期生(10月開始)の年間訓練計画を作成する時期となってきました。年間訓練計画の作成に当たっては、まず訓練期間中の休日を把握するためイスラム暦をチェックした後、総訓練時間を割り出すのが最初のステップです。一般の祝祭日は固定されているので問題ないのですが、宗教休日については、太陰暦の関係で翌年は11日ずつ前にずれていくため、休日の把握は容易ではありません。宗教休日は、通常はアラビア語の日記帳(写真)に記載されています(必ずしもその日になるとは限りませんが…)。しかし、それも今年の12月までしか記載されておらず、来年度の日記帳が出版されるまで待っているわけにもいきませんので、それ以降の宗教休日についてはとりあえず自分で作成した年間訓練カレンダー上で日数を数えていかなければなりません。そうやって苦労して作成した年間訓練カレンダーなのですが、こちらの人にそれを見せても、来年の宗教休日はアッラーのみぞ知るといった感じで、その大変さにあまり興味を示さないようです。どうりで、どこの訓練施設に行っても、指導員が総訓練時間を答えられないわけです。(by K)

ワディ・ラム

ジョルダン南部の砂漠地帯、ワディ・ラムに行ってきました。砂漠は今や重要な観光資源です。ツーリスト受け入れ態勢は万全で、気軽にアドベンチャー気分を楽しむことができます。ジープ3時間コースの代金を支払うと、早速現地の人が運転する車の荷台に乗り込みました。赤い砂丘が横たわる荒野をとばし、アラビアのロレンス縁の地や、あのペトラを造ったナバティア人の痕跡などを訪れました。ひと通り回ったところでお茶をご馳走になりましたが、ほかに誰もいない荒野で、風と砂の音を聞きながらいただくお茶の味はまた格別でした。途中車がスタックしてしまい荷台から降りて一所懸命押したり、運転手のおじさんの薪拾いを手伝ったり、盛りだくさんの3時間でした。(by I)

主要統計

2001年7月の主要統計です。ジョルダンの数値の後ろに朱書きで日本のものを記します。人口:515万人 (1億2,677万人)、0〜14才:37.23% (14.64%)、15〜64才:59.44% (67.83%)、65才以上:3.33% (17.53%)。人口増加率:3% (0.17%)。乳児死亡率:20.36人/千人 (3.88人/千人)。女性の出産数:3.29人 (1.41人)。平均寿命:女80.12才 (84.15才)、男75.1才 (77.62才)。識字率:女79.4%、男93.4% (全体99%)。1人あたりGDP(PPP):3,500$ (24,900$)。貧困人口:30% (なし)。失業率:15% (4.7%)。いかがでしょう。特に年代別人口構成比が目を引くのではないでしょうか。14才以下の人口が多く、雇用創出が政府の緊急課題であることが見て取れます。また、貧困人口とは、国際援助機関が設定している貧困ライン(栄養上最低限必要とされる食事と、食料以外の最低限度必要なものが購入できなくなる所得ライン=1日1ドル)以下の人々が占める割合です。(by I)

W杯日本対ベルギー戦

ジョルダン人もサッカーは大好きです。対ベルギー戦は引き分けでしたが、互角に戦い、見ていて思わず興奮するような面白い試合運びだったことから、試合後は職場のジョルダン人から様々なコメントが飛び込んできました。曰く、"あれだけ体格差があったのによくがんばった"、"組織力が高く日本流を象徴している"、"同じアジア人としてうれしい"、などなど。中には、"なんで金髪なの?"、"なんでユニフォームは白地に赤じゃないの?"、という質問もありました。ジョルダンではお祝い事があると知人や同僚に甘いものを配る習慣があります。"クナーファ(チーズとココナッツの甘いお菓子)を配る価値はあるぞ"、とさんざん言われましたが、やはりそれは1勝するまでおあずけにしましょう。ところで、アラビア語にはG音がなくJ音で言い換えています。実況担当者から "ヤナギサワ" は "イヤナ、ジサワ" と呼ばれていました。とても言いにくそうでした。(by I)

切れないラップ

こちらでは輸入物の食品用ラップが売られています。しかし、切る際に日本製のような、あの "ピーッ" という歯切れの良さがないのです。一応、箱の一端にラップを切るためのアルミ製刃が付いているのですが、いざ切ろうとして引っ張るとラップも一緒に伸びてしまい、結局ふにゃふにゃに切れてしまいます。ちょっと切れ目を入れ、息を止めて一気に切る!といったテクニックが必要なようです。また、密着度も日本製に比べると今ひとつですが、おにぎりを握るのにはくっつきすぎなくていいという意見もあるようです。(by K)

夏の合図

今年はハムシン風のせいで暑くなるのが例年より遅かったようですが、6月に入り、ようやく夏らしい暑さになってきました。そういえば、夜になるとクラクションを連続的に鳴らし、駐車灯を点滅させながら走る車の集団が増えてきたような気がします。実は、これは暴走族というわけではなく、結婚式の会場へ向かう花婿花嫁を祝うために集まった友人たちの車の列なのです。湾岸諸国に出稼ぎに出ている若者たちは、この時期になると夏休みを取り、涼しいジョルダンに帰ってきて地元で結婚式を挙げるのが慣わしのようです。これに限らず夏は結婚式が多いのですが、うるさいクラクションもこちらの人にとっては夏の合図といったところでしょうか…あまり文句を言う人もいないようです。(by K)

夏の到来

ワーディ(涸川、ワジ)は熱帯乾燥地域に特有のもので、春先に降雨による水が流れるほかは、一年中河床が乾いている川のことです。写真のワーディは、3月には川幅にして10メートル近い水流を保っていましたが、2ヶ月たった今はご覧の通りすっかり干上がっています。過酷な夏の到来は、時に明確なイメージを伴って人の目に飛び込んできます。干上がった川が我々に語りかけるものは、水がなくなれば途端に死に直結するという厳しい現実です。政府は6月1日よりジョルダンバレーの灌漑用水供給を停止しましたが、未だ農作物の収穫途中であることから農家の強い反発を受け、15日間の給水期間延長を決定しました。(by I)

ジョルダン農業事情

数次にわたる中東戦争によって国土面積が大幅に減少した結果、現在ジョルダン国内で耕作に適した土地はそれほど広くありません。それでも、政府が農業奨励政策をとっていることもあり、GDPに占める農業生産高の割合は28%となっています。例えば小麦の世界市場価格はトンあたり160JD (28,800円) ですが、政府は農家から170JD で買い取っています。また昨今は、技術の進歩によりピスタチオ、デーツ(ナツメヤシ)、サボテンの実など、高値で輸出できるものも収穫が上がっています。一方で、ジョルダンには200万頭のヒツジと6万頭のウシがおり、また2,074のファームから年間14万3,000トンの食肉が、272のファームから年間9億1,700万個の鶏卵が生産されています。これら家畜類のエサとなる牧草の栽培場所を確保することが切迫した課題となっています。今ジョルダンは小麦の収穫の季節です。郊外を走ると一面に広がる黄金色の畑に目を奪われます。(by I)

ワールドカップ

いよいよワールドカップが始まりました。ジョルダンでもサッカーは大変な人気で、ワールドカップのおかげで学校の試験のスケジュールが変わってしまうくらいです。日本からの衛星放送では放映権の関係で一切見ることができませんので半分あきらめていたのですが、なんとなく現地テレビ局のチャンネルをひねってみると、ソウルでのフランス・セネガル戦、日本でのアイルランド・カメルーン戦(新潟)、ドイツ・サウジアラビア戦(札幌)の試合がアラビア語の解説入りで放映されていました。どうやら、これで日本・ベルギー戦(4日・埼玉)も簡単に見ることができそうです。張り切って応援することにしましょう。(by K)

のどか

アンマンからだいぶ離れた田舎道を走っていると、前を行くタクシーが急にスピードを落とし、すぐに止まってしまいました。見ればその前で2台の車が接触事故を起こしています。タクシーの運転手は乗せていた客と一緒に、ああだこうだともめている当事者の所に歩いていきました。私はこの場合どうすればいいのかな?、と迷ったのですが、少なくともクラクションを鳴らすことは止め、のんびりと事の成り行きを見届けることにしました。後続車からも人が降りてきて、さらに対向車線からも人が集まり出しました。5分もしないうちに仲裁者(見物客?)が15人ほどになり、結局なんとか話し合いで解決したようです。それにしても、普通、道路をふさいでしまったら怒り出す人がいてもおかしくないと思いますが、なんとものんびりした田舎のひとこまでした。(by I)

ウム・エルジマール

アンマンの北東にあるザルカを通り抜け、そのまま北に40分ほど走るとマフラクの町があります。そこからイラク国境に延びる道路をしばらく進むと、ウム・エルジマールに着きます。"ラクダの母" (または "美の母") という名を持つこの小さな村は、"砂漠の黒い宝石" とも呼ばれ、かつてのデカポリスの辺境に位置していました。漆黒の玄武岩を利用して建てられた石造りの家、教会、古代ローマ時代の兵舎や砦が現存しています。ウム・エルジマールでは冬に降った雨を貯水池に溜めていたので、夏でも飲み水や灌漑用水に困ることはありませんでした。5〜8世紀には交易の中継地として繁栄します。歴史に名を残すのは1世紀から約700年間ですが、崩れた建物に所々残るアーチなどが、当時の繁栄ぶりや技術力の高さを想起させてくれます。(by I)

アジュルーン

ジェラシュの西、いくつかの山を越えて走ると、十字軍縁の町アジュルーンに着きます。町を見下ろす小高い山の頂には、アジュルーン城が建っています。アジュルーン城は、1189年に十字軍を打破したサラディンの甥、イズ・アッディーンによって1184年に建てられました。典型的なイスラムの要塞建築で、保存状態も良好です。城の内部は階段と数多くの部屋があり、まるで迷路にいるような気分にさせてくれます。階段を上り屋上の部分に出ると、アジュルーンの町はもとより、北ジョルダン渓谷が一望できます。当時、アジュルーンはジョルダンとシリアの交易ルートを守る上で重要な砦のひとつであり、夜には通信手段のかがり火を焚き、ユーフラテスからカイロへの情報伝達の中継点の役割を果たしたそうです。(by I)